事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

愛知県の大村知事「河村市長の抗議は行政による検閲で憲法違反」の詭弁:トリエンナーレ表現の不自由展

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あいちトリエンナーレ2019において「表現の不自由展」の展示が中止となった件。

愛知県の大村知事が「河村市長の抗議は行政による検閲で憲法違反」などと詭弁を弄しているので指摘していきます。

愛知県の大村知事「河村市長の抗議は行政による検閲で憲法違反」

大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES

憲法違反の疑いが極めて濃厚ではないか。憲法21条には、"集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。"、"検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。"と書いてある。最近の論調として、税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだと、報道等でもそうことを言っておられるコメンテーターの方がいるが、ちょっと待てよと、違和感を覚える。全く真逆ではないか。公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思う。というか、そうじゃないですか?税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない。河村さんは胸を張ってカメラの前で発言しているが、いち私人が言うのとは違う。まさに公権力を行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか。裁判されたら直ちに負けると思う」

まず、トリエンナーレ全体は「民間運営の所に公金が支出されている」のではなく、「公的機関が運営している」という性質のものであるという前提が大事です。

津田大介も公権力側

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※文化庁の予算は未執行。愛知県と名古屋市からもトリエンナーレに対して補助金が出ることとなっている

実質的に愛知県がトリエンナーレ実行委員会を構成・運営しています。

芸術監督の津田大介もトリエンナーレ実行委員会から職務を委嘱されて行為しているので、いわば「権力側」なのです。

津田大介自身、「あいちトリエンナーレ実行委員会、表現の不自由展実行委員会、芸術監督である自分が」と言っているように、「外部委託」などということではなく、実行委員会の「中」に津田大介が入った上で行為しているのです。

大村知事は自分が口を出したら権力の介入だとか言ってますが、既に津田大介が権力側として作品を取捨選択しているのですから、まったく意味不明な事を口走っていることになります。

このような運営の場合に「検閲」の話になることはありません。

検閲の場面と定義

「検閲」とは、本来は民間が自由に出版・表現できるのに行政が禁止する場合です。

今回の話は「民間が美術館等の利用許可を得て自分の作品を展示した」場合とは異なり、「行政が主催する芸術祭において、行政が展示作品を選考して展示した」という場合なのです。

トリエンナーレ全体や「表現の不自由展」は行政の力によってはじめて展示可能になっているものであって、行政が自分らで運営している事業についてどの作品を展示するかを決めるのは法令に抵触しない限りは基本的に裁量の範囲内です。

検閲の定義に照らす以前に、そもそも検閲の話に成りえない場面だということです。

ある作品を採用しなかったからといってもそれは検閲ではないわけです。

実際、津田大介は芸術員がリストアップした約80組の作家を見て「ピンとこない。これはまずい」と方針転換しています

また、表現の自由の保障とは、作品の公開が公権力によって妨げられないことを意味するという防御権に過ぎません。公権力に対して自己の有する作品を展示する作為を求めることはできません。表現の不自由展と津田大介(トリエンナーレ実行委員会)との間でどういう契約があったかは分かりませんが、展示する義務がトリエンナーレ側にあるとしてもそれは原則として契約関係に基づくものであって、表現の自由が根拠ではありません。

この前提に立った上で、検閲の定義は最高裁判例があります。

最高裁判所大法廷判決 昭和59年12月12日 昭和57(行ツ)156  税関検査事件

憲法二一条二項にいう「検閲」とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。

今回、表現の不自由展で出展された作品は、発表前に審査されて禁止されたものではない上に、別の個人ギャラリーでの出展も禁止されているわけではありませんから、検閲の定義にはかかりません。

大村知事の言っていることが如何に支離滅裂かこれでわかるでしょう。

唯一、表現の不自由展の著作者らの人格的利益の侵害が問題になり得るに過ぎません(それも無理だと思いますが。)

名古屋市の河村市長による抗議はトリエンナーレ実行委員会会長代行として?

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名古屋市:報道資料 令和元年8月2日発表 あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について(市政情報)

名古屋市の河村たかし市長の抗議文は上記の通りです。

河村市長はトリエンナーレ実行委員会の会長代行でもありますが、個人名ではなく名古屋市長名が会長代行になっていますから、そのような立場、つまり身内からの要請でもあるという側面があります。

河村市長は「展示の中止を含めた適切な対応を求める」と言っているだけであり、中止以外の方法も予定していました。

これが「権力による弾圧」とされる意味が分かりません。

表現の不自由展との関係で弾圧したのは大村知事

さらに、大村知事はトリエンナーレ実行委員会に諮って中止を判断したのではありません。大村知事(トリエンナーレ実行委員会の会長としてだろう)と津田大介芸術監督とで相談して中止を決定していますが、こういう場合の判断プロセスとして非常に不可解です。通常は実行委員会の総意として機関決定するでしょう。

大村知事の中止理由も「安全上の懸念」であり、河村市長の抗議によるものという説明ではありませんでした。

むしろ表現の不自由展との関係で「弾圧」したのは大村知事であり、その張本人が河村市長ら外部に責任を擦り付けようとしているだけです。

まとめ

大村知事の記者会見の発言はとにかく意味不明・支離滅裂なものが多すぎます。

補助金支出についてもいいかげんなことを口走っていたので後刻記事をUPします。

以上

トリエンナーレ表現の不自由展中止の法的問題と船橋市立図書館蔵書廃棄事件

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「表現の不自由展」が展示中止となりました。

その法的問題について、船橋市立図書館蔵書廃棄事件との関係から確認していきます。

トリエンナーレと表現の不自由展についての勘違い

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まず、トリエンナーレ全体と表現の不自由展の関係を理解していない方が相当数いるので、改めてこの図を提示します。

中止されたのは表現の不自由展だけであって、それ以外の美術作品の展示・プログラム実施には影響はありません。

次に、トリエンナーレの運営と芸術作品の扱いについても誤解があります。

行政が運営して自分で作品を選んでいるだけ

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文化庁の2019年度「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」採択一覧では、補助事業者名が「愛知県」になっています。

トリエンナーレのうち、「国際現代美術展事業」にのみ補助金が採択されています(執行はされていない)。その他、愛知県や名古屋市からもトリエンナーレに補助金が出ています。

あいちトリエンナーレの主催はあいちトリエンナーレ実行委員会です。

この実行委員会は厳密には自治体とは別組織ですが、会長が愛知県知事、会長代行が名古屋市長であり、愛知県の職員が事務を担当し、問い合わせ先も愛知県の民生活部 文化芸術課です。メールアドレスのドメインも愛知県のドメインを使用しています。

芸術監督である津田大介は実行委員会の仕事の委嘱を受けているため、実質的に実行委員会の行為として扱うことが可能です。

実行委員会には愛知県以外のNHK、新聞社、商工会議所、独立行政法人、大学教授等が名を連ねていますが、実態としては公的機関(ほぼ愛知県)が運営主体と言って良いでしょう。

トリエンナーレ事務局において電話で応対している方も基本的には愛知県の職員の方である公務員です。

したがって、今回の話は「民間が美術館等の利用許可を得て自分の作品を展示した」場合とは異なり、「行政が主催する芸術祭において、行政が展示作品を選考して展示した」という場合なのです。

図示すると以下のようになります。

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「検閲」はありえない

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http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000119/119833/webc.pdf

以上より、トリエンナーレ全体や「表現の不自由展」は行政の力によってはじめて展示可能になっているものであって、行政が自分らで運営している事業についてどの作品を展示するかを決めるのは法令に抵触しない限りは基本的に裁量の範囲内です。

「検閲」とは、本来は民間が自由に出版・表現できるのに行政が禁止する場合です。

検閲の定義に照らす以前に、そもそも検閲の話に成りえない場面だということです。

ある作品を採用しなかったからといってもそれは検閲ではないわけです。

この前提に立った上で、今回、表現の不自由展で出展された作品は、別の個人ギャラリーでの出展も禁止されているわけではありませんから、検閲の定義にはかかりません。

名古屋市の河村市長が抗議文を送ったことが「弾圧」などと言う人がいますが、多数の国民からの陳情を受けてのことですし、河村市長自身が実行委員会の会長代行なので、身内からの中止要請です。なお、大村知事が中止判断をした理由としては、この抗議は言及されていません。

法的な問題が起こるとすれば、作品の著作権者の人格的利益との関係です。

船橋市立西図書館蔵書廃棄事件

実は、公立図書館の蔵書となった書籍が、通常の手続を無視した違法行為によって勝手に廃棄された事件があります。そこにおいて、廃棄された書籍の著作者(「新しい歴史教科書をつくる会」メンバーやこれに賛同する者(井沢元彦、西部邁、渡部昇一ら))の人格的利益が侵害されたとして国賠法上違法となった事例があります。

最高裁平成17年7月14日判決 平成16(受)930  船橋市立図書館蔵書廃棄事件

公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。したがって,公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならない。そして,著作者の思想の自由,表現の自由が憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり,【要旨】公立図書館の図書館職員である公務員が,図書の廃棄について,基本的な職務上の義務に反し,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは,当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。

船橋市立西図書館の場合、蔵書とすることを決定したのは図書館側であり、著作者らが積極的に蔵書とするように要請したわけではありません。それでも「著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益」が法的保護に値する利益とされました。

そのため、表現の不自由展においても、愛知県と作品の著作者との関係で、上記のような利益の侵害があったのかが問題になりえます。

著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益はあるのか

船橋市立西図書館事件と表現の不自由展では、以下の違いがあります。

  1. 作品の「廃棄」と「展示撤去」
  2. 無料閲覧可能であったか有料での閲覧だったか
  3. 1の理由が思想信条によるものだったか安全面の懸念だったか

作品の廃棄であるか展示撤去であるかは、公衆に伝達することが不可能になる状況はほぼ同じなので、実質的に違いは無いと言えます。

2番について、船橋市立西図書館事件では公立図書館が「公的な場」であるという役割・機能から著作物が閲覧に供された場合に法的保護に値する「その思想,意見等を公衆に伝達する利益」が生じることを導いています(それを導くために関連法規を詳細に参照している)。

では、果たして「表現の不自由展」はここで言われているような「公的な場」と言えるのか。有料である今回の場合には閲覧者が限られてくる上に、トリエンナーレの開催の法的根拠は何なのかが争点になって来ると思われます。著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益があったのかの問題です。

そして、3番目の展示中止の理由は、「不公正な取扱い」であったか否かに決定的な違いが出てきます。上記人格的利益の侵害があったのかの問題です。

大村知事が記者会見で述べた「安全面の懸念」という理由は、このあたりを見越したものである可能性があります。

天皇コラージュ事件と大村知事の展示中止の理由

天皇コラージュ事件とは、富山県美術館に昭和天皇の写真コラージュ作品が展示され、反対運動が起こった結果、美術館が本件作品を他に譲渡し、図録を焼却することを決定したことが表現の自由、鑑賞する権利、知る権利等の侵害だとして作品の著作者(今回の表現の不自由展で昭和天皇の御真影を焼却する動画を展示した者)から提訴された事件です。

美術館=富山県側は地方自治法244条2項の「正当な理由」に基づいた行為であり違法性はないと主張しました。

富山地裁では無効確認・義務づけ訴訟は却下されましたが、美術館側に対する損害賠償のみは認められました。しかし、名古屋高裁ではそれも棄却されました。

名古屋高裁 金沢支部 平成12年2月16日 平成11年(ネ)第17号  

そこで、県教育委員会による本件作品の特別観覧許可申請の不許可、県立美術館及ひ県教育委員会による本件図録の閲覧の拒否について、地方自治法二四四条二項の「正当な理由」が認められるか否かについて検討するに、県立美術館としては、購入・収蔵している美術品や自ら作成した美術品の図録については、前記特別観覧に係る条例等の規定を「知る権利」を具体化する趣旨の規定と解するか否かにかかわらず、観覧あるいは閲覧を希望する者にできるだけ公開して住民への便宜(サービス)を図るよう努めなければならないことは当然であるが、同時に美術館という施設の特質からして、利用者が美術作品を鑑賞するにふさわしい平穏で静寂な館内環境を提供・保持することや、美術作品自体を良好な状態に保持すること(破損・汚損の防止を含む。)もその管理者に対して強く要請されるところである。これらの観点からすると、県立美術館の管理運営上の支障を生じる蓋然性が客観的に認められる場合には、管理者において、右の美術品の特別観覧許可申請を不許可とし、あるには図録の閲覧を許否しても、公の施設の利用の制限についての地方自治法二四四条二項の「正当な理由」があるものとして許される(違法性はない)というべきである(この点について、原判決が示した「美術館が管理運営上の障害を理由として作品及び図録を非公開とすることができるのは、利用者の知る権利を保障する重要性よりも、美術館で作品及び図録が公開されることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避、防止することの必要性が優越する場合であり、その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、客観的な事実に照らして、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である」との基準は、憲法二一条が保障する「集会の自由」を制約するおそれのある事案については相当であるが、本件のような美術品及びその図録の観覧あるいは閲覧に関する事案については厳格に過ぎて相当でないというべきである)。

今回の事件もこの事案とパラレルに考えられるのであれば、「県立美術館の管理運営上の支障を生じる蓋然性が客観的に認められる場合」には、県側が「正当な理由」に基づくとして撤去をしても、違法性はないということになりそうです。

ただ、先述の通り、今回の話は「民間が美術館等の利用許可を得て自分の作品を展示した」場合とは異なり、「行政が主催する芸術祭において、行政が展示作品を選考して展示した」という場合ですから、地方自治法244条2項の話にならないかもしれません。

表現の不自由展の実行委員会は非難声明

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大村知事の言う「安全面の懸念」という理由に実質的な根拠があるとされ、仮に天皇コラージュ事件と同じ規範が使えるとするならば、「不公正な取扱い」ではないということになり、トリエンナーレ実行委員会≒愛知県は著作者らに対して法的責任を負いません。

それは、あいちトリエンナーレ実行委員会が展示作品の審査基準・撤去基準を設けず、津田大介芸術監督に一任しており、法規に触れる場合以外には作品を撤去する根拠がないために出てきた主張である可能性があります。

大村知事は愛知県知事ですから、愛知県にとってダメージが出ないように振る舞った結果かもしれません。「国民からの抗議」「政治的な展示」を今回の著作者との関係で正当化できるという事情は今の所見えてきません。

まとめ:審査基準・運営の見直しと脅迫犯の検挙を

  1. 船橋市立西図書館事件からは、表現の不自由展中止は著作者の人格的利益の侵害として争われる可能性がある
  2. 表現の不自由展は「公的な場」とされるのかが争点
  3. 大村知事の中止理由として「安全上の懸念」は天皇コラージュ事件では地方自治法244条2項の「正当な理由」として使えるが、今回の場合にも使えるのかどうか
  4. 仮に正当な理由として使える事案なら、愛知県は勝訴する

個人的には展示の撤去は妥当だと思いますが、その理由として「安全上の懸念」が持ち出されるような状況にはなってほしくなかったと思っています。

著作者側への協議を経て任意の中止の道を探ってほしかった(それが表現の不自由展側との契約内容でもあったようです)。

今回の場合、東京都美術館のように独自の審査・撤去基準を設けていなかったため、上記理由以外の理由で一方的に展示中止をすれば愛知県は負けてしまうと考えられたと思われます。

それを考えると、トリエンナーレ実行委員会が公金が支出される展示会で「法規に触れなければOK」という運営をしていたこと自体が問題視されるべきです。

並行して、文化庁の助成金採択にかかる審査に問題はなかったのかもチェックするべきでしょう。

そして何より、トリエンナーレの関係者を畏怖させ、来客者にも不安を招くこととなった脅迫犯人の早急な検挙を望みます。

以上

津田大介「行政が口を出すのは検閲に当たる」は的外れ:トリエンナーレ表現の不自由展

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あいちトリエンナーレにおける国際現代美術展内の「表現の不自由展」ブースの一部作品が不適切であると指摘が相次いでいる問題で、実行委員会の芸術監督である津田大介が会見を行いました。

その中で「行政が口を出すのは検閲の問題が出てくる」と言っていたので、それが如何におかしいかということを指摘します。

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」

関連記事を置いておきます。

問題とされる作品は現在のところ2つあります。

一つは韓国が世界中で虚偽の歴史認識を拡散する目的で用いられている慰安婦像と呼ばれる像が、平和の少女像であると偽られて展示されていること。

もう一つは、昭和天皇の御真影が焼却されるような映像表現があること。

これらの展示が不適切だということで抗議の電話が殺到したことから津田大介が記者会見を開いていたと言う経緯です。

津田大介「行政が口を出すのは検閲に当たる」

「少女像」展示、どうなる? 実行委で検討へ。芸術監督・津田大介氏が会見(声明全文) | ハフポスト魚拓

その上で、あいちトリエンナーレの企画をどのようなかたちにするかということですが、それは芸術監督に一任されています。そして県の事業として、またたくさんの作家が関わる展覧会として、その過程で事務局とは様々な確認や承認を経て、それぞれの企画が実現しています。

行政の責任というところですが、行政はトリエンナーレの一参加作家である「表現の不自由展」実行委員会が定めた「表現の自由。これの現在的状況を問う」という展示会のコンセプト、趣旨を認めているのであって、この展覧会内で展示されたすべての、あるいは個別の作品への「賛意」として認めているわけではないということ。ここをまず踏まえていただきたいと思います。

なぜかと言えば、その前提に則ってお答えすると行政がこの展覧会の内容について「どんな内容なんだ」「実際できあがったものを見せろ」みたいな話になって、隅から隅まで口を出して、かつ行政としてこの表現は認められないというかたちで仕組みにようになってしまうと、それは憲法21条の「検閲」に当たるという、まったく別の問題が生じてしまうと僕は考えています。

※原文ママ

「行政が口をだして仕組み化」すると検閲になるというトンデモ論を展開しています。

当然、これは成り立ちません。

憲法21条の検閲の定義と意義

最高裁判所大法廷判決 昭和59年12月12日 昭和57(行ツ)156  税関検査事件

憲法二一条二項にいう「検閲」とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。

行政権が主体となって行うものだということが明記されています。

ではそうすると、公立美術館で作品の展示が禁止されたり、撤去されたりするのは「検閲」なのでしょうか?

たとえば、今回展示された慰安婦像は、2012年8月に東京都美術館で開催された「第18回JAALA国際交流展-2012」に出品中だったものの、美術館が「東京都美術館 公募団体展募集要項」の「特定の政党・宗教を支持し、又はこれに反対する等、政治・宗教活動をするもの」に抵触する可能性があることから展覧会主催者側が自主規制をしたという経緯があります。

参考:東京都美術館の検閲に対する抗議行動

これが検閲に当たるわけがありません。

「検閲」を持ち出せる場面とは異なります。

公の施設としての美術館

地方自治法 第十章 公の施設
公の施設
第二百四十四条 普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるものとする。

第二百四十四条の二 普通地方公共団体は、法律又はこれに基づく政令に特別の定めがあるものを除くほか、公の施設の設置及びその管理に関する事項は、条例でこれを定めなければならない

「公の施設」として美術館が設置されています。

愛知県の場合には「愛知芸術文化センター条例」が設置根拠となります。

愛知芸術文化センター条例

第一条 芸術文化の振興及び普及を図るため、愛知芸術文化センター(以下「センター」という。)を設置する。
2 センターは、次に掲げる施設をもって構成する。
一 愛知県美術館
二 愛知県芸術劇場
三 愛知県文化情報センター
四 愛知県図書館

今回問題視されている展示物も、愛知芸術文化センター8階の愛知県美術館ギャラリーにおいて展示されています。

行政なくしては成り立たない「表現の不自由展」

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文化庁の2019年度「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」採択一覧では、補助事業者名が「愛知県」になっています。

あいちトリエンナーレはあいちトリエンナーレ実行委員会が主催していますが、問い合わせ先は「愛知県県民文化局部文化部文化芸術課トリエンナーレ推進室内」となっていて、場所も愛知芸術文化センター内。行政の組織という前提があります。

電話で応対している方も基本的には愛知県の職員の方、公務員です。

要するに、「表現の不自由展」は行政の努力によってはじめて展示可能になっているものであって、行政が自分らで運営している事業についてどの作品を展示するかを決めるのは法令に抵触しない限りは基本的に裁量の範囲内なのです。

ある作品を採用しなかったからといってもそれは検閲ではないわけです。

公立美術館は公の施設という場所を提供しているのであって、その場所以外で表現物を展示することまで妨げているわけではないのです。作品展示は、その場所での「集会」が意味を持つような場合とは異なります。

津田大介は、こういった違いを無視して、まるで「本来なら民間が出版等を自由にできるはずなのに行政が圧力をかけてきた」というような場面と混同させているのです。

まとめ

仮に愛知県が基準を定めてそれに抵触するから展示しないとか、作品を撤去するなどをしていたとしても、その作品は別の場所で展示することは可能なわけです。

公の施設では展示できなくとも、Youtube動画で撮って流すとか、民間のギャラリーに展示するなど、発表の機会は確保されているのです。

表現の不自由展は既に発表されているものを扱っているので「発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止する」ものでもありません。

そういった場面にまで口を出してきたのなら、そこではじめて検閲になります。

あいちトリエンナーレの運営構造を理解しないでいいかげんな事を言ってる者が居ますが、いろいろと分かってしまう事例であります。

以上

あいちトリエンナーレで外国国章損壊罪?アメリカ国旗が下敷きに

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あいちトリエンナーレでアメリカ国旗が下敷きになっている展示物がありました。

これは外国国旗損壊罪でしょうか?

あいちトリエンナーレでアメリカ国旗が下敷きに

映像の最後の方に映ります。

展示品の元の名前は「馬鹿な日本人の墓」

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https://iwj.co.jp/wj/open/archives/129037

可視化された表現の自由の範疇 〜美術館に作品の撤去を求められた芸術家・中垣克久氏インタビュー ━原佑介記者 | IWJ Independent Web Journal魚拓

今年2月16日、東京都美術館で開かれた「現代日本彫刻作家展」で、彫刻家の中垣克久氏の作品が「政治的な宣伝になりかねない」として、美術館側が作品の撤去を求めるという「事件」が起きた。中垣氏と都美術館は協議の末、作品の表現の一部を削除することで合意し、作品は出展された。

 都美術館は運営要綱で、「特定の政党・宗教を支持、または反対する」場合は、施設の使用を認めないと規定している。中垣氏の作品には、総理の靖国参拝や政府の右傾化を批判する文言が入っており、これが要綱に抵触すると判断されたという。

何でもかんでも芸術と称するのは、個展なら許されますが、助成金が出ているところでは許されないでしょう。

津田大介によれば愛知県は展示のリスクを把握した上で展示を許容してきたらしいのですが、現行の法規に抵触しさえしなければなんでもよいということで、東京都美術館の公募の場合と異なり、何らの基準も設けずにやっていたのは問題でしょう。

外国国章損壊罪にあたるのか?

刑法(外国国章損壊等)
第九十二条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。

ここで言う「国旗」に「公用性」があるもののみを指すという解釈が通説です。

実際の事件例でも、日中友好協会長崎市部主催のチャイナ物産展で、チャイナである事を標示するために蛍光灯からつりさげられた中華人民共和国の国旗様の旗を引き下ろして取り除いた事件があり、そこでは刑法は適用されず、単に軽犯罪法1条31,33号で処断されました。(長崎簡命 昭和33・12・3)

逆に中国大使館の敷地内にある中華人民共和国の国旗を引き下ろした事件では、刑法92条が適用されました。

大コンメンタール刑法第2版 66~69頁参照。

考えてみれば、映画の中で国旗が倒れて汚れている描写などが刑法に抵触するのはおかしいので、私的用途で使用されているものについてはここでいう国旗には該当しないとした方が良いと思います。

あいちトリエンナーレは公の施設での展示ですが、「国旗様の旗」は手製のもので、アメリカ大使館等が公的な用途として用いているわけではないので、外国国章損壊罪にはあたらないでしょう。

まとめ:侮辱的であることは間違いない

刑法に抵触してはいないとはいえ、国旗が地面に触れていたり汚れている状態を敢えて表現されるというのはまったく良い思いをしないものです。

芸術に仮託した侮蔑的表現をする者は、表現の不自由ではなく、頭が不自由なのでしょう。

以上

韓国のホワイト国(グループA)剥奪に95%超が賛成:パブリックコメントの結果

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韓国のホワイト国(グループA)剥奪のパブリックコメントの結果が出ました。

8月2日、閣議決定、7日に公布し28日に施行

韓国のホワイト国除外を閣議決定 - 産経ニュース

 政府は2日午前、安全保障上の輸出管理で優遇措置を適用する「ホワイト国」から韓国を除外する政令改正を閣議決定した。7日に公布し、28日に施行する。 政令改正は対韓輸出管理厳格化の一環で、ホワイト国からの除外は韓国が初めて。

 これで7月4日の標準処理期間内にホワイト国から外れることが確定となり、韓国がWTOで主張する予定だった「ホワイト国内での差別」の事由はなくなる事になりました。

「 り地域」という規定上の名称は残りそうです。

韓国のホワイト国(グループA)剥奪に95%超が賛成

輸出貿易管理令の一部を改正する政令が閣議決定されました (METI/経済産業省)

意見総数は4万件を超えそのうち概ね賛成が95%でした。

概ね反対は1%に過ぎませんでした。

圧倒的な意見の数と圧倒的な賛成数です。

これは、聖徳太子の語が学習指導要領案から消えた際にパブリックコメントで反対をしたときのコメント数が 11,210件だったということを考えると、凄まじい数だということがわかります。

聖徳太抹殺計画:学習指導要領と教科書検定の工作と厩戸王推進派 

パブリックコメントに寄せられた意見の結果

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(Ⅰ:情報開示について)
 多くの国民は徴用工問題に対する制裁であると誤解している。誤解の理由の一つは、「輸出管理を巡る不適切な事案」が具体的にどのようなことなのかが明確に示されていないことだと考える。この「不適切な事案」の詳細を早急に開示することを検討いただきたい。

⇒「不適切な事案」については、個社の取引に係る内容であり、また、輸出管理の執行に支障が生じる懸念があるため、詳細を明らかにすることはできません。

(Ⅰ:情報発信について)
 国内の報道における「輸出規制強化」は誤りであることを指摘すべき。
 本件が、徴用工問題への報復、WTO 違反といった誤った認識を国際社会に与えないように情報発信に努めていただきたい。

⇒ 経済産業省としては、「輸出規制強化」ではなく、「輸出管理の見
直し」という表現を用いています。
 いわゆる徴用工問題への対抗措置ではないこと、WTO 違反には当
たらないことを国際社会に対して情報発信するよう努めていきます。

あまり中身が無い回答ですが、「不適切な事案」は「個社の取引に係る内容であり」というのは初めて出てきた言葉だと思います。

今後は実務上はグループA,B,C,Dという呼び方に

「ホワイト国」という名称は実務上の便宜的呼称であり、正式名称や法規に記載のある名称ではありませんでした。

今後は元々の分類区分である「グループA~D」の呼称で呼ぶようにしたようです。

https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=595119079&Mode=2

「ホワイト国」という通称は不適切であり、やめたほうがよいのではないか。

今回、我が国の輸出管理制度における国別カテゴリーを利用可能な包括許可の種類など実務上の扱いに即した分類へと再整理し、こうした国別カテゴリーに応じた名称を付与することとしています。

パブリックコメントの要請が取り入れられたのか、前々から決まっていたのかは分かりませんが、コメント内に呼称の変更を求めるものがあったということで、慧眼だなと思いました。

以上

「表現の不自由展」で撮影OKだがSNS投稿禁止の意味不明さ:ネットの炎上対策のため?

f:id:Nathannate:20190802175432j:plain

あいちトリエンナーレの表現の不自由展ブースにおいて撮影ルールが設けられてます。

この理屈、ちょっとおかしくないですか?

「表現の不自由展」で撮影OKだがSNS投稿禁止

「表現の不自由展」、写真投稿ダメ 「炎上」の波及懸念:朝日新聞デジタル

1日に開幕する国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介さんが31日、記者会見を開き、企画展「表現の不自由展・その後」の会場では、来場者が作品の写真と動画をSNSに投稿することを禁止すると明らかにした。「ネットの炎上」が進行し、展示会の安全にまで影響が及ぶことを避けるためという

炎上対策と言いますが、何かがおかしいです。

表現の不自由展なのにネットの炎上対策のため?

表現の不自由展は、これまで美術館等で展示が認められなかった・撤去された作品を敢えて集めているそうです。

すると、そういった作品をより多くの人たちに見てほしいと考えるのが自然なはず。

なのにネット投稿はダメって意味不明で矛盾してませんか?

「表現の不自由」を批判しておきながら、閲覧者には表現を規制するって…

いや、「有料だから」「足を運んでみてほしい」というなら禁止の理由もわかるのですが。

芸術表現に仮託した政治的主張と侮蔑的表現

結局、彼らは芸術表現をしたいのではなく

「公的な場所で慰安婦像を展示したったwザマァwww」

をやりたいだけとしか思えません。

公的な場所で展示したという実績が作れれば良い訳で、表現を伝える事は二の次でしか無い。そう思わざるを得ません。

結局KBSが報道してる

韓国KBSが報道して、ばっちり撮られてます。

SNSに投稿してクレームが来たらそれが芸術作品に?

この展示を写真に撮ってSNSに投稿してクレームが来たら、それを芸術作品として展示すれば良いのでは?

その他、この展示の問題点については以下でまとめています。

以上