2019年8月22日、朝日新聞web論座で徴用工への任意補償を求める論説が杉田聡教授(帯広畜産大学名誉教)によって寄稿されました。
弊ブログもその中で引用されているので、この論について触れたいと思います。
- お決まりの西松建設事件の最高裁判決の引用
- 事情が全く異なる事件と朝鮮人戦時労働者を同列に論じるな
- 「事実を整える jijitsu.net」が引用される
- 「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明」
- まとめ:杉田聡教授の徴用工への任意補償を求める論説はツッコみ所満載
お決まりの西松建設事件の最高裁判決の引用
元徴用工への補償は日韓請求権協定があっても可能 - 杉田聡|論座 - 朝日新聞社の言論サイトpage1:魚拓はこちら
問題は、徴用工労働によって利益を上げた企業のうちには補償を考慮している企業もあるというのに、日本政府がそれを抑えていることである。かつて、「債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられない」という判決を最高裁は下したのに(「河野外相こそ無礼。日韓関係を考える最低限の条件」)、驚くべきことに、日本政府は単に「解決済み」とくり返すばかりか、「賠償命令に応じないよう個別企業に圧力を行使した」というのである(しんぶん赤旗2019年7月24日付)。
『日本の最高裁はかつて日本企業に対して元徴用工らへの自発的な補償をするべきと判示したのだから、日本企業や日本政府は韓国の大法院判決を受けて、元徴用工らへの任意補償をするべきだ』
こういう事を言いたい人が多いのですが、これはもうフェイクに基づく論と言って良いです。詳しくは以下の記事でまとめていますが、次項で簡単に述べます。
事情が全く異なる事件と朝鮮人戦時労働者を同列に論じるな
最判平成19年4月27日 平成16年第1658号を確認していきます。
なお,前記2(3)のように,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいても,個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないところ,本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方,上告人は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け,更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると,上告人を含む関係者において,本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである。
「任意補償を最高裁が促している」というのは、この部分を指しています。
ただ、これは判決の「傍論」と呼ばれる部分であって、西松建設事案の個別事情に対応した記述ですから、それ以外の事案における規範性はありません。
上記表でまとめていますが、西松建設の事案と朝鮮人徴用工は以下の違いがあります。
- 中国人には賃金の支払いは無いが、朝鮮人には支払いがあった
- 朝鮮人は日本人として同じ待遇だったが、中国人は収容所での監視体制下にあった
- 日韓間では3億ドルが拠出され個人補償用途が含まれていたが、日中間ではそのような拠出なし
- 西松建設は中国人を使用したことで損害を受けたとして日本政府から補償金を受けていたという特殊事情があった
こういう事情の違いをまったく無視して、「西松建設事件の最高裁が任意補償を促したのだから韓国人の元徴用工へも任意補償をするべきだ」と言うのは、まったく異なる事案を意図的に同一視して一般人を誘導しているとしか思えません。
「事実を整える jijitsu.net」が引用される
元徴用工への補償は日韓請求権協定があっても可能 - 杉田聡|論座 - 朝日新聞社の言論サイトpage1:魚拓はこちら
「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明」において、ある弁護士グループが、日本政府に対して元徴用工の請求権を実質的に認めるよう主張しているが、首相寄りのある論者は、それに対して「〔企業による〕そのような任意履行がどれだけ日本人の名誉や日本国の地位を貶めることになるのか、分かっているのでしょうか?」と指摘する。だが逆に、非人道的な被害を与えた当事者が賠償責任をはたさないことこそ、むしろ「日本人の名誉や日本国の地位を貶めること」なのではないか。
「〔企業による〕そのような任意履行がどれだけ日本人の名誉や日本国の地位を貶めることになるのか、分かっているのでしょうか?」というのは以下の記事における一節です。「首相寄りのある論者」という評価ですが、この記事からは判断できないはずなので、たぶん他の記事も見てくださった上での評価なのでしょう。
もしかすると、日韓請求権協定の法的な理解について解説している者・或いは弁護士有志声明に対して正面から反論をしている者が(WEB上では)私以外に存在しないから、仕方なしに引用してるのかもしれません。
それはそれで杉田教授も気の毒だと思います。法律界隈の怠慢だと思います。
この話は国益に関わるものであるにもかかわらず誤解が広められているので、有料コンテンツ内で解説するのではなく、オープンにするべきでしょう。ただでさえ韓国側は一般人をターゲットにして騙そうとしているのですから。
日韓請求権協定にかかわる用語は一般の法律用語とはかなり異質な用語法であることも、法律界隈がノータッチである一因かもしれません。
さて、杉田教授が引用している弁護士有志声明に対しても私は既に問題点を指摘しています。
「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明」
詳細は上記記事で指摘していますが、「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明」の決定的なフェイクは声明文の【3 被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決である】の項目において、イタリアの最高裁破棄院の判断を持ち出して「国際人権法は個人救済を重視する方向である」と印象付けようとしていることです。
この件についてはドイツがICJ(国際司法裁判所)に提訴しています。その事案の判決文には、以下が書かれています。
104. In coming to this conclusion, the Court is not unaware that the immunity from jurisdiction of Germany in accordance with international law may preclude judicial redress for the Italian nationals concerned.
It considers however that the claims arising from the treatment of the Italian military internees referred to in paragraph 99, together with other claims of Italian nationals which have allegedly not been settled — and which formed the basis for the Italian proceedings — could be the subject of further negotiation involving the two States concerned, with a view to resolving the issue.104. この結論に至る過程において、裁判所は国際法によるドイツの裁判権からの免除が、関係するイタリア国民に対する法的補償を不可能にする可能性があることを認識しなかった訳ではない。
しかしながら、イタリアにおける司法手続の根拠となった、第99項で述べたイタリア軍人収容者とその他の未補償を訴えるイタリア国民の請求は、この問題の解決の見地から行われる今後の2国間交渉における問題となるであろう。
104項にて、ICJはイタリア国民に対する法的保障は不可能ではないかと考えていたとしています。ただし、それは2国間交渉で決めよ、ということだとしています。
108. It is, therefore, unnecessary for the Court to consider a number of questions which were discussed at some length by the Parties. In particular, the Court need not rule on whether, as Italy contends, international law confers upon the individual victim of a violation of the law of armed conflict a directly enforceable right to claim compensation. Nor need it rule on whether, as Germany maintains, Article 77, paragraph 4, of the Treaty of Peace or the provisions of the 1961 Agreements amounted to a binding waiver of the claims which are the subject of the Italian proceedings. That is not to say, of course, that these are unimportant questions, only that they are not ones which fall for decision within the limits of the present case. The question whether Germany still has a responsibility towards Italy, or individual Italians, in respect of war crimes and crimes against humanity committed by it during the Second World War does not affect Germany’s entitlement to immunity. Similarly, the Court’s ruling on the issue of immunity can have no effect on whatever responsibility Germany may have.
108. したがって、当事者間で非常に詳細に争われたいくつかの論点については裁判所は判断する必要がない。特に、「国際法は、武力紛争法違反の被害者である個人に直接補償を請求する権利を与えている」というイタリアの主張の当否について裁判所は判断する必要がない。また、平和条約第77条第4項及び1960年協定の条項は、イタリアにおける司法手続の対象になっている拘束力ある請求権放棄条項であるというドイツの主張の当否についても判断する必要がない。これは、もちろん、これらは重要な問題ではないという趣旨ではなく、本件の限りにおいて判断の範囲に含まれないというに過ぎない。ドイツは第二次大戦中の戦争犯罪と人道に反する罪についてイタリアやイタリア国民個人に対して今でも責任を負っているのかという問題はドイツの免除資格に影響を与えない。同じように、免除の問題に関する裁判所の判断はドイツが責任を負うか否かの問題について影響を与えない。
そして、ドイツ国家に対するイタリア国民個人による直接補償請求については、『判断していない』と明確に判示しています。
弁護士有志の声明文が「国際人権法」を根拠であるかのように主張しているケースは、むしろ国際人権法上は無理筋であると目されているケースだったということです(もちろん、判断はしていないから、無理であるというのが国際人権法として確定しているということでもないが)。
単にイタリア国内の裁判所が認定したものを「国際法人権法の趨勢」と評価しているという、トンデモ論です。
そもそも、この事案は「ドイツという国家」に対して「イタリア国民個人」が請求している事案です。日韓請求権協定の事案は、国家とは異なる日本企業(私人)に対して韓国民個人が請求している事案です。
弁護士有志の声明文は、比較できない事案を持ち出し、さらにその内容の理解を誤らせるように誘導していることが明らかです。
「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明」の呼びかけ人の一人である岩月浩二弁護士も誘導記事を書いていたので指摘しています。
まとめ:杉田聡教授の徴用工への任意補償を求める論説はツッコみ所満載
この話は「法的には無理筋なので任意補償をするべきだ、と一般企業の事情をよく知らない人に対して働き掛けている」という朝鮮半島側の戦略に過ぎません。
杉田教授の主張のベースは山本晴太や岩月浩二などの議論誘導をする弁護士らの論説なので、ツッコみ所満載になるのは不可避なんですよね。
ただ、その中でもWEB上の反対意見として弊ブログを引用したことは、読者に判断の余地を与えることになっているのでフェアーなものだと思いました。
以上