事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。リンク切れに備えて魚拓を活用しています。

大村知事から河村市長の公開質問状への回答がやっぱりダブルスタンダードだった

愛知県の大村知事が、トリエンナーレ表現の不自由展に関する河村名古屋市長の公開質問状に対する回答書をUPしました。

実に1か月半も経過してのことでした。

その内容は基本的にダブルスタンダードで、以下で指摘したことが丸ごと当てはまるのですが、ここでも改めて指摘します。

大村知事から河村市長の公開質問状への回答

あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について - 愛知県

公開質問状(9月20日付け河村市長から知事あて)への回答】という令和元(2019)年 11 月5日 付の文書です。

河村市長『大村知事は「検閲」概念を誤解』

公開質問状(9月20日付け河村市長から知事あて

ここでは質問の4と5を取り上げます。

  • 質問4は「大村知事は検閲概念を誤解しているのでは」
  • 質問5は『「表現の規制」と「表現への援助」の場面を混同しているのでは』

というものです。

「大村意見」という部分がありますが、これは9月10日に表現の不自由展の事案について大村知事が認識を表明した駄文のことです。

「大村意見」では検閲該当性判断をスルー

1 あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について(9月10日付け)(大村意見)

検閲にさえ当たらなければ問題ないかの如き理解があるとすれば、本末転倒といわざるを得ません。憲法 21 条 2 項にいう「検閲」の解釈については様々な解釈がありますが、公職にある者は、何故に表現の自由が保障されているのか、何故にわざわざ検閲が明示的に禁止されたのか、その歴史的意味を深くかみしめる義務があると考えます。今般、本件展示の内容が「日本国民の心を踏みにじるもの」といった理由で展示の撤去・中止を求める要求がありましたが、もし事前に展示内容を審査し、そのような理由で特定の展示物を認めないとする対応を採ったとすれば、その展示物を事前に葬ったとして世間から検閲とみられても仕方がなく、いずれにせよ憲法 21 条で保障された表現の自由の侵害となることはほぼ異論はないものと考えます

冒頭で「検閲にさえ当たらなければ問題ないというのはおかしい」と言っています。

ごちゃごちゃ言ってますが、この時点でも憲法上の検閲に当たるのか?という点をスルーしています。

大村「憲法21条の表現の自由の侵害」と誤った理解を明言

9月10日時点の大村意見では、「いずれにせよ憲法 21 条で保障された表現の自由の侵害となることはほぼ異論はないものと考えます」としていました。

検閲は憲法21条2項の話であり、それ以外の表現の自由の侵害は21条1項の話ですが、この時点では表現の自由の侵害があると疑っていないようです。

このように明言しているということは、後述することと関係するので覚えておいてください。

河村市長は、愛知県が自分たちで運営している事業なのに、「表現の自由の侵害」があると考えている時点でおかしい、ということを言っているわけですが、11月6日にUPされた回答書ではさらに支離滅裂でした。

「検閲」概念だけ拡大解釈するダブルスタンダード

公開質問状(9月20日付け河村市長から知事あて)への回答

「検閲」という概念を用いることが不相当とは一切考えておりません。

なお、曽我部教授は、ご指摘の 2019 年8月6日付け「弁護士ドットコムニュース」で、「河村市長(略)は中止させる権限を持っているわけではなく、実際にも中止の理由は、市民の抗議が度を越した状態になったということなので、決定的な理由となったわけではなく、憲法でいうところの『検閲』にはあたりません。ただし、不当な介入だという程度の意味で『検閲』だというのであれば差し支えはありません。実際、市長は実行委員会の主要メンバーでありますし、(略)その発言は大きな圧力となりえます。本来は大村秀章知事の言うように、展示内容に口を挟む立場にはないはずで、不当な発言でした。」と述べておられます。

弁護士ドットコムを持ち出しているのは河村市長の質問にも引用されていたからですが、この記事のデタラメぶりは既に以下で論じています。

憲法学者の曽我部真裕教授の記事がデタラメ:トリエンナーレ表現の不自由展に関する言論

「検閲」という言葉を「不当な介入」という程度の意味で言うなら差し支えない?

だったら昭和天皇の肖像を燃やす行為についても「日本国民へのヘイトスピーチだ」と言わなければおかしいですよね。

「ヘイトスピーチ」を「何らかの対象に対する侮蔑的表現」という程度の意味で言えば、差し支えないことになりますよね。

しかも、憲法21条2項の「検閲」は、判例でその定義が明確に示されています。

それに対して、「ヘイトスピーチ」は公的・法的な定義が示されたことがありません

いわゆる「ヘイト規制法」と言われる「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」でも「ヘイト」や「ヘイトスピーチ」を定義しているわけではありません。

直訳すれば「憎悪表現」であり、そもそも対象が非常に広い用語です。

「検閲」は拡大解釈をし、「ヘイトスピーチ」は拡大解釈を認めない、そんな態度はダブルスタンダードでしょう。

曽我部教授に否定されている「表現の自由の侵害」

公開質問状(9月20日付け河村市長から知事あて)への回答

憲法の観点からは、表現行為を行政が「援助」する場合といえども、表現の自由だけでなく、思想・良心の自由、法の下の平等といった基本的人権が守られなければならないことは当然のことです。

大村知事は河村市長の質問に答えていません。

河村市長の公開質問状では、本件では表現の自由の侵害という問題は生じないということを、一橋大学の憲法学者の阪口正二郎の論文を引用して指摘しているにもかかわらず、大村知事の回答書では表現の自由の侵害の存在についてスルーしています。

先述の9月10日付の「大村意見」では「いずれにせよ憲法 21 条で保障された表現の自由の侵害となることはほぼ異論はないものと考えます」とまで言い切っているのに、この回答書では明言していないのは、主張が一貫してないですね。

トリエンナーレは憲法上の表現の自由の侵害ではない

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 中間報告 - 愛知県

別冊資料2 憲法その他、法的問題について(増補版)(※10月15日掲載)

なお、トリエンナーレ検証委員の憲法学の曽我部教授は「中止に関する法的問題は基本的には憲法ではなく契約の問題」と言っています。

「憲法問題」である可能性もありますが、それは「憲法上の表現の自由の侵害」ではなく、日本の過去の事例で本件と一番近い船橋市立図書館事件では「公立図書館に購入された書籍の著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益」という「人格権」が認められたから言及しているに過ぎません。

まとめ:大村知事はダブルスタンダードで逃げてるだけ

  1. 大村知事は河村市長の質問に答えていない
  2. 特に、表現の自由の侵害の存在についてはスルーして逃げている
  3. 定義が固まっている「検閲」は超拡大解釈をし、そうではない「ヘイト」は拡大解釈を許さないのはダブルスタンダード

曽我部教授は個人的な思想はともかく、公的な仕事として事実関係を検証した結果はおおむね妥当であり、検証委員就任後は本件に関するメディアでの発言を控えていたと思います。そうやって公正性を担保しようとしていました。

対して大村知事は自分も検証されるべき対象なのに、検証委員会のオブザーバーとして出席したり、愛知県の顧問(つまり大村知事の部下)を副座長にするなど、公正性のかけらもない行動をしていました。

そういう人間がダブルスタンダードでお茶を濁して逃げを図ったのは予想通りです。

以上