事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

3.11検索は応援にはならない場合も:正しい認識を身に着けることが応援になる

yahoo、検索は応援になる

Yahoo!JAPANが「検索は応援になる」というキャンペーンを掲げ、"3.11”と検索すれば10円が寄付金として被災地に贈られるという、非常に素晴らしい仕組みを実行しています。

Yahoo!検索「3.11」で被災地に10円寄付、今年もスタート(ITmedia NEWS) - Yahoo!ニュース

タイトルに「検索は応援にならない場合も」としましたが、決してyahoo!JAPANの活動をくさす意図ではなく、大切な側面を認識して頂きたいのでそうしました。

検索してもデマサイトや根拠なく不安を煽るニュースが上位に来たらどうですか?

3.11「検索は応援になる」場合とならない場合

Yahoo検索のアルゴリズムはGoogleのものを借用していると言われます。

"3.11"と検索しても、福島の放射線が震災当時から酷かったと印象操作をするようなニュース記事やデマサイトが上位表示される可能性があります。

実際、今日の朝の時点ではそのようなニュース記事が上位に来ていました。

検索順位を決定する要素はいろいろありますが、大きな要因は「検索表示画面からのアクセス数」と「記事の被リンク数」です。

ツイッターなどのSNS経由ではこの効果は限定的です。

つまり、検索結果画面から有益なサイトにアクセスし、そういった記事をどこかでシェアすることで、有益な記事が上位表示され、結果として不安を煽るようなサイトの検索順位が相対的に下がるという効果があるのです。

3.11での検索結果ではないが素晴らしいページ

また、3.11での検索結果ではないですが、内容がすばらしいページを紹介します。

正しい認識を身に着けなければ応援にならない

魚拓:http://archive.is/aVF8S

※追記:毎日新聞グループホールディングス取締役の小川一さんの上記ツイートは、消されたようです。

特に放射線に関する誤解は、東日本大震災から8年経った今でも色濃く残っています。

報道でもたびたび読者に誤解を生じさせることを意図しているとしか思えない記事が出現し、その度にSNSで指摘がなされています。

私もこういった類の問題については累次、記事を書いてます。

東日本大震災を風化させないために

  1. 地震と津波による被害と避難体制について
  2. 放射線についてのデマが拡散された教訓について

東日本大震災の教訓とすべきことは、大きくこれら2つに大別されると思います。

Yahoo!JAPANさんの心意気に共感しつつ、同時に私たちにできることをしていきたいと思います。

以上

実力の支配に対する法の支配:国家権力だけでなく一般国民も対象である

実力の支配と法の支配、人の支配

 法の支配の対義語は何か?を総理大臣に質問した議員が居ましたが、実は法の支配は「実力の支配」を排除するためにあるという側面があまり認識されていないように思います。

田中耕太郎「法の支配と裁判」を参考に法の支配と実力の支配につき考えていきます。

実力の支配と法の支配

法の支配と裁判 田中耕太郎 267頁

国家であればその機能として法を制定し、そうして法を自ら実現するに十分な実力をもっていなければならない。
ー中略ー
この故に法は社会に存在するあらゆる実力を克服するだけの力を自ら具備していなければならない。元来法は実力とアンティテーゼの関係に立つそれは社会を各人の恣意や実力の支配から防衛すること、社会が「万人の万人に対する戦い」「狼の狼に対する関係」に堕さないようにするために存在する。従ってこの意味で法と実力とは相いれない。「法の支配」は「実力の支配」に対立する観念である

元最高裁判所長官である田中耕太郎。

彼は、国際社会における法の支配とはどうあるべきかを模索していました。

だからこそ法の支配の対概念には「実力の支配」があると考えるに至ったのでしょう。

そして、この理は国際関係に留まらないと指摘しています。

法の支配と裁判 田中耕太郎278頁

およそ「法の支配」は前にのべたように「実力の支配」を排除することである。これは国内社会であると国際社会とによってことなるところがない

考えてみれば、警察や自衛隊よりもヤクザの方が実力が上であり、取り締まりが意味をなさないような世界は法ではなく実力が支配する弱肉強食の世界でしょう。

ヤクザが勝手に決めたみかじめ料を払うのではなく、法的根拠のある国家機関が設定した税金を納める。その裁定は究極には裁判所が行う。

これが法の支配の一つの要素でしょう。

法に包装された実力と裸の実力の違い

法の支配と裁判 田中耕太郎267頁

法と実力とは一方当為と存在とのアンティテーゼの関係にある。それらは他方目的と手段との関係にある。法その目的を達成するために自ら実力を用いるのは、一個人や団体の実力行使とその意味をことにしている。実力たることではいずれの場合にもちがいはない。実力はそれ自体として中性的である。この実力は裸の実力である場合と、法によって包装された場合とがある
ー中略ー
実力行使が例外的の場合に私人や私的団体にとくに認められている場合においても、それは法の理念からして正当化されるからであり、実力行使をそれ自体として許容したわけではない。従ってこの場合は「法の支配」の例外をなすものでなく、法が実力を手段として利用する関係が存することは、国家による実力行使の場合と同様である。国家による実力行使もその実力が法の包装をうけたものでなければならず、法を逸脱している場合には、「法の支配」が存するものといえないのである。

個人にとっては正当防衛や緊急避難の場合などにおいて、私的団体にとっては労働争議の場合などにおいて実力行使が行われることがあります。それは法によって認められているからであって、「裸の実力」ではありません。

ただ、その限度を超えたものは法が認めていないものとして「法の支配」を逸脱したものであるという関係にあるのです。

ボクサーのパンチも「実力」ですが、リング上では競技で認められている正当行為として(刑法35条)「法を纏った実力」であると言えます。これが試合以外だと暴行・傷害になるというのは法を纏った実力とはなりません。

サッカーやラグビー、アメフトの試合でも相手の身体にダメージを与えてしまうことがありますが、それは正当行為の一環として行われている限りにおいては刑罰の対象とはなりません。ただ、「悪質タックル」のような類のものについてはたとえ試合中であっても正当行為ではないために、一般の刑罰の対象になり得ます。

法と実力を対比した際、法の側には実力が含まれている(しかもそうあるべき)という認識を得るためには、田中耕太郎の分析は重要だと思います。

人の支配と法の支配

もちろん、上述の考えは「法の支配に対する人の支配」という考え方を否定するものではありません。相互排他的な捉え方ではなく、視点を変えた評価の一つです。

「法の支配」という概念・言葉は沿革的には国家権力の横暴に対抗するものとして発生したという経緯がありますが、実はさらに遡って「法」が生まれたのは何かを突き詰めると、実力に対抗するためであるということを田中耕太郎が認識したに過ぎません。

私たちの素朴な感覚からも、これが間違いであると言うことは不可能だと思います。

法の支配に服するのは国家だけではない

法の支配と裁判 田中耕太郎269ページ

 「法の支配」に服する者は一個人や私的団体をふくむ国民一般であり、この場合においては「法の支配」を阻害する私的実力の排除がとくに問題となってくる。次に問題となるのは国家自体と「法の支配」との関係である。

法は実力の支配を廃するためにあるという観点からは、法が規律する対象には一般国民が含まれるということになります。

似たような話で「憲法を守るのは国家の側であり、国民はまもらなくてよい」という暴言がありますが、憲法上、国民の義務として規定されている条文はあります(直接的に法的義務を発生させているわけではないものも含む)。

また、憲法改正の国民投票が投票者の過半数によって改正が決まるということを一般国民が無視することはできませんから、そのような意味において国民も憲法の拘束下にあるというのが現実です。

もちろん、憲法や法の支配が第一義的に縛っている相手は「権力」であり、その理解自体は正当です。ただ、それをすべての場合についてまで貫徹するのは実態とあまりにもかけ離れている上に、理想としてもおかしいというのもまた明らかでしょう。
※田中耕太郎もこの点を否定しているわけではない。

さて、私的団体による実力の行使について、田中耕太郎は鋭い指摘をしています。

実力行使と法の支配の関係

法の支配と裁判268頁 

戦後のわが国の混乱状態において、法と実力との関係についての正しい認識が失われ、実力行使自体が正当視されるかのような傾向が生じた。それは労働争議の場合において実力行使がきわめて限局された範囲内で認められるにいたったことに端を発している。実力行使の正当性はこの限度を超えて、ひろく政治運動その他自己の主張を貫徹し、自己の利益を擁護する場合に援用されるにいたった。この傾向は次第に増長し、はなはだしきにいたってはそれは大規模な大衆運動化し、これによって国会や裁判所の正常な機能を阻害するにいたった。

労働争議…政治運動…うッ頭が

どこかで見た様な既視感がないでしょうか?

労働争議に名を借りた反社会運動を行う団体がありますね。 

この団体は北朝鮮と関係を持っていますね。

何らかの権利行使に化体した犯罪行為って、これだけじゃないですよね。

沖縄平和運動センター議長の山城博治は防衛局職員への公務執行妨害と傷害、有刺鉄線を許可なく切断した器物損壊などで有罪判決が出ています(現在最高裁に上告中)。

これも「ヘリパッド建設に反対するための表現活動の一環だ」と主張されてました。

この反対活動に関西生コンからも人材派遣がなされていたというのは意味深です。

法の支配は専ら人の支配との関係で論じられるべきだと主張して、法の支配と実力の支配との関係を認識させないようにしている者は、実力行使を咎められるのが嫌なのではないでしょうか? 

たとえば共産主義では法は階級的支配の手段とされて、一個の実力としての意義しか与えられていませんが、そういう手合いの者が解釈した「法の支配」の理解がネット上でも散見されます。

まとめ:法にまつわるプロパガンダ

「法は弱者であっても権利を実現するためのもの」です。

「法は弱者が権利を実現するためのもの」ではありません。

同様の誤りとして「司法は少数者の権利を実現するためのもの」がありますが、正しくは「司法は少数者であっても権利を実現できるようにするためのもの」です。

なぜわざわざこういう事を言うかというと、「弱者だから、少数者だから厚く保護されるべきだ」という独自理論を振りかざす輩が居るからです。

法は強者だろうが弱者だろうが少数者だろうが多数派だろうが、平等に取り扱います。

ただ、ある力関係からして「公平ではない」と判断されれば何らかの調整が取られる場合がある、というだけに過ぎません。 

「法」にまつわるあらゆる言説を見ていくと、そこには巧妙な誤魔化しが含まれている場合があります。それはある種のプロパガンダです。

発信源は、現行の日本国家の統治体制が気に食わない者であることが多いです。

ある記述を読む際は、そういった事情を認識しながら読み進めるべきだと思います。

以上

野党国会議員が政府に「法の支配を守れ」と言うことのコレジャナイ感

f:id:Nathannate:20190310192521p:plain

平成31年3月6日の参議院予算委員会で、立憲民主党の小西洋之議員が質疑の中で安倍総理に「法の支配」の対義語は「人の支配」だ、という主張をしました。

この話の是非は過去に記事化しているのでそちらを見て頂ければと思いますが、ここでは【国会議員が政府にだけ法の支配を守れと言うこと】のおかしさを指摘します。

法の支配と専断的権力の抑制

法の支配」とは"Rule of Law"の訳語です。

その意味内容の中核は専断的権力(arbitrary power)とくに政府の広汎な裁量権の支配に対立する正規な法(regular law)の優越の意味です。

ただ、この意味内容は各国で微妙に異なります。

田中耕太郎によれば、以下のように分析されています。

イギリスの場合、正規法の絶対優位は政府の専断、特権、広汎な自由裁量権の排除によって確立されています。念頭にあるのは国王大権の抑制であり、議会と裁判所は協力関係にあります。そのため、裁判所には議会の制定法が憲法に違反しているのかを審査する「違憲立法審査権」がありません。

一方アメリカの場合、それは裁判所の違憲審査権によって確立しています。議会(立法)と政府(行政)に対する抑制的機能が念頭にあります

こうしてみると「法の支配」はそれぞれの国家に固有の歴史や政治的事情と密接に結びついて構成されていると言えるでしょう。

また、特にイギリスでは顕著ですが、判例法(コモンロー)が法の根源であり、特定の時代の者が人為的に設計した法律ではなく、歴史を通じて認められ醸成されてきたルール、つまり自然法が法の淵源であるとする考え方を持っています。

日本における法の支配

日本国憲法の前身である大日本帝国憲法はドイツ帝国憲法を元に作られましたが、現憲法が拠って立つ基盤は「法の支配」であると言われています。

元最高裁判所裁判官の伊藤正巳の「法の支配」という著作には以下書かれています。

はしがき

この原理的な意味での「法の支配」は、日本国憲法の根底に脈打っており、わが憲法は、この原理が、日本国民の信念と化することを期待しているといってもよい。司法権に対して払われる尊敬と信頼、基本的人権の絶対的ともいえるまでの保障、憲法の最高法規性の強調のごときは、その具体的なあらわれであろう。人の支配、権力の優越を否定する法の優位の思想が、日本国民の血肉と化したときこそ、この憲法の真に実現されたときであり、それが理想とする立憲民主政の完成したときといってよい。

アメリカ側の関与によって作られた日本国憲法ということもあり、日本の裁判所には違憲立法審査権があります。裁判所(司法権)は議会(立法権) と政府(行政権)と互いに牽制しあう関係にあります。

前項のアメリカにおける法の支配が裁判所は議会と政府に対する抑制機能があるということと合致すると言えるでしょう。

つまり、【法の支配に服するのは政府のみならず、議会も含まれる】ということです。

より強調して言えば

「議会」には【野党議員も含まれる】のであって、彼等もまた法の支配に服するということです。

野党議員(議会)と法の支配

行政権を執行する立場の政府に対して法の支配に服する事を要求するのは当然です。

しかし同時に、野党議員も法の支配に服しているのですから、やたらと野党議員が政府に対して「法の支配」を要求して「人の支配だ」と評するのは、なんだか話がずれていると思いませんか?

そもそもあなたたち、「法」を破ってたでしょ?

別に自分たちが出した法案の審議を予告も無くボイコットしたことや、速記録を妨害したことが起訴されて有罪になったわけではありませんけど、国会のルールを破っている者から「法の支配を守れ」と言われても説得力がありません。

まとめ:「法の支配を守れ」⇒オマエモナ―

国家権力の抑制の観点からの法の支配に国会議員は服します。

同時に、国会議員を含む全ての人や国家機関は、実力行使の抑止の観点(実力の支配に対するアンチテーゼ)からも法の支配に服します。

したがって、専ら政府に対してのみ「法の支配を守れ」などと言うことはおこがましいにも程があるのであって、「オマエモナー」以外の何物でもありません。

以上

法の支配の対義語の人の支配を安倍総理は回答できず⇒ブーメランでした

f:id:Nathannate:20190209184632j:plain



法の支配の対義語は人の支配であり、安倍総理は回答できなかった」

平成31年3月6日の参議院予算委員会の質疑に関しこのようなデマが流れています。

詳細は以下で既に論じてますが、質疑の流れに焦点を当てていきます。

小西洋之議員の質疑の流れ

小西議員は、最初は厚労省の統計関係についての質疑をしていました。

次に、安倍総理の平成31年1月28日の施政方針演説についての話題になりました。

小西議員はわざわざ「統計の皆さんには後で聞くかもしれませんが、退席していただいて結構です」と言っています。統計についての話題から別の話題に切り替わっているのです。

その後、安倍総理が施政方針演説で明治天皇が詠んだ詩を引用したことが戦争賛美であるなどという認識のもとで質問をしました。

途中で国会の監督権の話になりましたが(内閣法制局長官が越権行為をして発言を撤回したのもこの場面)、その後に安倍総理の戦後70年談話について引用して読み上げました。

その中で「法の支配」について触れていたために取り上げたという流れがありました。

安倍総理の戦後70年談話:力の行使ではなく法の支配を尊重

戦後70年談話(平成27年8月14日内閣総理大臣談話)

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

ー中略ー

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

安倍総理が戦後70年談話で「法の支配」に触れた文脈は、日本国が主体である国際関係における事柄についてです。(小西議員が読み上げた法の支配関連の個所は最初の方の一部です)

そこにおいては「力の行使」が対置されています。

小西洋之議員は「総理は法の支配と言いますが~」と総理の発言を前提にしています。

安倍総理が法の支配という言葉を持ち出すのは国際関係の場面においてです。

国際関係における「法の支配」と 「力の支配」

f:id:Nathannate:20190307160043j:plain

国際社会における「法」観念の多元性*一一地球大の「法の支配」の基盤をめぐる一試論一一粛藤民徒

国際社会における「法」観念の多元性*一一地球大の「法の支配」の基盤をめぐる一試論一一粛藤民徒ではしばしば法の支配は「力の支配」と対置されるとあります。

これは当然です。

国家vs国家の場面では、「為政者が誰か」という話にはならないからです。

国連は【国際法の諸原則に合致する法規範に依拠した統治の原則】を「法の支配」としています。国家の行為が問題になる以上、主体は国家であって、決して「人」ではありません。

したがって、国際関係の場面で『法の支配の対義語は人の支配なんだ!』と言うのは明確に間違いです。

安倍総理は力による現状変更と答えていた

実際安倍総理は、こう答えています。

アジア太平洋の海を繁栄の海としていく、インド太平洋を繁栄の海としていく上においては、法の支配、国際法の支配の中においてルールを守るということが大切であると。いわば力による現状変更ということは認めないということでございまして

安倍総理はちゃんと「力による現状変更」と答えています。

それに気づかず小西議員は質疑を続けていたということです。

さらに、後日ツイート等で安倍総理をバカにする発言をしていますが、どう見ても恥の上塗りです。

 

ブーメラン王だった「クイズ王」小西洋之

たしかに芦部憲法などで法の支配と対概念であるものが「専断的な国家権力の支配」であり、それが人の支配であると説明されていることはあります。

しかし、それは一国内における法の支配の説明の仕方の一つに過ぎません。

国際関係における場面では成り立ちません。

維新以外の野党議員はブーメラン使いで名を馳せていると思ってましたが

甘かったです。

ブーメランが刺さっていたことにも気づかずグイグイ自分の傷口に押し込んでいるとは。

 

しかもこの件は憲法学の教授や弁護士などが芋づる式にひっかかっており、有能な発見器の役割を発揮してしまっています。

ここで紹介して差し上げるのもいいですが、その必要もないでしょう。

法の支配と周辺概念の違いについてより詳しく(といっても概説ですが)は以下でまとめてあります。

以上

放送法改正でPCスマホのネット環境があればNHK受信料支払義務はデマなのか?

f:id:Nathannate:20190308183823j:plain

平成31年3月5日、放送法改正案が閣議決定されました。

そこで「ネット環境があればNHK受信料支払い義務」という噂が飛び交っています。

結論から言うと「それはデマ」ということになります。

ただ、情報が錯そうしている原因があるので、その点を詳述します。

放送法改正で「常時同時配信」が可能に

まず、NHKオンデマンドなど「ネット配信」は既に行われています。

今回はテレビジョン放送を同時にネット配信可能になったのが改正法の中核です。

これが常時同時配信と言われているものです。

同時配信の具体例は2018年のサッカーワールドカップで一部の試合がNHKの特設HPにおいてTV放送と同時に視聴可能であったことです。

これが常時可能になります。

放送法改正案における常時同時配信の該当部分

f:id:Nathannate:20190308164831j:plain

 

放送法20条2項2号の改正部分が常時同時配信が可能になったことを指します。

現行では「協会のテレビジョン放送による国内基幹放送の全ての放送番組を当該国内基幹放送と同時に一般の利用に供することを除く」という文言がありますが、改正法では削除されます。(上側が改正案)

この常時同時配信にNHKの受信料が別途かかるのではないか?と言われています。

受信料の規定(放送法64条)関係は変更なし

放送法

(受信契約及び受信料)
第六十四条 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ー以下略ー

「放送」とは放送法2条1号において電気通信事業者法2条1号の電気通信の送信を指すとされ、インターネット配信も含まれます

この点は今回も変更はありません。

つまり、常時同時配信が可能になった結果、法律の抽象的な可能性としては、それに対して受信料を取ることが可能になりました

では、ネット環境があればそれだけで受信料徴収が可能であるという意味なのでしょうか?

ネット環境と受信設備の設置

「受信設備」を「設置」した場合に受信契約義務が発生します。

では、「受信設備」の「設置」とは、どういう基準で判断されるのでしょうか?

平成27年(ワ)第26582号 受信料等請求反訴事件 平成28年7 月20日

 放送法及び本件規約が受信設備の「設置」という外形的事実を基準として,これに当てはまる者に放送受信契約の締結を義務付け,その者が原告の放送を実際に視聴するか否かにかかわらず,等しく受信料の支払義務を負担させるものとしていることに照らすと,本件規約9条が定める同契約の解約の要件に当たるか否かについても,同様の外形的事実を基準として判断すべきものと解するのが相当である。

「受信設備」であることが明らかなTVに「イラネッチケー」を通常の方法で取り付けた場合の裁判例ですが、この場合はまずTVがあることで「設置」され、イラネッチケーを取り付けても取り外せば「視聴可能」だから「廃止」にはならないとされました。

他方、東京高裁は受信料とは「視聴可能性の対価」とも言っています。

東京高等裁判所 平成23年(ツ)第221号 放送受信料請求上告事件 平成24年2月29日

受信料債権は、現行法上、私人間の契約に基づく債権と構成されておりー中略ー受信料とは文字どおり受信(視聴可能性)の対価であり、受信と受信料に対価性があることは明白である。

つまり、視聴可能性のあるものが「受信設備」であると言えます。

では、私たちのPCやスマホは、単にネット環境にあるというだけで「受信設備」であると言えるのでしょうか?

実は、ここはグレーゾーンなのです。

NHKの運用次第ではネット環境=受信料支払い義務

NHKが2018年のサッカーワールドカップのように、日本国内であればだれでも自由にネットで視聴可能な環境にした場合、それはネットに繋がるPCやスマホを持っているだけで視聴可能性があるということになります。

よって、この場合にはネットに繋がるPC・スマホを持っているだけで受信契約の義務が発生するということに「理屈上はなり得る」ということです。
※理屈上そうなるというわけではない。あくまで理屈上の「可能性」の話。

ただし、実際にはこのような運用は目指されていません。

NHKで検討された運用方針から外れますし、現時点での運用方針とも異なります。

 

過去に検討されたNHK受信料負担の運用方針

平成29年2月27日付け諮問第1号「常時同時配信の負担のあり方について」答申

受信料型の場合の費用負担者としては、PCやスマートフォン、タブレット等はさまざまな用途を持つ汎用端末であることを考慮すると、PC等のインターネット接続端末を所持・設置したうえで、常時同時配信を利用するために何らかのアクション若しくは手続きをとり視聴可能な環境をつくった者(視聴環境設定者)を費用負担者とすることが適当である(先述のように、放送受信契約者を除く。)

有料対価型の費用負担者としては、一般の取引と同様に常時同時配信を利用する契約を結んだ者とすることが適当である。

これは過去に検討された運用方針であり、決定事項ではないということに注意です。

この答申では受信料型の方針を取ることが目指されています。

では、受信料型の仕組みはどうなるのでしょうか?

平成29年2月27日付け諮問第1号「常時同時配信の負担のあり方について」答申

なお、ここでいう「視聴可能な環境の設定」としては、たとえば常時同時配信を視聴しうるアプリケーションのダウンロードやIDの取得等が現時点では考えられるが、その具体的な方法については、今後さらに検討していくことが必要である。 

要するに、利用者が何らかのアクションを取らなければ、視聴可能性が生まれないようにすることで、受信契約義務が自動発生しないような仕組みが検討されていたということです。

詳しくは以下を見てください。

さて、「現在のところは」この方針も「実行はされず」、ネット視聴者からは、受信契約者であっても受信契約者ではなくとも取らないようになると言われています。

現時点のNHKの受信料負担の運用方針

このことは他の報道機関も報じています。

NHKのネット同時配信、受信料「PC・スマホからも請求」は間違い - 弁護士ドットコム

テレビがなくてもNHKの受信料を払うの?「ネット同時配信」について聞いた(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース

 

「受信料を支払っている世帯の人であれば、ネット視聴のための追加負担は求めない」という説明は「二重取りをしない」という趣旨であって、受信契約者ではない者に対しては徴収するということを意味しているのではないということです。

上記以外のメディアで、「ネット環境設定をしさえすれば受信料を徴収される」と書いているところがありますが、それはNHKの運用に左右される事柄なのであり、現実からは乖離した報道です。

今後のNHK受信料支払い義務

ただし、あくまでも「現在のところは」ネット環境設定+視聴環境設定が確認できれば受信料徴収をする方針は「実行はされない」というだけの話です。

今後、上述のような検討方針が実行される方向に動く可能性は残ります。

まとめ:現時点ではPC・スマホからの徴収は無い

  1. 法律の規定上、NHKの運用いかんによってネット環境設定によって即受信契約義務が発生し得ることになっている
  2. NHKの過去の検討方針では「ネット環境即受信契約義務発生」ではなく、「ネット環境設定+受信環境設定」によってPC・スマホからの徴収が検討されていた。
  3. 現時点ではそれすらなく、PC・スマホからの徴収は実行されない。
  4. ただし、今後は「ネット環境設定+受信環境設定」によってPC・スマホからの徴収がなされるかもしれない

この話は法律の抽象的な可能性と現実の運用方針がごちゃごちゃに伝わっているので誤解が生じています。

「ひとまずは現状と変わりない」という認識にとどめるのが正しい態度でしょう。

以上