事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。リンク切れに備えて魚拓を活用しています。

「犯罪はいつも朝鮮人」と書かれたカルタの元ネタ判例

犯罪はいつも朝鮮人カルタ元ネタ判例

あいちトリカエナハーレ2019などで展示された「朝鮮カルタ

その中で「犯罪はいつも朝鮮人」と書かれたものについて、元ネタ判例を紹介します。

「犯罪はいつも朝鮮人」と書かれた朝鮮カルタ(アクチョンカルタ)

「犯罪はいつも朝鮮人」と書かれたカルタが「あいちトリカエナハーレ2019」で芸術作品として展示されていました。

※牛辺さとし氏の「朝鮮カルタ」とは別物で、作者不明の「アクチョンカルタ」です。

しかし、これは誇張表現もいいところで、「犯罪が起こったら犯人は朝鮮人」だとか、「朝鮮人を見たら犯罪者」という判断をするのは許されません。

それは元ネタ判例を見てもわかることです。

最高裁判所第三小法廷 昭和22(れ)238 賍物故買事件 昭和23年3月16日判決

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本件に於て原審の引用した被告人に対する司法警察官の聴取書によれば被告人は判示(一)の事実に付き「(1) 衣類はAが早く処置せねばいけんといつたが (2) 近頃衣類の盗難が各地であり殊に (3) 売りに来たのが朝鮮人であるからA等が盗んで売りに来たのではなからうか
と思つた」旨自供したことがわかる(1)乃至(3)の事実は充分人をして「賍物ではないか」との推量をなさしむるに足る事情であるから被告人がこれ等の事情によつて「盗んで来たものではなかろうかと思つた」旨供述して居る以上此供述により前記未必の故意を認定するのは相当である判示(二)の事実に付ては原審公判廷に於て被告人が原判示と同趣旨の供述をしたことか原審公判調書によつてわかる。従つて原審が証拠無くして知情の事実を認定したものとはいえないので論旨は理由がない。

賍物(ぞうぶつ)とは、盗まれた物という意味です。要するに窃盗品を買い受けたことについての罪が問われた事案でした。

これは原審=広島高裁の説示ですが、最高裁もそのまま是認しています。

「未必の故意」のリーディングケースでもある

上記判例は刑法判例百選(1(総論))第7版 (別冊ジュリスト) [ 山口厚 ]にも「未必の故意」のタイトルで解説付きで収録されています。本判決では大審院による賍物故買罪の判断基準が引用されていました。

賍物故買罪は賍物であることを知りなからこれを買受けることによつて成立するものであるが、その故意が成立する為めには必すしも買受くべき物が賍物であることを確定的に知つて居ることを必要としない或は賍物であるかも知れないと思いながらしかも敢てこれを買受ける意思(いわゆる未必の故意)があれば足りるものと解すべきである故にたとえ買受人が売渡人から賍物であることを明に告けられた事実が無くても苛くも買受物品の性質、数量、売渡人の属性態度等諸般の事情から「或は賍物ではないか」との疑を持ちながらこれを買受けた事実が認められれば賍物故買罪が成立するものと見て差支ない(大審院昭和二年(れ)第一〇〇七号昭和二年十一月十五日言渡判決参照)

衣類の盗難が各地である中、売りにきた者が朝鮮人であり、「早く処置せねばいけん」と言ったという事情から「盗まれた物を売りに来たのではないか」と思ったという供述があったので、未必の故意を認定できるとしています。

元ネタ判例は現代では差別的な判断になるおそれ

判例百選の解説(龍谷大学教授 玄守道(ひょんすど))でも書かれている通り、何らの説明もなく「朝鮮人である」ということを挙げて窃盗品であることを推測していることは(解説文では「〇〇人」という表記)、差別的偏見に基づくものであると言われても仕方がないと思います。

本来は、「なぜ衣類の売渡人が朝鮮人であるということが(単に朝鮮人である、という属性ではなく、「①衣類を②売りに来た③朝鮮人」という属性)盗品の事情の一つとして勘案できるのか?」という点について論証が必要なはずです。

おそらく、当時の広島では朝鮮人による衣類の盗難・転売事件が多発していたのではないでしょうか?それが事実であり、そのような事情を広島人が把握していたならば、上記判断は正当でしょう。

現代においては、窃盗犯人の国籍に特徴がみられる事件が多発しているということはありませんので、一般的にそのような理由付けをしたならば差別的な判断となるため、使ってはいけないと言えるでしょう。

参考1:来日在日外国人の犯罪統計:中国韓国朝鮮人の犯罪は多いのか

参考2:【平成30年版】坂東忠信氏が在日外国人の重要犯罪検挙情況を公開:警察庁非公開資料

まとめ:ヘイトを芸術と呼んで良いのか

あいちトリエンナーレ2019では昭和天皇の肖像を含むモノが昭和天皇のご尊顔が最後に残る形でガスバーナー等で燃やされ、灰が踏みつけられるという衝撃的な映像が公的な事業において展示されました。

このような憎悪表現=ヘイト(ここでは法的な意味は含まない)までも芸術と称してしまえば展示して良いのか?ということを、わたくしたちは真剣に考えるべきでしょう。

朝鮮カルタが展示された「トリカエナハーレ」は公金が支出されず私人の個展ですが、スペースを貸与した主体はリスクを伴うでしょう。

以上