事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

横大道教授「表現の自由の侵害は無い」:NHK「トリエンナーレ政治家発言 憲法学者はこう考えた」の記事について

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NHKが表現の自由に詳しい慶應義塾大学法科大学院の横大道聡教授に対して、あいちトリエンナーレにおける政治家の発言が表現の自由との関係でどう評価されるのかをインタビューした記事を載せ、憲法上の表現の自由の侵害があったとみることは困難と指摘していました。

しかし、横大道教授の発言とされる内容が分かりにくいと思ったので補足説明というか、私の解釈を混ぜて説明していきます。

NHKトリエンナーレ 政治家発言 憲法学者はこう考えた

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まず、横大道さんは、河村市長の発言に対し、「『お金を出したんだから自治体が賛否を表明するのは自由だ』ということにはつながらないと思います」とやんわり否定しました。以下がその理由です。

「今回は立てつけ上、自治体とは別の『実行委員会』という芸術のプロたちが企画を立てたので、あの場で、政治的な展示がなされたとしても、その表現を愛知県を受け入れたとか、それに賛成しているということにはならないはずです」

名古屋市長の河村氏が「税金を使ってやるべきものではない」と述べたことに対しては、この通りだと思います。

単に公金を支出しているだけであれば、その受領者が行為をした内容が政府の主張である・或いは政府が是認しているとすることはできないでしょう。

北朝鮮の指導者を礼賛している朝鮮学校にも補助金は交付されていますし、日本政府の政策に否定的な研究をしている大学教授にも研究費が交付されていますが、政府が国家として彼らの主張を是認していることにはなっていません。

「公金支出の話」であるのは、審査過程に問題は無かったのか?現状の交付要件や審査基準が妥当なのか?という点について検証をする必要があるからに過ぎません。

また、政府が選択的に表現に助成することになると、「言論の自由市場」に政府が介入してそれを歪めてしまうことが懸念されています。助成を受けられない表現はどんどん不利になっていくでしょう。このような状況は選択的に言論を禁止することとは程度の違いがあるだけではないか?という問題意識が憲法学界にはあるようで、それ自体はもっともだと思われます。

参考:「公的言論女性に対する憲法的統制のあり方についての一考察 横大道 聡」

横大道教授は「展示主体」は誰だと考えているのか?

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「行政からお金をもらわなくても表現はできるし、場所も別の施設を借りれば表現できるので、憲法上の権利が侵害されたということは難しいです。

この説明だと、展示・展示撤回をした行為の「主体」に着目しているのではなく、行為の「内容・効果」に着目して権利侵害は無い(許容され得ない侵害は無い)と言っているようです。

横大道教授は「今回は立てつけ上、自治体とは別の『実行委員会』という芸術のプロたちが企画を立てた」とも言っていることをあわせて考えると、展示・展示撤回をした主体は公的機関ではなく「民間」であり、私人間効力の話として捉えているように感じます。

実行委員会であるからという形式面で全部を語ることが妥当なのかとは思いますが、考え方としては有り得る話です。

しかし、憲法学上の学説では私人間でも憲法上の規律が及ぶとする直接適用説がありますが、判例実務上は憲法レベルではなく民事法の規律に従って解決する話である(間接適用説or無適用説)とされていますから、その視点で見ると横大道教授の言っていることに一貫性を感じることができなくなってしまうなぁと感じます。

憲法学者は判例実務通りに思考するとは限らず、彼の拠って立つ学説の立場を知っているわけでもないので、ここは結論部分=憲法上の権利が侵害されたということは難しいと言っている、という動かない事実が重要なんだろうと思います。

結局、NHKのこの記事では横大道教授がどのような意味で言っていたかは定かではありませんが、トリエンナーレの事案は「政府言論」、つまり、作品展示の主体は公的機関たるトリエンナーレ実行委員会であるというのが私の見立てであり、大阪府の吉村知事、自民党の三谷英弘議員(弁護士)、北村晴男弁護士らも同様の見解です。

「表現の自由」は侵害されていない、侵害したとすれば大村知事側

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「河村市長の発言によって具体的に誰かの表現の自由が侵害されたかというと、誰も侵害されていません。実際には芸術祭の実行委員会の会長を務める大村知事が展示の中止を決定しています。つまり、表現の自由を制約したのは知事側だという構図は見失ってはいけないと思います。苦情がきたら作家を守る立場にあったのにそれができなかったと言わざるをえません」

「表現の自由」を侵害したのは大村知事側であると、強調されて指摘しています。

この部分は「表現の自由は侵害されていない」と書かれた直後に「表現の自由を制約したのは知事」と書いていて分かりにくいですが、ここはNHKの書き手の限界なのかなと思います。

本当に横大道教授が上記のような発言をしていたと考えると2つの方向があり得ます。

一つは、前者の「表現の自由」は憲法21条にいうところの法規範たる表現の自由であり、後者はそのような意味を持たない日常用語としての「表現の自由」という意味で使っているということ。

もう一つは、前者も後者も憲法上の「表現の自由」の意味であるが、後者は仮に今回の事案が表現の自由の侵害の問題であると考えている者たちが誰かを非難しようとした場合に、侵害したのは河村市長ではなく大村知事であるということを説明するために便宜的に「表現の自由」という単語を用いた、ということ。

このように解すれば横大道教授は何ら変なことを言っていないし、NHKの記事も間違ったことを書いていないことになります。

イギリスのアーツカウンシル=芸術評議会

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「行政はお金を出すだけで内容は芸術のプロに任せるという姿勢が求められると思います。行政から独立して芸術団体の助成先を決めさせるイギリスの『アーツカウンシル』という仕組みが参考になります。今後、こうした取り組みを広げていくことが必要ではないでしょうか」

イギリスのアーツカウンシルという仕組みですが、これに相当する枠組みは既に日本でも実施されています。

アーツカウンシルの内容は、それぞれ国の特性や文化政策の方針に沿った事業,運営が行われており,一概に定義するのは困難ですが,「芸術文化に対する助成を基軸に,政府と一定の距離を保ちながら,文化政策の執行を担う専門機関」であるとされます。

文化庁 | 文化庁月報 | 特集 「文化芸術への助成に係る新たな審査・評価の仕組みの導入」

日本で諸外国のアーツカウンシルに相当する仕組みが求められるようになった背景のひとつに,現在の日本の芸術助成制度では審査や事後評価が必ずしも十全に行われていない,という点があります。芸術文化振興基金別ウィンドウが開きますや文化庁の助成の審査は,外部の専門家による審査委員会によって行われていますが,この委員会は約1年で解散します。
 助成を受けた事業の終了後,芸術団体からは報告書が提出されるものの,そこでは,事業が適切に実施されたかどうかの確認に重点が置かれ,助成の結果どのような成果が生み出されたのかを評価する仕組みは十分とは言えません。この点,英国のアーツカウンシルでは,地域事務所に配属されたRelationship Managerという担当者が,助成団体の活動をモニターし,緊密な連携のもとで,その団体の問題点や課題,次の戦略や事業計画等を協働で検討するような体制が整えられています。

現状では文化庁の助成の審査は1年で解散する委員会方式で行われているが、それだと単発での評価になってしまい、継続して開催されている事業の内容の審査や成果を十分に評価できないという課題があると言えるでしょう。

文化庁の説明よりも具体的でコンパクトにまとまっているものとして助成団体にとどまらないアーツカウンシル ~諸外国の文化政策・推進の<型>から|山口 洋典|ネットTAM

より詳しい説明は諸外国の文化政策に関する調査研究 報告書 平成25年3月などが参考になるでしょう。

まとめ:「行政は口を出さずに芸術のプロに任せる」の是非

再掲

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行政はお金を出すだけで内容は芸術のプロに任せるという姿勢が求められると思います

横大道教授は、本件が直接的に憲法上の表現の自由の問題ではないとしても、この姿勢が求められると考えているのでしょう。

私は、これは民間事業にお金を出す場合には賛成です。政府事業の場合にも基本的にはそうあるべきでしょう。

しかし、政府機関が事業主体である場合に内容についてまったく関与できないとすれば、今回のように自己矛盾行為を強制される(捏造慰安婦像の設置や昭和天皇の御尊影を焼却する行為は一般的な公的機関の意思に反している)ことが避けられなくなるので、その場合には完全には妥当しないと考えるべきだと思います。

以上