事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。リンク切れに備えて魚拓を活用しています。

靖国神社問題における有本橋下百田論争2:昭和天皇はなぜ靖国神社に参拝しなくなったのか

f:id:Nathannate:20190706175011j:plain


有本香、橋下徹、百田尚樹ら(+長島昭久)がTwitter上で繰り広げた靖国神社論争。

前エントリでは橋下はA級戦犯合祀を問題視するために、昭和天皇が靖国参拝をしなくなった理由=昭和天皇の意思を重視し、それを推し量るには富田メモに触れざるを得ない、対して有本・百田は英霊のために静かな祈りの環境を作ることが大切であり、昭和天皇が親拝されないのは国内での政治問題が原因だとしていることを指摘しました。

今回は昭和天皇が親拝しなくなった理由と富田メモに関する基本的視点を整理します。

昭和天皇の意思を重視する見解の危うさ

最初に、昭和天皇の意思を重視することそのものの危うさを指摘します。

昭和天皇の意思」を問題にすると、「天皇の意思を勝手に特定して自分の見解の補強に使っているだけだろう」と言われる危険性があります。

これに対して、時系列から昭和天皇が御親拝を停止したきっかけを探ることは、ダイレクトに「お気持」を特定することとは一線を画しているので、橋下氏もその限りでの言及にとどめ、富田メモの解釈内容に触れなかったのかもしれません。

「大御心」と天皇個人の意思の違い

ここで、「大御心」に誤解があると「昭和天皇の意思を無視することは何事か!」ということになってしまうと思います。

大御心とは天皇個人の意思ではなく、歴代天皇を含めた皇族らが歴史的に積み重ねてきた意思の総体と言えます。

天照大神が天野岩屋戸にお隠れになったとき、みんなで連携して騙してでも外に引っ張り出してきたという神話がある通り、特定の1人の意思を絶対視するのではなかったのが日本の統治の在り方でした。

17条の憲法には「夫れ事は独断すべからず。必ず衆と論うべし。」つまり、重要な事は合議で決めよとあったし、神話の高天原における意思決定も同様でした。

よって、昭和天皇個人の意思を絶対視することは必要ではありませんから、それと反した行為・結果になったとしても単にそれだけで責められるべきことではないのです。

詳しくは以下を参照。

昭和天皇はなぜ親拝をしなくなったのか

それでも、昭和天皇がなぜ靖国神社に親拝されなくなったのかを考えることは、その後の政策内容の決定や実行順序に影響を与えるので検討します。

大きく3つの説に分けられると思います。

A級戦犯の合祀が原因とする説

安倍総理の靖国参拝について考える 長島昭久

ちなみに、「昭和殉難者」合祀の事実が明らかとなった1979年以降(厳密には、75年の終戦30周年の御親拝を最後に)天皇陛下の靖国参拝は途絶えたまま今日に至っています。外国からの批判に反発する前に、私たちはこの厳然たる事実の背後に昭和天皇、そして今上天皇のお気持ちがいずこに在るのかを静かに推し量るべきではないでしょうか。

A級戦犯の合祀がすべての問題の引き金になった、という説。

A級戦犯の合祀は、1978年(昭和53年)10月17日に「昭和殉難者」(国家の犠牲者)として靖国神社に合祀されたことを指します。この事実が、1979年(昭和54年)4月19日朝日新聞によって報道されたことによって、国民の広く知るところとなりました。

長島氏は外国の意思は無視して天皇陛下の気持ちに焦点を当てていますが、橋下氏は外国勢力の思惑に対する考慮を加味した天皇の意思を問題にしています。

中韓が騒いで政治問題化したからとする説

事実、いわゆる「靖国問題」と言われているものは、朝日新聞が中曽根総理大臣の参拝を非難したことを受けてチャイナ共産党が文句をつけてきたことから始まっています。

ただ、それと昭和天皇の御親拝は無関係であると考えるのが筋です。

もっとも、次に示すように、百田氏は朝日新聞のせいで中韓が騒いだから政治問題化したのか、国内において政治問題化した、と捉えているのかは判然としません。百田氏は国内でのメディアの喧噪と朝日新聞の御注進報道、そして中韓の難癖は、一連のものとして捉えているのかもしれません。

国内の政治問題:三木首相の「私人か公人か」が発端であるとする説

私人か公人か」というのは、当時の総理大臣だった三木武夫が昭和50年8月15日に、総理としては初めて終戦の日に参拝した際に、朝日新聞記者が『「私人」としての参拝か、「公人」としての参拝か』と質問した際に「私人」と返答したことを指します。

天皇は公人であることは明らかなので、この発言によって天皇が親拝できなくなった、という説があるということです。

さて、国内の政治問題として捉えたとしても、さらに別の角度から靖国問題が発生したとする説があります。

内閣法制局説:憲法20条3項の政教分離規定の問題とされたことが原因とする説 

76回 参議院 内閣委員会 4号 昭和50年11月20日

○矢田部理君 私が伺っているのは、時間がないから端的に答えてください。
 天皇が公式行事として靖国神社を参拝すれば憲法二十条の第三項に抵触することになると考えているのか。イエスかノーかだけ答えてください。
○政府委員(吉國一郎君) 先ほど申し上げましたように、第二十条第三項に直ちに違反するというところまでは徹底して考えることはできないと思います。ただ、第二十条第三項の重大な問題になるという考え方でございます。

昭和50年11月20日は昭和天皇が靖国神社に親拝なさる前日でした。

国会において野党議員が天皇の靖国参拝は政教分離の観点から問題があるのではないか、という質疑をし、内閣法制局長官の吉國一郎が「第二十条第三項の重大な問題になる」と答えていました。

翌日の11月21日には昭和天皇は靖国に参拝されています

これはスケジュールが決まっていたので前日の答弁の影響が無かったと考えられますが、11月20日の内閣法制局長官の答弁によって、憲法上の疑義が生じてしまったために、昭和天皇が親拝されなくなったのではないか、というのが内閣法制局説です。

小括

昭和50年の昭和天皇の靖国神社御親拝は、時系列としては三木総理の「私人」発言より3か月弱先の話ですから、もしも「私人」発言が昭和天皇の親拝停止の原因だとしたら、スケジュール変更できたはずです。

また、三木総理は私人としての参拝であると言っただけで、公人としての参拝がダメであるという見解は、少なくとも当時の政府内からは示されていません。後に中曽根総理が公人として、と明言して参拝しています。

昭和天皇は2~6年毎に靖国神社に親拝されていましたが、中韓が騒いだのは昭和60年の中曽根総理の参拝時ですから、それが原因とするのは無理があります。

A級戦犯合祀を原因とすることを軽々に否定はできませんが、それは別稿に譲るとして、私は、内閣法制局説が妥当と考えます。同様の見解は倉山満氏などが主張しています。

富田メモとは

富田メモとは、2006年(平成18年)7月20日の日本経済新聞朝刊により、その存在が報道された元宮内庁長官・富田朝彦がつけていたとされるメモです。

靖国問題に関してはA級戦犯合祀について憤りを感じていたという記述の主体が昭和天皇であるか否かが問題になりました。

日本経済新聞社は社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」を設置し、2007年4月30日(紙面では5月1日と2日の朝刊)において「最終報告」を掲載。

委員会は昭和天皇の発言であるという認識を示しました。

しかし、未だに解釈に疑義が呈されている、という状況です。

富田メモと昭和天皇の意思に関する有本・百田らの見解

有本・百田らは「昭和天皇の意思絶対」ではないので、そもそも富田メモが昭和天皇の意思を表しているのか?という点については論じる意義が無い、と考えているようです。

基本的にそういう見解であって、さらには百田氏(有本氏も同様と思われる)は富田メモは昭和天皇の意思を表しているとはいえないと評価しています。

これに対して、橋下氏の場合には昭和天皇の意思を重視する見解でした。

しかし、富田メモについては解釈の違いがあることは認めているにとどめて、それ以上踏み込んだ説明はしませんでした。

橋下氏の見解は昭和天皇の参拝が「ゴール」であり、その障害としてA級戦犯合祀を問題視しているのですから、富田メモについて深く触れるべきではないかと思われます。

ただ、それは先述の通り、「昭和天皇の意思」にダイレクトにアプローチすることになりますから、避けたのかもしれません。

まとめ:昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなった理由は

昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなったのは、内閣法制局が憲法上の疑義があると答弁したから、という可能性を考えなくてはならないというのとです。

また、以下の見解の場合には富田メモの検討は必須です。

  1. 昭和天皇の意思を重視する
  2. 昭和天皇が靖国神社に親拝しなくなったはA級戦犯の合祀である

別稿において富田メモの評価について、誤解があるので整理していきたいと思います。

以上