事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

ハフポスト治部れんげインタビュー記事の内容が一部変わっていた:「作品で描かれているのは数々の痴漢行為」 ⇒ 「作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待」

サイレント修正されていました。

ハフポスト治部れんげインタビュー記事の内容が一部変わっていた

ハフポスト治部れんげ記事変更

ハフポスト治部れんげインタビュー記事の内容、実は初期に変更されていました。

  1. 「作品で描かれているのは数々の痴漢行為」
  2. 当該部分削除
  3. 「作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待」が追加

という経過を辿っています。

他にも変更された箇所があるのか調べましたが、ありませんでした。

なお、当該記事がUPされた時間と変更された時間はページソースから以下と判明します(日本時間は+9時間)。それぞれのverの魚拓リンクを貼っておきます。

article:published_time" content="2022-04-08T09:04:50Z"

article:modified_time" content="2022-04-08T09:47:23Z"

article:modified_time" content="2022-04-08T11:21:59Z"

「作品で描かれているのは数々の痴漢行為」⇒「作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待」の意味

「作品で描かれているのは数々の痴漢行為」から「作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待」への変更によって、どのように文章の意味が変わり、また、その狙いはどこにあったのかの考察をしていきます。

追記:インタビュー部分なので単に発言内容を正しいものにした、というだけなのかも知れないが、この部分だけ変更されてること等から、以下ではそうではない場合を想定しています。

追記終わり

「痴漢行為」から「性的な虐待」への変更

「痴漢行為」から「性的な虐待」への変更ですが

  • より刺激的なワードになった
  • 実質的にも、より重大な行為を想起させる意味内容の言葉の記述に
  • 元の記述では当該部分は「痴漢行為を悪質なものとして描写していると読める余地がある」ものから、その可能性が一切ない記述になった

こうした意味があると言えます。

もっとも、「性的な虐待」というワードは、その後の記事中には現れません。

むしろ、文末に一般社団法人痴漢抑止活動センターの痴漢への注意喚起をしているツイートを引用しており、「電車等の交通機関内での痴漢」と広告を結び付けようとしています。

そのため、文全体との整合性の無い変更になっていますが、それはインタビュー記事の発言部分だったということが関係しているのでしょう。

「女子高生への」という限定をかけたことの意味

「女子高生への」という限定がなぜかかかるようになりました。

治部れんげ氏の主張内容からは、本来は作品中の全ての巨乳の人物への行為が対象になるハズが、そうではなく限定をかけるように。

月曜日のたわわは、何も広告で取り上げられた「アイちゃん」だけでなく会社員の後輩女性など巨乳の登場人物は複数存在しているのに。

しかも「作品は」と言っているので、『広告で描かれた登場人物のみを取り上げた』という意味ではないということに。

なので、「実態をより正確に」という目的で変更が為されたわけではないということになります。

すると、その意図は別の所に、つまりは読者への働きかけに主眼を置いた変更だったということが言えるでしょう。

この場合、「女子高生」という未成年を思わせる属性を付けることで「被害の悲劇性」や「行為の悪質性」の印象を増幅させようとしたと推測されます。
(「こんないたいけな子に対して!けしからん!」みたいな感じ)

この手の表現への難癖をつける者の常套手段として被害者しぐさをする、という傾向を加味して考えると、そういう理解がしやすいでしょう。

「作品で描かれている」から「作品で起きている」に変更

さらに、「作品で描かれている」から「作品で起きている」に変更されていることは、彼女の主張内容(=作品の主な内容と広告の趣旨を混同している)からして、自然なことだとは思います。

「描かれている」という空想作品での描写のニュアンスよりも、「起きている」と、現実に紐づけた表現で、読者にそれが現実世界への悪影響を与えるものである、という印象を持たせようとしているのが伺えます。

記事の記述が変更されたこと自体・変更した旨の記載がないことは悪い事なのだろうか?

変更されたこと自体の評価についてですが

  • 記事UPしてから数時間程度の間のもの
  • 当該部分の文章の意味内容が変わるが、全体に影響を与えるものではない
  • 「事実関係」の記述ではなく、「認識」についであり、認識の細部の内容に関するもので、「表現」の変更とも受け取れるもの

ということで、そこまで重大な変更ではないと思います。

ただし、「インタビュー記事の聴取内容の部分が変わった」という点をどう考えるか。

こういう場合、どう考えるべきなんですかね。
最初のが間違っていたとしてもそこまで重大な間違いではないと思いますし。

治部氏からの指摘があったのかもしれません。客観的には軽微な違いとは思いますが、治部氏としては重要だったんだろうなぁ、という気はしています。

これが「良くないこと」であると確定的に言えるとすれば、実際にはインタビューした日にそう発言してないのに、「こう表現すればインパクトが上がるから」として変えた場合だとは言えるでしょう。

  1. 「作品で描かれているのは数々の痴漢行為」
  2. 当該部分削除
  3. 「作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待」が追加

そう考えると、この変更経緯でいったん削除が入っていることは、何やら不穏な背景があることが払拭しきれないなと思ってしまいます。

以上:はてなブックマーク・ブログ・note等でご紹介頂けると嬉しいです。