ドイツのDIY事業者Hornbach(ホルンバッハ)の炎上CMについて、ドイツ本社がCMを撤回しないことを表明しました。Cookies op AD.nl | AD.nl
ホルンバッハの釈明はこちら⇒Unsere Haltung | HORNBACH
ホルンバッハが人種差別であると認めないとダメだと言う人が居ますが、果たしてそれで問題の解決になるのでしょうか?
- ドイツHornbach(ホルンバッハ)の炎上CM
- 現地の女性が受けた実害
- CMを利用して侮蔑する輩たち
- 「人種差別」なのか?
- 「人種差別・ヘイト」のインフレ
- その他のHornbachと他企業のCM
- チェンジオルグのキャンペーンのゴールは人種差別認定を前提にしている
- 侮蔑や揶揄等の不適切な表現を飛び越え差別問題にする弊害
- 別の視点からの分析
- まとめ:差別と不適切表現の境界線を破壊するのか
ドイツHornbach(ホルンバッハ)の炎上CM
調べれば出てきますし、TVでも取り上げられたのでもう見た人も多いでしょう。
あれは酷いCMですね。
ええ、気持ち悪いですね。
そこはほとんどの人が共通して持っている感覚なんじゃないでしょうか?
現地の女性が受けた実害
(;゚Д゚)やられた!
— おらんにぇ🍊 (@geenzoetekauw) April 3, 2019
雨上がりにスーパーへ行ったら入り口前で煙草吸ってた建築現場作業員風のおっちゃん3名、「いい天気だね」と英語で話し掛けてきたのでIndeedと英語で返したら、他の一人が「春はこのように匂う」と例のCMの蘭語コピーをニヤニヤしながら言ってきた!CM知らずに聞けば普通の言葉→ https://t.co/jJn3SdpEj2
あのコピーはこんな風に「普通」を装いながら「分かる人は分かってるwww」系のからかい言葉として使えるんだ!「パンツの臭い嗅げ」じゃなくて「春はこう匂う(アヘアへwww)」と言われたら抗議も出来ない!!で、男同士でゲラゲラ笑う。んにゃろー!!!!
— おらんにぇ🍊 (@geenzoetekauw) April 3, 2019
「俺の下着の臭い嗅ぐか?」じゃなくて「春はこのように匂う」と言われたら、暴言だと言えなくて抗議できない。あのCMがそこまで考えて私達の抗議をあらかじめ封じていたのだとしたら、あまりにも恐ろしいじゃないか。 https://t.co/hl6U6Y4xza
— おらんにぇ🍊 (@geenzoetekauw) April 3, 2019
このように、あのCMによって「実害」が発生してるのが事実です。
したがって、抗議の声を挙げることそのものは、正当性のある行為です。
さて、このCMは、見た者に対して「CMで表されたような事柄が事実である」と思わせるものでしょうか?CMを見た者が、「〇〇人はドイツ人のおっさんの下着の匂いを嗅いで興奮する」と本気で信じるでしょうか?
CMを利用して侮蔑する輩たち
輩たちはCMを「フィクションと知りつつ利用してる」のが実態ではないでしょうか。
ホルンバッハのCMを免罪符として(CMの冗談だよという言い訳・逃げ道を用意しながら)アジア人女性へのからかいをするという構図があったんでしょう。
それは中には差別心から来るものもあるだろうし、そういうのは抜きに、ある種の人間の本性(悪ふざけ・ウザ絡みをしたい)から来てる場合もあるでしょう。
その切り分けは非常に難しい。
ただ、いずれにしても、ホルンバッハのCMによって実害が発生している。
この厳然たる事実があるということを、ホルンバッハは認識するべきでしょう。
しかし、そのような事態が生じることは、CMそのものの評価とは別個の事柄です。
推理小説を見た者が描写されてる犯行手口を真似てもその小説は犯罪ではありません。
批判者の多くはCMは差別を「意図」してるという事よりは、(その可能性は排除してないが)、内容が結果的に差別的になっていることを指摘しているようですが、あくまでもCMの中身の問題としています。
だから、ホルンバッハやCM評価団体、ドイツ国内のアンケートにおいて「当該CMは人種差別ではない」という見解が採られることとは、本質的に噛み合っていません。
「人種差別」なのか?
それでも、このCMは「人種差別」なのだろうか?
人種差別とはどういう意味なのだろうか?
Q1 この条約の対象となる人種差別とは何ですか。
A1 この条約の対象とする人種差別については、この条約の第1条1において、「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するもの」と定義されています。
ドイツ法のことはわからないのですが、少なくとも国連の人種差別撤廃条約における人種差別とは上記の意味です。
「権利や自由」を「認識・享有・行使」することを「妨げ・害する」「目的・効果」
あのCMは、そういう目的・効果があるのでしょうか?
批判者は、なんとなく「人種差別だと思った」と言ってないでしょうか?
そこに今回の署名運動の問題点があります。
「人種差別・ヘイト」のインフレ
ホルンバッハの件で、抗議をしている韓国の人にヘイトをぶつけているご本人(@Nathankirinoha )からまさかのリプライがきました。 pic.twitter.com/jbIj1GNlfl
— けいた (@0721_gg) April 4, 2019
上のツイートで「ヘイト」と言われてるのがこちらの記事です。
ドイツHornbach(ホルンバッハ)のCMがアジア人女性への差別だと韓国人が署名運動のセンスの無さ
「ヘイト」とはどういう意味でしょうか?
— Nathan(ねーさん) (@Nathankirinoha) April 4, 2019
まさか批判したら全部ヘイトと言うんですか? https://t.co/gXP7hVkPvR
彼からは何も具体的な指摘がありませんでした。
怖くないですか?
ある日突然、単なる批評が「お前の言動はヘイトだ」と認定されるんですよ。
歴史修正主義はヘイトスピーチだ。
— 以下略ちゃん™ (@ikaryakuchan) March 16, 2019
徴用工の強制連行を否定するのは歴史修正主義だ。
などと、ヘイトの定義を拡大している人たちがいるのに、厳罰などとんでもない。 https://t.co/8qTrxnf7Yg
既に、日本国内では『ヘイトのインフレ』が進行しているのです。
私がこの問題でホルンバッハの肩を持つかのような記事を書いたのは、そうした点を踏まえず「差別問題」として騒いでると、それは(民間からの)「表現規制」という形で私たちに襲い掛かってくる危険性があり、その方がより重大な脅威だと感じたからです。
その他のHornbachと他企業のCM
これらは「ドイツ人のおっさん」に対する差別・ヘイトではないのだろうか?
これは白人男性を差別してるんじゃないでしょうか?
「いや、これはにおい鑑定人という権威ある立場において職務を遂行してるだけだから差別じゃない」
『でも、現実に女性の脇を直接嗅ぐ職務なんて無いでしょ。ありえない!これは手の込んだ差別的表現だ!』
…否、もちろんそんなことはありません。そうでしょう?
チェンジオルグのキャンペーンのゴールは人種差別認定を前提にしている
このキャンペーンは、ゴールが「ホルンバッハがセクシストでありレイシストであるということを認めること」を前提にしています。
人種差別の定義も示さず、「とにかくアジア人女性をバカにしてるから差別だヘイトだ」と喚き散らしている主張に対して、「ハイ、そうです」と言いますかね?
"Racist"であるという認定を受けた場合の社会的な非難を知らないハズが無いでしょう。そのような烙印を安易に他者に押すような行為は、厳に慎むべきでしょう。
人種差別だという指摘を発端にすること自体は否定しませんが、ゴールをそこに設定することに何の意味があるのでしょうか?一企業を攻撃することに終始してしまっていないでしょうか?
「人種差別ではないにしろ、当該CMはアジア人女性に対する嫌がらせを惹起するものなので甚だ不適切だ、対応して欲しい」というような主張にしなければ、ホルンバッハの態度は変わらないでしょう。
舐められる?確かに穏当な方法であり、相手に恐怖を抱かせることは無いでしょう。
でも、テロや嫌がらせ、強引な人種差別認定によって相手を黙らせたところで、表面的には何もなくなったとしても、その内部では鬱屈した感情が渦巻くことになるでしょうね。
それは本来の形ではないでしょう。
侮蔑や揶揄等の不適切な表現を飛び越え差別問題にする弊害
Dolce&Gabbana apologizes. pic.twitter.com/eVLoHylnq6
— Dolce & Gabbana (@dolcegabbana) November 23, 2018
有名なドルチェ&ガッバーナのCM炎上・謝罪事件ですが、これはCMの内容に加えて「中国は無知で汚濁した臭いマフィアだ」「これからすべての国際的インタビューで中国はクソの国だと説明していくさ」とステファノ・ガッバーナがSNSで返信していたことが問題視されていました。
これも人種差別だと言われていましたが、最終的に人種差別だという認定がどこかでされたということは聞きません。
少なくともCMは箸を使う文化圏を揶揄した、或いは侮辱したような内容であるとは言えるでしょう。ただ、それは人種差別なんでしょうか?
揶揄や侮辱は、人種差別を構成する要素ではありますが、それが直ちに人種差別に当たると解するのは非常に危険です。外国人に対して批評をしたらそのことを取り上げて「差別だ」と言われかねません。
まさに既述の通り、私がSNSで「実害を被った」ようなことが起きるわけです。
この件が「人種差別だと言われているが故」に関わろうとしない者が、それなりに存在しているのです。
別の視点からの分析
ホルンバッハのCMの件、日本人やアジア人の差別だけではなく――厳密には差別ではなく旧敵国同士であることに訴える歪んだ友好心だが、――ドイツの農村の差別という根深いものが横たわっていている。今時そんなものが分かり易く発露するとは逆に意外。広告主は差別する側の都市商人。#ホルンバッハ
— 宮瀬 渓香/Miyagase Keiqua, Keitan☘️ (@keiqua) April 4, 2019
それとまあ、ドイツ人はユーモアの感覚がないのにブラックユーモア的CMを作って受けを狙おうという自民族の分を弁えない痛さが印象的かなと。
— 宮瀬 渓香/Miyagase Keiqua, Keitan☘️ (@keiqua) April 3, 2019
旧敵国同士というレッテルを貼られる側同士でおしつける陰険さも。
女性の差別もあるのかもしれないけど余程に大きいのはそういうことだろう。#ホルンバッハ https://t.co/0Y9afyxF2i
今回のホルンバッハCMを「表現の自由」の観点から擁護することはできるとしても
— 上山和樹 (@ueyamakzk) April 3, 2019
日本女性を強烈にグロテスクに描いたことについて、「やめてほしい」と表明する自由もあるはず。(表現の自由は「批判されない」ことではない)
そこで「差別だから」という論点を持ち出すかどうかは、私は保留したい。
— 上山和樹 (@ueyamakzk) April 3, 2019
グロテスクに固定された民族イメージをあらゆる場面で濫用すれば、これは差別的になる。しかし「○○人ってこういうふうだよね」という集合的傾向性を話題にするとき、私たちは多かれ少なかれそうした表象操作を行なっている。
まじでなんでどいつもこいつも「日本人男性」を主語にするのよ。通常より意識も高くたぶん頭もいい人たちが、なんでそこだけは属性ヘイトガバガバになるのよ。 https://t.co/IuTrkj8Rvv
— 安田鋲太郎【公式】『百万回イキったねこ』絶賛刊行してません! (@visco110) April 3, 2019
#Hornbach #ホルンバッハ #ich_wurde_geHORNBACHt 何故私がHornbachのCMに対して怒る気になれないかについて。 https://t.co/KgUmUt27wO ブログを更新しました。
— Charon (@Charon0707) April 3, 2019
ここに挙げた方々は、みな「ホルンバッハのCMは酷いし、抗議されても仕方がない」という認識です。
ただ、安易な「人種差別・ヘイト」認定は避けています。
このような深謀遠慮すら、否定されてしまうのでしょうか?
ホルンバッハCM事件①
— マライ・メントライン@職業はドイツ人 (@marei_de_pon) April 4, 2019
ドイツでは差別的行動が禁じられているが、それはあくまで「差別を意図した」行動のことで、「差別に見えるかもしれない」行動については実は意外なほど逃げがきく。例えば「実はこれはアートなのです!」的な主張が伴う場合で、今回の事件は、おそらくこれに該当する。 pic.twitter.com/3eM3non77j
なお、上記の方は今回の事案は人種差別だとお考えのようです。その分析は一見に値すると思います。
まとめ:差別と不適切表現の境界線を破壊するのか
∴、ホルンバッハに抗議して批判するなら、一企業の不祥事ということに留まらず、幾らかはドイツの文化そのものを否定することが必要。私はそもそもそう思うし、「日本は貴方達ドイツとの下らないつき合いを勧められるいわれはない。貴方達とは違うんです。」という構えを要す。#ホルンバッハ
— 宮瀬 渓香/Miyagase Keiqua, Keitan☘️ (@keiqua) April 4, 2019
理想は、ホルンバッハのようなCMがあっても、それを利用してアジア人女性に対して不快な扱いをする者も現れず「アナーキーな企業がまぁたおバカなCM作ったよね」と言ってみんなで笑い飛ばせるような社会であることだと思います。
しかし、ドイツはそうではなく、冗談を悪用した差別・差別まがいの行為が実際に発生するような、どうしようもない社会である、という現実があります。
本件はCMの中身の問題もありますが、いろんな方の見解を見てみると、ドイツ社会におけるある特性がそうさせている面もあるという指摘も見つかります。
何でもかんでも「人種差別」の問題として扱うことは、そういった点を見落とすことにもつながりかねず、本当の解決からは遠ざかってしまうおそれがあると思います。
この問題は、更にいろんな捻じれが表出しています。後日触れるかもしれません。
以上