事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

立法府の長は誰か?安倍内閣総理大臣のミスを嗤うな

立法府の長

参照:衆議院HP:http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kokkai/kokkai_sankenbunritsu.htm

平成30年11月2日、衆議院予算委員会で安倍内閣総理大臣が「私は立法府の長として」と発言し、直後に「行政府の長」と修正しました。

あいかわらずメディアや野党が狂喜乱舞しています。

過去の安倍総理の「立法府の長」発言

ちなみに安倍総理が立法府の長と言ったのは平成19年5月11日日本国憲法に関する調査特別委員会が最初です。二回目は平成28年4月18日TPP特別委員会(環太平洋パートナーシップ特別委員会)です(議事録は「行政府の長」に修正されています。衆議院インターネット中継を見れば立法府と発言した後に訂正しています)。

また、平成二十八年五月十六日の衆議院予算委員会における安倍内閣総理大臣の答弁でも同様の発言をして修正しています。

平成二十八年五月十九日提出質問第二八〇号 安倍総理の「議会については、私は立法府の長」との発言に関する質問主意書

平成二十八年五月二十七日受領答弁第二八〇

衆議院議員逢坂誠二君提出安倍総理の「議会については、私は立法府の長」との発言に関する質問に対する答弁書

一について
 お尋ねについては、いずれも法律上の用語ではなく、明確な定義があるものではないが、一般に、「立法府の長」は立法機関である国会を構成する衆議院及び参議院の議長を指すものとして、「行政府の長」は行政権の帰属する内閣の首長たる内閣総理大臣を指すものとして、それぞれ用いられていると承知している。
二、三及び五について
 御指摘の平成二十八年五月十六日の衆議院予算委員会における安倍内閣総理大臣の答弁は、「行政府の長」の単なる言い間違いであることは明白であり、「国会は自分のコントロール下にあると思っている」等の御指摘は当たらない。
 また、御指摘の同月十七日の参議院予算委員会における安倍内閣総理大臣の答弁は、立法府のことについて、政府としてお答えする立場にはない旨を述べたものであり、「立法府の長である」と発言したものではない。
四について
 一般に、議会と政府とを分立させつつ、政府の存立を議会の信任に依存させる統治制度である議院内閣制の下においても、議会の運営に関することは議会で決められるべきことであると承知している。

単なる言い間違いですね。

これをわざわざ質問する方がおかしいですね。

人のミスをあげつらって非難するだけで何ら生産性の無い記事を書くだけのマスメディア、いいかげんにしてほしいですね。

根本的な理解不足については無視するメディア

先日あった毎日新聞の記者の事案も、訂正・謝罪しているのでそこまで記者個人を叩くのはおかしいと指摘しました。

ただ、これは三権分立についての根本的な理解不足に基づくツイートでした。

それよりも単なる言い間違いに狂喜乱舞している人やマスメディアって何なんでしょうか?

以上

三権分立の意味と適用場面:毎日新聞高橋記者のミスを嗤うな

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毎日新聞の高橋昌紀記者が河野外相の韓国の徴用工判決に関する抗議に対して、『韓国政府に「お前の所の最高裁を何とかしろ」との要求か。三権分立の無視も甚(はなは)だしい。日本国内で同様のことをしているから、おかしいとは思わないのだろう』というツイートをしました。

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安田純平は自作自演?「自作自演説」の名誉毀損訴訟リスク

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「安田純平氏がテロ組織に拘束されたというのは自作自演ではないか?」

このような論が一部で展開されています。

ツイッターでは予測変換で出てくるレベルです。

しかし、現時点ではそういう主張に待ったをかけたい、というのがこの記事の趣旨です。

「自作自演説」の危険

マスメディアにみられるような「英雄視」「賞賛」というのは論外です。

安田氏の発言やこれまでの経緯については非常に不可解なものがあるにもかかわらず、その点についてはまったく報道されないのも奇妙です。

ただ、現時点の断片的情報のみで自作自演説を唱えるのは無理筋であり、名誉棄損訴訟のリスクがあります。

  1. ロス疑惑の三浦和義氏や余命大量懲戒請求事件を思い出せ
  2. 安田純平氏の周囲に居る弁護士が…
  3. 現時点で指摘されている疑問点のみでは断定は危険

以下、上記の点について指摘します。

ロス疑惑の三浦和義氏による名誉棄損訴訟

三浦和義とは、いわゆる「ロス疑惑」事件において真犯人ではないか?とマスメディアによって報道された方で、報道が名誉毀損であるとして本人訴訟(弁護士を代理人に付けない) で多数のメディアから勝訴判決を勝ち取った者です。

三浦氏が獲得した損害賠償額の合計は1億数千万円以上とも言われています。

1件で100万円の賠償金を勝ち取っています。

今般の安田純平氏に対するマスメディアの過剰なまでの擁護・賞賛や疑問すら報道しないことの原因の一端は、三浦氏の事案でマスメディアが敗訴を重ねた結果、公人ではない個人の疑惑の報道について慎重になっていることもあると思われます。
(だからこそ安倍昭恵夫人や加計孝太郎氏について、大した証拠も無く「疑惑」であるとして報道するのが異常なのです)

どうも、三浦氏に対するものと同じようなテンションで安田氏に疑惑を向けているの者がネット上では散見されますが、現時点の断片的な情報に基づく「自作自演説」は、名誉棄損訴訟のリスクが高いと思われます。

なぜなら、安田氏の周囲には特徴的な弁護士が居るからです。

ヒューマンライツナウ伊藤和子氏らの影響

魚拓:http://archive.is/XXRym http://archive.is/MbRmn

ヒューマンライツナウについては杉田水脈議員がその活動について言及しています。 
(2018年3月9日のこの議事録は未だに公開されていません)

魚拓:http://archive.is/ktcVD

辛淑玉氏とも行動することがある方のようですね。

なお、辛淑玉氏は石井孝明氏を提訴していますが、代理人は神原元弁護士です。

神原弁護士は、余命大量懲戒請求の懲戒請求者に対して訴訟提起している弁護士のうちの一人です。

安田純平氏の「自作自演という疑惑」について 

【問題視】安田純平のシリア拘束に自作自演疑惑浮上 / テロリスト集団「安田純平の拘束なんて関わってないしテレビで初めて知った」 | バズプラスニュース Buzz+
魚拓:http://archive.is/NTAhA

安田氏を拘束していたヌスラ戦線が「拘束に関わっていないと言っていた」という報道がありますが、このテロ組織自体が最近、穏健派と過激派に分裂したという事実を知っていれば、安田氏のことを知らないと言う者が居たとしてもおかしなことではないということは想像できるハズです。

自作自演説」の中でも、安田氏が拘束された事実そのものを疑う者が居ますが、私が知る限り、そのような主張をする者は説得力のある事実を押さえていません。

たとえば、『安田氏が「ウマルです」と発言した際の映像の背後にある植物が「ススキ」であり、中東に生息していないものである、よって…』などという短絡的なものがありますが、簡単に否定されています。

「人質ビジネス」という想像

拘束された事実を否定まではしないものの、「人質ビジネスである!」と断定している論調も、まとめサイトや個人ブログでも見られます。

しかし、三浦和義氏の事案でマスメディアが名誉棄損訴訟で敗訴したことを考えるならば、このような断定はあまりにも危険です。

現代ではSNSによって誰もが発信者(或いはメディア)になっているのですから、自重すべきでしょう。

1件100万円の損害賠償請求で(現在は名誉毀損の損害賠償額が上昇傾向にあるのでこれ以上かも)、発信者情報開示請求をかけてまで訴訟提起するかは微妙なラインでしょうが、少なくとも実名で発信している者は言動に気を付けた方がいいと思います。

安田純平氏の発言の不可解なところ

それでも、安田氏の発言について疑問を指摘することすら許されないということではダメだと思います。

現時点で安田氏の言動で不可解な点は以下の点です。

  1. 8か月も1m×1.5mの部屋に閉じ込められていたのなら、なぜあのように「元気」で「清潔」なのか?
  2. カメラなどの機材はすべて奪われたにもかかわらず、なぜテロリストが読めない日本語で書かれたノートは持ち帰ることができたのか?

整合的に理解するとすれば、1番は「8か月」というのは思い違いか、本当であったとしても拘束の最初の方の話であり、現在はその影響は残っていないという理解が可能です。その8か月中でも、ずっとそのような環境に居たわけではなかったのではないでしょうか?(話が断片的であるせいか、話が盛られているせいかもしれません)

また、拘束の途中からテロリストと寝食を共にするような生活に移行した可能性が指摘されていますが、「ウマル」と名乗ったことから分かるように、彼らに「協力」せざるを得ない立場にあり、ある程度の自由が与えられていたのではないか?という可能性を考えることができます。

しかし、2番目の疑問については、それでも納得がいきません。

ノートにはテロリスト集団の情報が書かれている可能性がある(とテロリストは思うのが通常)はずです。それが外部に漏れてしまったら、自分たちの居場所がバレ、襲撃されてしまうおそれもあります。

そのようなノートの執筆と携帯を可能にしていた理由は何なのか?

通常は考えられない待遇のため、ぜひとも安田氏の口から説明していただきたいと思います。

※追記:安田純平氏記者会見についてのNHKまとめ

安田さんは、拘束中の生活について「荷物は奪われたが、衣類と本とノートをわたされた。日記を書いてもよい、日本語でもよいと言われた。そのノートが書き終わったら、新しいノートも持ってきてくれる。紳士的な組織であったと伝えてほしいということだった。時計などは持っていなかったが、毎日日記を書いて、日付を追っていくことができた」と述べました。

食事に一時的ではあるがスイーツを持って来たり拘束部屋にTVが常備されていた時期があるということからすると、武装組織らの目的には身代金もあるが存在の正当性を外に発信したいという目的もあった、ということなのでしょうか?

「紳士的な組織であったと伝えてほしい」ということなら、拉致監禁身代金ビジネスを止めればよく、同じじゃないか、と思ってしまいますが、そういうものなのでしょうか?

まとめ:記者会見ですべてが分かるのか?

シリアから解放の安田氏に問われる、ジャーナリストとしての“2つの姿勢” (1/5) - ITmedia ビジネスオンライン

安田氏は11月2日に記者会見を開くようです。

私は安田氏は非難こそされども賞賛されるべきではないと、このブログでも書きましたが、彼がわざわざ謝罪するべきということまでは思いません。

経験した事実を後続のジャーナリストのためにも整理してまとめて情報発信すればいいのではないでしょうか?

そうして得た利益の中から社会のためになる寄附などをしようものなら、万々歳だと思うのです。

以上

韓国徴用工大法院判決:外交保護権・訴権の消滅と個人請求権残存という解釈論

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第五次日韓会談予備会談 一般請求権小委員会会議録 第13次会談

韓国大法院(最高裁)における徴用工判決によって、新日鉄住金に賠償命令がなされました。

今後は国際裁判も視野に入れた立論を日本政府がしていくことになりますが、その際に注意すべき点として橋下徹氏らが以下のような指摘をしています。

「まずは日本の弱点をしっかり把握するところから」

とありますが、韓国側がどう主張してくるのか、それに対して日本側は何を推していくべきなのかという話として捉えるべきでしょう。

我々一般国民は、このような議論に巻き込まれて混乱してはいけません。

日韓請求権協定についての両政府の認識という「事実」

上記記事でも指摘しましたが、韓国政府自体が、個人の請求に対しては韓国政府が補償をすると言っていました。たとえば以下のような報道があります。

徴用工訴訟 歴代韓国政府見解は「解決済み」、現政権と与党困惑 2018.10.30 17:25 産経デジタル

盧政権は2005年1月と8月に請求権放棄を明記した日韓協定締結当時の外交文書を公開。請求権を持つ個人に対する補償義務は「韓国政府が負う」と韓国外務省が明言していたことも明らかになった。

 文書公開に併せて発表した政府見解では、「慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者」は請求権交渉の対象に含まれなかった、と主張。元慰安婦らについては日本側に対応を求める方針を示す一方、元徴用工の賠償請求権については日本が韓国に供与した無償3億ドルに「包括的に勘案された」と明言した。

この「事実」がすべてであり、本質です。

日本政府も、国際社会に対してはこの事実を推していくことになるでしょう。

次項以降で触れますが、ちょっとこの事案について調べた人や、北朝鮮・韓国側と同調していると思われる弁護士(橋下さんではない)などがわざわざ小難しい日韓請求権協定の「解釈論」を展開していますが、そういう解釈論の土俵に乗ってはいけません。

日韓請求権協定の「解釈論」と言う枠組みで捉えたとしても、『日韓両政府が協定にどのような効果をもたせるかについてどういう合意がなされていたのか?』という厳然たる「事実」から推し量るべき事柄です。

韓国大法院徴用工判決の理論

韓国大法院の理屈は、『「日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」は、請求権協定の適用対象に含まれていない』というものです。

日韓請求権協定の交渉経緯の研究を見ても、たしかにこの点について「明示的に」合意があったかどうかはよく分かりません(それは当たり前で、日本の朝鮮統治が不法な・反人道的な、とは解されていないから、議論の俎上に上がるハズが無い)

韓国側としては、国際社会に対してはそのように主張していくことになるでしょう。

しかし、日韓両国において、請求権協定によって請求権に関するあらゆる問題を解決しようとする意思があったということも明らかであり、それによって韓国大法院が主張するような慰謝料請求権も協定に含まれている、と理解するということになります。

反人道的不法行為論は国際社会で認められるのだろうか?

そもそも「不法な植民地支配~~反人道的な不法行為を前提とする~~慰謝料請求権」などという請求権があり得るのかという指摘も可能です。

  1. そもそも反人道的不法行為などという類型は認められるのか?
  2. 反人道的不法行為とは如何なるものを指すのか?
  3. そのような反人道的不法行為の歴史的事実はあったのか?
  4. 反人道的不法行為に基づく慰謝料請求権は一般的に請求権放棄の対象か?
  5. 日韓においてそのような請求権は放棄されたか?

思いつくだけでもこのような論点設定は可能。

国際裁判でどう主張構成するかはプロの仕事ですが、まぁ3番で韓国は詰まるんじゃないでしょうか?

韓国側が主張する「解釈論」の内容

今後、韓国が国際社会で主張する「解釈論」の内容は、山本晴太弁護士が書いた「日韓両国の日韓請求権協定解釈の変遷」という論述で網羅されているんじゃないでしょうか。橋下氏もこの論述を見ているものと思われます。

この論述には以下のような誘導・誤魔化しが含まれているので注意です

  1. 日本政府の公式見解と政府の裁判上の主張を混同して「解釈の変遷」と評している
  2. 日韓請求権協定と無関係な他国との協定(たとえば日ソ共同宣言)の文言とパラレルに論じている。
  3. 細かい法律論レベルの解釈の変遷があったことから個人請求権がすべて放棄されたという合意がなされたとはいえないと結論付けたい

結局は日韓請求権協定の事案において、日韓両国が協定にどういう効果を持たせようと合意していたのか?という「事実」が大切なのであって、解釈の変遷がどうたらこうたらを言うことは韓国側の苦しい主張に過ぎません。

日ソ共同宣言第六項の文言とその理解については外交保護権の放棄に過ぎないという政府答弁があるからと言って、「日韓協定も同様に理解できてしまうな」などと衒学者に陥ってはいけません。事案が違います。

外交保護権消滅と訴権の消滅と個人請求権残存

一般国民の理解にとってはまったく本質的ではありませんが、一応説明しておきます。

外交保護権(外交的保護権)とは、自国民が外国の領域において外国の国際法違反により受けた損害について、国が相手国の責任を追及する国際法上の権利です。注意すべきは、国民の権利ではなく国が相手国に対して有する権利だということです。

日本政府は、この外交保護権は日韓請求権協定によって放棄されたという理解は一貫しています。

さらに、訴権の消滅という態度も日本政府は一貫しています

訴権の消滅とは、簡単に言えば裁判所に訴えても救済を受けられないという効果があるという意味です。これは実体的権利はあるが、訴訟上の救済が受けられないとも言います。

実体的権利があるとは、この件で言えば個人が相手国や相手国に属する企業・人に対して請求権を有するという意味です。日韓請求権協定によっても実体的権利が個人には残っているという立場は、日本政府の一貫した立場です。※日本国内法においては【財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律】によって韓国人個人の実体的権利は消滅しています。
「実体的権利はあるが、訴訟上の救済が受けられない」とは、たとえば、当時朝鮮半島に拠点を持ち朝鮮人を雇用していた日本の上場企業が、徴用工からの損害賠償を求められた際に(裁判であろうがなかろうが)、手続を踏んだ経営判断として自発的に賠償名目で支払いをしたとしても、実体的権利が存在する以上、取締役は株主から糾弾されたり会社法上違法になることは無いという効果があるということになります。

個人の請求権を国が勝手に消滅させることができるのか?という論点があると言う者も居ますが、韓国大法院もこの論点をとっておらず、日本政府は個人の請求権は残っているという理解ですから、争点にする意味があるのか疑問です。

やはり最終的には、日本と韓国は、個人の請求権の話はお互いの国内問題として処理しましょう、個人間の請求権の問題は韓国政府が補償しましょうという合意がなされていたという事実の問題に収斂します。

まとめ:解釈論よりも事実論 

安倍首相「原告は『徴用』でない『募集』に応じた」…韓国の判決を全面否定 | Joongang Ilbo | 中央日報

「解釈上の難問がある」とか、「解釈の変遷がある」などという議論に惑わされてはいけません。

細かい解釈がどうであれ、日韓両政府が請求権に関するあらゆる問題は解決したということ、個人間の請求の問題もすべてにおいて韓国政府が補償するという態度を取ってきたという事実が結局は大切であるというのは間違いありません。

まずはそのような事実の存在を日本側は国際社会に対して主張し、補助的に解釈論を展開することになるでしょう。たとえば安倍総理のように、そもそも「徴用工」ではなく「募集に応じた者である」と言う事実の主張は解釈論よりも遥かに有効です。

事実が実は解釈論にも影響するということを無視している論考は、衒学的であり、法匪に過ぎません。

以上

韓国最高裁(大法院)の徴用工訴訟判決が「国際法違反」:過去の韓国政府の表明とも矛盾

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韓国における徴用工訴訟判決で、新日本製鐵(現新日鉄住金)が敗訴しました。

大韓民国大法院による日本企業に対する判決確定について(外務大臣談話) | 外務省

この判決は国際法違反であることが明らかですが、国際法とは何か?

韓国政府の過去の態度と矛盾しているのではないか?

このあたりを整理していきます。

日韓請求権並びに経済協力協定

まず日韓両国間の条約を確認しましょう。

両国の条約の名称は【財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定】(日韓請求権並びに経済協力協定)と呼ばれるものです。

第二条
両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

今回、韓国の大法院は「個人間の請求権」があるとして新日鉄住金に賠償命令を出しましたが、明確にこの条約に反しています。

なお、注意すべきは、日本側も「個人の請求権は失われていない」という立場であることです。

これは、「個人が戦時中の賠償を求めるのであれば自国の政府に対して行え」という意味であって、相手国の政府や相手国に属する個人や法人・団体に対する請求ができるということではありません。

条約法条約という国際法に違反している徴用工判決

日本も韓国も、条約法に関するウィーン条約(条約法条約)の締約国です。

第二十六条(「合意は守られなければならない」) 効力を有するすべての条約は、当事国を拘束し、当事国は、これらの条約を誠実に履行しなければならない。

韓国大法院が出した徴用工判決は、条約法に関するウィーン条約という国際法に違反しています。

なお、条約法条約には第二条1項には、『この条約の適用上、 (a)「条約」とは、国の間において文書の形式により締結され、国際法によつて規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない。)をいう。』とあるように、「協定」という用語が使われているからといって「条約ではない」などとは解されない。

日本における徴用工裁判

日本で新日本製鐵に対して朝鮮人が訴訟提起をした裁判があります。

二次世界大戦時に労務者募集に応募し、朝鮮半島から大阪製鉄所に強制連行され、強制労働に従事させられたと主張する者の会社に対する未払賃金ないし相当損害金、慰謝料請求が認められなかった事例です。

大阪地方裁判所 平成9年(ワ)第13134号 新日本製鐵強制労働損害賠償事件 平成13年3月27日

そもそも、国際法は、国際社会を構成する国家間の関係を規律し、権利義務を定めるものであるから、国家の構成員である個人の生活関係や権利義務関係を規律の対象としたとしても、直ちに個人に国際法上の権利義務が認められたり、個人としての請求主体性が認められるものではなく(個人が他国から受けた被害等については所属国の外交保護権の行使により国家間の問題として処理されるべきが原則である。)、個人の請求主体性が認められるためには、特別に個人が当事者として自ら権利行使できる適格が認められるとともに、これを実現するための手続が国際法上も定められていることが必要であるというべきである。原告らが主張する強制労働条約やヘーグ陸戦条約が被害者個人である原告らが加害国とされる被告国ないし加害企業とされる日本製鐵に直接の請求権を認めたものとは解し得ない。

日韓両国は、日韓請求権並びに経済協力協定で、相互に外交保護権を放棄しています。

強制連行の事実は認められず、過酷な労働の違法事実はあったが朝鮮人たる原告が日本国や新日本製鐵に対して請求権があるとは言えないと判決されました。

これは最高裁が上告棄却をして確定しています。

韓国の大法院が新日鉄への請求権を認めた根拠は?

2018/10/30 14:44配信 【ソウル聯合ニュース】

原告4人は05年に今度は韓国で訴訟を起こしたが、一審と二審は「日本の確定判決は韓国でも認められる」として原告敗訴の判決を下した。しかし大法院は12年5月に「日本の判決は日本植民地時代の強制動員そのものを違法と見なしている韓国の憲法の中核的な価値と真っ向から対立する。韓国の善良な風俗と社会秩序に反した判決であることは明らかだ」とした上で「個人の賠償請求権は有効」としてソウル高裁に審理を差し戻した。翌年7月の差し戻し控訴審で同高裁は「日本の核心軍需業者だった旧日本製鉄(新日鉄)は日本政府とともに侵略戦争のため人を動員するなど、反人道的な違法行為を犯した」とし、原告に1億ウォンずつ、計4億ウォンの支払いを命じた。

日本の確定判決は韓国でも認められるとした一、二審の判断を、最高裁は「日本の判決は公序良俗に反する」としています。

では、どういう理屈で新日鉄という企業に対する請求権があると認められたのか?

【日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権】は協定に含まれていない、と解釈しています。

賃金請求権とは違い、上記のような慰謝料請求権は請求可能という理解のようです。
※単なる慰謝料請求権ではない

しかし、日韓請求権並びに経済協力協定において「財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題」と記述があるように、財産等とは別建てで請求権を対象としている以上、この解釈は不可能です。

なお、国際条約において、強制労働ニ関スル条約という条約があり、「徴用工」についてはそこにおける強制労働に当たるものではないと解されているため、韓国において徴用工が強制連行として違法とみなしていること自体が国際法に反しています。
そもそも「不法な植民地支配」も、李王朝との合意で行われたもので実質も搾取ではなく投資をしていたのだから、そのような事実は無い。

韓国政府も日本側に対する請求権が無いと言っていた

徴用工訴訟 歴代韓国政府見解は「解決済み」、現政権と与党困惑 産経新聞

盧政権は2005年1月と8月に請求権放棄を明記した日韓協定締結当時の外交文書を公開。請求権を持つ個人に対する補償義務「韓国政府が負う」と韓国外務省が明言していたことも明らかになった。

 文書公開に併せて発表した政府見解では、「慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者」は請求権交渉の対象に含まれなかった、と主張。元慰安婦らについては日本側に対応を求める方針を示す一方、元徴用工の賠償請求権については日本が韓国に供与した無償3億ドルに「包括的に勘案された」と明言した。

 盧武鉉大統領は同年3月の演説で、「被害者としては、国家が国民個々人の請求権を一方的に処分したことを納得するのは難しいだろう」と交渉当時の韓国政府の対応を問題視した上で、補償問題の解決に韓国政府が努力していく方針を示した。

このように、韓国は自国が過去に表明した主張すら覆していることになります。

まとめ:韓国最高裁の賠償命令判決は国際法違反

  1. 「日韓請求権並びに経済協力協定」という条約で完全かつ最終的に解決されている
  2. 両締約国間のみならず、その国民の間の請求権の問題も上記条約で解決されている
  3. この条約に反する行為は条約法条約という国際法違反
  4. 韓国政府自身が過去に「個人に対する補償義務は韓国政府が負う」と明言していた
  5. にもかかわらず、韓国の最高裁はこれらに反する判決を出した

韓国は司法が歪められてしまいましたね。

これで「徴用工」が韓国による反日プロパガンダとしてさらに利用されてしまうことになるでしょう。

日本国内の韓国人や韓国にルーツを持つ人が、この判決で何か悪影響を受ける事態は避けたいですが、むしろ韓国内の日本人がこの判決を盾にされて不利益を被る危険の方が極めて高いです。

日本政府には断固たる対応と邦人保護を尽くしてほしいと思います。

徴用工については朝鮮人視点の書籍が多いのですが、百田尚樹氏の新刊「日本国紀」でも触れられているとのことです。日本人視点の歴史的事実をしっかり把握して反日工作に備えようと思います。

以上

月刊Hanada12月号の松浦大悟と小川榮太郎の対談:性的指向・性自認と性的嗜好

月刊Hanada2018年12月号は、休刊となった新潮45に取って代わったかのように性的マイノリティ政策についての論考がいくつも寄せられています。

中でも松浦大悟・小川榮太郎の両氏が対談しているものは、性的マイノリティにまつわる議論の誤解が解けるようになっていると思い、有益なので一部を紹介します。

松浦大悟と小川榮太郎の対談にみる「性別二元性」の重要性

「性別二元性」というのは、性別を男性と女性に分け、それ以外の性別の存在を言葉の定義上は発想しないというものです。(この言葉も厳格な定義があるわけではなさそうです)

これだけを聞くと「性的マイノリティが無視されるので悪い態度である」と思いがちです。

しかし、実はむしろ性的マイノリティにとって利益になる側面があると松浦氏は言います。

月刊Hanada2018年12月号
松浦大悟「性別二元論性を壊したいと思ってるLGBTはほとんどいない」「トランスジェンダーの場合、手術を受けた後は…男性あるいは女性として生きていきたいので性別二元性が無くなると困る
「Xジェンダーの方々は、男性女性の区分けに対して苦痛を感じていますが、それでも性別の基本軸がなけらば、自分が何に違和を持っているのか分からなくてなります。」

自分が区分けを受けることに苦痛があっても、世の中に区分けが無いと困るということですね。

いわゆる「ジェンダーフリー」をめざすと、このような問題があるということです。

松浦氏は、多くのLGBTはジェンダーフリーを目指すものではないと言います。

さて、ここで思い出されるのが、アメリカ合衆国のトランプ大統領が行政上の定義で性別二元性に基づこうとしてるという報道です。

ツイッターでは「トランスジェンダー排除」という単語でトレンド入りしていました。 

日本のメディアの多くは「トランスジェンダー排除」の点だけを強調し、「トランスジェンダーの存在を行政上認めなくする方針」とだけ報道していました。

 

トランプが「トランスジェンダー排除」報道の内容

トランスジェンダー排除」というのは、元ネタはニューヨークタイムズの見出しです。

当然ですが、物理的に排除したり法的に不利益を与えることは意味せず、「性別」の行政上の法的定義からトランスジェンダーという概念を無くす、という抽象次元の話です。

それによって何が騒がれているのかというと、「タイトルⅨ」という法律(=教育プログラムにおけるジェンダー差別を禁止する連邦法、政府の財政援助を受けて実施されている)についての従来の解釈と齟齬が出るのは問題だ、という議論があるからです。

記事では裁判官へのインタビューも交えて、この法律の下では『性別」は「性同一性」を含むと解釈されていたところ、今回の政府の定義はいわゆる伝統的な男女に限定するものなので、調整が必要になってきますねという問題提起がなされています。

種々の問題があるにせよ、松浦氏の指摘から見ると、トランプ大統領の方針も間違いとは言い切れないということです。

性的指向と性的嗜好の峻別は「困難」

松浦大悟「本当は性的指向と性的嗜好を分けることはできないのです。」

性的嗜好」というジャンルそのものは、一応の切り分け方法として考え出されており、それを全否定するつもりはありません。

しかし、その区分けは恣意的に行われてきたし、現在も恣意的に行われているという側面は無視できないものであるということは以下記事でも書きました。

一応の区分けとして論じることはいいですが、明確に異なるものとして「峻別」することが常に正しいとはまったく思えません。

稲田朋美の性的指向・性自認と性的嗜好の理解は大丈夫?

月刊Hanada2018年12月号には自民党のLGBT勉強会に所属している稲田朋美の論考も寄せられています。

そこでは、稲田氏が杉田氏に対して苦言を呈する部分もあります。

ただ、稲田氏の「性的嗜好」についての説明を読むと、松浦氏が指摘したようなことを踏まえているわけではなく、通り一遍の性的嗜好の理解(つまり、性的嗜好は選択可能で変更可能であり、性的指向はそうではないという分類である)から論じていることが明らかです。

彼女の論説がどれだけ一面的で底の浅い議論しか把握してないか、皮肉にも松浦氏と小川氏の対談があることで露呈してしまったと言えます。

自民党の勉強会は、大丈夫なのでしょうか?ごく一部のLGBT活動家による世論煽動に巻き込まれていないでしょうか?

杉田水脈は「生産性」を謝罪、「性的嗜好」も誤りだったと弁明

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杉田水脈議員が『「新潮45」8月号寄稿について』と題する声明文を公開しました。

殺害予告の被疑者が出頭したため、このタイミングになったのでしょう。

そこでは「生産性」発言を謝罪するとともに、『「性的指向・性自認」と書くべきところを「性的嗜好」と表現したこと』が誤りであるという指摘があったとのことです。

法務省の定義としては「性的嗜好」は存在せず、SOGI=性的指向・性自認という定義があり、行政も国連もこの定義を用いていることから、公人である杉田氏が用いる用語法としては「性的嗜好」は不適切であるというのはその通りでしょう。

また、性的指向・性自認と性的嗜好を峻別することはできないものの、同一視することもまた避けるべきであるため、そのような意味と捉えられかねない用語の使い方は反省するべきなんだろうと思います。

月刊Hanada2018年12月号だけじゃなく月刊Willも

小川榮太郎氏も、同性婚制度には反対であることは崩していませんが、性的マイノリティが被っている不利益に対して、何らかの形で除去するような政策を検討することは全否定しているわけではないという旨の発言をしています。

ただ、婚姻制度の本質という原則があった上で、これまでの歴史の中で制度化されてこなかったことを重視して、慎重に検討を重ねなければならない、現在の言論状況はあまりにも拙速である、という立場であるということが明らかにされています。

対談ですので、新潮45のときのような文面とは全く違い、意図するところが明快になっていると思います。

なお、松浦大悟氏の論述は月刊WILL2018年12月号にも掲載されています。

こちらは単独寄稿です。

性的マイノリティにまつわる論考について知見を深めることができると思います。

以上