「ファクトチェック」に名を借りた検索汚染
- JFC「『関東大震災で朝鮮人6000人虐殺は100%嘘で確定』は根拠不明」
- 6000人虐殺説こそ根拠不明:報告書でも否定論が
- 震災による死者数の報告書内のブレ:10万5000人は行方不明者含む?
- 6000人不法殺害説の信憑性:独立新聞調査・同胞慰問班崔承万説・吉野作造調査
JFC「『関東大震災で朝鮮人6000人虐殺は100%嘘で確定』は根拠不明」
関東大震災で起きた朝鮮人虐殺に関して「6000人虐殺は『100%嘘』で確定」という言説が拡散しましたが、【根拠不明】です。
— 日本ファクトチェックセンター(JFC) (@fact_check_jp) 2024年8月13日
犠牲者数の調査は複数あり、朝鮮人死者数を6000人以上とするものもあります。国の公表資料は、虐殺の犠牲者は最低でも1000人だとしています。 https://t.co/JB0sMiWcH8
JFCは検証対象の投稿のリンクを張っていませんが、文章と拡散度合いから以下の投稿と特定できます。
#虎に翼
— 信 (@5eloNR0) 2024年7月30日
朝鮮人6000人虐殺は「100%嘘」で確定してる。
嘘がバレたからって
「6000人じゃないけど!一人でも虐殺!」
じゃねぇんだわ。まず「6000人はウソでしたごめんなさい」じゃろがい。
このきたねぇ石ころ引っこ抜いてから出直せボケナス。 pic.twitter.com/lOxYW5upJc
JFCは「関東大震災で朝鮮人が6000人虐殺されたのか」ではなく「6000人虐殺は『100%嘘』で確定したか」についてファクトチェックと称して記事を書いています。
が、この記事は全て内閣府中央防災会議の災害教訓の継承に関する専門調査会報告書の記述に基づいて論難しているだけであり、あまりに不十分なのもです。
6000人虐殺説こそ根拠不明:報告書でも否定論が
報告書(1923 関東大震災) : 防災情報のページ - 内閣府
報告書(1923 関東大震災第2編) : 防災情報のページ - 内閣府
報告書(1923 関東大震災第3編) : 防災情報のページ - 内閣府
関東大震災に関しては1~3編の報告書が存在していますが、記述を担当している者が別々になっています。
JFCが参照したのは第2編の記述ですが、その「コラム8 殺傷事件の検証」では以下書かれています。
朝鮮人の犠牲者数は、在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班が官憲の協力を得られないまま調査を進めた。これについては、山田昭次『関東大震災時の朝鮮人虐殺-その国家責任と民衆責任』の第6章が最新の検討を行っている。同書によれば、このうち1923(大正12)年10月末までの中間報告には、吉野作造が同時代に発表しようとして禁止された原稿「朝鮮人虐殺事件」と、吉野に情報提供したと推定される上記慰問団の崔承万が戦後になって発表したものとがある。すべて場所と人数の記載で、合計は吉野原稿が2,613余名(例えば、30余、といった「余」が5つある)、崔氏のものが2,607余名又は3,459余名(犠牲者数を48又は80のように2説挙げる例が7つある)。崔氏によれば、慰問団はこの調査を踏まえて犠牲者数を5千名と推定したという。この調査の最終報告とされるものが、11月28日付で上海の大韓民国臨時政府機関誌『独立新聞』社長に送付され、12月5日に同紙に掲載された。これは合計6,661名(現在内訳を再計算すると6,644名であると山田昭次氏が指摘している)に達するが、うち神奈川県で遺体を発見できなかった1,795名と第一次調査を終了した11月25日に各県から報告が来たとする追加分2,256名は、府県名のみでそれ以下の地名は記されていない。山田昭次氏は、埼玉県に関する数値を検証して、この追加分を算入しない方が現在までに得られる他の情報と近いことを指摘し、「追加合計数の根拠を今日解明することはできない」としている。
つまり、JFCが参照した資料内において、「6000人説」が否定される主張(山田氏による調査結果の評価)が中心的なものとして掲載されているということです。
JFCの記事は、この山田氏の指摘に対する反論となる別の学説を掲載しているわけでもなく、なぜか「「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班」の調査では、朝鮮人死者数は6661人。朝鮮の民間新聞「独立新聞」は1923年12月5日付の記事で、死者のうち3240人は「屍体さえも探せなかった同胞」と報じた」とだけ書いて判定に移っています。
そもそも「6000人説」の根拠が無い上にファクトチェックになじむ事柄ではないにもかかわらず強引に判定しているのは意味がわかりません。
震災による死者数の報告書内のブレ:10万5000人は行方不明者含む?
JFCは「国の公表資料は、虐殺の犠牲者は最低でも1000人だとしています」と書いています。
しかし、朝鮮人の被殺者数に関しては第2編第4章2節に書かれており、「殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり」という記述があります。
※追記※
前掲「コラム8 殺傷事件の検証」の引用文のさらに前には「殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった」とあるので、【震災の1~数%】の中身も朝鮮人のみを指すのではなく、この3者を指すと言え、「最低でも1000人」とはこの記述からも言えないことになります。
単純被殺者数として資料にみられる最低値は朝日新聞調査の432人と思われますが、中央防災会議の報告書では扱われていないので割愛します。
※※追記終わり※※
震災の死者数は1~3編の全HP上に「災害概略シート」として同じものが掲載され、死者数として「10万5000人余」と書かれています。
ただし、この数字は死者数+行方不明者数であるという論者が居ます。
1編第1章「被害の全体像」内の「コラム 関東地震の死者・行方不明者数」を執筆した諸井委員は「実際の死者・行方不明者数は10万5000名程度であることが分かって来た」と記述しています。また、今村宣明・中村左衛門太郎・内務省、各者の報告として死者数は9万人台であることが表で示されています。
1編1章1節には報告書内で数字の食い違いがあることが明示されており、その事に注意する必要があります。
本報告書でも章により関東地震の被害数として異なった数値が示され、読者を混乱させることになるかも…資料ごとに被害調査の主体や方法、さらに被害集計の単位や集計時期に違いがあり、結果的に異なった数値が報告されているため…資料によって被害実数がまちまちであるという事実を知っておいて
「死者数が9万人台である」ことを前提とするならば、「震災による死者数の1~数パーセント」の最低値は900人台となり、JFCの言うような「最低でも1000人」とはなりません。ただ、災害概略シートに見られる本報告書の標準的な記述からは、「内閣府の公表資料は、朝鮮人虐殺の犠牲者は最低でも1000人だと説明」と言っても問題ないということになります。
6000人不法殺害説の信憑性:独立新聞調査・同胞慰問班崔承万説・吉野作造調査
朝鮮人の不法殺害数の議論に関しては上掲記事で整理しています。
6000人不法殺害説の論拠は主に3つの調査結果に基づいています。
6000人説の中心的資料である独立新聞調査については以下が指摘できます。
- 内訳として「屍体を発見できなかった同胞」数が2889人であるが、本来行方不明者として扱うべきものである
- 「屍体を発見した」とされる1274人も、殺害されたのか震災による死体なのかの判断は極めて困難なはずが簡単に被殺者認定をしている。
- 1923年11月25日(震災から約2か月半後)に近県から集まった追加調査として2256人が追加されたが、最後の遺体処理が行われたのは十月中旬であり、なぜこれらが「殺害」と判断できたのか非常に疑わしい
この調査は記述からして、単なる死者・行方不明者を「被殺者」に含めている可能性が極めて高いものです。
次に、同胞慰問班調査員・崔承万説については
- 「被殺人数」として「48人または80人」など、「または」という予想を含む形で記述し、その最大人数を合計している。
- 「神奈川鉄橋 500人」「東京亀戸署 87人または320人」「浅草公園内 3人または200人」など、雑駁でいいかげんな数え方をしていること
- 崔はさらに被害者は5000人以上であろうと追加で推定しているが、その推論過程は「東京神奈川に3万人の朝鮮人人口⇒震災後各所に収容された生存者7580名を引くと22420名となる。確実な調査は出来ないので、少なく見積もって4分の1としても5600余名となるので、罹災朝鮮同胞慰問班では虐殺された人は5000名と推定されるという意見を集約した」というもの
吉野作造調査について
- 調査そのものが崔承万のものとほぼ一緒
- 吉野の聞き取り調査で唯一違うところは、埼玉県本庄の被殺人数が崔は80人だが、吉野は86人となっている点のみ。それ以外の数字は崔の調査と同じ
以上みてきたとおり、6000人説が依拠する調査結果は正確な調査に基づいたものではなく、ある程度の数字以降は推測混じりだということが当該団体自身によって明かされており、バイアスがあると考えるのが自然であると言えます。
さらに、当時の関東一円の朝鮮人の人口動態からも、被殺数6000人説には疑義を呈することができる、ということを上掲記事で書いています。
他、朝鮮人の被殺者数については他にもいろいろ数字がありますが、その数字の意味・中身と信憑性については以下でも分析しています。
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