事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

皇族の降下に関する施行準則で旧皇族はGHQと無関係に皇籍離脱という論の誤り

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皇統の安定的継承の方法として旧皇族の男系男子の皇籍復帰が議論されています。

これに対して『「皇族の降下に関する施行準則」があったのでいずれにしても皇籍離脱していたから、復帰はおかしい』と主張する者が居ます。

この制度についてきちんと理解しましょう。

旧皇族が皇籍離脱=臣籍降下した理由:GHQの指令の事実上の影響

旧皇族の皇籍離脱=臣籍降下はGHQの指示なのか:安倍総理「GHQの決定は変えるつもりはない」

上記で詳述しましたが、旧皇族(昭和21年当時の11宮家とその子孫も含むものとする)が皇籍離脱せざるを得なかったのはGHQの覚書である「皇室財産凍結に関する指令」「皇室の財産上その他の特権廃止に関する指令」の直接的な効果ではないものの、その事実上の影響によるものであるという評価がなされています。

ですから、旧皇族に皇籍復帰を求めることは、本来あるべき地位にお戻り頂くという性質の事柄であるとも言えます。

しかし、次のような指摘があります。

『「皇族の降下に関する施行準則」があったのだから、GHQの指令が無かったとしても旧皇族は自動的に皇籍離脱=臣籍降下していたでしょ』

皇族ノ降下ニ関スル施行準則とは

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Ref:A03033116800 皇族ノ降下ニ関スル内規ノ件 国立公文書館アジア歴史資料センター

皇族ノ降下ニ関スル施行準則」とは、明治40年皇室典範増補第1条に規定する勅旨による臣籍降下の範囲についておおよその基準を定めたものです。

皇族ノ降下ニ関スル施行準則

第一條
 皇玄孫の子孫たる王明治四十年二月十一日勅定の皇室典範増補第一條及皇族身位令第二十五條の規定により情願を為さざるときは長子孫の系統四世以内を除くの外勅旨に依り家名を賜ひ華族に列す

第二條
 前條の長子孫の系統を定むるは皇位繼承の順序に依る

第三條
 長子孫の系統四世以内に在る者子孫なくして父祖に先ち薨去したる場合に於て兄弟たる王あるときは其の王皇位繼承の順序に從ひ之に代るものとす

第四條
 前數條の規定は皇室典範第三十二條の規定に依り親王の號を宣賜せられたる皇兄弟の子孫に之を準用す

  附 則

此の準則は現在の宣下親王の子孫現に宮號を有する王の子孫竝兄弟及其の子孫に之を準用す但し第一條に定メタル世數は故邦家親王の子を一世とし實系に依り之を算す

博恭王は長子孫の系統に在るものと看做す

邦芳王及多嘉王には此の準則を適用せず

明治の皇室典範では皇族女子が臣籍にある者(現在でいう民間人)と婚姻する他は皇族の臣籍降下を認めていませんでした。そこで皇室典範増補で規定が設けられました。

ただ、皇族の数が増えすぎないようにするため、さらに一定の基準を作る必要が認識されるようになり、皇族ノ降下ニ関スル施行準則が立案されました。

当時は「華族」 という身分があったので、ここの基準に該当すれば臣籍降下して皇族ではなく華族になるということが書いてあります。

しかし、施行準則の「勅旨」が根拠となった臣籍降下の例はありませんでした

皇室典範増補第一条と実際の運用

皇室典範増補(明治四十年二月十一日)

第一条 王は勅旨又は情願に依り家名を賜ひ華族に列せしむることあるべし

第五条 第一条第二条第四条の場合に於ては皇族会議及枢密顧問の諮詢を経べし

【「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」について 阿部寛「明治聖徳記念学会紀要〔復刊第50号〕平成25年11月】では、以下のように述べています。
※元URL:h ttp://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f50-27.pdf:リンク切れになったので編集。

  1. 施行準則の通りに自動降下するなら皇室典範増補と抵触するので違法のおそれがある
  2. この問題意識は当時も存在していた
  3. 施行準則は皇室典範増補1条の勅旨による降下基準を定めた内規に過ぎないと解すれば、合法的である
  4. 実際にも「準則」という名称、準則が公布されず通達として関係者に伝達されたに過ぎない事、枢密院では必ずしもこれに拘束されないという見解であったこと、などから、法的性質は皇室典範と同等の法規範ではなく下位規範たる内規である
  5. 「内規」であることが各所の文書に記載されている

そして、皇族の降下に関する施行準則が適用された事例はなく、それが存在していた時期に降下した十二王の事例は、すべて皇室典範増補1条の「情願」によるものでした(間接適用されていたと評価することは一応は可能としている)。

この場合は増補5条により「皇族会議及び枢密顧問の諮詢を経」ることになっていたのですから、自動降下ではなく皇族会議と枢密顧問の裁量の余地があったということになります。

なお、阿部論文では平成24年に野田政権下で開かれた「皇室典範に関する論点整理」において作成された「参考資料」のなかに、施行準則に当てはまれば自動的に皇族でなくなるかのような記載があるが、それは不正確である、とも指摘されています。

同様の指摘をしているのは例えば【波多野敬直宮内大臣辞職顛末―一九二〇年の皇族会議― 永井和】や【「皇族降下準則」で旧宮家は自動的に皇籍離脱していたというウソ 谷田川惣】など複数あります。 

GHQの占領が無くとも「皇族の降下に関する施行準則で自動的に皇籍離脱」は誤り

GHQ占領後、皇族の降下に関する施行準則は、昭和21年12月27日に「皇族ノ降下ニ関スル施行準則廃止ノ件」が施行されて廃止されました。

また、日本国憲法施行に伴って皇室典範と皇室典範増補は昭和22年5月1日の「皇室典範及皇室典範増補廃止ノ件」により翌日限りで廃止となった。

これを受けて、皇室令と附属法令も廃止になっています。

このとき廃止となった皇室令及び附属法令の規定は、皇統譜令(昭和22年政令第1号)第1条の「皇統譜に関しては、当分の間、従前の例による」という規定等により現在でも一部が援用されていますが、既に廃止となった皇族の降下に関する施行準則は、当然にして援用の対象となっていません。

したがって昭和22年10月14日に行われた旧皇族の臣籍降下に関して、

『「皇族の降下に関する施行準則」があったのだから、GHQの指令が無かったとしても旧皇族は自動的に皇籍離脱=臣籍降下していたでしょ』

という指摘は、的外れ、ということになります。

現在は皇族の降下に関する施行準則の想定外の事態

「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」について 阿部寛「明治聖徳記念学会紀要〔復刊第50号〕平成25年11月

ところで、近現代における宮号の継承の前例について振り返ると、「皇族の降下に関する施行準則」制定時には全く想定されていない事態となっていることに気付づく。

なんと直近の宮号継承は、伏見宮博明王(昭和二十一年八月一六日御祖父君博恭王薨去による)となり、これ以後、宮号を継承した事例が存在していない。
ー中略ー
このようなことに鑑みると、もし、華族制度を含む当時の制度が存続していて、「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」が存続していたとしていも、この内規の例外を明確に検討しなければならない状態になっていたことも考えられる。

皇族の数が多くなり過ぎないようにという問題意識のもとに立案された施行準則ですが、現在では全く逆の事態になっています。

 

果たして、「かつてはこのような施行準則があったのだから、現在においてもこの基準に適うような制度にするべきだ」というのは、現在において正当性のある主張でしょうか?

まとめ:女系天皇・女性宮家創設論者の論理破綻

  1. 皇族の降下に関する施行準則は皇室典範増補の下位規範たる内規に過ぎない運用だった
  2. 施行準則に当てはまる者は自動降下するというような運用はなされていなかった
  3. よって、GHQの占領がなくとも「施行準則で自動降下していた」というのは誤り
  4. GHQ占領下では施行準則は廃止されていたので無関係
  5. 施行準則が立案された当時の状況と現在の状況は真逆であって、現在に置いて施行準則のようなルールを設けることに正当性があると直ちに言えるのか疑問である

旧皇族の男系男子の皇籍復帰については女系天皇・女性宮家創設派から「数十年も民間の垢にまみれたどこぞの馬の骨を皇室に入れるのはけしからん」などと言われますが、彼らは125代2500年以上遡っても神武天皇に辿り着かない民間人に対しては「馬の骨」とは言わないのが不思議で仕方がありません。

また、彼らは「旧皇族復帰は今上陛下との共通の祖先は600年以上も遡らないと辿り着かない。こんなことは先例が無い」と言いながら、歴史上の例がただの一つもない女系天皇・女性宮家を推進しています。

施行準則は、そういった者が反論として持ち出してきたものですが、このように実際の運用を無視した暴論だったということです。

以上

 

 

旧皇族の皇籍離脱=臣籍降下はGHQの指示なのか:安倍総理「GHQの決定は変えるつもりはない」

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平成31年3月20日、国会において旧皇族の皇籍離脱に関連した質疑に際して安倍総理が「GHQの決定を変えるつもりはない」と発言しました。

この発言についての周辺情報をまとめます。

安倍総理「GHQの決定を覆すということは全く考えてはいない」

安倍総理が旧皇族の皇籍離脱=臣籍降下(この用語を使用すること自体が疑問視されているがここではこのように記述する。また、「旧皇族」は皇籍離脱当時の者とその子孫を指すものとする)に関連した質疑に際して、「GHQの決定を覆すことは考えていない」と答弁した質疑は以下になります。

第198回国会 参議院財政金融委員会 第5号 平成31年3月20日 

○大塚耕平君 国民民主党・新緑風会の大塚耕平です。
 景気動向等についてお伺いする前に、昨日来、この委員会で所得税法等改正案に関連して、皇位の安定継承という観点から、天皇家の所得税や相続税の在り方について、渡辺委員からもるる御質問があって、私も今日も午前中、それに関連した質問をさせていただきました。その観点から先にこの質問をさせていただきます。
 今日、宮内庁に来ていただいていますが、敗戦後、GHQの指示によって皇籍離脱をした宮家及び男性皇族の人数をお聞かせください。
○政府参考人(野村善史君) お答え申し上げます。
 昭和二十二年十月十四日に皇室典範の規定に基づき皇室離脱をされたのは十一宮家であり、男子は二十六方と承知しております。
○大塚耕平君 総理、代表質問でも一度お伺いしたことがあるんですが、総理は、御自身の所信の中で、あるいは予算委員会の答弁の中で何度も戦後政治の総決算ということを言っておられるんですが、GHQの指示に基づいて皇籍離脱をされた宮家や皇族がこれだけいらっしゃるということについて、これを是認するお立場でしょうか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 是認というのは、皇籍を離脱された方々が、言わば皇籍を離脱したということについて、それを認めるかどうかということ、という御質問でございますか。
○大塚耕平君 いや、私がお伺いしたいのは、総理は戦後政治の総決算ということを何度もおっしゃって、もう六年も総理を務めておられる。大変長期間お務めになっておられることに敬意を表したいと思います。
 しかし、戦後政治の総決算というならば、せんだって私は日米地位協定の見直しについて質問をさせていただきました。米軍との関係の問題、それから、我が国にとってポツダム宣言を受諾した後に占領された北方領土の在り方、これらについてるる質問をさせていただいておりますが、総理からは、戦後政治の総決算という決意の割には、それに適合するような御答弁をいただけていないような気がいたしております。
 同様に、このGHQの指示に基づいて十一宮家と二十六人の皇族の方が皇籍離脱をしたという、これをこのままにしておいて本当に戦後政治の総決算ができるというふうにお考えですかという質問をさせていただいております。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 皇籍を離脱された方々はもう既に、これは七十年前の出来事で、七十年以上前の出来事でございますから、今は言わば民間人としての生活を営んでおられるというふうに承知をしているわけでございます。それを私自身がまたそのGHQの決定を覆すということは全く考えてはいないわけでございます。
 他方、恐らく皇位の継承との関係で御質問されているんだろうと、こう思うわけでございますが、同時に、この安定的な皇位の継承を維持することは国家の基本に係る極めて重大な問題であると考えておりまして、男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みなどを踏まえながら、慎重かつ丁寧に検討を行う必要があると、このように考えております。

ここには、いくつか注意すべき点があります。

大塚耕平「GHQの指示によって」は少し違う

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昭和22年10月の皇籍離脱について

平成17年の皇室典範に関する有識者会議ページに置かれた【昭和22年10月の皇籍離脱について】 という経緯が書かれた官邸の文書があります。

これによれば、旧皇族が皇籍離脱=臣籍降下をしたのは「GHQの指令」の直接的な効果によるものではありません

終戦後まもなく旧皇族方から申出があった

昭和22年9月30日 衆議院予算委員会 加藤進宮内府次長
……皇族が皇族の列を離れるという希望を示されたのは、終戦後間もなく、皇族の中の二、三の方が示されまして、その後もたびたび示されたのであります。殊に新らしい憲法が施行になります前には、ごくお少さい方を除きましては、今回皇族の列を離脱せらるべき十一の宮家の大人の方が、ほとんど全部皇族の列を離れる希望を表明されたのであります。その希望をわれわれは一日も早く実現することが適当であると考えておりましたが、いろいろの事情から申しましてこれは実現できなかつたのであります。……

「終戦後間もなく」がどの程度の期間なのかが分かりませんが、遅くとも昭和20年の9月中と理解できるのではないでしょうか。

塚越虎男宮内府事務官
……皇族の身分を離れる関係が、どうして今日まで延び延びになつたかというお尋ねのように拝承したのでございます。……そのおもな理由といたしましては、この皇族の身分を離れる際の一時金額、こういうようなものにつきましては、第一回の国会において審議をしてきめるのが適当であるということで、皇室経済法の施行に関する法律というものの中には、日本国憲法施行後の最初の国会において、皇室経済法第六条第一項の一時金額の定額がきめられるまでは、同条の一時金額に関する規定はこれを適用しないというような規定もございます。この日本国憲法施行後の最初の国会において、これらの問題について御審議を願つた上で、この金額をきめるというようなことになつておるのであります。そのようないろいろな事情によりまして今日まで延びました次第でございます。 

第一回目の国会で皇籍離脱をする者への一時金を 決めるのがよいだろうということで、2年ほど離脱までタイムラグがあったという説明です。

皇位継承の観点から問題が無いと判断

【昭和22年10月13日の皇室会議における片山哲議長(内閣総理大臣)の説明より】
……今次戦争が終結しました直後より、皇族のうちから、終戦後の国内国外の情勢に鑑み、皇籍を離脱し、一国民として国家の再建に努めたいという御意思を表明せられる向があり、宮内省におきましても、事情やむを得ないところとして、その御意思の実現をはかることとなり、旧皇室典範その他関係法令について、必要な改訂を加え準備を致しましたが、種々の事情により実現を見るに至らなかつたのであります。そうしてこの問題は、新憲法公布後に制定せられました新皇室典範により、新憲法施行後に実現せられることとなり、これに必要な準備が整いましたので、本日皇室会議の議に付することとなつた次第であります。
皇籍離脱の御意思を有せられる皇族は、後伏見天皇より二十世乃至二十世を隔てられる方々でありまして、今上陛下よりしましては、男系を追いますと四十数世を隔てていられるのであります。これらの方々が、これまで宗室を助け、皇族として国運の興隆に寄与して参りました事績は、まことに大きいものでありましたが、戦後の国外国内の情勢就中新憲法の精神、新憲法による皇室財産の処理及びこれに関連する皇族費等諸般の事情から致しまして、この際これらの方々の皇籍離脱の御意思を実現致しますことが適当であるという状況にあると考えられるのであります。
(略)
皇位継承の御資格者としましては、現在、今上陛下に二親王、皇弟として三親王、皇甥として一親王がおわしますので、皇位継承の点で不安が存しないと信ずる次第であります。……

片山総理大臣が言うには皇籍離脱は旧皇族方からの申出という形式だったとのこと。

しかし、事実上のきっかけはGHQが作ったという評価がなされています。

GHQ覚書「皇室財産に関する件」(いわゆる「皇室財産凍結に関する指令 )と「皇族に関する件」(いわゆる皇族の財産上その他の特権廃止に関する指令 )

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昭和22年10月の皇籍離脱について

これらの指令によってGHQが皇室財産を「締め付けた」ために、現状の皇族の規模では維持できないと考えたものと思われます。

現行の皇室典範がGHQの占領下で制定されたものであり、上記のような指令が為されていたことから、背後にGHQの強い圧力があったと言われています。平成18年に寛仁親王も「皇籍離脱はGHQによる皇族弱体化のための措置であった」という見解を示しており、さらに、片山総理大臣らの証言とは異なり、皇籍離脱に強く反発した皇族も少なくなかったと言います(参考:臣籍降下 - Wikipedia

さて、ここまでの理解をベースに、安倍総理大臣の発言を正確に理解しましょう。

安倍総理大臣の答弁の意味は旧皇族の皇籍復帰の否定なのか?

再掲

○内閣総理大臣(安倍晋三君) 皇籍を離脱された方々はもう既に、これは七十年前の出来事で、七十年以上前の出来事でございますから、今は言わば民間人としての生活を営んでおられるというふうに承知をしているわけでございます。それを私自身がまたそのGHQの決定を覆すということは全く考えてはいないわけでございます。

安倍総理が「GHQの決定」 をどう理解していたのか定かではありません。

直前の大塚議員の質疑では明確に「GHQの指示によって皇籍離脱」と言っていたのですが、それに対応した答弁だったのでしょうか?

でも、そうすると歴史的な事実としてはGHQの決定が直接皇籍離脱の効果を発生させたわけではないですし、平成17年の首相官邸の文書である【昭和22年10月の皇籍離脱について】 とも異なる見解であるということになります。

安倍総理としては、旧皇族は事実上GHQの指令によって皇籍離脱をせざるを得なかったという認識のもとにこのような発言をしたのでしょうか?

そうではなく、安倍総理が事実上の影響力ではなく直接の効果を意識していたならば、答弁における「GHQの決定を覆すことは考えていない」というのは、GHQの指令にあるような「皇室財産についての決定を覆すことはない」という意味となり、旧皇族の皇籍復帰そのものを否定しているわけではないということになります。

ただ、いずれであったとしても、3月20日の答弁において「旧皇族の宮家ごとの皇籍復帰」は否定していたとしても、個人レベルでの皇籍復帰まで否定しているかは定かではありません(旧皇族の中にも男系男子とそうでない方がいらっしゃる)。

まとめ

  1. GHQが皇籍離脱を直接的に指令したという文書等は残っていない
  2. しかし、事実上、GHQの指令が皇籍離脱を引き起こしたと言える
  3. 安倍総理が覆さないとした「GHQの決定」は、単に元の皇室財産についての指令なのか、それとも皇籍離脱という結果も含めたものなのかは不明
  4. いずれにしても、旧皇族の個人レベルでの皇籍復帰まで否定しているかは定かではない

少なくとも現時点で「安倍総理は旧皇族の皇籍復帰の可能性を否定している」と評価するのは拙速のような気がします。

以上 

追記:安倍総理は「11宮家全部の復帰」を考えていないだけ

【新元号】安定的な皇位継承の確保を検討 男系継承を慎重に模索(1/2ページ) - 産経ニュース

(旧11宮家の皇籍離脱は)70年以上前の出来事で、皇籍を離脱された方々は民間人として生活を営んでいる。私自身が(連合国軍総司令部=GHQの)決定を覆していくことは全く考えていない

 安倍晋三首相は、3月20日の参院財政金融委員会でこう述べた。これが首相が旧宮家の皇族復帰に否定的な見解を示したと報じられたが、首相は周囲に本意をこう漏らす。

 「それは違う。私が言ったのは『旧宮家全部の復帰はない』ということだ

 また、首相が女性宮家創設に傾いたのではないかとの見方に関しても「意味がない」と否定している。

 一時期、安倍総理が「旧宮家の皇籍復帰はない」と言ったと騒がれましたが、実際には「11宮家すべての復帰」は考えていないという意味でした。

現状、この発言よりも3月20日の「全く考えていない」という言葉が検索上位に来ていますし、多くのメディアは「旧宮家全部の復帰はない」と言ったことを無視しています。

日本国憲法第一条と皇位継承:天皇の存在は「日本国民の総意に基づく」の誤解と女系天皇・女性天皇

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日本国憲法第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とありますが、女系天皇・女性天皇の議論等において誤解が拡散されています。

憲法1条「日本国民の総意」の意味

日本国憲法 第一章 天皇
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く

国民の総意」に基づくというのは、天皇の地位が何に基づくかという話です。

法理論上、大日本帝国憲法では天皇という御存在の根拠が「天壌無窮の神勅」であったのに対して、現行憲法では「日本国民の総意」に基づくという、憲法を前提とした存在であるという意味を指しています。

もちろん、歴史的事実からは、遥か昔から日本国民が存在を是認してきたということがあったのであって、明治憲法から現行憲法になったからといって天皇の存在の存立基盤が変わったということにはなりません。

ましてや、国民投票や国会の議決で全会一致しなければならない、という意味ではありません。

「国民の総意」は現在の国民に限られず、過去・将来の国民も含まれる

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日本国憲法第1条・第2条に関連する政府の説明

日本国憲法第1条・第2条に関連する政府の説明】にも同様の説明があります。

さらには、「国民の総意」は現在生きている具体的な日本国民に限られません

②昭和21年7月3日 衆議院帝国憲法改正案委員会 金森徳次郎国務大臣
《 …… 「 国民トハ現在ノ瞬間ニ於キマシテ、日本ニ生キテ居ル国民ノコトデアルノカ、サウデナシニ、ソレガモウ一ツ理念化サレマシタ国民、モツト極端ナ表現 スレバ、日本ノ民族国家形成以後ノ国民、乃至ハ今後之ヲ形成スベキ国民ト云フモノモ其ノ中ニ含マレテ居ルノカドウカ」との問に対して》第一条ニアリマスル日本国民ト申シマスルノハ、理念的ニ申シマスレバ、現在ノ瞬間ニ生キテ居ル日本国民デハナクテ、是ト同一性ヲ認識シ得ル過去及ビ将来ノ人ヲモ併セ考フル考ヘ方デアリマス

④昭和21年7月12日 衆議院帝国憲法改正案委員会 金森徳次郎国務大臣
日本国民ノ総意ト云フモノハ、統合シテ一ツニナツテ居ルモノデアリマシテ、一人々々ノ人間ニ繋ガリハ持ツテ居リマスルケレドモ、一人々々ノ人間其ノモノデハアリマセヌ、サウ云フモノガ過去、現在、未来ト云フ区別ナク、一ツノ総意ガアル訳デアルト思ツテ居リマス

この質疑の中でも、「国民の総意」と皇位継承の話は関連付けられていません。

「国民の総意」は皇位継承権を決定する根拠ではない

国民の総意は、天皇という存在を認めるかどうかについての話です。

皇位継承資格を誰に付与するのかという具体的な事項のテクニカルな話についてまで「国民の総意」で決めなければならないということではありません

「国民の総意」という言葉は日本国憲法上、憲法1条にしかない上に(上諭にもあるが憲法典そのものではない)、現在の日本国民にとどまらないのですから、そういう解釈は不可能です。

したがって、TVのコメンテーターが言うような、このような認識は間違いです。

また、「国民の総意」と国会の役割=皇位継承 (時事通信社)のように、マスメディアはそれを分かった上で「カッコ書き」で「国民の総意」という言葉をちりばめています。

「皇室典範は国会で決めるから皇位継承も国民の総意だ」という論理

日本国憲法 

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

憲法2条に皇位継承は世襲であり、国会の議決した皇室典範で定めるとあります。

「国会は国民の代表で構成されるから皇位継承権も国民の総意」との意見があります。

しかし、するとこの意見は、国会で議決された何らかの法規範はすべて「憲法1条の国民の総意」であるという立場に立っていることになります。

少なくとも私はそんな珍説を唱えている憲法学者を知りません。

国会で議決された(皇室典範含む)法律はすべて憲法1条に言うところの国民の総意であるとします。

そうすると、たとえば以下も「国民の総意」となってしまいます。

第九十条 ー省略ー
○2 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。

これを受けて会計検査院法があります。

会計検査院の組織規定が過去・現在・未来も含めた「日本国民の総意」とでも言うのでしょうか?単なる一行政機関の話ですよ?そんなわけないでしょう。

まとめ:「国民の総意」が女系天皇・女性天皇論に悪用されている

マスメディアなどは皇位継承資格を持つ者が誰かを決める際には「国民の総意が大事だ」、という言い回しをする場合がありますが、これは憲法上は誤りです。

国会答弁でも「国民の理解と支持が得られるよう…」などという表現であり、これは単に「日本国民の感情に一定程度配慮する」というニュアンスでしかありません。

安定的な皇位継承のための施策について議論をしている政府内においても、「国民の総意」という言葉ではなく、「国民のコンセンサス」であるとか別の表現を用いています。

この話について憲法1条をわざわざ持ち出して、何か大層な正当性があるかのような言説を撒き散らしている者はすべて議論誘導に過ぎないので気を付けましょう。

以上

【女系天皇・女性天皇・女性宮家】皇室典範に関する有識者会議の報告書のデタラメぶり

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平成17年に【皇室典範に関する有識者会議】が開催され、女系天皇・女性天皇を容認すべきだとする報告書が出されました。

結局、この報告書はデタラメと論理矛盾に満ちた悪質なものであることが分かりましたので、この通りの方針は政府は採っていません。ただ、現在議論されている事柄の多くはここで表れています。

報告書のどの部分がどうデタラメなのか指摘します。

皇室典範に関する有識者会議の報告書が出た背景

当時、皇室に男系男子の世継ぎがお生まれになっていませんでした。

秋篠宮悠仁親王殿下は、平成18年9月6日にお生まれになりました。

それまでは、皇統の断絶の危機が差し迫っているとして深刻な問題になっていました。

そこで有識者に対してヒアリングを行ったのですが、その期間はわずか1年でした。

有識者といってもたった8名の一部の限られた人物に対してのみ行われたに過ぎず、およそ十分な議論が尽くされたとは言えないものでした。

その中で女系天皇・女性天皇の容認論が結論になりました
(「女性宮家」については検討の跡が無いが、それに繋がる議論はなされている)

このような議論の進め方はあまりに拙速であるという反省のもと、その後の政府は動いています。

そして、次項以降に指摘するように、結論を導く過程でデタラメな根拠が持ち出されているという問題もあったのです。

女系天皇・女性天皇を認めるべき根拠:合計特殊出生率というデタラメ

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皇室典範に関する有識者会議報告書7ページ

平成17年の皇室典範に関する有識者会議報告書では、男系男子による皇位の安定的継承が困難であることの根拠として、『合計特殊出生率1.29』という指標を持ち出しています。

皇室典範に関する有識者会議が用いた合計特殊出生率とは

合計特殊出生率とは、「15~49歳までの女性の年齢別出生率を合計したもの」です。

2種類ありますが、有識者会議報告書が使ったのは「期間」合計特殊出生率です。

これは、ある期間(1年間)の出生状況に着目したもので、その年における各年齢(15~49歳)の女性の出生率を合計したものです。女性人口の年齢構成の違いを除いた「その年の出生率」であり、年次比較、国際比較、地域比較に用いられています。

厚生労働省:平成16年人口動態統計月報年計(概数)の概況では1.29となっています。

合計特殊出生率は、未婚の女性も母数に含まれている

お気づきでしょうが、この指標は「未婚の女性」「子を産んでない女性」も母数に含まれています

ですから、「婚姻している夫婦の間にどのくらい子供が生まれているのか?」という疑問に対する答えとしては不適切です。

そのための指標は平成16年当時もありました。

完結出生児数とは

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内閣府: 平成30年度 少子化の状況及び少子化への対処施策の概況

完結出生児数とは「結婚持続期間が15~19年の初婚同士の夫婦の平均出生子供数」です。

平成27年の完結出生児数は1.94と過去最低ですが、子を持たない夫婦や経済状況から子供を1人にとどめた夫婦なども含まれています。

したがって、皇室の夫婦の出生率について語る場合には、合計特殊出生率は不適切であり、完結出生児数を参考にするべきなのです。

平成17年(2005年)の数値は2.09と出ていますし、それ以前の数値も2.20以上ですから、平成17年の有識者会議がなぜこの指標を用いなかったのか、首をかしげてしまいます。

もちろん、だからといってお世継ぎ問題が安泰であるというわけではありませんが。

小まとめ:平成17年の報告書はトンデモ論

このようにして、平成17年の有識者会議の結論を導いた根拠の一つは、トンデモ論とでも言えるものに過ぎなかったのです。

これは皇室に関する知識がまったく無くとも気づけるものです。

次項以降は、論理的な誤魔化しについても言及します。

「旧皇族の皇籍復帰は異例」として無視

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皇室典範に関する有識者会議報告書8ページ

旧皇族の皇籍復帰については「異例だから」 ということで無視しています。

でも先例としてはあることはあります。

また、これは現在も多くの女系天皇・女性宮家推進論者が言うことですが、「何十年も民間の垢にまみれた、どこの馬の骨とも分からないような連中が皇族になるなんて…」という物言いがあります。

しかし、彼らは125代遡っても神武天皇に行きつくことの無い民間の男性を婿に取ることは、「どこぞの馬の骨」とは言わないんですよね。本当に不思議です。

女系天皇・女性宮家は、歴史上の例がゼロの制度です。

それと比べて、旧皇族の皇籍復帰や旧皇族の養子縁組などは、細かい条件を見れば確かに歴史上を見ても「異例」ですが、枠組みとしては先例があるわけです。

それを無視して一足飛びに女系天皇・女性宮家しかないと結論づけているのは、単に論理的な思考ができていないということ以上に、思惑を感じざるを得ません。

女系天皇・女性天皇の法的ハードルに関する議論

最初に、先例の無い女系天皇と8つの例外事例がある女性天皇を同列に論じている点で、非常に悪質です。

その上で、安定的な皇位継承についての他の方法との扱いの違いが際立っています。

女系天皇や女性天皇は憲法上は可能であるという謎理論

前項の図にあるように、平成17年の報告書は

「憲法において規定されている皇位の世襲の原則は、天皇の血統に属する者が皇位を継承することを定めたもので、男子や男系であることまでを求めるものではなく、女子や女系の皇族が皇位を継承することは憲法
の上では可能であると解されている」

という謎理論を展開して正当化に走っています。

「憲法上は可能」は旧皇族の皇籍復帰や養子も同じ

日本国憲法

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

確かに、憲法上は、「皇位は世襲」 としか書いておらず、文言上は女系天皇や女性天皇を排除していないように見えます(「世襲」は男系のみであるという指摘もあるが、ひとまず置いておく)

しかし、それを言うのであれば、旧皇族の皇籍復帰や養子縁組も憲法上は可能である、と言うことができます。

ただ、皇室典範の定めは次の通りです。関連規定だけ抽出。

皇室典範

第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

第六条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。

第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができない

第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない

現行の皇室典範では男系男子にしか認めていません。

ですから、女系天皇も、女性宮家も、現行皇室典範では認められていません。

また、旧皇族の皇籍復帰(皇族になること)と養子縁組も認められていません。

これを改正するかどうか、という話であるのに、なぜか女系天皇・女性天皇に対してだけは「憲法上は可能」などという意味のない言辞を弄しているのです。

検討の基本的な視点として「制度としての安定性」を無条件に据える愚 

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皇室典範に関する有識者会議報告書3ページ

「制度としての安定性」「裁量的な判断や恣意の入る余地がない」

これは一見するともっともなことを書いているかと思いきや、とんでもない罠です。

本来は「安定性を重視するか否か」も議論の対象であるハズです。

そもそも、皇室は125代もの間、男系継承という(比較的)「不安定な」方法で皇統を継いできたのです。

不安定な制度だからこそ、断絶の危機は何度かありました。

光格天皇の皇位継承

230年以上前の話ですが、明治天皇の3代前の天皇である光格(こうかく)天皇は、後桃園(ごももぞの)天皇の崩御の直前に、後桃園天皇の養子になることで皇位を継承しました。

両者は面識もなく、光格天皇は齢8歳でした。

このとき、伏見宮貞敬(さだゆき)親王も候補に挙がっていました。天皇となった祖先は、1348年~1351年(南北朝時代)の北朝の崇光(すこう)天皇か、北朝を認めないなら1298年~1301年(鎌倉時代)の後伏見天皇まで遡ることになります。世数にして20数代はあるでしょう。(即位していない者で考えると崇光天皇の孫であり102代後花園天皇の父である貞成(さだふさ)親王が最も直近)

後桃園天皇には欣子(よしこ)内親王という子女が居ましたが、当時生後七か月であり、ピンチヒッターとしても不適切でした。そこで直系優先であるとして自動的に彼女に皇位継承せず、裁量によって傍系の光格天皇に決定されたという先例があります。

「安定的な皇位継承」の意味

このような「不安定な」皇位継承を行ってきた皇室が、「安定性のある」皇位継承をしてきたなら、ここまで「ありがたみ」を感じているでしょうか?

「安定的な皇位継承制度」というのは、男系継承という根本原理に倣った上で、可能な限り先例を踏襲するという意味において検討されるべき事柄でしょう。

現在の、将来的に皇位継承者が悠仁殿下のみになる状況よりは安定的な状況を求めることと、最初から安定性をお題目にして制度設計をすることとは、まったく質が異なります。

「男性優位の観念と結びついていたと思われる」という傲慢

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皇室典範に関する有識者会議報告書10ページ

男系継承が男性優位、女性蔑視であると主張する者が居ますがとんでもない。

男系継承とは、男性を締め出す制度です

近代以降でも明治天皇・大正天皇・上皇陛下の后はいずれも民間出身です。

皇室が民間の男性を皇族にしたことは一度例もありません。

民間男性が皇室に入ることができるというなら、野心溢れる男が皇族女子を狙い、籠絡しようとしていたでしょう。道鏡のように。

それを何らの検証もなく「思われる」で済ます報告書には、誠意を微塵も感じません。

女性宮家の創設とは「制度化された道鏡」

女性宮家の創設とは「制度化された道鏡」に他ならない 倉山満

藤原道長と言えば、三条天皇をいじめ殺すなど横暴の限りを尽くした。道長のような横暴を行った権力者は何人もいる。しかし、その誰もが「皇族の女性と結婚して自分の子供を皇族にする」などとは考えなかった。自分が皇族と結婚して子供を天皇にしてよいなら、「天皇をいじめ殺す」などという回りくどいやり方をする必要はない。

倉山満氏が女性宮家の創設をすることはどういう意味なのかということを、歴史上の事例を踏まえて解説しています。

総まとめ:形を変えた女系天皇論=女性宮家創設論

  1. 平成17年の報告書は合計特殊出生率などという未婚女性も含む指標を使って男系継承が困難であるというデタラメを言っている
  2. 旧皇族復帰や養子も同様なのに「女性天皇・女系天皇は憲法上は妨げられていない」という無意味な内容が書かれている。
  3. 検討の基本的な視点として「制度としての安定性」を無条件に据えている
  4. 男系継承は「男性優位の観念と結びついていると思われる」と、何らの前置きもなく認定する傲慢な内容

 

平成17年の報告書が提出されたあと、女系天皇・女性天皇の容認論は悠仁殿下のご誕生により下火になりました。

その代わり、形を変えた女系天皇容認論として、女性宮家創設論がじわじわと展開されるようになります。皇位継承の問題だったものを、それと切り離した「女性皇族の減少」の問題であるとして誤魔化しています。

今のところ、政府・菅官房長官などもこの術中にはまっているようです。

皇位継承については今後、政府内で議論が進みます。

平成17年の報告書のようないいかげんな手続き・議論が行われないように監視しなければなりませんね。

以上 

「菅義偉官房長官が女性宮家を推進している」という主張について

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菅義偉官房長官が女性宮家・女系天皇を推進しているという主張があります。

菅官房長官の発言を振り返っていきましょう。

水間政憲のブログとyoutube動画

●緊急拡散宜しく《菅官房長官が「女性宮家」推進を明言、保守派国民は総力を結集して阻止しなくては日本崩壊です》 - 【水間条項ー国益最前線ジャーナリスト水間政憲のブログです。】

■一連の反日法案「移民法」(特定技能第2号:更新可、家族残留可)や
「日本分断法」(アイヌ新法)、種子法、水道法等の
国家解体に直結する法案を推進していた菅官房長官が、
究極の国家解体に直結する「女性宮家」法案の実現を
「新天皇の即位後速やかに議論」(19/03/18)と、予算委員会で明言しました。

菅官房長官は、女性宮家などについて
「新天皇の即位後、速やかに議論を始める」意向を表明し
「皇族数の減少等については、皇族方のご年齢からしても
先延ばしすることはできない重要な課題である」と認識を示して
「(新天皇が)ご即位された後、というふうに考えています」と、
即位後即座にすることを明言しました。しかし、今上陛下のお姉さまの照宮成子内親王と東久邇盛厚王と御結婚され三名の男子が誕生されており、それぞれ皇太子殿下より天皇陛下の血が濃いことは、国民にはいまだ認知されてません。また、その三方には男子のお孫さんが三名いらっしゃいます。それらの家族から皇族復帰いただければ、皇位継承問題は解決するのです。皇統は一天皇家族の継承によって維持されてきた訳ではありません。速やかにGHQによって皇籍を奪われた皇族の中から男系男子のいらっしゃる方に戻って戴ければ、皇位継承問題は一気に解決するのです。

この「女性宮家」は、2千数百年の我が国の歴史の崩壊を意味する
「国家解体法」そのものであり、菅官房長官が我が国を解体しようとしている事を
国民は認識する必要があります。

菅官房長官は、日本語をまともに喋れない滑舌の悪さは、国民周知のことですが、
そのような菅官房長官が「美智子皇后陛下」の意向であっても
国民は皇統を破壊することなど認めておりません。

  1. 女性宮家は「国家解体法」である
  2. その議論を菅官房長官が推進しようとしている
  3. 2019年3月18日の予算委員会で菅官房長官は発言した

どうも初出は水間政憲氏のブログとYoutube動画のようです。

女性宮家 推進 菅 - Twitter Search

「女性宮家 推進 菅」で検索しても、このような評価をするのは3月18日以降です。

同様の主張は動画でも行っていることが分かります。

女性宮家推進がなぜダメなのか?

女性宮家創設の問題点と小室圭:男系男子による皇位継承のために

上記の記事でもまとめましたが、旧皇族の皇籍復帰や養子縁組など、安定的な皇位継承の方法はいくらでもあるのに、歴史上例のない女性宮家創設は皇統を破壊することに繋がりかねないので、問題視されているのです。

旧皇族に皇位継承をするに相応しい男系男子が居るということは【皇室制度に関する有識者ヒアリング平成24年(2012年)4月10日】において百地章教授が示しています。

水間氏も2017年にひと目でわかる「戦前の昭和天皇と皇室」の真実【電子書籍】[ 水間政憲 ]を出版して指摘しています。

「菅義偉官房長官が女性宮家推進」?の国会参議院予算委員会

平成31年年3月18日 第198回国会参議院予算委員会(第十一回)
参議院インターネット審議中継 ※議事録はUPされていません。

片山:天皇陛下の退位特例法の成立にあたっては、国会の附帯決議で「特例法の施行後速やかに安定的な皇位継承策の検討を求める」ことがつけられました。特例法の施行日はいつかというとですね、天皇陛下が退位される4月30日になります。そうすると検討はいつから始めるのか?ことしのうちなのか?それとも秋篠宮さまの立皇嗣の礼が終わる1年後まで待ってからなのか。どのようにお考えになっているのか教えて頂けますでしょうか。

菅:安定的な皇位の継承を維持することは国家の基本的かつに関わる極めて重要な問題であり、しかし、この男子継承が古来例外なく維持されてきたことの重みなど踏まえながら慎重かつ丁寧に検討を行う必要があるというふうに思っております。また女性皇族の婚姻等における皇族数の減少等については、皇族方の御年齢からしても先延ばしすることはできない重大な課題であると認識をいたしております。この課題への対応等については様々な考え方、意見があり、国民のコンセンサスを得るには十分な分析・検討、と慎重な手続が必要だというふうに思います。ただ、いずれにしろ今委員からご指摘ありましたように衆参両委員会で可決された附帯決議の趣旨を尊重してしっかりと対応していきたいと思っております。

これを見ると、菅官房長官の発言中には「女性宮家創設に向けて推進する」などのような文言はありませんね。

ところで、「国会の附帯決議」とは何でしょうか?

附帯決議とは、法的拘束力はないが、政府はそれを尊重しなければならないとする事実上の法規範となる、条文とは別個の立法機関の決定です。

附帯決議は政治的な妥協の産物として玉虫色の内容になっていることが多いです。

天皇の退位等に関する皇室典範特例法の附帯決議

天皇の退位等に関する皇室典範特例法 法律第六十三号(平二九・六・一六)】とは、天皇の代替わりについて規定した特別法です。

この法律が成立するにあたって、衆参両議院において以下の附帯決議がなされました。

天皇の退位等に関する皇室典範特例法案:参議院

衆議院附帯決議(平成二九年六月一日)参議院附帯決議(平成二九年六月七日)
一 政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、皇族方の御年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題であることに鑑み、本法施行後速やかに、皇族方の御事情等を踏まえ、全体として整合性が取れるよう検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること。

確かに「女性宮家」という単語が見えます。 

「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について」

この一文の理解は結構やっかいです。政治的な駆け引きのあとが見られます。

「安定的な皇位継承」と「女性宮家の創設等」の分離

まず、「安定的な皇位継承を確保するための課題」と「女性宮家の創設等」とが、別建てになっているのか、そういう意識はなく並列に表記しているだけなのか、という問題があります。

女性宮家を創設しても、それだけでは男系男子による皇統の維持はできません。

ですから、皇位継承の話と皇族減少の話を切り分けて論じるべきだという意見が国会質疑においても議員側の主張として見られました。

そうではなく、皇位継承の問題としても女性宮家創設の話を扱う、という意見の者も、世の中には居ます。

次に、後者の『女性宮家の創設「」』となっている部分。

法律の規定に読み慣れている者なら分かりますが、例示列挙です。

つまり、「女性宮家」は単に、ありうる選択肢の一つであって、それ以外の方法を検討することは、まったく妨げられていないということになります。こちらは明確に理解できます。

さらには、附帯決議があるために、菅官房長官の個人的な意思とは無関係に、政府として検討はしていかなければならないという事でもあるのです。

皇室典範特例法の附帯決議の趣旨とは

以上のような内容の附帯決議なので、菅官房長官が「衆参両委員会で可決された附帯決議の趣旨を尊重して」と言ったのは、何らの手段を限定したものではなかったと言えます。

そもそも3月18日の片山大介議員の質問も「安定的な皇位継承策の検討を求める」についてのみ言及していますから、専ら女性宮家の創設「のみ」を菅官房長官が推進することを目指している、と理解することは、この答弁からは無理があろうかと思います。 

附帯決議が決定された日の衆参の議事録や6月1日の議院運営委員会を見ても、女性宮家創設だけを検討すべきであるという議論にはなっていません。

論理的には、皇位継承の問題は皇族の減少の問題とリンクしています。

ですから、安定的な皇位継承のための施策を検討する中で、皇族の減少の問題は解決できるのであって、「女性皇族の減少」 というような問題設定を敢えてする意義は無いと言えます。

にもかかわらず、菅官房長官が「女性皇族の婚姻等による皇族数の減少等に係る問題」というように、「付帯決議の中で女性宮家と皇位の安定(継承)は分かれて書かれている」として、女性宮家と皇位の安定継承の議論は別物との認識のもとに何度も答弁しているのは、私も不満です。

ただ、これは民主党野田政権時代の平成 24年 10 月5日に報告された【皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえた論点整理】において、女性宮家の問題は「緊急度が高い」ために安定的な皇位継承の問題とは切り離されていたことを踏襲しているという見方もでき、これだけで菅官房長官の個人的意思と見るのは難しいような気がします。

その後の菅官房長官の発言

2019年3月18日:皇位の安定継承策「即位後、時間を待たずに」 官房長官: 日本経済新聞

2019年5月1日:官房長官 女性宮家創設など「慎重に検討」 | NHKニュース

「女性宮家の創設など」という文言で報じられており、専ら「女性宮家のみ」を推進するかのようなニュアンスは読み取れません。

まとめ:水間氏の思惑は…

水間氏が別の取材によって、菅官房長官の見解を確認しているというのならまだしも、彼は3月18日の答弁のみを挙げて「菅さんが女性宮家推進」と言っているのですから、違和感を覚えます。

ただ、安定的な皇位継承の問題と皇族数の減少の問題と分けて考える必要はないのであって、その限りで、両者を分けて考えているように見える菅官房長官の発言には不満です。

水間氏が菅さんを「女性宮家推進」と言っているのは、菅さんが皇位継承の問題と皇族数の減少への対処の問題を切り離して語っていることが理由であるとすれば、それは一理ある指摘だと思います。

(ただ、それは3月18日以前から言っていたのであって、なぜそのタイミングで言い出したのかは本当に謎でしかないわけではありますが…)

以上