事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

あいちトリエンナーレへの寄付金は政治活動が除外されているのか?

f:id:Nathannate:20190808131215j:plain

愛知県の寄付金やあいちトリエンナーレの一部事業について、政治活動規制があることが分かりました。

愛知県文化振興基金

あいちトリエンナーレ及び文化芸術振興事業への寄附金を募集しています(文化振興基金) - 愛知県

文化活動事業費補助金(文化芸術すそ野づくり事業)

 県内に活動の本拠を置く文化活動団体の行う自発的な文化活動のうち、特に地域貢献の高い事業に対して助成を行います。

あいちトリエンナーレ開催経費

 3年ごとに開催する国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の開催経費の財源となります。

愛知県文化振興基金は上記2つの用途が明示されています。

ただ、文化振興基金条例を見ても、政治目的などの場合に対象外にするような規定は見当たりません。

上記のうち、文化活動事業費補助金の対象制限を見てみます。

愛知文化活動事業費補助金は政治目的が禁止

f:id:Nathannate:20190808120958j:plain

愛知県文化活動事業費補助金 募集案内を見ると「政治的又は宗教的意図を有する事業」については補助対象事業から除外されています。

過去の補助対象事業を見ると、トリエンナーレに参加する団体の一つに対して交付されている事例が見つかりますが、トリエンナーレ全体に対して交付されるようなものではありません

また、この制度は団体が申請して審査を経ないといけないのですが、今回の表現の不自由展は、この制度に申請していないと思われます。

あいちトリエンナーレのパートナーシップ事業

f:id:Nathannate:20190808121528j:plain

あいちトリエンナーレの連携事業のうち、パートナーシップ事業のページを見てみると、「宗教活動や政治活動を目的とする事業でないこと。」という制限があります。

パートナーシップ事業はトリエンナーレ本体とは別個の展示やパフォーマンス等なので、表現の不自由展はこの除外ルールとは直接的には関係ありません。

しかし、パートナーシップ事業一覧を見ると、津田大介の講演会があります。

f:id:Nathannate:20190808121812j:plain

8月28日に予定されている講演会で表現の不自由展の内容について触れたとすれば、上記のパートナーシップ事業対象要件に抵触すると言えるでしょう。

トリエンナーレ本体に政治活動目的を排するルールは無かったのか?

f:id:Nathannate:20190808131215j:plain

トリエンナーレ本体について何らかの運営規則のようなものが無いか探したのですが、いくら探してもみつかりません。

トリエンナーレ2016の事業報告書には、あいちトリエンナーレ実行委員会規約がありましたが、そこにはトリエンナーレ実行委員会の設置根拠や対象事業・作品を絞り込む規定は書いてありませんでした。

8月2日に私が実際にトリエンナーレ事務局や愛知県美術館に電話して聞いた話では、展示作品を選ぶ基準は公安衛生法規に抵触していないものであればOKで、選考は芸術監督の津田大介の一任している、と言っていました。それ以外に審査基準は無いのかをたずねても上記回答でした。

表現の不自由展への寄付金420万円はどこから?

表現の不自由展の費用420万円分については民間からの寄附の申出によってまかなうことに決定されたそうですが、これはおそらく上記の寄付金とは別枠の任意のものでしょう。

申請を経て審査を受けたりする類のものではありません。

この辺りは混同しそうなので、注意が必要でしょう。

まとめ:なぜ本体は政治活動が除外されていないのか?

しかし、あらためてまとめてみると、トリエンナーレのパートナーシップ事業には政治活動規制があるにもかかわらず、本体のプログラムにはそのような規制が無いというのは不思議な感じがします。

また、同一の枠組みの寄付金から、一方では政治活動規制があるにもかかわらず、他方では政治活動規制が無いというのも、なんだかしっくりきません。こういう形のルール構造は、果たして適切なのでしょうか。

それから、「表現内容で作品を展示するしないを決めるのは表現の自由の侵害だ」と言ってる人たちは、政治的表現等で絞り込みをかけている寄付金交付や団体参加の条件についてはどう思っているのでしょうか?

既に表現内容で寄付金交付や団体参加に絞りをかけている官製イベントであるにもかかわらず、なぜ表現の不自由展だけ表現内容での取扱いが表現の自由の侵害になるのか、首を傾げてもげそうになります。

以上

CISTECが怒りのパワポ解説:韓国向け輸出管理、ホワイト国、リスト規制、キャッチオール規制の誤解

f:id:Nathannate:20190808100706j:plain

CISTECが韓国向け輸出管理の運用見直しを受けて、関連制度の誤解を正すパワーポイント資料を公開していました。英語版もあります。

メディアに対する怒りがこもっている内容だと思います。

CISTECが怒りのパワポ解説

f:id:Nathannate:20190808101136j:plain

韓国向け輸出管理の運用の見直しに関する解説資料

解説資料は全部で3つあります。

①パワーポイントで概要、②文章で詳細説明、③改正の概要、という内容です。

これらの資料を見ると、日本メディアが騒ぎ韓国側が発狂して誤解している内容を掴んで、それに対してクリティカルに反論していることが分かります。

私もメディアの記事を引用してこの問題を取り上げてきましたが、振り返ってみるとかなりの間違いが引用記事の中にありましたし、私自身の記述にも相当危うい表現がありました(自分で気づいた点は修正)。

リスト規制品3品目(フッ化水素・フッ化ポリイミド・レジスト)に関するものだけでも以下のような誤解があったようです。

  1. スペック問わず3品目に該当すれば個別許可?⇒限定されたものだけ
  2. 出荷ごと?⇒契約ごと
  3. 審査に90日かかる?⇒それは標準処理期間に過ぎず、大抵早く許可が下りる
  4. 第三国の現地工場に供給できる?⇒基本は韓国内に限り、第三国への供給が前提でなら別個の許可が必要

「安全保障輸出管理関係者にとっては一般常識。かかる誤解はあり得ない」

という文言に込められた強いメッセージを感じます。

ホワイト国、リスト規制、キャッチオール規制の誤解

f:id:Nathannate:20190808101407j:plain

ホワイト国を除外されると全件が個別許可になるという誤解、キャッチオール規制は多くが個別許可になるという誤解があるが、それらは間違いということです。

ホワイト国は「一般包括許可」が可能だったが、そこから外れてグループBになるとそれが使えなくなるものの、「特別一般包括許可」は使えるということです。

これはここで「解説」なんてできないので、CISTECの解説資料を読んで欲しいと思います。

特にキャッチオール制度の根本的誤解について

f:id:Nathannate:20190808101420j:plain

「キャッチオール」という言葉の響きから、全ての品目が個別審査になる印象を持つ人が居たのでしょう。

あくまで個別の輸出案件について、個別具体的な懸念情報がある場合に許可が必要、ということが強調されています。

これは経産省の以下資料でも読み取れますが、メディア等での説明が不足していたと思います。私も反省です。

f:id:Nathannate:20190808103047j:plain

解説の例を一つ示します。

韓国向け輸出管理の運用の見直しに関連する日本の制度運用についての基礎的解説

(5)キャッチオール規制は、リスト規制対象でなくても、個別取引ごとに懸念が実際にあることが判れば許可対象になるものであり、懸念がないものまで一律に許可申請対象となるわけでは全くない。
○キャッチオール規制は、リスト規制と並ぶ安全保障輸出管理制度の基本。
○リスト規制以外の品目の個別の輸出の際に、①それが大量破壊兵器や通常兵器の開発等に使われる恐れがあることを輸出者が実際に知った場合、及び、②経産省当局から許可申請すべき旨のインフォームがあった場合に、許可対象となるもの。

○そのような懸念がある場合は限定的であり、食料品や木材等を除く全品目の輸出が一律に許可申請対象となるわけでは全くない。実際に個別許可を取得しなければならない案件はほとんどないと思われる。

まとめ

この一か月、テレビで細川さんらが解説を頑張っていましたが、相変わらず不正確な報道があるようです。 

私も報道を読んでいて思うのが、日韓のメディア双方が日韓の対立をエンタメのように扱って消費している構造があり、煽るような報道が常態化しているということです。

日本メディアの不正確な報道をそのまま韓国メディアが報道し、韓国の政府側の人間はその風潮をベースに理解するという流れがあったと思います。

そして、日本に対して偏見を持っている英語メディアの中の人が、誤解をそのまま世界に発信しているという構図がありました。

それに対して日本政府側、政治家も官僚も、メディアのつくりだす空気に乗っからず、公式HPやSNS等で発信し続けたのは救いだと思います。

以上

憲法学者の曽我部真裕教授の記事がデタラメ:トリエンナーレ表現の不自由展に関する言論

f:id:Nathannate:20190807165258j:plain

弁護士ドットコムで京都大学大学院法学研究科の曽我部真裕教授(憲法)があいちトリエンナーレの表現の不自由展に関する言論について語る記事があるのですが、内容がかなりおかしいので指摘します。

弁護士ドットコム「公金支出はおかしい」が明確に不適切?

少女像展示中止、市長や官房長官の発言は「憲法違反」なのか?京大・曽我部教授に聞く - 弁護士ドットコム

●「明確に不適切だ」と考えられる意見
今回の中止騒動をめぐっては、さまざまな意見があり、それぞれもっともだと思うものも多くありますが、他方で、明確に不適切だと考えられる意見が散見されますので、今後のための教訓として、確認しておきたい。代表的なものとして、次の(1)〜(5)があります。

(1)「今回の展示によって、自治体がその内容に賛成したことになる」「反日的な展示に公金を投入するのはおかしい」

あいちトリエンナーレは、県や市が入った実行委員会が主催し、公立美術館等で開催される芸術祭ですが、一般に、このような展覧会であっても、専門家が芸術的な観点から企画したものであれば、国・自治体はそれを尊重すべきだというのが、表現の自由論の一般的な理解です。公立図書館で、どのような書籍を購入するのかが、専門家である司書に委ねられるのと同じ理屈です。

これはおかしい。

司書の決定は公的機関たる図書館としてのもの。

それとパラレルに論じるのであれば、津田の決定も実行委員会のものです。
津田大介はトリエンナーレ実行委員会から職務の委嘱を受け、実行委員会に属している事を公言している

曽我部教授の論だと、表現の自由を行使してるのは津田大介になるが、それは実行委員会であり、実質的に公的機関たる愛知県になってしまうんですが。

それは表現の自由だから尊重されるのではなく、単に機関としての手続を踏んだ判断だから尊重されるのですが。

トリエンナーレ表現の不自由展は表現の自由論の話なのか?

曽我部教授が美術館ではなく「公立図書館」を例に出したのは、船橋市立西図書館蔵書廃棄事件を念頭においてると思われますが、当該事件の最高裁は以下指摘しています。

最高裁判判決平成17年7月14日 平成16(受)930

公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。したがって公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならない。そして,著作者の思想の自由,表現の自由が憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり,【要旨】公立図書館の図書館職員である公務員が,図書の廃棄につい
て,基本的な職務上の義務に反し,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは,当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。

これは「表現の自由にかんがみると」と言っているに過ぎず、認められたのは「著作物によってその思想、意見等を公衆に伝達する利益」が法的保護に値する人格的利益だということであって、表現の自由によって図書館に作為を請求できるとしたものではありません。

もっとも、憲法学界では本来防御権(公権力から制限を受けないという意味において保護される)に過ぎないとされた表現の自由という権利を、政府による給付(援助)の撤回の場面でも保障する道としてパブリックフォーラム論等の理論を介して実現しようと試みてきた流れがあります。

憲法学者である曽我部教授がこれを表現の自由の問題として論じることには違和感はないですが、曽我部教授が念頭に置いていると思われる判例は表現の自由の問題として扱ってはいないということです。

政治家による表現の自由は許されない?

少女像展示中止、市長や官房長官の発言は「憲法違反」なのか?京大・曽我部教授に聞く - 弁護士ドットコム

2)「政治家が批判するのも『表現の自由』だ」

今回、政治家が展示を批判しましたが、その批判そのものを「表現の自由」であるとして正当化する議論が見られました。しかし、これは不適切です。

もちろん、純粋に一私人としての発言であれば自由ですが、政治家には法令上の権限や事実上の大きな影響力があり、展示に対して大きな圧力となります。一私人としての発言と政治家としての発言を区別することは困難です。

「政治家」という漠然とした括りでものを語ってるが、一番意味不明。

本当に曽我部教授はこんなことを言っていたのでしょうか?

たとえば北海道夕張市の市議がこの問題について批判したら、「圧力」なんですか?

そんなわけないでしょう。

政治家が批判すれば表現の自由に対する侵害だ、なんてことを言っている憲法学者なんて存在しないはずです。弁護士ドットコムの記事担当者が情報を削ぎ落し過ぎた可能性を疑うんですが。

「法令上の権限や事実上の大きな影響力があり」ということを考えれば、この話で唯一当てはまるのが大村知事と河村市長でしょう。

河村市長は名古屋市長としてトリエンナーレ実行委員会の会長代行であり、政治家であっても実行委員会の内部の人間として、組織判断を仰ぐことができなければおかしい。

なお、菅官房長官が文化庁の補助金について語ったことが「圧力」だと言う向きがありますが、この補助金は事業実施後に報告書が提出され、その審査後に最終的に交付されることになっているので、菅官房長官の「事実関係を精査して適切に対応」というのは当たり前のことを言ってるに過ぎません。

これを「圧力」とするのは認知が歪んでいます。

定義のある「検閲」は拡大解釈、不確定の「ヘイト」はそれを許さないダブルスタンダード

少女像展示中止、市長や官房長官の発言は「憲法違反」なのか?京大・曽我部教授に聞く - 弁護士ドットコム

4)「(展示は)日本人に対するヘイトスピーチだ」

これは、ヘイトスピーチの概念をあまりにも拡大するものです。ヘイトスピーチという用語が独り歩きする危険が、以前より懸念されていましたが、まさにそれにあたると言えるでしょう。

この点は「日本人に対する」という所は私も同意です(規制を前提とする法的な用語とするには対象があまりにも広いということ。素朴な言葉として「日本人への侮蔑である」と言うべきとは思う)

しかし、その前段にこのような事を言っています。

「検閲」は善意解釈の拡大解釈・ヘイトスピーチはダメ、という理屈

少女像展示中止、市長や官房長官の発言は「憲法違反」なのか?京大・曽我部教授に聞く - 弁護士ドットコム

(3)「市長や官房長官の発言は『憲法21条2項』で禁止されている検閲だ」

河村市長や官房長官は中止させる権限を持っているわけではなく、実際にも中止の理由は、市民の抗議が度を越した状態になったということなので、決定的な理由となったわけではなく、憲法でいうところの「検閲」にはあたりません。

ただし、不当な介入だという程度の意味で「検閲」だというのであれば差し支えはありません。

おかしいですよね。だったら「ヘイトスピーチ」も、「著しく憎悪的・悪罵的な表現だ」という程度の意味だというのであれば差し支えないハズなんですが。

憲法21条2項の「検閲」は、判例でその定義が明確に示されています

その定義では対象が狭すぎるという批判があるのは確かですが、とにかく固まった意味が存在しています。

対して、「ヘイトスピーチ」は未だ公的・法的な定義が示されたことがありません。

いわゆる「ヘイト規制法」と言われる「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」でも「ヘイト」や「ヘイトスピーチ」を定義しているわけではありません。

直訳すれば「憎悪表現」であり、そもそも対象が非常に広い用語です。

「検閲」は拡大解釈をし、「ヘイトスピーチ」は拡大解釈を認めない、そんな態度はダブルスタンダードでしょう。

検閲を拡大解釈する不都合

ちなみに、「検閲」を拡大解釈していくと、以下のような例も「検閲」と言われてしまいます。「チェックする主体が国家権力じゃない」とか言うんでしょうけど。

「表現の不自由」あいちトリエンナーレが「記事検閲」 — オルタナ: ソーシャル・イノベーション・マガジン!「オルタナ」1

「あいちトリエンナーレ」のウェブサイトで「プレス向け」ページには下記の記述がある。
「企画内容によってはご要望に沿えない場合もございますので、あらかじめご了承ください」
「誌面掲載、番組放送前に原稿を確認させていただいております。必ず校正段階での原稿・映像等を事前に広報専用メールへご提出ください」
こうしたメディア側への要請は、「検閲」と取られても仕方ない。

しかし、これは通常の対応だと言います。

「表現の不自由」あいちトリエンナーレが「記事検閲」 — オルタナ: ソーシャル・イノベーション・マガジン!「オルタナ」2

芸術新潮編集部によると、「こうした要望はよくある。クレジットなど事実関係で不備があるといけないので、それは見せるが、内容に注文をつけられても応じない。事実関係の理解でこちらが間違っていれば直す」という。

著作権者は誰か?という点は非常に重要なので、そこにミスがあったら作者の不利益になります。紙媒体の文書とは異なり、展示品については作者が誰なのかが分かりにくいですから、その部分のチェックがあるというのは双方のリスクを下げる行為でしょう。

市民の抗議を自粛するよう求める表現の自由戦士()

少女像展示中止、市長や官房長官の発言は「憲法違反」なのか?京大・曽我部教授に聞く - 弁護士ドットコム

●「市民に節度を求めるほかはない」

ただし、SNSによって情報が広まる今日では、かつてよりも容易に抗議活動の輪が広がりやすくなっています。1つ1つは穏当な態様・内容のものであっても、多数あつまると大きな圧力になります。この点は、市民に節度を求めるほかはありません。少なくとも、積極的に煽るような行為は控えるべきでしょう。

「表現の萎縮効果」をもたらす言論なんじゃないでしょうか?

憲法学の大学教授という権威がこんな事を言うんですよ?これこそ市民に対する圧力なんじゃないですか?なーんてね。

そもそも、1人1人の言論では力がなくとも、意見が世の中に流通することで力を生むのが表現の自由が保障されていることの意義であって、民主主義社会の基本ではないですか?

なぜそれと逆行することを言うのでしょうか?理解に苦しみます。

まとめ:曽我部教授は表現の自由を守ろうとしてるのか?

曽我部教授は表現の自由を守ろうとしてるのか?

弁護士ドットコムの記事内容からは、非常に疑わしいと言わざるを得ません。

以上

「菅官房長官はトリエンナーレ表現の不自由展に圧力・文化庁の補助金交付見直しを示唆」という論の虚偽

f:id:Nathannate:20190807123452j:plain

あいちトリエンナーレの表現の不自由展に文化庁の補助金が採択されている事について、「菅官房長官が圧力をかけた」などという言説がメディアや特定野党議員によって広がっているので事実関係を確認していきます。

菅官房長官「事実関係を確認・精査」

令和元年8月2日(金)午前 | 令和元年 | 官房長官記者会見 | ニュース | 首相官邸ホームページ

産経新聞・中村 愛知県で昨日開幕した、あいちトリエンナーレで、慰安婦を表現した平和の少女像や、昭和天皇の御真影を焼く映像が展示され、波紋を広げています。愛知県などでつくる実行委員会が主催している国内最大規模の芸術祭ですけれども、政府として把握している 事実関係と今後の対応について教えてください。

菅 愛知県で開催されております、あいちトリエンナーレの企画の一つとして慰安婦を象徴とする少女像などが出品されていることは承知しております。あいちトリエンナーレは国が主催、後援しているものではありませんが、文化庁の補助事業として採択されていると報告を受けております。審査時点では具体の展示内容についての記載は無かったことから、補助金交付の決定にあたっては事実関係を確認・精査した上で適切に対応していきたいというふうに思います。

この発言が「公権力による弾圧」だと言われています。

たとえばこれ。

文化庁の助成金:事業審査をするのは当たり前

f:id:Nathannate:20190807120234j:plain

日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)の募集 | 文化庁

募 集 案 内】を読むと分かる通り、文化庁からの補助金は愛知県を事業者としてあいちトリエンナーレの国際現代美術展に対して「採択」はされているものの、未だに執行・交付されているものではありません。

補助事業実施後、つまりトリエンナーレの開催時期の後に実績評価がなされて報告書が提出され、その中身を審査した上で最終的に補助金が交付される仕組みであるということが、予め示されています。

したがって、菅官房長官が「補助金交付の決定にあたっては事実関係を確認・精査した上で適切に対応していきたい」と言っているのは、当たり前の手続内容を言っているだけであって、何ら「圧力」をかけたという要素はありません。

朝日新聞文化財団はトリエンナーレの実行委員会:メディアスクラム

f:id:Nathannate:20190807121250j:plain

朝日新聞文化財団はトリエンナーレの助成団体であり、中日新聞は代表取締役社長が実行委員会の委員に名を連ねていますが、メディア総出で河村市長や菅官房長官の発言を政治介入だと言っています。松井市長の発言もその文脈で切り取られています。

f:id:Nathannate:20190807123014j:plain

河村市長の抗議文についてはトリエンナーレ実行委員会の会長代行たる名古屋市長としてのものである側面につき以下で論じています。

まとめ

令和元年8月6日(火)午前 | 令和元年 | 官房長官記者会見 | ニュース | 首相官邸ホームページ

文化庁で適切に対応すると言っただけだということは、6日の会見でも言及しています。

そもそも菅官房長官から積極的に発言をしたわけではなく、記者から質問を受けたために言及したに過ぎません。

こういう細かい事実を落として、さも菅官房長官=国が圧力をかけているという印象操作をしている記事が朝日新聞を筆頭に雨後の竹の子のごとく乱立しているのが現状です。

以上

「表現の不自由展に10億円はデマ・寄付金420万円」という詭弁:大村知事会見の誤魔化し

f:id:Nathannate:20190806183839j:plain

8月5日の大村・愛知県知事の会見で、「表現の不自由展に10億円はデマ」という詭弁による論点のすり替えがありました。

「表現の不自由展に10億円というデマ」があった?

<令和1年8月5日>愛知・大村知事会見(少女像中止、河村市長に反論、大阪府知事大阪市長を批判、他) - YouTube

これは昨日午前中にですね、担当と相談をして、いろんなご意見があるとは思うんですが、どうもネットとかでですねこの展示に10億円使ってる、10億円使ってる、10億円使ってる、というレッテル張りがですねということが流れているんですね。それはもう為にする議論しか無いんですね。なんであんなちっちゃな展示で、見にきてもいない人がね、10億円だ10億円だ税金だと言われるから、ちょっとね、それに対応するのも、んーと思いましたけどね、事実、ファクトをきちんと示す、示させていただくという意味で、今回の表現の不自由展に使われた費用は420万円ですよと、全体が予算で言うと12億円かな。でもこれは420万円なんで、給付金とか協賛金とか頂いておりますので、そうした方がたのお申し出などもありますので、420万円をそうした方がたの民間からの寄附でまかなっていきましょうということで、津田さんとも話をしてそういう形でネットですけどね、発信させて頂いたということで、そういうふうにしていただければということです。そうしなきゃいけないとかそういうことではなくて、あんまりにもこれに10億円これに10億円というまぁ、何なんでしょう、こう誤った情報でレッテル張りで見に来てもいない人がですね、あの規模で10億円かかるわけがないじゃないですか。にもかかわらず10億円だ税金だとんでもないとかいうことばっかり言い立てられているので、それは違いますよということを分かりやすく言うためにですかね、それでも言われるでしょ、いやそんな話じゃないんだ、建物使ってるじゃないか事務局がなんだかんだ言われますけど、まぁ、それは何があっても言うんでしょ。でももう我々としては事実ではないことを言い立てられてドンドンドンドンレッテル張りされていく、印象操作どころじゃないですよね、事実じゃないことを決めつけて、だからけしからんというのを一方的に洪水のように流している。それも特定の方がですよ。特定の方が。もうそこらへんはそういう世の中なのかというか。だからそういう人達に対してブロックするという意味でね、分かりやすくするということでそれじゃこの点にについては税金は使いませんよということをメッセージとして出すということです。それ以上でも以下でもありません。それ以上の意味はありません。そういう方がたをブロックしておかないともうとにかく特定の方がもうパンパカ出しますからね。10億円だ税金だ10億円だって。よう書かれるわと思うけどまぁしょうがないですよねそれは。そうしたくて仕方ないんでしょそういう人は。だからそういうことだからね、ブロックするためにも遮断するためにもそういうまったく事実でない根拠のない議論から遮断するためにもそういうことを申し上げたということです。

同じ内容のことを何回も言ってるんですが、こういう発言の場合は大抵が言ってる内容も意味不明です。文字に起こすと頭が痛くなるような事をだらだら喋ってるだけだということがハッキリわかります。(「特定の方が」って何だよ)

トリエンナーレに補助金が使われることとなっているため、表現の不自由展もその恩恵を受けている構造であるということを批判する者が多数居るのですが、その中でなぜか「表現の不自由展に10億円が使われていると言われている」ことを取り上げて否定しています。

こういうのを「論点のすり替え」と言います。

あと、「ネットで発信させて頂いた」っていうのは津田大介のツイッターですかね?大村知事のツイッターでも愛知県のHPでもトリエンナーレのHPでも発信は見当たらないのですが。

あいちトリエンナーレと表現の不自由展と津田大介の関係

f:id:Nathannate:20190806203024j:plain

「表現の不自由展・その後」は、あいちトリエンナーレのプログラムのうち、「国際現代美術展」の中の一つの展示です。

f:id:Nathannate:20190806203009j:plain

トリエンナーレ実行委員会は厳密には自治体とは別組織ですが、実質的に愛知県と同一です。なので、「民間事業に公金が支出されている」のではなく「公的機関が運営している芸術祭」なのです。

津田大介はトリエンナーレ実行委員会の芸術監督として実行委員会から作品の選考等の職務を委嘱されています。

つまり、トリエンナーレ全体の展示について津田大介が企画の職責を追っているということになります。

トリエンナーレの事業負担と補助金

f:id:Nathannate:20190806215455j:plain

あいちトリエンナーレ及び文化芸術振興事業への寄附金を募集しています(文化振興基金) - 愛知県

あいちトリエンナーレ 2019 について 名古屋市

2019年度「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」採択一覧

実行委員会運営費用が全体で約12億6600万円かかっています。

そのうち愛知県負担金は7億8600万円ですが、文化庁の助成金7829万円が愛知県を事業者として採択されています。

名古屋市の負担金が2億1000万円ですから、合計で約10億円が愛知県と名古屋市から支出されていることになります

「表現の不自由展に10億円」と言ってる人はいるのか?

ツイッターで検索すると「有本香 デマ」というのがあって、このツイートが取り上げられているのが見つかりました。

大村知事の発言は、どうも有本氏のことを念頭に置いているようです。

魚拓:https://web.archive.org/web/20190806120342/https://twitter.com/tsuda/status/1157839533116837889

しかし、有本氏はトリエンナーレ全体の芸術監督である津田大介に対して言及しているのですから、表現の不自由展以外の展示についても「杜撰な企画」の可能性があると言っているように読めます。

少なくとも明示的に「表現の不自由展が10億円かかっている」と言っていることはありませんし、一般人の感覚として10億円があの表現の不自由展について言及しているとは考えられません。

補助金はトリエンナーレ全体に対して出ることになっているにせよ、表現の不自由展はその10億円のイベントに「乗っかってる」展示であるため、他の展示への影響を切り離すことは不可能です。

「費用420万円分は寄附にしたから問題ない」ではない

「420万円を寄附にしたから問題ない」となるわけがありません。

表現の不自由展はトリエンナーレのチケットがあることで展示を見ることができ、表現の不自由展だけのチケットがあるわけではありませんでした。

展示場所も愛知芸術文化センターという公の施設のうち、8階の愛知県美術館ギャラリーという場所を使用していました。

当然、トリエンナーレの公式WEBサイトにも表現の不自由展は紹介されています。

トリエンナーレの一部を構成することで多くの来客数が見込めていたわけですから、費用分は寄附でまかなったから無関係では済まされません。

ところで、トリエンナーレに寄付をした企業はイオンやトヨタグループなどがありますが、表現の不自由展に対して寄付金が使われても良いのでしょうか?

それとも「申出があった」のはまた別の人・企業であって、任意の拠出だったのでしょうか?だったらその「表現の自由を守ろうとした勇敢な人・企業」の名前を教えてほしいですねー()

まとめ:「10億円デマ」は大村知事のすり替え

「10億円デマがネットであった」などというのはごまかしに過ぎません。

指摘を受けて急きょ寄付金に頼ることにしたようですが、元々は「表現の不自由展・その後」の費用分については愛知県か名古屋市の負担分から拠出されていたのですから、「事実と異なるレッテル張り」ではない訳です。

たとえ寄付金によったとしても、それまでにトリエンナーレのブランド価値を利用して宣伝していたのですから、当然、作品の選考過程や文化庁の審査体制のチェック、津田大介を芸術監督に決定した委員の判断過程などが問いただされるべきでしょう。

以上

愛知県の大村知事「河村市長の抗議は行政による検閲で憲法違反」の詭弁:トリエンナーレ表現の不自由展

f:id:Nathannate:20190806183839j:plain

あいちトリエンナーレ2019において「表現の不自由展」の展示が中止となった件。

愛知県の大村知事が「河村市長の抗議は行政による検閲で憲法違反」などと詭弁を弄しているので指摘していきます。

愛知県の大村知事「河村市長の抗議は行政による検閲で憲法違反」

大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES

憲法違反の疑いが極めて濃厚ではないか。憲法21条には、"集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。"、"検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。"と書いてある。最近の論調として、税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだと、報道等でもそうことを言っておられるコメンテーターの方がいるが、ちょっと待てよと、違和感を覚える。全く真逆ではないか。公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思う。というか、そうじゃないですか?税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない。河村さんは胸を張ってカメラの前で発言しているが、いち私人が言うのとは違う。まさに公権力を行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか。裁判されたら直ちに負けると思う」

まず、トリエンナーレ全体は「民間運営の所に公金が支出されている」のではなく、「公的機関が運営している」という性質のものであるという前提が大事です。

津田大介も公権力側

f:id:Nathannate:20190806102759j:plain

※文化庁の予算は未執行。愛知県と名古屋市からもトリエンナーレに対して補助金が出ることとなっている

実質的に愛知県がトリエンナーレ実行委員会を構成・運営しています。

芸術監督の津田大介もトリエンナーレ実行委員会から職務を委嘱されて行為しているので、いわば「権力側」なのです。

津田大介自身、「あいちトリエンナーレ実行委員会、表現の不自由展実行委員会、芸術監督である自分が」と言っているように、「外部委託」などということではなく、実行委員会の「中」に津田大介が入った上で行為しているのです。

大村知事は自分が口を出したら権力の介入だとか言ってますが、既に津田大介が権力側として作品を取捨選択しているのですから、まったく意味不明な事を口走っていることになります。

このような運営の場合に「検閲」の話になることはありません。

検閲の場面と定義

「検閲」とは、本来は民間が自由に出版・表現できるのに行政が禁止する場合です。

今回の話は「民間が美術館等の利用許可を得て自分の作品を展示した」場合とは異なり、「行政が主催する芸術祭において、行政が展示作品を選考して展示した」という場合なのです。

トリエンナーレ全体や「表現の不自由展」は行政の力によってはじめて展示可能になっているものであって、行政が自分らで運営している事業についてどの作品を展示するかを決めるのは法令に抵触しない限りは基本的に裁量の範囲内です。

検閲の定義に照らす以前に、そもそも検閲の話に成りえない場面だということです。

ある作品を採用しなかったからといってもそれは検閲ではないわけです。

実際、津田大介は芸術員がリストアップした約80組の作家を見て「ピンとこない。これはまずい」と方針転換しています

また、表現の自由の保障とは、作品の公開が公権力によって妨げられないことを意味するという防御権に過ぎません。公権力に対して自己の有する作品を展示する作為を求めることはできません。表現の不自由展と津田大介(トリエンナーレ実行委員会)との間でどういう契約があったかは分かりませんが、展示する義務がトリエンナーレ側にあるとしてもそれは原則として契約関係に基づくものであって、表現の自由が根拠ではありません。

この前提に立った上で、検閲の定義は最高裁判例があります。

最高裁判所大法廷判決 昭和59年12月12日 昭和57(行ツ)156  税関検査事件

憲法二一条二項にいう「検閲」とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。

今回、表現の不自由展で出展された作品は、発表前に審査されて禁止されたものではない上に、別の個人ギャラリーでの出展も禁止されているわけではありませんから、検閲の定義にはかかりません。

大村知事の言っていることが如何に支離滅裂かこれでわかるでしょう。

唯一、表現の不自由展の著作者らの人格的利益の侵害が問題になり得るに過ぎません(それも無理だと思いますが。)

名古屋市の河村市長による抗議はトリエンナーレ実行委員会会長代行として?

f:id:Nathannate:20190804220618j:plain

名古屋市:報道資料 令和元年8月2日発表 あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について(市政情報)

名古屋市の河村たかし市長の抗議文は上記の通りです。

河村市長はトリエンナーレ実行委員会の会長代行でもありますが、個人名ではなく名古屋市長名が会長代行になっていますから、そのような立場、つまり身内からの要請でもあるという側面があります。

河村市長は「展示の中止を含めた適切な対応を求める」と言っているだけであり、中止以外の方法も予定していました。

これが「権力による弾圧」とされる意味が分かりません。

表現の不自由展との関係で弾圧したのは大村知事

さらに、大村知事はトリエンナーレ実行委員会に諮って中止を判断したのではありません。大村知事(トリエンナーレ実行委員会の会長としてだろう)と津田大介芸術監督とで相談して中止を決定していますが、こういう場合の判断プロセスとして非常に不可解です。通常は実行委員会の総意として機関決定するでしょう。

大村知事の中止理由も「安全上の懸念」であり、河村市長の抗議によるものという説明ではありませんでした。

むしろ表現の不自由展との関係で「弾圧」したのは大村知事であり、その張本人が河村市長ら外部に責任を擦り付けようとしているだけです。

まとめ

大村知事の記者会見の発言はとにかく意味不明・支離滅裂なものが多すぎます。

補助金支出についてもいいかげんなことを口走っていたので後刻記事をUPします。

以上