「いじめ」記事と関係者の謝罪、関連報道など、騒動が広まった経緯。
※辞任しました。
コーネリアス小山田圭吾が五輪楽曲制作を辞任 - 事実を整える
コーネリアス小山田圭吾の「いじめ」記事謝罪
東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして pic.twitter.com/WWedM9CJwK
— Cornelius (@corneliusjapan) 2021年7月16日
「コーネリアス」名義で音楽活動をしている小山田圭吾 氏が7月16日に「いじめ」記事についてTwitter上で謝罪文を掲載。
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ロッキング・オン・ジャパン山崎洋一郎のいじめ記事謝罪
ロッキング・オン・ジャパンの編集長である山崎洋一郎 氏も7月18日、「いじめ」記事について謝罪しました。
ロッキング・オン・ジャパン94年1月号小山田圭吾インタビュー記事に関して | その他 | ニュース | ロッキング・オン・グループ (rockin’on group)(魚拓)
小山田圭吾氏が東京オリンピック・パラリンピックのクリエイティブチームの一員に選出されたことを受け、94年1月号のロッキング・オン・ジャパンに掲載されたインタビューで氏が話された中学時代のいじめエピソードが各方面で引用、議論されています。
その時のインタビュアーは私であり編集長も担当しておりました。そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。
27年前の記事ですが、それはいつまでも読まれ続けるものであり、掲載責任者としての責任は、これからも問われ続け、それを引き受け続けなければならないものと考えています。
傷つけてしまった被害者の方およびご家族の皆様、記事を目にされて不快な思いをされた方々に深くお詫び申し上げます。
犯した過ちを今一度深く反省し、二度とこうした間違った判断を繰り返すことなく、健全なメディア活動を目指し努力して参ります。
ロッキング・オン・ジャパン編集長 山崎洋一郎
海外報道ではabuse=虐待と記述
🔴Tokyo Olympics organisers insist they are happy for a Keigo Oyamada to continue as a composer for the opening ceremony despite interviews resurfacing where he described abusing mentally ill classmates.
— The Telegraph (@Telegraph) 2021年7月17日
🔓This article is free to read https://t.co/hGUq4THgwA
海外報道は、17日にテレグラフが報じている。
"abused"=「虐待」という文言を用いている。
もっとも、小山田氏が謝罪したことを伝える内容で、それ以上の追及のようなものは無い。
「いじめ」記事の内容:犯罪行為といってよい
小山田圭吾がオリパラ開会式の作曲担当って何かの冗談か?
— まんがゴリラ (@manga_gorilla) 2021年7月15日
でもこういう厚顔無恥さがなければオリンピックなんかやれないよなぁ
パラリンピック関係者はこの発言を見て何にも思わないのかねhttps://t.co/7t9dfdkog6 https://t.co/FQh3uz0Ge6 pic.twitter.com/yGtLcNyJNR
一連の騒動の発端となったツイートがこちら。
別の記事も対象に。
知的障害のある同級生にプロレス技かけウンコ食わせ服を脱がせたいじめ自慢をインタビューで語る小山田圭吾さんがオリパラ開会式の音楽に携わり、韓国選手団が東京オリンピック選手村の居住棟に反日横断幕を掲げたり、バッハ会長が有観客開催を要望したり…
— ゼロツー (@tag202177) 2021年7月15日
五輪は誰かを傷つける人が作る祭典なのか… pic.twitter.com/ENRHzzr4cM
報道によると、「ロッキング・オン・ジャパン」(1994年1月号)と「クイック・ジャパン」(95年3号)に掲載されたインタビュー記事のようです。
内容はここではいちいち書き起こしませんが、これまでかっこ付きで「いじめ」と書いていたのですが、犯罪行為と言ってよいでしょう。
私見のまとめ
本件についての私見。
「被害者と直接連絡を取って謝罪」について
小山田圭吾のいじめ記事掲載クイックジャパン(95年)編集がいじめられた子(複数居る)の家を訪ね今どうしてるか取材した部分。内容は追い討ちに近い。東京五輪がカースト上位の者だけの祭典で踏みつけられ犠牲になる無数の一般庶民が居る事実と祭典の音楽担当者の過去のいじめが本質では繋がってる pic.twitter.com/cm11v4BDNT
— 裏庭映画保存会 (@uraniwamoviecom) 2021年7月16日
小山田氏の「被害者と連絡を取って謝罪したい」 について、過去にこういうこともあり、絶対に小山田氏からアクションを取るべきではないと思う。
仮に何か「許す」という言葉があったとして、被害者は知的障害者。
究極的には2者間の問題だが、その事を知った我々からすれば「言わせた」疑念を拭えないし、実際、その危険はあると思う。強要に渡らずとも、いろんな背景を考えて被害者側がそういう選択を取る可能性がある。
直接の謝罪は、「いまさら」だと思う。
世間に対して怒りを(一定程度)鎮めるという効果しかない。
納得できる展開としては、被害者から積極的にコンタクトを取ってきた場合。
小山田氏の「一部事実と異なる内容」について、いちいち反論してこなかったのは、理解しようと思う。訂正するならば、編集長の側から行うべきだと思う。
90年代のサブカル文脈だから…という一部理解・擁護論
ネット上の「90年代のサブカル文脈だから…」という一部擁護論について、何らの弁解・擁護にもならない。
「鬼畜系サブカル」なるものがあったらしい。当時生きてたが知らんわそんなもの。
たとえば、オウム真理教を持て囃した80年代〜90年代前半のテレビ局を「あれが時代だったからね」なんて言って若干の正当化を試みることは、当のテレビ局側の人間ですら言わない。
狂ってたんだよ。あの時代の言論空間は。
「五輪という公的イベントにふさわしくない」について
「このような人物を五輪にかかわらせるべきではない」については、事前にそのことが分かっているならば、かかわらせないべきだと思う。
まず、「人間性・過去の行いと芸術性は別だ」などと理想論を言ったところで、この内容は無理。犯罪行為でも心情的に許せないものと刑の執行を受ければ許せるものと様々あるが、これは犯罪として処罰されていないものの犯罪に相当する行為であり、且つ、悪質。彼の顔を見るたびに記述された行為を思い出したくない。
次に、五輪は公的なイベントだということ。公的なイベントの「顔」として(散々違法行為をやっている)ヤクザが出てきたら、どうするのだろうか?
「五輪だから騒がれたんだろう」⇒そうだよ。公的イベントだからね。これまでは勝手にやってろ、という扱いだったんだろう。でも、今回は別。当然でしょ。
また、彼が純粋な芸術的技量で選ばれたかというと、そう考えるのは甘い。もちろん、卓越した技量があるのは確かで、その点で言えば公的イベントに関わる者としては申し分ないと思う。しかし、それに加えて知名度があるからこそ、彼が選ばれている。その知名度の獲得の過程にあれらの雑誌における露出がまったく関係していないとは言い切れないだろう。
そして、選考時点では謝罪がまったく無かったのだから、やはりかかわらせるべきではない、という判断を下すことになるでしょう。
現実には東京オリンピックの開会式の楽曲担当として準備が進み、大会開催も近づいているのだから、降板させることも「いまさら」だと思う。
※追記:大会開催までの期間が差し迫っているという事情は決定的ですが、組織委員会側が「いまさら」を理由に小山田氏の続投を言及するのはおかしいと思う。そこはきちんとした説明をするべきでしょう。
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