皇位継承問題(後継ぎの不足)に対応するため、旧皇族(旧宮家)の男系男子を皇室に養子縁組するという方法が考えられています。
その歴史上の前例と法的な障害について簡単に整理します。
皇室の養子縁組・猶子の歴史上の前例
皇族の「養子」に関する史的考察 所功を参考にしていきます。
猶子(ゆうし)・実子とはどういう意味か
皇族の養子は「猶子」(ゆうし)とも言います。
また、「実子」という言葉も「実の子と同じ扱い」という意味であり、養子と猶子と同じ意味で使われていました。
皇族の養子・猶子の歴史上の事例
皇室における養子は大別すると以下の場合になります。
- 皇位の直系継承を擬制することを目的として、養子をするもの。
- 親王宣下を目的として、養子をするもの。
- 世襲親王家や寺家等の家の継承を目的として、養子をするもの。
- 天皇・上皇が、特別の恩寵により、皇族を養子とするもの。
ここでは1,2番目のみを取り上げます。
皇位継承の目的で養子をする例
代表的な例として後花園天皇(彦仁王)と光格天皇(兼仁親王)があります。
いずれも血縁で見れば先代の天皇から7親等離れています。朝廷内の権力争いや近親者の病死によって後継ぎ問題が生じていたために遠縁の皇族を天皇の養子にして皇位継承の正統性を与えようとしたことがわかります。
親王宣下を目的とした養子
親王宣下を受けることを目的として,養子となる例
- 921年,宇多上皇(第 59 代宇多天皇)と藤原褒子の間に生まれた皇子(雅明)は、宇田上皇が出家後に誕生したため、醍醐天皇の子として親王宣下
- 1019年,敦明親王の王子・王女を敦明親王の父に当たる三条上皇(第67代三条天皇)の子として親王宣下
- 1455年,第94代後二条天皇の5世孫邦康王を後崇光上皇(貞成親王)の猶子として親王宣下
親王宣下(しんのうせんげ)とは、皇族の子女に親王・内親王の位を与えることです。
親王と王とでは位の違いはありますが、皇位継承権の有る無しの話ではありません。
現行皇室典範第六条では、「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする」とあるように、「三世」という基準を設けています。
皇族の養子になっただけでは皇籍復帰はしない?
あの悪名高い平成17年の皇室典範に関する有識者会議報告書参考資料では「養子になっただけでは皇籍復帰せず、別に親王宣下を蒙れば皇籍復帰する」と書かれているところがあります。
しかし、醍醐天皇は仁和3年(887年)、父の皇籍復帰と即位(宇多天皇)に伴い、皇族に列することになった3年後の寛平元年12月28日(890年1月22日)に親王宣下を受けているので、皇籍復帰と親王宣下は連動していません。
そもそも親王宣下は親王の位を授ける行為なので、「皇族たる王」が皇族ではないことになるのでおかしい。
一般国民たる男子が皇族の養子になれば皇族になるわけではないというのは、確かに概念上はそうなのかもしれません。しかし、実際には「皇籍復帰」が伴うため、考える必要のない事項でしょう。
むしろ、現代では別の問題があります。
もう一つの9条
現行皇室典範の規定は、養子を禁止しているのです。
現皇室典範9条の規定
第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。
したがって、旧皇族の男子を皇族の養子とするためには、皇室典範9条を改正しなければなりません。
「もう一つの9条」と呼ばれたりしています。
旧皇室典範42条も養子を禁止
旧皇室典範
第四二条「皇族ハ養子ヲ為スコトヲ得ス」
伝統的に皇室で養子が行われていましたが、明治以降、養子が禁止されました。
その経緯について皇族の「養子」に関する史的考察 所功から抜粋します。
明治以降、養子が禁止された経緯
旧典範の立法趣旨を振り返ると、起草の途中段階までは親王宣下や庶子継承に伴う養子(猶子)などの是非も論議されていたようです。
しかし、養子・猶子は「古の典礼に非ざる」沿習(因襲)にすぎないとみて、 「宗系紊乱」つまり中国的な宗族(父系同族集団)の系統(同祖子孫秩序)が乱れることを防ぐために禁止したとあります。
その背景をみると、旧典範の制定当時、幕末維新を機に「近代宮家」が次々と創立され、皇族男子の数が段々と多くなっていたことや、皇室典範では「永世皇族制」を認めたため、現に多い皇族が今後ますます増えていくと見込まれていたようです。
それゆえ、養子縁組までして宮家を存続させる必要がなく、むしろそれによって生じがちな混乱を防ぐ必要があった、と考えられています。
憲法2条「世襲」にも抵触しない
日本国憲法
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
「世襲」の意味は歴史上、天皇が一定の血縁関係にあるものにより継承されてきたことを指しています。その上で皇室典範で決めると書いてあり、皇室典範第一条では「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」とされています。
ですから、「皇族であり」「(歴代天皇の血筋を引く)男系男子」であれば、たとえ養子縁組であったとしても、憲法の規定に抵触しないということになります。
「世襲」に女系が含まれるのかどうかについては戦後の帝国議会等で新憲法制定前に議論がされています。
参考:憲法2条「皇位は世襲のもの」と大日本帝国憲法の「万世一系」の定義・意味とは
「もう一つの9条」改正の必要性と許容性と合理性がある
古の皇室はそのときどきの皇族の数を適切に保つように調節してきたということは、皇族世表にも書かれています。
あまりに多くの皇族が居ると財政的に持たないため、皇室の品格を維持するために3世、4世でもバンバン臣籍降下させていました。
翻って、現在の皇室の状況はどうでしょうか?
「皇族の数が減少している」というのは養子を禁止した趣旨と逆の状況ですから、「もう一つの9条」を改正する必要と合理性はある、つまりは立法事実は確実に存在するでしょう。
自民党有志の提言
旧宮家男子の皇族復帰を可能に 自民有志の提言案 - 産経ニュース
安定的な皇位継承に向け、自民党の保守系有志議員による「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」(代表幹事・青山繁晴参院議員)がまとめた提言案が20日、分かった。例外なく父方に天皇がいる男系の継承を堅持し、旧宮家の男子の皇族復帰を可能とする皇室典範の改正か特例法の制定が柱。23日に正式決定後、安倍晋三首相や自民党幹部に直接手渡す方針だ。
そして、令和元年10月20日には、青山繁晴氏らを中心とする自民党の有志が、養子縁組を認めることを含める提言案をまとめました。
内容は大別して3つです。
旧皇族の男系男子の皇籍復帰
これは現在の旧皇族の男系男子が、養子縁組をせずとも皇籍復帰をすることができるようにすることを意味します。
なお、旧皇族の家系がそのまま皇籍復帰するパターンと、男系男子が個人単位で皇籍復帰するパターンが考えられます。
旧宮家男子の天皇・皇族への養子縁組
これが本稿で論じてきた内容です。
運用としては、成人した男子も対象にするのか、それとも皇族としての教育をするために幼少期に皇族として迎え入れるのか、という議論はあるでしょう。
なお、養子縁組は先例に従って正統性を確保する行為なので、皇籍復帰を伴う行為のはずです。
女性宮家創設の否定
旧宮家男子の皇族復帰を可能に 自民有志の提言案 - 産経ニュース
提言案では、女性皇族が結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」の創設について、婚姻した民間人男性が皇族となり、男系継承の伝統が途切れる女系天皇の呼び水になりかねないことから、否定的な見解を示す。
女性宮家だと何が問題なのか?
女性宮家創設の問題点と小室圭でまとめていますが、先例が無い上に、女系天皇に繋がりかねず、皇室の乗っ取りが起こるということが問題です。
即位の礼の後に活発化する議論やフェイクに備えよう
安倍総理や菅官房長官は10月の即位の礼の儀式が済み次第、皇位継承問題についての議論を開始すると言っています。
平成17年の皇室典範に関する有識者会議の資料を見てもわかるように、デタラメな説明が横行していた時期があります。
今回もそれ以上にいろんなフェイクが飛び交うことが予想されますが、歴史上の事実をベースに論じている人間こそが、間違いのない説明をしているのだと認識していくべきでしょう。
以上