本件から「我々は」何を学ぶべきか
- 毎日新聞、渡辺翔太なりすましアカウントで記事を書き削除
- 石戸諭「新聞の武器は要所に張り巡らされた取材網、WEBは一報以外の記事の価値」
- 石戸諭「こたつ記事」への嘆き、渡辺翔太を騙る偽アカウント記事の毎日新聞のミスの別の本質
毎日新聞、渡辺翔太なりすましアカウントで記事を書き削除
【削除】Snow Man・渡辺翔太 32歳の誕生日に「感謝だらけの日々です」 メンバーやファンから祝福の声 毎日新聞 2024/11/5 15:00(最終更新 11/5 15:01)
毎日新聞が、Snow Man・渡辺翔太氏のなりすましアカウントの発信に基づいて記事を書いたが、後に気づいて削除し訂正記事化した事案が発生していました。
削除前後のURL:ttps://mainichi.jp/articles/20241105/k00/00m/200/063000c
これが一致しているので、誤報の記事のURLはそのままに、誤報であることをタイトルにも本文にも明記した訂正記事とした、そういうスタイルのページということです。
また、Xのカードリンク部分のタイトルも訂正後になっていますから、これは既にSNSでリンクが拡散されていたとしても訂正に気づくことができるものであり、最も効果的な訂正のスタイルであると言えます。
サイレント修正が横行し、SNSのカード部分の変更を放置しているところが後を絶たない中で、これはしっかりと対応されたのだなと感じます。
石戸諭「新聞の武器は要所に張り巡らされた取材網、WEBは一報以外の記事の価値」
本件に関して、元毎日新聞で記者/ノンフィクションライターの石戸諭 氏が以下で重要な指摘をしています。
誤報といっても中にはいろいろな種類がある。政局取材のように多方面に積み上げた結果、最後の最後で読み違えることもあるし、事件取材でもよくあるのが関係を築き上げてきた取材先が結果的に偽情報をつかまされており、裏付けるための取材が甘かったがために誤報につながるということもある。
こうした誤報も単純に擁護はできないが、まだ理解可能な範囲だ。なぜなら、記者は足元の取材という地道な仕事を疎かにしていない。結果として間違ってしまったことは重大だが、過程に大きな間違いはない。
逆にもっと程度の低い誤報もある。相手の言っていることを理解できず、勘違いしてしまったまま記事にしてしまった、あるいは聞き間違いや誤字があったというものだ。私もやらかしたことがある単純なミスでも誤報は誤報だが、比較的再発防止策はとりやすい。
私が誤報の中でもっとも恥ずべきだと考えているのは、偽情報に飛びついて取材をするという基本を怠ったまま掲載されてしまう誤報、つまり今回の毎日新聞がやってしまったパターンだ。
「誤報」といっても種類があるということはその通り。
メディアの記者を政局のために利用しようとする政治家や活動家によって振り回される、ということはあるでしょう。ただ、そのために「組織」があり、多数人の眼を通して得た証言と多角的な視点から穏当な事実を浮かび上がらせることができる。この強みが報道機関の価値の中心であるということも、石戸氏は指摘しています。
あらためて言うまでもないが新聞の武器は要所に張り巡らされた取材網にある。ウェブは一報以外の記事の価値、動画配信も含めて取材しているからこそわかる記者の言葉にもより価値を与えるメディアでもある。
ネットも無価値ではないということも指摘しています。一報以外の記事の価値、要するに事実を掴むことの次にある、「事実を正しく認識し、或いはより重要な問題意識の下に当該事実を捉え、行動に繋げること」に寄与する言論があり得る。
この点に関して、最近話題の事件として例えば兵庫県斎藤知事の下に届いた告発文書と言われる怪文書について、作成者の特定と懲戒処分をしたことが問題視されている事案がありますが、公益通報者保護法に照らした理解が歪められており、当該怪文書の内容が既にWEB上でも公になっているにもかかわらず、到底あり得ない理解がテレビ放送や新聞等で横行していました。
公開情報からは国会で作られた法律と消費者庁で作られた指針とその解説に齟齬があるという事実と問題意識も得られました。これは「当事者への取材」では出てこない可能性が高い視点です。誰も問題意識を持っておらず、むしろ当該制度の運用によって利益を得る立場であれば、何ら問題が無いものという認識を植え付けられて終わるでしょう。
毎日新聞の今回の記事は、単に「こたつ記事」のみの問題なのでしょうか?
石戸諭「こたつ記事」への嘆き、渡辺翔太を騙る偽アカウント記事の毎日新聞のミスの別の本質
お気楽で一歩も外に出ず、複数の情報に当たることもない「こたつ記事」は軽蔑の対象だった。
石戸氏のこの部分を殊更に否定する気はないですが、むしろここの意識に別の本質的構造的な問題が含まれているのではないか?と感じるわけです。
確かに本件は芸能事務所に電話一本かければ防げた事故であり、その観点で「こたつ記事」の問題であるということは正しいです。
しかし、「こたつ記事」であったとしても、普通のリテラシーがあれば防げた問題であるということは、もう一つの本質として、もっと意識されるべきではないでしょうか?
著名人の名前を冠するSNSアカウントが新規に現れた際に、それが本当に本人のものなのか?ということは、当たり前に考えるからです。小泉進次郎の公式アカウントが登場した際も、SNSでは判断を留保する者が多数いました。
従前から存在している公式HP上で告知やSNSリンクがあったならば、乗っ取られて記述されたもので無い限りは、それによって本人のSNSアカウントであるという事実認定ができます。*1そして、それが無いなら判断を留保するということは、一般のユーザーでもできることです。
毎日新聞の問題は、「それすらしなかった」という要素が省みられるべきでしょう。
OSINTという情報分析の手法があるように、「当事者への取材」以外に価値のある活動はあります。インターネットが【虚偽の世界】であるということにしたい、そういう状況のままにしたい人たちが、マスメディア内部に居るのでは?
ネットの側も、マスメディアの記事無しには何も言えない場合は多いです。ですから、事実を獲得してくる記者らを否定するのではなく、彼らと協働するという方向性にならないものか。テレビ東京の記者・デスクが、彼個人とは全く関係の無い事柄についてSNSで「マスゴミ」という言葉を浴びせられたような事が横行しているのは悲しいことです。
ネットが既存のリアルワールドでの正当な活動の周知と望ましい認識の共有に使われることが、誰にとっても利益となるはずです。そのために乗り越えなければならない障害は多数ありますが、一人でも意識を変えることで、社会は変わるんじゃないでしょうか。
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*1:乗っ取りの可能性をも潰すために直接問い合わせをしろ、という立場でも、一定の期間の運用の状況から、本物と認定することはできるだろう。その場合に仮に偽物だったとして、果たして責められるべきなのだろうか?本人に向かって「あなたは背乗りされてませんか?」と問うに等しい