事実を整える

Nathan(ねーさん) ほぼオープンソースをベースに法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

立法事実論の射程

「道路は左側通行」に立法事実は必要だろうか?

立法事実論の射程

「立法事実」という言葉は憲法訴訟の領域でアメリカで発祥し、日本においても最高裁判例が当該概念に基づく判断を行った結果、その用語が立法府の議員職、官庁の行政職にも広まってきました。

立法システムの再構築 立法学のフロンティア2/西原博史 2014年】では以下書かれています。

立法システムの再構築 第3章 立法の「質」と議会による将来予測 宍戸常寿 74頁

3 議会による将来予測の品質

1)立法事実論の限界

 本章はここまで、将来予測の観点から立法事実論を検討してきた。「立法事実」という用語は、裁判所による司法審査の局面からいわば流出する形で、国会における法案審理を含む立法の現場で既に定着している(高見 2014)。

では、「立法事実」論の射程とは?何でもかんでも法律を立案・審議・可決するに際して、立法事実を論じなければならないのか?

確定的な答えがあるわけではないですが、一定の指針となるものを置いておきます。

「立法事実」の内容:将来予測や規範的評価も内包

立法システムの再構築 第3章 立法の「質」と議会による将来予測 宍戸常寿 65頁

立法の合理性を支える一般的事実の中には、立法による規制の必要性に関する事実、さらには当該規制により問題を解決し得るという将来の予測が事の性質上内包ないし含意されていなければならないはずである。かくして憲法学説は、裁判所による立法事実の審査の中で立法者の将来予測の当否についても判断すべきことを暗黙裡に想定してきたものといえる。

「立法事実」の内容は、薬事法違憲判決を読めば、法の目的と手段の因果関係の想定など、一定の合理的推論がこれに当たると理解されます。それは上掲の通り、「将来予測」も内包されていると捉えることも可能です。

こうした現実とは裏腹に、一部の政党・議員らの間において*1、「立法事実」という語を政局を有利に働かせる、聞いた者の認識を誘導するための方便として誤用する向きがあります。

そこでは「現実に生起した具体的な事件・社会状況が存在しなければ立法事実は無い」という謬論が展開されており、立法者側にそのような意味の「立法事実」の資料の提出を求めるという行為が行われており、立法内容に影響した例すらみられました

立法システムの再構築 立法学のフロンティア2/西原博史】では、さらに「立法事実」とは「純然たる事実ではな」い、「単なる「生のデータ」などではな」い、「抽象的な事実を抽出・構成し、立案者において再構成された理論的・規範的なものである」「科学的認識ではなく規範的評価の問題だった」と、学界の各々が明確な言辞によってその輪郭を浮かび上がらせている様子を紹介しています。

立法システムの再構築 第3章 立法の「質」と議会による将来予測 宍戸常寿

3 議会による将来予測の品質 74頁~

1)立法事実論の限界

~中略~

 まず、立法の「質」で問題になる「事実」とは純然たる事実ではなく、むしろ政策ないし決断と密接に関わり合うものである。そもそも立法が何を目的とするのか焦点が定まらなければ、「有象無象の一般事実のうち、何が立法にとってレレヴァントで、何がレレヴァントでないか、実際には何も見えてこない」(高見 2008)のである。また橘幸信は、「「立法事実」とは、単なる「生のデータ」などではなく、そこから「抽象的な事実」を抽出・構成し、立法目的や立法手段の合理性を支えるものとして立案者において再構成された、理論的・規範的なものである」(橘 2011)と指摘しているが、この言明は本章の冒頭に挙げた末弘の指摘がなお生命力を維持していることを示している。

~中略~

なお付言すれば、既に述べたことにも重なるが、最高裁は判決文で立法事実の確定の根拠となる資料を挙げておらず(木村 2013)、憲法訴訟の現場における「立法事実」とは一貫して科学的認識ではなく規範的評価の問題だったことにも注意しなければならない。逆にいえば、将来予測を含む立法事実は、憲法訴訟による統制には全面的に復するものではないことが、当然の前提として考えられている。

 この前提それ自体は、極端な司法国家主義者を除けば、大方の賛同が得られるところであろう。しかしこの前提を正面から受け容れるならば、問題は反転した形で現れる。すなわち、それでは立法過程における立法の「質」はいかに確保されるのか、また裁判所による立法事実の統制がどの範囲でどのような形でそれに貢献しうるのか、といった問いである。

森林法判決と薬事法判決の判断手法:立法府の予測を司法が推論で批判

立法システムの再構築 第3章 立法の「質」と議会による将来予測 宍戸常寿 66-67頁

 さて、いま取り上げた二つの最高裁判決は、いずれも立法者の将来予測を一応問題にしたものと捉えることが可能である。もっとも、これらの説示が、予測の基礎となった事実を新たに発見された事実によって反証したとか、予測がその後の事実によって外れたことを証明した、という性質のものではないことにも注意すべきである。

 まず、森林法判決は、当該規定により現実に森林が荒廃したとか、当該規定よりも分割禁止の範囲を限定しても同じだけの効果が達成できたという科学的事実を、後の経過に即して明らかにしたわけではない。ここで示されているのは、当該規定によりかえって森林が荒廃するだろうという推論、あるいはより財産権にとって制限の小さい手段でも森林経営を不安定化させる森林細分化を防ぐことが可能であるという評価であるにすぎない。あえていえば、立法者の予測が当初の立法時点からもともと成り立ち得ない性格のものであったことを、指摘するにとどまるのである。

 薬事法判決も、例えば法律の施行の帰結等の予測後に生じた科学的事実に照らして立法者の予測が誤っていたことを指摘するものではなく、予測を自らの推論によって批判している点では、森林法事件判決と同じである。ただし、「競争の激化ー経営の不安定ー法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険」という因果関係が「観念上の想定」にすぎないという同判決の説示は、この想定を裏づけるだけの事実、例えば「大都市の一部地域における医薬品の乱売」や「医薬品の乱売」が薬局の経営不安定によるものであり他の要因によるものではないとの過去・現在の事実を国側が提示していれば、覆すことに成功した可能性もある。そうだとすると、この判決の「立法事実論」の正体は、次に述べる「主張可能性の統制」と同じく、立法者ができるかぎり正確な評価を求めて入手可能な認識源を利用し尽くしていないことを非難しているものである、と捉え直す事も可能であろう(山本〔龍〕2012)。

立法システムの再構築 立法学のフロンティア2/西原博史】では憲法訴訟における「立法事実」論の論理構成を明らかにしながら、立法府における立法段階における質の向上を目指すために有用な考え方として「立法事実論」を活用する方途が模索されています。

その中に置いて、立法事実論の射程についてのヒントが語られています。

立法事実論の守備領域:目的手段関係になじまない法制度の場合は?

立法システムの再構築 第3章 立法の「質」と議会による将来予測 宍戸常寿

~中略~

2) 立法過程における立法事実と将来予測・再考

 まず最初に検討すべきは、そもそも立法の「質」を論じる際に立法事実ないし将来予測がどれほど決定的に重要なのか、といった論点である。この点に関して、「特定的・個別的な政策課題を追求する立法又は補助金などをともなう産業育成的な立法」と異なり、「国民生活の基礎を形づくる包括的・総合的な立法」は立法評価になじまない、という大石眞の指摘は示唆に富む(大石 2008)。改めて考えれば、立法がそれを必要とする社会的・一般的事実に即したものかどうかを問う思考――比例原則は、それをより法学的な形で洗練させたものである――は、法律を社会に投入される一定の「措置」として、目的ー手段の関係で理解することを前提にしている(宍戸 2005)。本来そうした理解になじまない、生活関係・領域に内在する事物の本性に由来する法制度や、事実と区別された意味での価値的な決断を実定化する「構成的」な法律については、立法事実に照らした評価や立法者の将来予測を問うのは核心を外したもの、と言えよう。

宍戸常寿は、立法事実論が「目的ー手段の関係で理解することを前提にしている」ことを指摘し、大石眞の「特定的・個別的な政策課題を追求する立法又は補助金などをともなう産業育成的な立法」と異なり、「国民生活の基礎を形づくる包括的・総合的な立法」は立法評価になじまないとする論稿を引きます。

その上で、「生活関係・領域に内在する事物の本性に由来する法制度や、事実と区別された意味での価値的な決断を実定化する「構成的」な法律については、立法事実に照らした評価や立法者の将来予測を問うのは核心を外したもの」とまで言い切っています。

法令にも種類があり、直接国民の権利義務その他の法的地位を形成し又は変動することが法律又は条例によって認められているようなものがあれば、他方でいわゆる「理念法」と呼ばれるような、その規定自体からは上述のような法的効果を発生させないもの、努力義務を課すに留まるもの、想定される事態に対して政府や自治体に各種の準備を要求するもの、政府機関や各種の団体の組織を規律する法令などがあります。

理念法は「~基本法」「~推進法」「~増進法」「~振興法」といった名称が使われることが多いもので、例えば【人権教育及び人権啓発の推進に関する法律】などがこれに当たります。

そうした法律は、基本的には目的とその達成のための手段が適切か、という話にならず、立法事実論になじまない、という指摘でしょう。

ただし、概要としてはそのように言えても、法令内の具体的な規定によっては、立法事実論が妥当し得るということも意識されています。

 もっとも、これはあくまで理念型の話である。例えば家族法が構成的な法律だとしても、そこに二次的に含まれる政策的な側面ないし「規制的」な規定については、立法事実や将来予測といった観点が立法においても憲法訴訟においても問われることが当然にありうる。さらに、平成25年決定が説くように、規定の合理性を支える事実の当否ではなく、法律の規定がもたらす法的・非ー法的な(副)作用・影響に関する事実問題は別に発生し得る。最後に、これは立法事実ないし将来予測の範疇を超えるものではあるが、立法者の決定は憲法上の価値決定――例えば、個人の根源的平等性――に反するかどうかも裁判所による厳格なコントロールの対象となることは、比例原則の適用と立法事実論が司法審査の中心となった様相を呈している今日、改めて強調されるべきであろう。

「道路は左側通行」等の振り分け・選択問題に立法事実は必要ではない

政策的に決定されるものであっても、例えば「道路は左側通行」といった法令に、「立法事実はあるのか?」を問うのは愚問でしょう。

「日本全国でそうすると決めるから決めた」以上の意味は無く、そのように選択・振り分けをしたに過ぎないからです。別に今から右側通行にしても立法の有効性に関しては何ら問題ない(事実上、真逆の方針転換にかかるコストや国民生活の混乱という問題は生じるだろうが)。

まさに、「立法事実に照らした評価や立法者の将来予測を問うのは核心を外したもの」という宍戸の言及が妥当する場合と言えます。

さて、このような考え方が妥当するような法令案は、他にもあるはずです。

皇位継承のルール・養子縁組などの身分行為の立法事実?

こうした視点からは、皇位継承のルールや養子縁組などの身分行為を規律する立法の場合に「立法事実」を持ち出すのは甚だ的外れ、ということになります。

この領域で「立法事実」論を持ち出す政党があるのですが、ただの議論妨害でしょう。

皇位継承のルールは国民生活からは切り離された領域であり、そこに法令の合憲性審査において立法の目的手段が正当化されるべき規制や給付なのか?という問題意識が出てくるような契機はそもそも存在しないからです。

この場合の立法は「それ自体が国家意思」なのであり、【その方向に向かうと決める】類のものです。そういう意味では前掲の「道路は左側通行」と類似した領域であると言い得るでしょう。

立法府における立法の際の将来予測とその質の向上のための立法事実論の効能

立法システムの再構築 第3章 立法の「質」と議会による将来予測 宍戸常寿

 次に、規制的法律(ないしそのような法律の側面)について、将来予測の「質」を問題にする意義は何か、改めて考える必要がある。過去・現在の事実からいかなる予測を立てるかは事実の確定以上に複雑な作業であり、濃密に政策ないし決断と結びつく性格のものでもある以上、将来予測の「質」を論じることにはもともと困難が伴う。事実の確定よりも緩やかな統制尺度が将来予測に用いられるべきだという主張がドイツで見られたり、わが国で将来予測が正面から主題化されずに「立法事実」として論じられたりした背景には、こうした事情が伏在していたように考えられる。しかし、法的整合性(ないし法的適格性)を超えた立法の「質」を問うのであれば、それは将来予測の当否を抜きにして論じることはできないといえよう。ここで重要なのは、将来予測を絶対的・静態的なものとして評価することではなく、法的プロセス全体の中において「より良き立法」を志向し続けるという観点から(藤谷 2010)、立法における将来予測の「質」をより高めるようなプロセスを法制度および解釈・運用の双方において盛り込む、いわば将来予測を時間の中に開くという視点であるように思われる。

本書では立法事実論の効能として、立法府における立法の際の将来予測の質をより高めるプロセスという視点が提供され、そのような解釈運用を目指すべきという主張があります。

ここで指摘されていることが具体的にどういうものかはわかりませんが、近年、法律の附則に「●年を目途に法律の施行状況について再検討をする」旨が書かれたものが立法され、所管省庁で会議体が置かれ有識者らによる議論が行われているケースを見るようになりました。

例:公益通報者保護法

附則

(検討)
第二条 政府は、この法律の施行後五年を目途として、この法律の施行の状況について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。

公益通報者保護制度検討会 | 消費者庁

こうした立法後のメンテナンスを怠らない仕組みが法律(の附則)自体に組み込まれていることで、より国民生活・経済実態に合わせた立法の内容にとなるよう、継続的に資料を収集してブラッシュアップされていくという試みは、意識されてよいと思われます。

憲法訴訟の場面から立法段階に「流出」した立法事実論が、「立法者ができるかぎり正確な評価を求めて入手可能な認識源を利用し尽」すべき、という意味で言及されるのであれば、多少の意味内容のズレは許容できると言えるでしょう。

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*1:日弁連の弁護士でも誤用した例があり国会議事録に残っている

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