事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

蓮舫議員、菅総理の施政方針演説内容を事前漏洩、ツイート削除:東大教養学部の石井部長の式辞を思い出せ

蓮舫が首相施政方針演説を漏洩し、ツイート削除
蓮舫議員が、1月18日の菅総理の施政方針演説内容の冒頭部分の画像を午前中に事前漏洩していた問題で、ツイート削除していたことが分かりました。

蓮舫が重大なルール違反!総理の施政方針演説原稿を無断でネット公開→自民議員「国会軽視も甚だしい」 | KSL‐Live!

他、この話がどう問題なのかについて。

蓮舫議員、菅総理の施政方針演説内容を事前漏洩、ツイート削除:魚拓

蓮舫が首相施政方針演説を漏洩し、ツイート削除

https://twitter.com/renho_sha/status/1350976736499019781魚拓

https://twitter.com/renho_sha/status/1351033393232936960魚拓

蓮舫議員が菅総理の施政方針演説内容を事前漏洩したもののツイート削除しましたが、消せば増えます。

質問通告「漏洩」だとして騒いでいた蓮舫ら立憲民主党議員としてのダブルスタンダード

魚拓

立憲民主党議員ら(国民民主党に一時期在籍し、結局戻った議員など)は、過去には官僚が答弁作成のために私人たる関係者への聞き取りをした行為が「質問通告内容の漏洩」という、意味不明の批判をしていました。

森ゆうこ議員「質問通告内容の漏洩・流出」は公務員の守秘義務違反なのか? - 事実を整える

この件を「漏洩」と言うなら、蓮舫議員が全世界に発信した行為は「漏洩」以外の何物でもありません。

原稿内容は予定稿、発言されて初めて正式なものになる:東大卒業式での「大河内総長の肥った豚よりも痩せたソクラテス」

当時の東京大学教養学部長 石井洋二郎 氏の式辞をみれば、今回の蓮舫議員の件の何が問題なのかが分かるはずです。

平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞 - 総合情報 - 総合情報

東京大学の卒業式といえば、もう半世紀も前の話になりますが、東京オリンピックが開催された年である1964年の3月、当時の総長であった経済学者の大河内一男先生が語ったとされる有名な言葉が思い出されます。曰く、「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」。
当時、私はちょうど中学校にあがる年頃でしたが、この言葉は新聞やテレビでかなり大きく報道されましたので、鮮明に記憶に残っております。また、子供心に、さすが東大の総長ともなると気の利いた名言を残すものだと、感心したこともなんとなく覚えております。皆さんの中にも、どこかでこの言葉を耳にしたことのある人は少なくないでしょう。
ところが、これはある機会に一度お話ししたことがあるのですけれども、じつはこの発言をめぐっては、いろいろな間違いや誤解が積み重なっているんですね。

まず第一の間違いは、「大河内総長は」という主語にあります。というのも、これは大河内先生自身が考えついた言葉ではなく、19世紀イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』という論文からの借用だからです。
東大の総長ともあろうものが、他人の文章を無断で剽窃したのか、と思われるかもしれませんが、もちろんそういうわけではありません。式辞の原稿を見てみますと、そこにはちゃんと、「昔J・S・ミルは『肥った豚になるよりは痩せたソクラテスになりたい』と言ったことがあります」と書かれています。「なれ」という命令ではなく「なりたい」という願望になっている点が少し違っていますが、それはともかく、ここでははっきりJ・S・ミルの名前が挙げられていますから、これは作法にのっとった正当な「引用」です。ところが、マスコミはまるでこれが大河内総長自身の言葉であるかのように報道してしまった。そして、世間もそれを信じ込んでそのまま語り継いできたというのが、実情です。
次に第二の間違いですが、これはもっと内容に関わることです。じつは、ジョン・スチュアート・ミル自身は「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」とも「なりたい」とも、全然言っていないのですね。さきほど題名を挙げた『功利主義論』の日本語訳を見てみますと、こう書いてあります。

満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。

大河内総長の言葉とはだいぶ違いますね。ちなみに、英語の原文はこうなっています。

It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.

この原文を見ると、どうやらさきほど引用した日本語訳は正確なようですから、大河内総長のほうがこれをまったく別の文章に改変してしまったとしか考えられません。たぶん漠然と記憶に残っていた言葉を、自分の言いたいことに合わせて適当にアレンジしたのでしょう。その結果、「満足した豚」は食べたいものを食べたいだけ食べるということで「肥った豚」になり、「不満足なソクラテス」は食べたいものにも安易に手を出さないということで「痩せたソクラテス」になったものと推測されます。しかしこれでは原文とまったく違ったニュアンスになりますから、ミルが語った言葉として紹介するのはさすがに問題なのではないか。下手をすると、これは「資料の恣意的な改竄」と言われても仕方がないケースです。
ところが、間違いはこれだけではないんですね。じつは、大河内総長は卒業式ではこの部分を読み飛ばしてしまって、実際には言っていないのだそうです。原稿には確かに書き込まれていたのだけれども、あとで自分の記憶違いに気づいて意図的に落としたのか、あるいは単にうっかりしただけなのか、とにかく本番では省略してしまった。ところがもとの草稿のほうがマスコミに出回って報道されたため、本当は言っていないのに言ったことになってしまった、というのが真相のようです。これが第三の間違いです。
つまり、「大河内総長は『肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ』と言った」という有名な語り伝えには、三つの間違いが含まれているわけです。まず「大河内総長は」という主語が違うし、目的語になっている「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」というフレーズはミルの言葉のまったく不正確な引用だし、おまけに「言った」という動詞まで事実ではなかった。というわけで、早い話がこの命題は初めから終りまで全部間違いであって、ただの一箇所も真実を含んでいないのですね。にもかかわらず、この幻のエピソードはまことしやかに語り継がれ、今日では一種の伝説にさえなっているという次第です。

蓮舫議員が公開したのは冒頭部分でしたが、それでもその内容が実際に読まれるかどうかは菅総理次第なわけです。

菅総理が読み上げる前に原稿を上げる行為が、嘘や誤解の拡散になり得る。

当時の東大教養学部の石井部長が示した過去の教訓の理解が活きたシーンでは無いでしょうか。

以上

百田尚樹デマ「ホワイトハウスの星条旗は半旗らしいと訂正」⇒これも嘘でした

百田尚樹のデマ、ホワイトハウスの星条旗が半旗にというフェイク

小説家を引退したとプロフには書いてるがツイートでは小説家を名乗っている百田尚樹氏が、私の記事をシェアしてるツイートを引用リツイートして『「半旗らしい」訂正とツイートしてる』としていますが、これもまた小説の一節なんでしょうか?

経緯⇒百田尚樹デマ「ホワイトハウスの星条旗が降ろされている」フェイクをツイート

百田尚樹デマ「ホワイトハウスの星条旗は半旗と訂正」

魚拓 魚拓2

百田尚樹氏が「ホワイトハウスの星条旗は半旗と訂正」とツイート。

半旗というのもデマです。

大統領声明による半旗掲揚は13日日没まで

Proclamation on Honoring United States Capitol Police Officers | The White House

As a sign of respect for the service and sacrifice of United States Capitol Police Officers Brian D. Sicknick and Howard Liebengood, and all Capitol Police Officers and law enforcement across this great Nation, by the authority vested in me as President of the United States by the Constitution and the laws of the United States of America, I hereby order that the flag of the United States shall be flown at half-staff at the White House and upon all public buildings and grounds, at all military posts and naval stations, and on all naval vessels of the Federal Government in the District of Columbia and throughout the United States and its Territories and possessions until sunset, January 13, 2021.

確かにホワイトハウスに半旗が掲揚されていたことはありましたが、それは現地時間の1月10日からの話です。

大統領声明による半旗掲揚は13日日没までと予定されていました。

※追記:現地13日の日没~16日までの間も半旗が継続していたのかは定かではありませんが、現地17日朝の様子を撮影した我那覇真子氏の動画ではホワイトハウスの旗が完全に掲揚されていることが分かります。

また、ライブカメラを見ても、日本時間18日の16時~現在までに半旗掲揚されたという事実はありませんでした。

Webcam Washington D.C. White House live | earthTV

英語Twitterを見ると、このライブカメラのURLをシェアしながらむしろ「ホワイトハウスはもう何日も半旗掲揚していない!(ふざけるな!というニュアンス)」というツイートが沢山あります。

連邦議会議事堂であったり別の場所での半旗掲揚か何かと勘違いしているのだとしても、「訂正」として言ってよいことではないでしょう。

予言通りでワロタ。

以上

百田尚樹デマ「ホワイトハウスの星条旗が降ろされている」フェイクをツイート

百田尚樹のデマ、ホワイトハウスの星条旗が降ろされているというフェイク

百田尚樹がまた小説の初稿をTwitterで書いています。

追記:百田尚樹デマ「ホワイトハウスの星条旗は半旗らしいと訂正」⇒嘘でした

百田尚樹デマ「ホワイトハウスの星条旗が降ろされている」

魚拓

百田尚樹 氏が「ホワイトハウスの星条旗が降ろされている」とツイート。

この時点で数500以上リツイートされてますが、もちろんデマです。

「新しい小説の一節だ」とか言い出しそうですが。

以下でホワイトハウス周辺の状況がライブ配信されています。

Webcam Washington D.C. White House live | earthTV

「ホワイトハウスの星条旗が半旗になった」はフェイクではない

なお、1月6日に暴徒らが連邦議会に侵入した際に4名が亡くなったことに関して、ホワイトハウスや連邦議会など各所において半旗掲揚が為されたのは事実です。ホワイトハウスの場合は1月10日の話です。

百田氏のツイートはこの時点に関するものではないため、「半旗掲揚していたことに対することだ」という言い訳は通用しません。

1月18日現在、「ホワイトハウスの星条旗が一定の時間継続して掲揚されなくなった事実」は無い

「一瞬でも降ろされたのかどうか」などということは確認できません。

旗の交換の場合なども一般的には考えられるので、その可能性まで否定しません。

しかし、百田氏のツイートは「何か普通でない状況であるのは想像できる」としているので、一般通常人の認識に照らして「一定の時間継続して掲揚されなくなった事実」を指しているとしか解せないものであるため、明確にフェイクです。

以上

ハンセン病の反省と癩病患者と犯罪者の隔離政策2

第2回国会 衆議院 本会議 第55号 昭和23年6月4日

****************

○議長(松岡駒吉君) 御異議なしと認めます。よつて日程は追加せられました。
 救癩施設に関する緊急質問を許可いたします。榊原亨君。
    〔榊原亨君登壇〕
○榊原亨君 私は、最近激増しつつあります癩患者の犯罪に対する処置並びに癩病に対する救癩事業そのものにおいて、はなはだ遺憾の点多く、これが緊急の対策を要するものありと考えますので、以下諸点につき、法務総裁並びに厚生大臣の責任ある御答弁を要求する次第であります。
 元來癩病という病は、ほとんど不治のものでありまして、恐るべき傳染病であることは、今日一般に認められているところでございます。しかして、これら癩病をまつたく社会から根絶一掃するためには、完全なる治療法のなき今日としては、どうしても癩病の患者を一般社会から隔離收容して、その傳染源を断ち切るよりほかに途がないのであります。すなわち、これらの隔離收容せられました癩患者は、自分自身の病気を治すというよりも、むしろ私ども一般の健康な國民に癩病を傳染させないために、みずからを犠牲といたしまして、孤独な、さびしい生活をもつて一生を終るのでありまして、ここに救癩事業が数多い社会事業の中で最も重要な意義を有するという理由があるわけであります。
 私ども國民といたしましても、これら犠牲者が、その孤独の生活のうちにも何かしら温かい光明・希望を抱いて、安心して平和な生活ができるようにいたしますことは、國家の責任であり、また新しい憲法の精神よりいたしましても、あるいはまた人道上の見地よりいたしましても、最も大切なことであると信ずるものであります。
 しかるに、ここにはなはだ遺憾にたえないことは、近來、これら癩療養所内において、言語に絶する不道徳なる行為が公然と行われ、ときには、きわめて惡質なる犯罪さえも次第に増加しつつあるのでありまして、かつては平和な別天地であつたこれらの療養所の秩序はまつたく乱れ、善良な收容患者の不安・迷惑を増幅しておるばかりでなく、さらにこれら療養所が一般社会におけるところの犯罪の温床と化しつつある事実であります。
 しかして、これが原因のおもなるものは、現在わが國の癩病患者の犯罪者を收容すべき刑務所、あるいはこれに類する特殊なる施設が全然欠如しておることに起因するのであります。
 たとえば、ここに癩病患者の一犯罪者が檢察当局によつて捕えられますと、その者は癩病患者であるという理由から、一般犯罪者を收容する拘置所に收容することができないために、結局取調べもうやむやとなつて、あたかもはれ物にさわるがごとく、そのままただちに癩療養所に送致收容せらるるを常とするのであります。その際癩療養所といたしましても、はなはだ迷惑至極ではございますが、やむを得ずこれらの犯罪者を收容するのでございまするが、その犯罪者を入れる設備がないために、一般患者のおる病室に收容せざるを得ないのを常とするのであります。結局、いかなる犯罪を犯しましても、癩病患者である限り処罰または監禁されないということになつてしまうのであります。
 さらに驚くべきことは、癩患者の犯罪人と共犯でありますところの健康者の犯罪人がある場合は、結局取調べの煩雜さか避けるため、これも癩患者同様に癩療養所に送らるるという、まつたく常識をもつてしては判断することができない事実があるのであります。最近私の聞き及びました実例によりましても、殺人犯人が癩患者であるために、何ら刑法上の処罰を受けることなしに、そのまま癩療養所に收容されたばかりでなく、さらに、その共犯者である一健康人をも收容した事実があるのであります。
 これらの犯罪者が療養所に参りますると、自身自暴自棄のふるまいをなすばかりか、公然と、自分は殺人を行つてきたのであるが、何らの処罰を受けておらない、癩患者は、どうせ前途に希望がないのであるから、何をやつても差支えない、何をやつても処罰されないと公言いたしまして、他の善良なる患者を誘惑いたしまして、病室内において大がかりな賭博を始め、その他種々の忌わしい犯罪を犯して、平然として療養所内の秩序を乱し、まつたくの療養所内の暴君と化しつつあるが、これに対して療養所の当局も、まつたく手も足も出せぬという状態であります。かつて平和な理想郷であつたところのこれらの療養所は、今やまつたく百鬼横行のちまたと化しつつあるのであります。
 さらに寒心にたえないことは、これら犯罪者に限つて、必ず折を見て再び療養所を脱出して一般社会に潜入し、傳染の根源となるばかりか、凶惡犯罪の害毒を流すに至るのでありまして、今にしてこれが対策を講じなければ、その社会的害毒の及ぶところ、眞に膚にあわを生ずるものがあるのであります。
 さらに問題となりますのは朝鮮人患者のことであります。現在朝鮮人癩患者は、一療養所に約四、五百名くらい收容せられておるのでございまするが、戰前朝鮮の小鹿島にありました約六千名の癩病患者は、終戰と同時に日本人職員が引揚げたのを機会に、全部これが脱出をはかりまして、この脱出いたしました六千名の癩患者の大部分は、あらゆる手段を講じて、日本に向け多数密航してきたのでありますその一例を申しますると、兵庫縣の尼崎市におけるがごときものでありまして、これら朝鮮人患者は、日本において一團を組織いたしまして、不良なる日本人または朝鮮人と共謀いたしまして、いろいろ凶惡なる犯罪を犯しつつあるのであります。そして、彼らの一部が万一警察に捕われましても、前に申し上げた通り、何ら処罰を受けることなく、そのまま癩療養所に再び收容され、彼らはますます増長いたしまして、療養所内の秩序を乱し、勝手氣ままな生活をした後、折を見て再び三たび脱出するという順序を繰返しておるのでございまして、療養所は、この種犯罪者の安全なる温床となつておるのであります。これらの点につきましても何らか緊急の処置を講じなければ、單に一般社会への癩病の傳染の危險があるばかりでなしに、社会の安寧秩序の上から申しましても、実に重大なる事態に至ることを憂うるものであります。
 次に、一般に癩病患者が発見せられた場合、從來は警察署においてこれが收容方処置を講じておつたのでありましてきわめて円滑に運営せられたのでありまするが、現在におきましては、これが全然警察力のないい保健所において行われておりますので、いろいろその点におきまして障害・摩擦を起しておるのであります。この点、何らか、あるいは他の強力なる收容方法を考慮するとかいう対策が要望せられておるのであります。
 私どもの見るところによりますと、近來厚生省の方針はあまりに結核対策に重点をおき過ぎ、癩対策に対しては関心がないようでありまするが、の点は、ぜひとも当局の猛省を要望するのであります。これは、單に予算の面において現われておるばかりでなしに、他の部面においても、一例を申し上げますると、現在の医藥品の配給は、先年の配給機構改正の当時、これによつて今後は医藥品は円滑に出まわると当局が確約せられたにかかわらず、今年一月から三月までに約八百名近くを收容いたしておりますところの一癩療養所に配給せられました医療用繊維製品は、驚くなかれほうたいは一本もないのであります。ガーゼがわずかに三千メートルという状態であります。御承知のごとく癩患者は、ほとんどすべて全身に多数の傷をもつておるのを常といたしまするが、療養所長のお話によりましても、この夏は、十分傷のほうたい交換ができないために、おそらく入院患者の傷をもつておる者は全部うじがわくということを言つておるのであります。これに反しまして國立結核療養所は、日光が直接患者に当ると有害であるという理由から、厖大なカーテン地が割り当てられておるということを聞いておるのであります。この一例をもつていたしましても、前途に光明のない、われらの犠牲者たる癩患者に、さらに温かき同情ある恩惠を與えられんことを熱望するものであります。
 さらに、これらの癩療養所に勤務いたしておりますところの職員の待遇問題であります。これらの職員は、まつたく犠牲的崇高なる同胞愛に燃え、自己の危險をも顧みず、みずから進んで療養所内に入りこんでおるのでありまして、その待遇は最も意を用いなければならないことは当然であります。御承知のごとく、癩患者のほとんど大多数は、癩病そのもので死亡する者は少く、大多数の死亡の原因は結核であります。癩療養所に從事しておるところの職員は、予防消毒をいたしますから、癩病には感染しにくいのでございまするが、空氣傳染をいたします結核が結局癩患者からうつされまして、惨澹たる状態になることが非常に多いのであります。ところが、現在これらの職員の待遇はきわめて粗惡でありまして、漸次職員は減少の一途をたどるばかりでなしに、看護婦のごとき、ほとんど志望者がない実情に遭遇しておるのであもます。これに対しましても、ぜひとも從業員を増員し、十分なる休養の期間を與え、また職階制に対しても深甚なる考慮を拂うべきものであります。さらにまた、草津問題の例に徹しましても明らかでありますが、これら職員に万一過失あつた場合に、その責任を明らかにすることは当然でありますが、その処罰にあたりましては、仕事の性質に鑑み、苛酷にわたらないよう特に十分注意を要すると存ずる次第であります。
 最後に、癩に対する学術研究についてであります。現在の癩療養所は、研究機関きわめて貧弱でありまして、かつては世界に最も卓越しておりましたわが國の癩研究も、次第に列國より落伍せざるを得ない現状であります。たとえば、癩病の特効藥である大風子油は、目下はなはだ入手困難でありますが、これに代るべきものとして、すでに米國においてはズルフオン剤の一種たるブロミンの効果が実証せられ、わが國の癩学者もこれを十分認めておるのでありますが、研究施設なきため、これが根本的基礎研究の不可能なる現状でありまして、かつて原子爆彈またはペニシリン等の研究に関し、当局の無理解から百年の悔を残した愚かさを繰返さんとしておるのであります。國家財政の緊迫しているわが國の現状として、癩療養所内に十分なる研究施設を設けることの不可能なることは当然でありますが、少くとも癩療養所に勤務される有能にして忠実なる医員をして、内地留学の制度のもとに、内地の各大学の研究室に派遣し、これが研究をなさしむるならば、十分その目的を達し得るのみならず、職員優遇の一端ともなるものと考える次第であります。
 以上の諸点につき、まず法務総裁に対し、第一に、いかなる理由により癩患者の犯罪人は一般人と同じく取調べ並びに処罰を受けておらないのであるか。第二、癩患者の犯罪に対しこれを処罰拘禁しておられるといたしますならば、いかなる方法によつてこれをなしておるか。第三に、いかなる理由により、癩患者とその共犯がある場合に、その共犯者たる健康人もまた癩療養所に入れなければならないか。以上の諸点につき、法務総裁の明確なる答弁を要求する次第であります。
 次に厚生大臣に対して、次の諸点の答弁を希望する次第であります。第一に、朝鮮人癩患者の帰國を連合軍と交渉の上、朝鮮の癩療養所にこれを送還する方法を講ぜられてはどうか。第二には、癩療養所内に犯罪者を收容する特殊施設——刑務所のごとき施設を緊急に設ける意思があるかどうか。第三番目は、癩患者收容に対し、單に無力なる保健所のみに一任することなく、強力なる措置を講ずる意思があるかどうか。第四番目に、癩対策を結核対策同様重点視し、予算の面においても医藥品配給の面においても、これが実現を期する御意思があるかどうか。第五は、癩療養所の職員待遇に関し、速やかに連合軍関係方面に十分の交渉了解に努力されて、その増員並びに職階制につき深甚の考慮を拂わるること。第六、癩療養所の医員に対し内地留学の制度を設け、癩研究の発展に資せらるる御意思があるかどうか。以上の諸点につき厚生大臣の御答弁を要求する次第であります。
 以上私どもは、対策のよろしきを得れば、今後十箇年をもつてわが國から全部の癩病を撲滅一掃し得ると信ずるものでございまするが、われら健康人の犠牲となり、孤独なる生活をしておる不幸なる同胞のため、いま少しく眞劍かつ温情ある施策の講ぜられんことを熱望いたしまして、私の緊急質問を終ります。(拍手)
    〔國務大臣鈴木義男君登壇〕
015 鈴木義男
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○國務大臣(鈴木義男君) 榊原君から癩患者の犯罪について御質問でありまするが、癩患者の犯罪はまことに困つた問題でありまして、もとより檢察当局としては、区別をして取扱うようなことはないのであります。しかしながら、癩患者であるということを発見いたしますれば、できるだけ通常の刑務所に收容せずに、特別の刑務所に收容をするか、あるいは病院に送付いたしまして、病院について調査をし、あるいは取調べを継続するというようにいたしておるのであります。ただいま刑務所に特別の病監を設けて癩患者を收容しておる所がありまするが、癩患者としてはいつております者はごくわずかでありまして、大体は通常の癩病院の方に委託しておる次第であります。処罰につきまして決して差別いたさないのでありまするが、あるいは御指摘のような事実が絶無とは保せられないのでありますから、具体的に御指示くださいまするならば、十分に取調べて善処いたしたいと考えるのであります。殊に共犯者であるから、健康であるのに癩病院に送つてしまつたというようなことは、乱暴きわまる話でありまして、許しがたい人権蹂躙でありまするから、そういう事実がありまするならば嚴重に処置いたすつもりであります。法務廳といたしましては、ぜひ特別の癩患者のための刑務所を施設いたしたいということで、数年前から予算を提出しておるのでありまするが、國費多端であるためと、この問題に対する認識が十分でないためと伴いまして、いつもこの予算が削られておるような次第でありまして、やむを得ませんから、厚生大臣と交渉をいたしまして、近く國会病院のうちの適当なるものを、せめてその一部でも開放していただきまして、刑務所に代用するような設備にいたしたいということを考慮いたしておる次第であります。なお問題の重要性に鑑みまして、できるだけ努力いたすつもりであります。

****************

なお、現代ではこの認識を歪曲しようとする者があふれている。

◆在日のハンセン病患者◆ | 鳳仙花 | ニュース | 東洋経済日報

 あまり知られていないが、ハンセン病患者には在日韓国人が多い。全国13の国立療養所には約4500人の患者が収容されているが、そのうち約500人が在日といわれ、1割を超えている。

 ハンセン病は、らい菌によって起こる慢性の細菌感染症で、顔面の変形など皮膚病と身体の麻痺を伴い、一種の奇形を引き起こす。栄養失調や極度の過労によって発病するが、植民地時代の過酷な強制労働や劣悪な生活環境のなかで、特に在日の感染者が多い。在日の患者は、国の強制隔離政策で日本人患者と同じように療養施設に押し込まれ、解放後も祖国に帰れず、悲惨な生活を強いられてきた。徴用し、炭坑などで働かせ、病気になったら隔離してしまう。これはもう国家による犯罪といってよい。

この記事が如何に間違っているか

以上

ハンセン病の反省と癩病患者と犯罪者の隔離政策1

第7回国会 衆議院 厚生委員会 第5号 昭和25年2月15日から抜粋。

ハンセン病=癩病の歴史

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○光田説明員 癩の現状についてお話せよとおつしやいますので申し上げます。日本に癩患者がたくさんございます。世界の総数が三百万と言つておるので、それで文明国にはほとんどないというこり癩が、日本に昔からあるのです。これはイデオロギーが非常に違つておりまして、癩は遺伝であるということ、また宗教的に見て前世に悪いことをしたその天罰によつて、現世において癩病になるのだというような迷信があります。そういうようなことで、癩患者の生活というものは、癩になつた人は一生、浮かばれないというような生活をいたしておりましたので、彼らは遂に家を出る。家人の迷惑になるのを恐れてみずから遍路をいたしまして、神社、仏閣というようなところに浮浪徘徊を続けたのであります。昔は物を惠むというような方もありますし、また忍性師というような鎌倉時代の大徳がありまして、癩患者を救済したといううるわしい事跡もございます。またザビエルが四百年前に入つてから外国の文物が次第に入りまして、日本の各所にも癩病院ができるようになつたことでありまして、これを続けて行きましたら、四百年以後においては癩病は根絶するのでありましたけれども、不幸にしてこれは天主教の弾圧がありまして、遂に隔離することができなかつた。これがために日本における癩患者が、徳川時代から今日に至るまで根絶しないのであります。西洋ではもう十世紀から十三世紀までの間に、隔離法によつて癩患者が絶滅いたしましたので、ザビエルが来ましたときも、西洋にはほとんどなくなつておりまして、日本に来て目についたのは、浮浪徘徊の徒が各所にこじきをしておる哀れなる姿であります。明治時代になりまして皆さん御記憶もないことと思いますが、明治初年に非常に悲惨なことがありました。高橋お傳と申します女が、自分の亭主が癩病であるために、いろいろの罪惡を犯しまして、遂にこれが絞首刑になりましたというお傳地獄というような本も出ておりますが、これが日本でいろは歌にも歌われて、非常に有名な事実であります。ところが明治の世の中で、日本で癩病のことについて真先に注意いたしましたのは、大学におるドクトル・ベルツという人が、日本に癩病が十万もあるというようなことを申し、非常に警告を與えました。しかしみんなはこれは遺伝病であるというので、依然として患者は四国の遍路だとか、熊本の本妙寺の清正公だとか、あるいは高野山、または大都会の神社仏閣の地に、浮浪徘徊をいたしておりました。これについては国際間にも非常なできことがございましたので、たとえば日本からカリフォルニアに行つたところの者に癩病があつたというので、遂に移民制限、あるいは移民追放というような事態になつたことは御承知のことと思います。それで明治三十年にヨーロツパに唯一の癩病王国としてあつたところのノルウエーに、当時癩が隔離によつて漸減したという時代において、ドイツのメルネルという西の方の郡内に、癩患者が十二人ばかり現われたのであります。これについてドイツの学者たちはこれはたいへんなことである。癩は伝染であるから、この十二人を放つておくと、遂にはヨーロッパの中世における大流行したような事態になるというので、ただちに世界の学者、癩病がある国の学者をベルリンに呼びまして、第一回癩会議というものを開いた。その結論は癩は黴菌によるところの伝染病である、これを根絶せしめるのには隔離法による以外にないという結論に達しました。それによつて日本からも代表者が出まして、その当時土肥慶三博士という人が参加いたしました。また論文を提出したのは伝研の北里博士であります。こういうようなことから自然に国民が注意をいたすようになりまして、埼玉県の医者である代議士の齋藤壽雄という人が、明治三十六年に議会に癩予防法に関するところの建議案を出した。それから山根正次氏という人も毎議会に癩の問題を提出いたしました。民間におきましても明治二十二年に御殿場に復生病院というものができましたり、熊本には明治二十七年に回春病院というものができました。東京の目黒にも慰發園という病院ができまして、また身延山には五、六十人から百人余の患者を外国人及び内国の資力によつて養つておるというような状態であります。その当時三十二年から四十一年の十年間に政府も気をつけまして、数回の調査をいたしましたところが、三万人ないし三万六千人という数を発見いたしました。その当時に癩としてその各地方死亡診断書が――毎年二千人、多い年にに三千人というような癩患者が死亡いたしました。むろん癩でありますから、死亡診断書は正確ではないから、それに数倍あるところの数が死んでおるということがわかるのであります。そいうような有様で、政府なり民間の有力者も、これは外国人にだけまかすべきものでないというので、明治四十年に癩予防に関する法律というものを議会で取上げられました。それによつてまずさしあたり日本の三万六千人の者も、一度に隔離するということはずいぶん困難なことであるということで、そのうちでも一番目について病毒を散漫せしめるところの俘浪徘徊の徒だけでも、ひとつ何とかして地方費によつてこれを隔離しようという案ができまして、その実行が明治四十年、今からちようど四十一年になるのでありますが、その当時この浮浪徘徊の徒はどのくらいあつたかというと、千二百人ばかりありまして、これを全国の五箇所の療養所に入れた。これは長くなりますから省略いたしますが、その五箇所というものは青森と東京、大阪、四国、熊本、この五箇所に千二百人の患者を隔離いたしました。

朝鮮人とハンセン病・癩病に関する迷信と人肉犯罪

 そういうようなことでありましたが、これをますます議会の問題にするについては、御記憶でもありますかもしれませんが、明治三十九年に野口寧齋という詩人がありまして、その詩人が癩病なるがために、その一族に非常な悲劇が起つて、遂にこれが殺人をいたすようなことになり、寧齋がしたのではないので、その婿にあたる人が金に困つたり、あるいは野口寧齋の病気をなおすためにした。どういうことをしたかと申しますると、その当時臀肉切取り事件というのがありました。というのはある小僧が番町の土手で、臀肉を切取られて死んでおつたという事件が起りまして、これはだれがやつたかというて捜査の結果、こういうような残虐なる犯罪を犯すというのは、何か、天刑病のような人がやつたのであろうというて、麹町中探しましたところが、野口寧齋が病気になつておつた。それからまた娘さんに恋着する者があつて、その恋をかなえるためにこういうような残虐行為をしたということがわかりました。この臀肉切取り事件というものをもう少し深く探つて行きますと、支那の本の中、また朝鮮の本の中に、癩病は人の肉なり人の生肝を食わすとなおるという一つの伝説がございます。これによつてこういうような凶行が起つたものでございまして、そういうようなことは、日本ではそのような本によつてようようわかつたのでありますが、朝鮮では人の生肝を食えば癩病はなおるという伝説がございまして、朝鮮では殺人というものを調べてみると、たいがいそのうしろに癩病があるということがわかつたのであります。そういうようなことで、朝鮮人の殺人犯罪は年々多数に上つております。この癩病は朝鮮の南部には非常にたくさんあるということがわかりました。しかしながら日韓併合のときには、内地に渡航するものが非常に少かつた。ただ内地だけの癩病を收容しておつたのであります。しかし自暴自棄になつておつたところの患者の中には、療養所の安定した生活によりまして非常に打つてかわつた人間になつた者もあります。しかしその千二百人の病歴を探つてみますと彼らはかつて浮浪する前には、首をくくつて死に切れず、あるいは海に入水して死に切れないという経歴を持つていない者は一人もなかつた。さように癩患者というものは恵まれない、悲惨な生活を送つて来たということは、御承知のことだと思います。しかし大部分の患者は生活の安定を得て、療養所を一つの楽天地としようとする者がある反面において、浮浪徘徊者の常習であつた賭博がはやりまして、そしてこの賭博で金銭のやりとりをしてまつ裸になるまでも取上げるというわけで、逃走患者が絶えなかつたのであります。それが外部に出てまた浮浪徘徊するという状態になつたのであります。またそのうちには、実に神妙な人間が大部分を占めておりまして、身を殺して仁をなすというような患者さんたちもたくさんありました。しかし自暴自棄のために人の迷惑を一つもかまわないで、蹴込みとか、窃盗あるいは強盗というようないろいろの犯罪をする者が、これは少数でありますけれども、そういうような犯罪者ができました。これはもちろん初期の療養所というものは、今日のごとく明るくなかつたのであります。そこで秩序を保ち、これを救う方法について、政府でもまた療養所当局も困り抜いて、遂に大正五年に懲戒検束の規定というものができまして、警察署程度の治安維持、悪いことをしたら一時そこに入れるということになつたのであります。これでよほど賭博等の犯罪は少くなりました。また院内の秩序もやや回復いたしましたけれども、これくらいのことではなかなか承知しない患者が数人はあつたのであります。私どもの配慮でも松原健三郎あるいは山田徳一というような非常に凶悪な患者がおりまして、それが日本全国を荒しまわつたというようなことがございます。しかし何とかして秩序を保たせたいというのが私どもの気持でありまして、生活、治療等も改善されて今日に至りました。そのうちに政府も、日本中に三万からあるものをわずか千二百人くらいな收容ではとうていだめであるというので、数回の拡張が行われたのであります。そうこうするうちに日韓併合ということになりまして、朝鮮人も人づて参ることになりました。当時日本には三万おりましたが、朝鮮人にもそのくらいな程度の患者がおりました。その後次第々々に移動して参りました。その朝鮮の患者は、朝鮮独特と申しますか、殺人を平気でやるような凶暴な者が出て来たのであります。それでただ内地の患者だけではなく、朝鮮の癩患者も引受けなければならぬということで、一視同仁的に今日まで続けて来たわでございます。療養所の拡張に伴いまして遂には五千人八千人とふえ、私どもは一万人を目標にして進んで参りまして、今は十箇所の国立療養所が八千三百人くらいを收容しておるわけであります。今日ではいろいろの御配慮によりまして、患者の生活は昔のようではなく、また浮浪徘徊の徒ばかりではなく、りつぱな人もたくさん入つておるのであります。しかしまだ自暴自棄的の精神がありまして、院内において少数の惡い患者が、院内の安寧秩序を乱すというようなことがまつたくないではありません。これに対して私どもは四十年にわたつて、何とかしてこの矯正策を政府も考えてくださいますようにお願いいたして参りました。しかしながらなかなかそれの実行ができませんので、一時刑務所に送るというような場合もございましたけれども、そういうようなものは不必要である。かえつて窃盗、強盗あるいは殺人までも犯した者を刑務所に長く置くことはできぬというようなことで、こういうような者が執行猶予になつて、病人であるから当然療養所でこれを治療してやれというような要求がありまして、それにはほとほと困つたのであります。癩患者なるがゆえにということで執行猶予になりました者で、入つた者はまたいろいろな悪事をいたします。それをやる場所がないようになつて来ました。憲法発布になりましてから、懲戒検束の規定も取消しになつたので、今はほとんど制裁することができないような状態にあります。御承知でもありましようが、先日――一月十六日でありまするか草津において凶暴な患者がおりまして、これを朝鮮の多数の患者が撲殺したというような前代未聞の犯行がありましたことは、まことに遺憾なことでありますけれども、今かような凶暴な者を取締るところの方法がないのであります。院の者もやはりまる腰でありますし、またこれを警察の方に伝えましてもどうすることもしないので、そのためにかような凶行が起つたことはまことに遺憾なことでありまするが、今後においてかような者は何とかして制裁をしていただかなければならぬ。癩患者は病人とは申しますけれども、手足はまだきくような者が多いのでありまして、院内においてもいろいろの相当な作業もいたしまするし、労働能力も相当ある者が多いのであります。それでこれを療養所に入れておきますと、多数の、八千三百人の安寧秩序を害するというような結果になりまして、また彼らが数人団結して院内の治安を撹乱するという場合において、前から申しましたように、職員はまる腰でありまするから、何ともこれを懲戒することもできなければ、実に危險な状態になつております。それで近年、ことに朝鮮人の内地に移動する者が多くなりまして、これはあたりまえに査証を受けて入る者もございますが、密航する者も多数にある。これが山口県とか福岡などの炭鉱とか製造工場に人りまして、そして軽いうちは労働に従事しておりますが、次第々々に重くなつておる者がたくさんございます。こういうような朝鮮から密航した者が今どのくらいあるかと申しますと、全国の療養所に五百人ほど入つております。また外部で朝鮮人の癩が自由に行動をいたして、あるいは酒を密造するとか、あるいはやみをやる者が、さような患者の中にも五百人ぐらいはあるのであります。今日は日本内地における一万二千人の者については、八千人だけは療養生活をすることができるのでありますが、朝鮮の安寧、秩序が維持できないために、せつかく日本人が向うに行つて、宇垣総督時代にこしらえたところの六千人を收容できる世界第一を誇る療養所が、終戰のときに日本人の管理者はみな追い出されまして、ほうほうの体でまる裸で帰つたというような状態でありまして、院内の秩序が乱れて来まして、逃走が相次いでおります。そのために内地にたくさんの朝鮮人の患者が入つて来るので、日本は朝鮮の癩患者まで今日はおせわしなければならない。これは人道上でありまするから当然ではあるようなことではありまするけれども、こういうような荷やつかいなものが中に入るために、またこの院内の安寧秩序を維持のできないような状態に今日はなつて参りましたことは、まことに遺憾なことであります。

朝鮮の小鹿島

 ちよつと朝鮮の小鹿島のことを申し上げますが、これは宇垣総督時代にできたところの療養所でありまして、明治天皇の御存命中に御下賜金として三十万円というものが朝鮮の癩のためにくだされたのであります。これで小鹿島という所に囲いをいたしまして、約百人くらいおりましたけれども、朝鮮ではますます癩患者はふえるいうような傾向になりました。ちようど昭和十年ごろの調査によりますと、一万三千七百人ほどおるということになつて参りました。近来はますますふえて、私どもの推定によりますと朝鮮の全羅南、北道及び慶尚南、北道には、一万八千人の癩患者がいる。全朝鮮には二万人の患者がいるということに推定数が出て参ります。この内地の患者に対する方策はいろいろの配慮によりまして、本年は約一万人ばかりの收容力を持つ。それで元三万人あつた癩患者は、今日は一万人に減つたという非常にけつこうなことでありますけれども、また朝鮮の癩の新勢力が内地にどんどん浸潤して来るということはまことに遺憾なことでありまして、皆さんにこういうような点についてもお考えおきを願いたいと思います。そうしてこれらの朝鮮人は、いずれも貧困にして朝鮮においては食つて行けないような人たちが多いのでありまして、内地の労働力の足りない虚に乗じて内地に潜入いたします。かようなわけで、今後この対策は皆さんに御熟考をお願いしなければならないのであります。今回の草津事件は、たくさんの朝鮮人が、手に手に物を持つて三人の者を撲殺したというようなことでありまして、私どもはまだその裁判とか、法律のことについてはよく承知いたしませんが、刑務所に入れても、病人なるがゆえにただちに執行猶予にするというようなことになつておりまして、内地の患者に対しても困る上に、朝鮮人の犯罪行為を取締る方法がない状態になつておりますので、このことは皆さんのお耳に入れておいて、今後これでよろしいかということについてお考えおきを願いたいと思うのであります。近来療養所の八千三百人の日本人は、おかげさまでおちついてはおりまするが、人を殺すことを何とも考えないような朝鮮の癩患者を引受けなければならぬという危険千万な状態にありまして、患者の安寧秩序が乱され、また戰員も毎日戰々兢々としてこれらの対策に悩んでおるような状態でございます。今日は草津に現に園長としておられる方がおいでになつておりまして、何かお話をしてくださることと思いますから、私はこのくらいで終ります。

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草津の撲殺事件の詳細

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○丸山委員 先般の革津の撲殺事件は、医務局の方から一応御報告がありましたけれども、園長からもう少し当事者としてのそのときの御感想など承ることができたら、なおいいと思います。

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○矢島説明員 草津楽泉園園長の矢島であります。今回荘園患者の間に不詳事件を惹起いたしましたことは、まことに申訳なく思つております。今回の事件の概略をここに御報告申し上げます。
 近年楽泉園に送られて来る患者の中には、犯罪に関係のある者の数が目立つて多くなつたのであります。ことに昨年の夏以来は、刑務所で刑の執行を停止されたり、あるいは刑の執行を猶予されたような患者が、どんどん送られて参りまして、千有余名の在園患者は非常にこれを恐れております。われわれの入つておるところは療養所であつて刑務所ではない。当然受刑さるべき者が刑を終らずに執行を猶予され、あるいは停止されて送られて来ることは、私どもの安寧秩序を不安たものに陥れて非常に困る。園で何とかしてこういう犯罪者を入園させないでもらいたいという願出がしばしばございました。しかし私のところは、全国十箇処の官立療養所の中で、まだ満床になつておりませんで、ただいま千五十名の定員に対しまして約千二十五名ほど入つております。それで満床でないゆえに受刑者であつても何ら断る理由がなかつた。従いまして、そういつた犯罪者が送られて参りまして、たまたま昨年の十一月十七日に、東京都の不良癩患者でありました朝鮮人の親子、もう一人は沖縄の者でありますが、これを当時知らないで入れたのであります。これは関西で相当の親分として鳴らし、いろいろの犯罪を犯して東京へ逃げて来て、浅草におつてたかりとか、押売りとか、相当悪いことをして、遂に東京都の手によつて楽泉園に送られて来たのであります。さらに十二月の二十七日に大阪府が送つた患者の中に、やはり関西を非常に荒し、同じ国立癩療養所を数箇所荒しまわつた名ふだのついた患者がおりました。この三人が期せずして関西で同じやくざの仲間であつたそうであります。それが楽泉園の中で顔を合せて、ここに親分子分の片割れが園の中でまた再び結ばれて、昨年の末から本年の初めにかけて、いろいあ悪い事件をひき起したのであります。暴行をする、あるいは脅迫をする。そのうちに凶器を持つて在園者を脅迫するというようなことが起きまして、昨年の暮から園当局よいたしましては、この不良癩患者に再三いろいろ言うて聞かせ、あるいは手をとつて善導に努めたのでありますが、いずれもすでに社会を荒しまわつたやくざ者でありまして、なかなか園当局の善導に従わないのであります。そして昨年末に遂に在園患者の数名に暴行をして、これに傷害を與えた事件が起きたのであります。ただいま光田園長からお話がありましたように、私どもは懲戒検束権というものを持つておらぬので、この患者を監禁することはできません。従いまして、これは当然警察に連絡をし、警察の力でもつて凶器も取上げてもらわなければならぬ。またそういう凶暴な患者は適当に成敗して、在園患者を保護してもらわなければならないと思いましたので、そういうふうに警察に手を打つたのでありますが、いかんせん警察では、患者が癩であるということを非常に恐れておりまして、この問題を取上げてもらえない。そうしますうちに、年を越えまして正月の初めに再度同じような不詳事件があつたので、今度は私自身厚生省に参りまして、この善後策を相談いたしました。そうして厚生省の了解のもとに、千名の患者の安寧秩序を保つためと、もう一つそういつたやくざの連中がたまたまあそこで三人一緒になつて、しかも次第に子分を中でつくつて行くという環境が悪いから、これはひとつ親分の環境をかえて、ほかの療養所に移して、そこでは初めからこういう不良の患者であるということを園当局に申し上げて、再びそこで根を張ることのできないようにして、不良の癩患者を善導しようと努めたのであります。これは熊本の菊池惠楓園長と厚生省と私が話合いまして、幸いに惠楓園長の了解のもとに、たらいまわしというような形でなく、環境をかえて、向うで不良の親分に勢力を張らせないようにという考えのもとに手を打つたのであります。そうして輸送等の関係がありましたので、一月の十九日に長野原という駅を送り出して、この療養所へ転送することになつておりました。これには職員も輸送の手配はすつかり済んでおりまして、患者にもそのことを言つて聞かせて、納得しておつたのであります。ところがたまたま一月十三日の上毛新聞の地方版に、「狂暴な癩患者、手を焼く楽泉園」という見出しのもとに、療養所の中に非常に凶悪な癩患者が出て、千名の患者を脅かしておるというような記事が載つたのでありました。この記事を見ましたやくざの親分子分が、また開き直りまして、こういう記事が出る以上は、おれたちは死んでもこの園を動かない、さらにこの中の患者の代表者たちは、片つぱしからやつつけてやるというような暴言をはきまして、再び園内を非常に恐怖のどん底に陥れたのであります。しかしながら私といたしましては、さらに熱誠をこめまして、決してこれは患者の団体が新聞社へ報告したものでもなく、園当局が出したものでもない。ころいう記事が出ても、これはまつたく新聞社がかつてに県なり警察から入手した記事であつて、お前たちをそういうふうにじやま物扱いして転送するものではないということを言い聞かせまして、今度は楽泉園において治療の再出発をしてもらいたい、人生の再出発をしてもらいたいということを懇々と言つて聞かせましたところが、幸いにも親分がこれを承諾して、それでは参りましにうと言つて、話はきちんとついたのが一月十六日でありました。
 ところがたまたまあの地方では、一月の十六日はお正月とか何とかいいまして、あの辺の一般の社会でも休む日でありますが、その日に、草津の町へ園を脱出しまして酒を買つて来て、これを飲んだ。そうしてこのときは子分が大分ふえまして、六名になつておりますが、このやくざの親分子分の六名が酒を飲みまして、さらに朝鮮人の団体である協親会という文化団体でありますが、そこの事務所へなぐり込みをやつた。短刀を抜いて、いきなりその部屋へ脅迫に入つておる。そうしていくらか酒手か何かをゆするうとした。そこで先ほどから申しました通り、すでに昨年末から乱暴しないように、どこまでも温順に指導して行くのであるということを私から言つてあつたので、がまんにがまんをしておつた患者でおりますが、短刀を抜いて脅迫に入つたために、朝鮮人の団体が起ち上りまして、遂にはスコップあるいはまきというような凶器をもつて、そのやくざの親分子分を撲殺する事件が起きたのであります。この事件が起きますと同時に、私どもは全職員非常呼集でこれの鎮圧にあたり、なお警察に電話をもつて、まさに殺人の惨事が起きんとしているからという急を伝えて、七回ほど応援を求めたのでありますが、なかなか草津の警察の來援が得られません。九時から警察に連絡しておつたのに、十一時半にやつと警察官が、しかも武装もせずにまる腰でやつて来た。その来たときにはすでに殺人が行われたあとであつたという始末でありまして、こういつた癩患者の凶行に対しては、警察に手を下してもらえない。それからなお五名惨殺されたうちの三名は、警察官が現場に到着して、私どもから保護を願つたその面前で、朝鮮人の患者の一団がなぐり殺しておるという次第であります。
 以上が今回の不祥事件の大体でありますが、私ども今回特に痛切に感じましたのは、もしも癩の刑務所というようなものがありまして、園からこの不良の癩患者を何とかしてもらいたいという申出と同時に処置してもらえれば、この事件は起きなかつたろう。また今回起きました事件の最後も、ただいま捜査が終りまして、十三名の下手人があがつておりますが、との下手人の処置に関しましても、ぜひとも癩の刑務所というものがありまして、癩患者といえども悪いことをした者は適当にさばかれるという点をはつきりしてもらわないと、将来あるいは同じような惨事が繰返されないとも限らないのであります。さらに癩患者なるがゆえに、警察当局も療養所に何でもまかせておけばいいという態度で、取上げてもらえないということは、まことに遺憾に存じます。ぜひ皆さんに特にこの点をお考えおき願いたいと思う次第であります。

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2020年日本と台湾の外国人・中国人入国者数の比較統計

2020年日本と台湾の外国人・中国人入国者数の比較統計と若干の背景事情を整理しました。

2020年日本と台湾の海外からの入国者数の統計

日本は(観光庁)法務省出入国管理庁統計の数字を使います。

訪日外客数の数値。定義⇒国籍に基づく法務省集計による外国人正規入国者から、日本を主たる居住国とする永住者等の外国人を除き、これに外国人一時上陸客等を加えた入国外国人旅行者のことです。駐在員やその家族、留学生等の入国者・再入国者は訪日外客数に含まれます。乗員上陸数(航空機・船舶の乗務員)は訪日外客数に含まれません。
※法務省集計による外国人正規入国者数は、訪問者の国籍に基づく統計であることから、訪日外客数も国籍統計となります。この為、JNTOの訪日外客数は、特定国の国籍を有する人が日本を訪れた数を集計したものであり、特定国からの訪問者数を示すものではありません。

観光庁は9月までは暫定値、10、11月は推計値を用います(現時点での公表分)。

出入国管理庁統計は10月までは月報、11月は速報の値を使います。

なお、日本国の人口は約1億2570万人、台湾は約2370万人です。

日本と台湾の入国外国人数の比較:観光客に限定せず

日本と台湾の外国人入国者数統計比較

日本と台湾の外国人入国者数統計比較

外国人の入国者数(全世界から)の数字です。

人数の増減が激しすぎるので、2019年12月~2020年3月までのグラフと、2020年4月~2020年11月までのグラフに分けました。縦軸が人数です。

当然ですが観光目的か否かは関係ありません。

日本(観光庁) 暫定値 法務省出入国管理庁統計
2019.12:2,526,387  2,482,441 
2020.1:2,661,022  2,698,824 
2020.2:1,085,147  1,155,960 
2020.3:193,658  217,679 
2020.4:2,917  5,312 
2020.5:1,663  4,488 
2020.6:2,565  8,028 
2020.7:3,782  10,300 
2020.8:8,658  15,882 
2020.9:13,684  18,861 
2020.10:27,400  35,578 
2020.11:56,700  66,603 

台湾 (交通部観光局) 
2019.12:1,143,201
2020.1:812,970 
2020.2:357,357 
2020.3:78,259 
2020.4:2,559 
2020.5:3,250 
2020.6:7,491
2020.7:11,748
2020.8:18,536
2020.9: 23,520
2020.10:18,982
2020.11:21,177

日本と台湾の入国中国人数の比較

中国人入国者数、日本と台湾の比較統計

中国人入国者数、日本と台湾の比較統計

入国した中国籍数の比較です。

日本(観光庁)暫定値 法務省出入国管理庁統計
2019.12: 710,234  629,951 
2020.1: 924,790  888,569 
2020.2:87,220  109,114 
2020.3:10,365  12,274 
2020.4:163  717 
2020.5:25  810 
2020.6:334  2,145 
2020.7:785  2,737 
2020.8:1,606  4,087 
2020.9:2,954  4,368 
2020.10:4,500  6,940 
2020.11:18,100 21,140

 

※台湾は中国大陸(香港・マカオ等を除く)からの外国人と華僑(=中国本土、香港、マカオの住民、および無戸籍国民の数が含まれる)の数値。参考1参考2

台湾 (交通部観光局)  華僑

2019.12:103,791 100,935
2020.1:91,085  88,165 
2020.2:5,540  5,167 
2020.3:1,511  1,297 
2020.4:476  476 
2020.5:581  581 
2020.6:767  761 
2020.7:908  906 
2020.8:1,393  1,392 
2020.9:4,590  4,590 
2020.10:1,810  1,810 
2020.11:1,201  1,199 

変異株が報道された後の台湾当局の外国人入国制限

CECC announces adjustments to regulations for foreign nationals entering Taiwan beginning January 1, 2021, in response to continued spread of COVID-19 pandemic
Date:2020-12-30 Data Source:Bureau of Consular Affairs
December 30, 2020 No. 310

以下の基準を満たす外国人は入国が許可されます。

1.外国人居住者証明書保有者。
2.外交または公務に従事する者、商業的および契約上の義務を果たしていることを証明できる者、または特別な人道的理由で入院した者。
3.ROC国民または外国人居住者証明書保有者の配偶者および未成年の子供。
4.特別な許可を必要とする他の人。

上記の特別許可が必要な人とは、ホワイトカラー労働者、移民労働者、留学生など、ROCの中央管轄当局または機関から承認を受けた人を指します。

このように、台湾も外国籍者の入国を完全に禁止してません。

特に商業目的=ビジネスでの入国について禁止していないことが分かります。

なお、2019年7月31日にチャイナ側の共産党の方針で台湾への個人旅行が禁止されていました。ただ、それ以前(2016年)から中国本土から台湾への旅行者は減少傾向でした(ピーク時には年間400万人以上、香港を含めると550万人以上)。中国人旅行客の犯罪行為多発で盛んに報道されていました。

中国、台湾への個人旅行を当面停止 蔡政権に圧力 2019年7月31日 18:25 (2019年7月31日 22:11更新)

変異株・緊急事態宣言後の日本国の外国人入国制限

緊急事態宣言後(1月13日に7府県追加後)の日本国の外国人入国制限については上記でまとめています。

中国人旅行客の動きですが、日本の場合は増加傾向にあり、2020年1月までは前年比プラスが続いていました。

安倍総理は1月23日に春節での来日を歓迎する祝辞を公表

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