この証言内の事実を認めるなら、朝鮮人犯罪の証言も認めざるを得ないはず
- 「関東大震災時、正力松太郎が朝鮮人暴動を記者に触れ回れと言った」
- 朝日新聞営業局長の石井光次郎「帰ってきた者の報告では」
- 二重伝聞・回想八十八年での53年前の回想・他者が言及せず
- 安田浩一「すっぱ抜きのかたちで」加藤直樹「九月、路上の上で」で発言改変
「関東大震災時、正力松太郎が朝鮮人暴動を記者に触れ回れと言った」
速報◆1日夕方、警視庁官房主事・正力松太郎(38)が、新聞記者を集める。「朝鮮人が地震に乗じて暴動を起こす計画をしていた」と触れ回るよう、伝える。朝日新聞の下村宏(48)は、地震を予知して事前に計画できるわけがないと一蹴する。 =百年前新聞社 (1923/09/01)#それぞれの大震災
— 百年前新聞 (@100nen_) 2023年9月1日
※当初稿では別の投稿を対象にしていました:X(Twitter)で上掲1日の投稿に言及していた記録
2023年9月にこのような投稿がありました。このアカウントは個人で運営されているようで、発信内容は新聞記事に現れていないものも含みます。
正力松太郎とは関東大震災時に内務省の官房主事であり、その後、読売新聞の社主となった人物です。
「正力が不逞鮮人の暴動について各新聞に情報を流した」という話のソースは新聞報道ではなく、石井光次郎(警視庁⇒台湾総督府⇒朝日新聞専務取締役⇒日本自由党から出馬して衆議院議員⇒自民党員)という一人の人間の主張です。
朝日新聞営業局長の石井光次郎「帰ってきた者の報告では」
1923年当時、朝日新聞の経理部長で営業局長代理だった石井光次郎が1976年に出版した「回想八十八年」に、上掲の言説が掲載されています。
これは震災当日の一日の夜の出来事として記述されているようです。
290頁~291頁
記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎君が官房主事だった。
「正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけ、もらって来い。帝国ホテルからも、食い物と飲み物を、できるだけもらって来い」といいつけた。
それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。ところが、帰ってきた者の報告では、正力君から、「朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回る時に、あっちこっちで触れてくれ」と頼まれたということであった。そこにちょうど下村さんが居合わせた。「その話はどこから出たんだ」「警視庁の正力さんがいったのです」「それはおかしい」
参考:回想八十八年 - 石井光次郎 - Google ブックス
補足:「下村さん」は下村宏(号:海南)のことで、石井は台湾総督府時代に彼の秘書だった。朝日新聞に石井を引き入れたのも彼、という関係。また、石井はこの本の中で「尾崎秀実の世話をした」と書いているが、ゾルゲ事件で死刑になった、とサラッと触れてるだけ。
二重伝聞・回想八十八年での53年前の回想・他者が言及せず
- 読売新聞とライバルの朝日新聞という利害対立ある者
- 正力⇒部下⇒石井、という二重伝聞
- 聞いてきた者(朝日新聞社の部下)の名前も不明
- 一般に記憶力も落ちる88歳の高齢で53年も前の話
- 同内容の文書の記録が無い
- 当の朝日新聞がこの事を記事に書いていない
- 他の政府追及者も書いてない
- 最初に朝鮮人暴動の新聞記事が出たのは東京日日新聞9月3日の本紙や号外など
- 1日の話であれば2日中に報じる記事があるはずが無いのでおかしい
- 特に東京日日新聞はずっと発行、配布していたので「震災の影響で印刷・配布が止まっていたから3日になった」という推論も成り立たない
石井氏の発言の信憑性について考えると、不審な点がこれだけあります。
それに「気をつけろということを、君たち記者が回る時に、あっちこっちで触れてくれ」という発言は、記事のネタを提供するのではなく、内々で共有しておけという趣旨に聞こえます。
さらに、石井は「だから、他の新聞社の連中は触れて回ったが、朝日新聞の連中は、それをしなかった」と述懐しています。
ところが、例えば情報解禁後の10月21日の東京朝日新聞は「本所を襲った 朝鮮人の一団 涼奪を恣にし 毒薬を懐中して横行」と書いています。
この時期は、司法省の「刑事事犯調査書」にある朝鮮人犯罪の内容をそのまま掲載する新聞紙が大量に出た時期です。が、それは個人の犯罪の嫌疑についてのものであり(それでも信憑性に疑義が呈されている)、大規模な集団での騒擾行為や計画的犯行の事実は認められないとしていました。
にもかかわらず、東京朝日新聞が上掲のような記事を書いていたということは、政府の方針からも逸脱しているということです。
さらに言えば、当時営業局長(震災直撃時は代理だった模様)だった石井の回想とは明らかに齟齬が生じているということになります。
そして、この話は現代では更なる情報歪曲が発生していました。
安田浩一「すっぱ抜きのかたちで」加藤直樹「九月、路上の上で」で発言改変
フォーラム現代社会学 14 (2015 )に掲載された講演録と思われる安田浩一氏(フリージャーナリスト・父親が毎日新聞記者)の発言で、妙なものが見つかります。
正力さんは 、どうやら朝鮮人が暴れているらしいってことを、いわばオフレコでリークするわけです。そして、朝日の石井光次郎さんは、それをスッパ抜きのかたちで紙面に載せる。さらに他の全国紙、地方紙、ブロック紙がそれを後追いする。そうしたかたちで、根も葉もないデマが新聞記事というかたちでもって流布されていく。正力さんのリークで、「朝鮮人の暴動」といったガセネタが広まってしまったわけです。社会全体が煽られ 、その結果として、朝鮮人虐殺というものが関東各地で行われていく。そうしたことがありました。その経緯をまとめた本が最近出版されました。『9月東京の路上で』という本なのですけれども、関東大震災当時の朝鮮人虐殺の現場 、それから当時の文献などを丁寧に洗い出して、まとめたものなんです。
石井氏の回想では「だから、他の新聞社の連中は触れて回ったが、朝日新聞の連中は、それをしなかった」というものだったのが、安田氏は「スッパ抜きのかたちで紙面に載せ」としており、矛盾しています。
9月3日の内務省警保局から各地方長官(今で言う都道府県知事)への電報に朝鮮人暴動の存在を前提とするものがあり、それを新聞社が傍受=盗聴したために認知し、その言説が広まった、ということはあります。
が、正力氏の9月1日~2日の発言がすっぱ抜かれた=内部情報を暴露する形式の記事の存在はありません。
朝鮮人暴動に関する流言は2日には広範囲に広まっており、9月3日に東京日日新聞(現:毎日新聞)が大々的に報じています。
安田氏が紹介している【九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響】は、1967年生まれの加藤直樹氏の2014年の著作ですが、ここにも「正力氏が触れ回ってくれと言っていた」旨の言葉がありますが、参考文献に石井氏の回想録が無く、挙げられた参考文献にはその発言はありません。
当然、そういう性質なので石井氏の発言の裏付けをするような追加調査などは本書では見られません。
しかも、「朝鮮人が謀反を起こしているといううわさがあるから触れ回ってくれ」という表現に改変されています。
これらの情報は、いったい、どういうことなのでしょうか?
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