事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

『百田尚樹の日本国紀がWikipediaのクリエイティブコモンズライセンス違反で著作権フリー』というデマ

クリエイティブコモンズライセンス

『百田尚樹の日本国紀はWikipediaが採用しているクリエイティブコモンズライセンス:CC BY-SA 3.0に違反しているから著作権フリーだ』

このような怪情報がツイッターとはてなブックマークを中心に流れています。

これは明確にデマですのでお気を付け下さい。

法律の解釈はほとんど関係ありません。

単純にクリエイティブコモンズライセンスについて理解してないことが原因です。

クリエイティブコモンズライセンスとは

クリエイティブコモンズライセンス

出典:クリエイティブコモンズライセンスジャパン:https://creativecommons.jp/licenses/

クリエイティブコモンズライセンス(CCライセンス)とは、インターネット時代のための新しい著作権ルールで、作品を公開する作者が「この条件を守れば私の作品を自由に使って構いません。」という意思表示をするためのツールです。

要するに、「使用許可の条件を事前に明示したツール」です。

これは、著作権を作者に残したままで、利用者がいちいち作者に許可のための連絡を取らなくとも、予め定められた方法に基づいた利用であれば、誰でも自由に著作物を利用することができるために作られた規格です。

これによって、著作物の流通を促すとともに、著作権者の意に反する利用が少なくなるようにすることが意図されています。

WikipediaのCCライセンスはCC BY-SA

Wikipediaは、CC BY-SAでの利用が可能です

BY-SAとは、「表示」と「継承」のデュアルライセンスでの公開が許可されているという意味です。

つまり『Wikipediaの内容を使うのであれば、作品のクレジットを表示し、且つ、BY-SAのCCライセンスで公開すれば、許可が与えられたことになります』という意味です。

注意すべきは、「非営利」のライセンスが付いていないため、正しい使用方法に準拠していれば、営利目的でも利用可能であるということです。

なお、CCライセンスを付与したものが直ちにパブリックドメインになるとは限りません。CCライセンスのパブリック・ドメインとして公開したいのなら、「CC0」ライセンスを付与する必要があります

ちなみに、このブログの記述の一部はCCライセンスジャパンのウェブの記述を「引用」の範囲内で利用しており、CCライセンスに基づく利用をしているわけではありません。

CCライセンスの法的効力と違反の効果は?

CCライセンスは各国毎の著作権法のルールに準拠するという決まりになっています。

日本の場合は、日本の著作権法に準拠することになっており、CCライセンスの法的効力が認められています

さて、CCライセンスに違反した場合にはどういう効果があるのか?

CCライセンスは「使用許可の条件を事前に明示したツール」でした。

ということは、CCライセンス違反は許可をしていないのに著作物を利用したのと同じです。

クリエイティブコモンズライセンスジャパンFAQ よくある質問と回答

もし、許可されていない方法での利用を無断で行った場合、その利用行為は、CCライセンスに基づく利用許諾が及ばない行為ですから、著作権侵害の責任を問われることがあります(差止請求、損害賠償請求、刑事罰の適用等)。

要するに著作権侵害の話になります。

著作者と使用者の二者間で解決すべき話です。

決して、無許可著作物を含む使用者の作品が著作権フリーになるわけではありません。

CCライセンスに違反している作品は「本来CCライセンスとして扱うべきもの」という状態ですが、それは自動的にそのような効果が違反作品に生じるということではありません。

なお、他人の著作物を含む作品であっても、編集著作物として著作権を認められる余地があります。

編集著作物とは「編集物(データベースに該当するものを除く。以下同じ。その素材の選択又は配列によつて創作性を有するもの」であり、著作物として保護の対象になります(著作権法12 条1項)。

細かい説明は省きますが、ありきたりな表現が続く文章であっても、その構成の仕方によってはそのような構成の文章全体が著作物として認められる余地があるということです。

百田尚樹氏の日本国紀が著作権侵害かどうかはともかく、著作権侵害をしている作品に著作権が無いとは直ちに言えません。

「著作権侵害をしている本だからスキャンしてネットにばら撒いてもお咎めなし」などということにはなりません。

以下では補足的にCCライセンスと関連する事項について触れていきます。

CCライセンスの理念

デジタル時代の著作権 (ちくま新書) 野口 祐子 223-224頁

作品が人の目に触れてからユーザーが権利処理をする、という後追いの権利処理ではなく、作品を公表する段階で、権利者が自発的に、事前の許諾を与えておく仕組みを作ろう、というライセンス運動です。これが二〇〇二年十二月に米国でスタートしたクリエイティブ・コモンズ(以下「CC」と言います)です。

CCライセンスの性質は、権利者が事前に「こういう場合は許可します」と意思表示するというものです。許可条件に違反した場合にどうするか、ということまでは決めていません。

デジタル時代の著作権 (ちくま新書) 野口 祐子 224頁

フリー・ソフトウェア運動は、ソフトウェア・プログラムのソースコードをGNU Public License(GPL)等のライセンスのもとで公開して、その改変や複製、販売等の利用を積極的に許しつつ、このライセンス条件をそこから派生したプログラムにも継承させることによって、ソフトウェアの利用やプログラミングの自由を最大限確保しようとする運動です。
CCの創始者であるハーヴァード・ロー・スクールのローレンス・レッシグ教授によれば、CCは、このフリーソフトウェアの動きにヒントを得て、その精神をソフトウェア以外の分野にも広げる形でスタートさせたということです。

CCライセンスは著作物の利用の自由を促進する方向を理念とする規格だということがわかります。

つまり、CCライセンスは違反者を取り締まる事で利用を制限するという立てつけにはなっていないということであり、それは設立の経緯からも導かれるということです。

上記で出てきた「GPL」についても指摘していきます。

「GPL汚染」の話とは無関係

 魚拓:http://archive.is/YefuM

「日本国紀が著作権フリー」の情報に関連してこのようなツイートがあるため信じてしまう人が居るようですが、間違いです。

GPL汚染」とは、プログラムのソースコードの中にGPLでライセンスされたものがたった一行でも存在していると、そのプログラムもGPLでライセンスされたと扱うべきものになる、ということです。

GPLも一つのライセンスの規格です。"General Public License"とも言います。

しかし、GPL規格は「著作権侵害者の汚名を被りたくければGPL規格に準拠しろ」というものであって、違法行為をしている者と見られたくない企業等の心理面に働きかけるものです。

「GPL規格に準拠しない方法を用いたときに強制的にGPL規格が適用される法的効果が発生する」というものではありません。

「GPL汚染」の事例を見ても、「ソースコードの公開を余儀なくされた」と書かれていることが多いですが、それは「GPL規格違反の法的効果」ではなく、「著作権侵害状態を回避したい企業がGPLに準拠した行動を取らざるを得ないという事実上の効果」によるものです。

CCライセンスも同様の効果を企図しています。

ですから、仮に日本国紀がCCライセンス違反だとしても、日本国紀の権利者が違法状態を解消するためにCCライセンスに準拠した扱いをしない限り、第三者が日本国紀をCC BY-SAのライセンス条件の下で利用できるということにはなりません。

「ウィキのCCライセンス違反で著作権法違反」はデマ

CCライセンス違反と、日本国紀に著作権があるかは別問題です。

そもそも、Wikipediaのライセンスの許可を取った場合でも「表示」「承継」のライセンスが付与されているのです。

それが「CCライセンス違反の作品は著作権フリー」だと考えるのは意味不明です。

仮にそうだとすると、一人の使用者を「かませて」許可条件違反にして著作権フリーにしてしまえば、真の使用者が著作物を無制限に使用できるようになってしまいます。

おかしいということが明らかですよね?

ということで、冒頭の画像の記述があるブログの出典の魚拓を以下に示します。

百田尚樹の日本国紀は著作権侵害なのか?

「Wikipediaの記述と同じ文言を使っているから著作権侵害だ」

直ちにこのように考えるのは非常に拙速であり、幼稚もいいところです。

実は歴史的事実や歴史上の人物についての記述は、最も著作権侵害かどうかが問題になってきたのですが、著作権侵害が認められるケースは少ないです。

それについては後日まとめますが、クリエイティブコモンズライセンスについて沿革も含めて弁護士の立場から説明したものがありましたので以下に紹介しておきます。

以上

日本国紀:関東大震災における朝鮮人被殺者数233人について

日本国紀で関東大震災の朝鮮人被殺者数に関する記述があります。

日本国紀 349頁

司法省の記録には、自警団に殺された朝鮮人犠牲者は二百三十三人とある

否定的見解がありますが、この記述の意義について触れます。

詳細は以下の記事で書き尽くしていますが、ここでは抜粋したものを提示します。

233人の根拠:司法省の「刑事事犯調査書」

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現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人 みすず書房

朝鮮人被殺者数については、司法省刑事局が『震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書』(以下、刑事事犯調査書)でまとめています。

現代史資料(6)の中に掲載されています。

233人という数字は、「起訴事件になったものの中で、殺人の被害者となった朝鮮人の数」です。

この資料自体の信憑性が疑問視されているということがありますが、とにかく233人という数字がベースとなるものであるという事実は重要です。

関東大震災6000人虐殺説の嘘

数千人以上の報告をする調査は複数ありますが、以下が指摘できます。

  • 「屍体を発見できなかった同胞」数を算入しているが、本来行方不明者として扱うべきものである
  • 「屍体を発見した」とされる人数も、殺害されたのか震災による死体なのかの判断は極めて困難
  • 最後の遺体処理が行われた後に追加で被殺者数が増えており、なぜこれらが「殺害」と判断できたのか非常に疑わしい
  • 数え方が「500人」、「100人」など大雑把なものや、「87人または320人」など、まともに調査した跡が伺えない報告がある
  • 人口動態から、数千人が殺害されたと仮定すると「全滅」となり現実と矛盾する
  • 司法省の刑事事犯調査書の信用性に対する学者の評価が的外れ

詳細は前掲:関東大震災時の朝鮮人殺傷人数:6000人虐殺説の嘘 - 事実を整える

曖昧な「証言」を絶対的根拠にする愚

中には住民の「証言」の中に何百人も殺害されたというものがあるから、もっと朝鮮人被殺者数は多いはずだ、という見解があります。

たしかに、住民の証言でそのようなものはたくさんあります。

しかし、その人数は正確なのでしょうか?

そもそも、その証言は実在の事件を言っているのでしょうか?

正確さを確かめることができるのが遺体調査であるはずです。

当時の混乱の中で、「朝鮮人」と特定した上で被殺者数を正確に数えられたという前提に立つと、おかしなことになります。

証言の存在を持って何千人も殺害されたと結論づける者は、同様に「朝鮮人によるテロ行為」も大量の証言があるという事実を無視しています。

朝鮮人被殺者数においては証言を絶対的な根拠にし、朝鮮人による犯罪者数においてはただちに証言は信用できないとするダブルスタンダード。

関東大震災の研究者においても(しかもアカデミックな論文の体裁のものの文中でも)同じようなダブルスタンダードの姿勢のものが多数存在しています。

そのような証言をもって「証拠」と断定する者は、誘導以外の何物でもありません。

朝日新聞調査では432人、朝鮮総督府は832人

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朝日新聞社史

当時、朝鮮人被害者の民間調査は複数行われていました。

しかし、なぜか「朝日新聞調査」が挙げられることはありません。

朝日新聞調査によれば「刑事事件になったかは関係なく殺された者」が432人であるとしています。

また、朝鮮総督府は【震災によって死亡した者+何者かに殺害された者+行方不明者であって、それぞれ身元(遺族の所在)が明らかになった者】が832名としています。そして、朝鮮総督官房外事課は、この中で殺害された者は3割を超えることはないと推定しています。

こちらも詳細は前掲記事に書いてあります。

日本国紀における朝鮮人被殺者数233人の提示の意義

多くの書籍では何らの断りもなく「6000人虐殺説」が記述されています。

その一方で、ベースとなるべき233人の提示がなされることはほぼ無いと言っていいでしょう。

それはフェアな言論状況ではないと思います。

百田尚樹氏も、日本国紀の中で提示した233人の数字がそのまま被殺者数であるとは言い切っていません。

あくまでも6000人説に対して合理的疑問を差し挟むことを促しているに過ぎません。

そういう意味で、百田氏が日本国紀の中で233人を提示したこと自体をあげつらって非難している者は、いったい何が言いたいのだろうか?と思います。

また、「虐殺があったのかなかったのか」という議論は、「虐殺」の定義が日本語においても英語の”genocide”や”massacre”においても意味内容が様々なので、不毛です。

日本国紀をきっかけに、通説に疑問が出た人が、いろいろと調べていけばいいと思います。

以上

日本語訳:防弾少年団(BTS)所属事務所が原爆Tシャツとナチス帽で「謝罪」

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原爆Tシャツ着用とナチスファッションをしたことについて、ユダヤ系団体の"SimonWiesenthalCntr”(サイモン・ウィーゼンタールセンター)が非難していました。

この組織の影響力がどれくらいかというと、高須クリニックの高須克弥院長が米国の学会から除名された原因がウィーゼンタールセンターにおける高須院長に対する非難だったというくらいのものです。

これを受けて先日、防弾少年団(BTS)の所属事務所"Big Hit Entertainment"が「謝罪文」を掲載しました。

しかし、これは日本では「真摯な謝罪」とはみなされないでしょう。

何やら「BTSが謝罪したからもういいでしょう」という空気がマスメディア界隈で見られますが、勘違いもいいところです。

関連する情報をまとめます。

防弾少年団(BTS)公式の日本語での「謝罪文」ソース

日本ファンクラブのページで所属事務所"Big Hit Entertainment"の声明があります。

魚拓:http://archive.is/D6ELb

魚拓:http://archive.is/PPbuC

ツイッターではハングル、フェイスブックでは英語、日本語訳も掲載されています。

所属事務所"Big Hit Entertainment"の文章

最近、BTSに提起された問題に対するBig Hit Entertainmentの立場

Big Hitは、原爆のイメージの入った衣装の着用に関連し、上記に明らかにしたように一切の意図はなく、衣装自体が原爆被害者の方を傷つける目的で製作されたものではないことが確認されたにも関わらず、当社が事前に十分な監修ができず、当社のアーティストが着用するに至ったことにより、原爆被害者の方を意図せずとも傷つけ得ることになった点はもちろん、原爆のイメージを連想させる当社アーティストの姿によって不快な思いを感じ得た点について心よりお詫び申し上げます。

ちょっと日本語がおかしい点は置いといても、謝罪の内容が的外れですね。

「原爆のイメージを連想させたこと」ではなく「原爆投下という民間人虐殺を悦ぶかのような表現」が問題でしょう。

「連想」ではなく、もろに原爆の写真を用いてるんですよ。

まるで「Tシャツを見た側」の方の受け止めの問題であるかのように話をすり替えてるということですよ。

いったい、どこの国が「自分の国の領土とは無関係の土地の出来事で」「自分の国が行ったことではない事で」「民間人大虐殺をした原爆投下」が独立を導いたとして喜ぶのでしょうか?

「原爆による独立」を悦んでいるそのこと自体が問題です。

原爆Tシャツとナチス帽、ハーケンクロイツへの態度

Big Hit Entertainmentは、さらに続いて以下述べます

しかし、上記の事案に対する責任はアーティストの所属事務所として細部にわたる支援ができなかったBig Hitにあり、当社所属のアーティストは、数々の日程と現場の状況等を考慮するに、上記の事案の責任において関連がない点を明らかにいたします。

社会的事実としてBTSメンバーが意図していたかは不明です。

事務所としてアーティストを守る姿勢なんでしょう。

しかし、【アーティストはどう考えているのか?

ここが重要であって、通常の日本社会においてはこんなものは「謝罪が済んだ」とはみなされないでしょう。

http://archive.is/FTfId

大リーグ投手の謝罪事例。

これは私的な活動領域での話であるにもかかわらず、大会を主催する読売新聞グループも公式に謝罪しています。

BTS公式の考え方であれば、読売新聞グループは謝罪する必要はないということになります。

しかし、これが日本社会の常識です。

「BTSのメンバーは無関係です」なんていうものは通用しません。

東京ドームでのBTSの「謝罪」

BTS沈黙破る「ご心配を」原爆Tシャツ騒動言及 - 韓国エンタメ : 日刊スポーツ

「このような状況になってアーミー(ファンの総称)の皆さんだけでなく、全世界の多くの皆さんが驚かれ、ご心配されたと思います。僕たちは、これからも会える機会がたくさんあると信じています」。

これはファンに向けたものでしかありません。

これでもってBTSが謝罪した、などというのは意味不明でしょう。

韓国政府が文化勲章を授与決定

これは原爆Tシャツやナチスファッションが問題視された後にBTSが謝罪する前のタイミングで決定されたものですから、明らかに韓国政府が「正当化」しようとしていますね。

日韓「併合」と日本統治

日本は日清戦争で勝利し、その後の交渉において朝鮮の独立を清国に認めさせました。

その結果、大韓帝国が誕生しました。

ソウル市内の「独立門」は、このとき「清からの独立」を記念して建てられました。

その後、日本は大韓帝国の真の独立を促していましたが、独立派の伊藤博文が勘違いをした安重根に暗殺されました。

もはや朝鮮の自律的統治は不可能と見た大韓帝国の皇帝と日本政府が調印を交わして合法的に「併合」しました。

当時の国際社会からも承認を得ています。

6億本の植樹をし、鉄道網を敷き、農地開拓をして人口を二倍にして平均寿命を24歳から42歳にした。

形式においても実質においても「不法な植民地支配」ではありませんでした。

この歴史を歪曲しながら日本を貶め、さらには人類全体が忌避している民間人虐殺を悦ぶような行動を、あのような文面・態度のみで許していいのでしょうか?

以上

日本国紀で百田尚樹の「男系」理解が誤っている?天皇の万世一系について

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百田尚樹著の日本国紀において

「天皇の皇統の理解が間違っている!」

という指摘があるので確認しましょう。

日本国紀のコラムにおける万世一系(男系)の記述

日本国紀 33頁 コラム

ここで「万世一系」ということについて、簡単に説明しよう。

日本の天皇は二代目の綏靖天皇から第百二十五代の今上陛下まですべて、初代神武天皇の男系子孫である。男系とは、父、祖父、曾祖父と、男親を辿っていけば、祖先に神武天皇がいるという血筋を持っていることをいう。

日本では開闢以来、一度たりとも男系ではない天皇は即位していない。ここで理解してもらいたいのは、女系天皇と女性天皇は同じではないということだ。日本には過去八人(十代)の女性の天皇がいたが、全員が男系である。つまり父親が天皇である。

※追記:4刷からは「父親を辿れば必ず天皇に行き着く」と修正されました。

「男系とは、父、祖父、曾祖父と、男親を辿っていけば、祖先に神武天皇がいるという血筋を持っていることをいう。」

コラムの冒頭に、正しい男系の定義がきちんと書かれています。

ですから、「日本国紀の百田説では男系の理解は誤っている」というのは誤りです。

批判者の中には、ワザとこの部分を載せていない者が居ます。

問題は最後の部分です。

「つまり父親が天皇である」の部分が誤り

最後の部分は、歴代の女性天皇が男系であることの理由として「つまり父親が天皇である」と書かれています。

この部分は、明確に誤りです。

こちらの記事で皇統図を載せているのであらためて説明します。

日本国紀の監修者の1人、谷田川惣の説明

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魚拓:http://archive.is/3c27W

上図は「天皇は男系で続いてきたか」という理解で最も問題になる時代の皇統図です。

出典元は皇統は万世一系である谷田川惣 著ですが、皇統譜は他にも書いてある書籍がいくらでもあるので、それ自体は間違いないものです。谷田川さんの皇統譜の醍醐味は、世代数を記していることで各天皇が在位した時代の関係が分かりやすいという点が一つ挙げられます。

さて、女性天皇である第35代皇極天皇(第37代斉明天皇)を見ていただきたい。

父親は「茅淳王」となっています。

これは、父親の茅淳王は天皇に即位していないということを意味します。

また、岡宮天皇は没後の諡号であり、実際に天皇に即位したものではありません。

ただ、その祖先を辿って行くと男系なので、皇極天皇は男系天皇である、となります。

同様のことは第44代元正天皇にもあてはまります。

今上陛下の直系である光格天皇も、天皇に即位していない慶光天皇の直系です。

天皇に即位した者の事実の把握ミスか、叙述ミスか

このように、百田尚樹氏がコラムの中で正しい男系の理解を冒頭に示している一方で、歴代の女性天皇が男系であることの理由として「つまり父親は天皇である」と書いているのは、事実と異なるということになります。

これは、「天皇に即位した者は誰であるか」の事実の把握ミスなのか?

単なる「叙述のミス」なのか?

それとも「父方」とあるべきところを「父親」と印刷してしまったのか?

どうかは分かりませんが、この部分は改版時に削除されるのではないでしょうか?

それとも、この記述でも問題ないという説明がなされるのでしょうか?

ただし、少なくとも「百田説では現皇室は万世一系ではない」というのは違います。正しい男系理解が示されているのですから。

いわゆる「筆が走った」状況であると思われるので、修正するべきだと思います。

※追記:4刷からは「父親を辿れば必ず天皇に行き着く」と修正されました。

追記:「監修者」について

 

谷田川さんの発言からは、世の中一般の「監修者」としての役回りであったのかは判然としません。むしろサポート的な役回りであったと仰っています。

それに、日本国紀の記述を再度確認したところ、「監修にあたっては」と書かれており、谷田川さんが世の中一般の「監修者」という役回りであると断定したものなのかはよくわからないものでした。

ですので、この点について「谷田川氏の責任」をどうこう言うつもりはありません。

以上

韓非と法治主義:韓非子についての書籍の種類・選び方とおすすめ本

韓非子:法治主義

韓非子を読んでみよう!」

私はこう思い至ってネット購入した本を読んだことがあったのですが、思っていたのと違うもので、外れもいいところでした。

実は「韓非子」の名称を冠する書籍には様々な種類のものがあります。

中身を見てみないとどういう構成のものか分かりません。

単に訳者が違うとか訳された時代が違うということ以上にバリエーションが豊富です。

そこで、世の中にある「韓非子本」の性質を分析したので参考になればと思います。

「韓非子」とは

韓非子とは、チャイナの戦国時代(紀元前280年くらいから233年まで)の法家である韓非という人物が書いた著書のことを指します。

韓非」自身のことを指して韓非子ということもあります。

全55篇から成っており、一つ一つの編に主題名が書かれています。


定法 第四十三篇
説疑 第四十四篇
詭使 第四十五篇

一つの篇の中身は複数の項から成っており、一つの項がひとかたまりの内容について論じている構成になっています。


定法

問者曰、申不害、公孫鞅、此二家之言、孰急於国、応之曰、是不可程也、人不食十日則死、大寒之隆、不衣亦死……

実は、韓非子自身が書いたと推測されている篇は数種類しかなく、他は韓非子の弟子や他流派の共感者による追記が行われているのではないかと言われています。

ただ、ここではあまり深入りはしません。

原文を読むことはほとんどの日本人にとっては不可能なので、日本語訳がされた書籍を読むことになります。

韓非子本の種類と選び方

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私がみたところ、世の中の「韓非子本」は、大雑把に以下のように分類できます。

  1. 韓非子の原文とその訳に徹した書籍
    ⇒オーソドックスなものですが、最も外れの無い書籍です。
  2. 韓非子の原文の一部を掻い摘んで適示し、独自の解釈を加える書籍
    ⇒独自解釈に新鮮さを感じることもありますが、1番の書籍を読んで韓非子の文章の大枠を理解していないと、「迷子」になることもあります。また、解釈に違和感を覚えることもしばしばあります。私が最初にネット注文したのはこの種類の書籍でした。
  3. ある主題を設定し、それに関係する複数篇にまたがっている箇所を引用し、場合によっては他の時代の思想家との比較をすることで韓非子の思想を深く理解しようとする書籍
    ⇒大学の講義を受けているのに近い感覚になります。
  4. 韓非子に顕れているエッセンスを日常生活やビジネスの分野に応用して理解する書籍
    ⇒最近はこういう本が多く出版されています。網羅性は犠牲になっています。
  5. 韓非子の思想を概略的に示した入門書

それぞれ一長一短がありますが、「おそらく1番のオーソドックスな韓非子本を読んでいることを前提としているのではないか?」と思われる書籍もあります。

基本は1番の韓非子の原文と訳に徹した書籍を読むべきでしょう。

ただ、その種類の書籍の文章は「堅い」ものであるのと、和訳文のみでもちょっとした小説1冊分の文量があるので、とっつきにくいという場合もあると思います。

そういうときは、4番の韓非子のエッセンスを紹介している書籍や5番の入門書から手を付けるといいかもしれません。

韓非子についての書籍の種類、つくり

最初に、オーソドックスな書籍について説明します。

1:漢文、2:書き下し文、3:注、4:和訳文

このような構成がスタンダードですが、韓非子の原文を載せているものとそうでない書籍があります。

書き下し文」も載せているものとそうでない書籍があります。

さきほど紹介した韓非子の一節の書き下し文の例は以下です。

書き下し文の例
定法(法を定む)

問う者曰く、「申不害・公孫鞅(しんふがい・こうそんおう)、此の二家の言(にかのげん)、孰れか(いずれか)国に急なる」と。之(これ)に応えて曰く、「是れ(これ)程る(はかる)べからざるなり。人食らわざること十日なれば則ち死す。大寒の隆(さかん)なるに、衣ざれば(きざれば)亦(また)死す。

一 申不害__前四世紀中期の法術家。韓の昭侯に仕え、君主の術を説いた。…二 公孫鞅__前四世紀中期の法家。秦の孝公に仕え、法の権威を立てて国力を強めた。商に封ぜられて商鞅、商君ともいう(『史記』商君伝)。三 課する__課は試の意。

読み仮名をつけているところがほとんどだと思います。

書き下し文は、著者によって差が出ることがありません。

ですから、読者が自分なりの解釈を働かせる余地があります。

そこに魅力を持っている者は、書き下し文のついている書籍を探すといいでしょう。

注の説明があることで、固有名詞なのかどうかや漢字の表す意味、時代背景や人間関係が分かり、韓非子の内容の理解の助けになります。

上記の和訳の例を示すと以下になります。

定法

質問者がたずねた、「申不害と公孫鞅と、この二人の意見はどちらが国家にとって重要であろうか」。それに答えて言う、「これは比べることができない。人は十日も食べないでいると死んでしまうが、大寒の盛りに着物を着ないでいるとやはり死んでしまう。…

和訳文の内容は、訳注を書いた人の個性が出ます。

丁寧な書籍は巻末に語句索引がついています。

1:漢文、2:書き下し文、3:注、4:和訳文、5:索引

この構成が揃っているもので最もおすすめするのは【韓非子 金谷治訳注 岩波文庫】です。上記の書き下し文、注、和訳文はこの書籍から引用しています。

金谷氏の訳注本は、第一冊~第四冊まであります。
※索引は第四冊にしか無いので注意してください。

なお、韓非子〈上〉 (中公文庫)町田三郎訳注もオーソドックスな構成のものとして有名ですが、こちらは漢文の原文がありません。また、索引もありません。

単に内容を理解するだけなら原文は不要だと思いますが、該当箇所を指し示す必要がある場合には不適です。よって、私は「金谷本」をおすすめしています。

韓非子について独自の解釈を加える書籍

これはもう千差万別の構成があるので類型的な特徴について詳しくは書きません。

ただ、私が最初に読んだのは失敗したなと思う書籍について説明します。

私が買ったのは【韓非子 乱世の君主論 安能務 文春文庫】です。

この書籍の酷いところは、この本がどういう目的でどういう構成のものであるかが一切書いておらず、いきなり韓非子の一節を抜き出して解説のようなものをはじめ、それが上下巻全編を通して続く、というものです。
少なくとも、最初に手にする韓非子本としては、最もおすすめできません。

『今自分は、韓非子のどの部分の言説について言及しているものを読んでいるのか?それは韓非子が言った言葉なのか?原文の和訳なのか?それとも著者のアクロバティックック解釈に過ぎないのか?』

このような「迷子」にならないように気を付けましょう。

ただ、安能務氏の視点から理解した『通常見る事の無い韓非子解釈』に新鮮さを覚える方もいらっしゃるかもしれません。

一例を上げるとすると、下巻の最終節(私が読んだもので329頁)には、こう書いてあります

抱法処勢治
法を抱いて体制に処すれば、国は治まる
王も法を守らなければならない。法は王の上にある。

「法は王の上にある」と韓非子が考えていたということは、韓非子の原文の理解からはかなり外れています(ある意味ではその通りであると言えるのですが)。

しかし、この解釈を取っていると思われるのが春秋戦国時代を舞台にした名作漫画「キングダム」です。

 

「キングダム」では 45巻から中華統一後の法治国家建設の理念が語られます。

その後、「李斯」に法の真髄を問う場面があります。

そこにおいて韓非子の名も出てきますが、キングダム世界における秦王(後の始皇帝)である嬴政の「法」についての理解は「法は王の上にある」であり、まさに安能務解釈と通ずるものがあります。

おそらく原泰久先生は安能本を読んだことがあるのかもしれませんね。

今後、韓非子との問答が行われ、法治国家・法治主義について深く言及されるのかもしれません。

韓非子の法治主義・君主論を深く理解しようとする書籍

韓非子を分析する視点は多岐に渡ると思います。

私が興味のある、「法治主義」という観点から、最も優れた解説を行っていると思うのは、冨谷至の韓非子―不信と打算の現実主義 (中公新書)です。

韓非子 不信と打算の現実主義 冨谷至 著 中公新書 Ⅲ 刑と徳

韓非が言う法とは、国家的制裁、行為規範の性格を有した実定法、成文法規を意味する。そしてそれを保障し効果あらしめるために賞罰を設けるのである。

…「法」に限ってみると、それは明らかに条文化された成文法規であり、法を制定するのは人民でもなければ、神でもなく、君主であり、主権者が下す命令が法にほかならない

これらは韓非子の各篇の和訳ではなく、複数の篇にまたがった韓非子の文言から、韓非子の法治主義の性質について説明している文章です。

冨谷氏の分析によると、韓非子の考えていた「法」ないし「法治主義」の性質は以下のようになるでしょう。

  1. 荀子の性悪説を前提とした世界観、人間の理性を信じず、本能的打算を人の性と見る
  2. 韓非子の法治主義は自然法を観念しない法実証主義
  3. 法は君主による統治のための道具
  4. 法は、凡人の君主であっても統治を行うことができるようにするためのものである
  5. 法文による事前抑制ではなく、刑罰による威嚇をもって予防する
    ⇒実定法、成文法でもって法を記述させるという思想であるにもかかわらず、罪刑法定主義の思想はみられない
  6. 集団としての民を扱っており、個人としての民を見ていないため、応報刑論は観念していない。一般予防のみを目的としている。

冨谷氏の書籍は原文はありませんが、1:和訳された文章とその原文が存在する篇の表示、2:解説、3:他の思想家の著述の引用と解説、という構成です。

2001年の京都大学法学部の授業を元にして作った著作であるだけに、アカデミックな内容が含まれているものの、一般的な読み物としても非常に理解しやすいものになっていると思います。

韓非子の唱えた法治主義とは如何なるものなのか、近現代に現れた法治主義とはどう異なるのかを理解するのに最適な一冊です。

韓非子のエッセンスをビジネス等に応用する書籍

「韓非子は社長がよく読んでいるにもかかわらず、あまり口外されない」と言われているようです。

韓非子の内容自体が君主が国を治めるのに必要な心構えや方法論を説いていることから、会社の社長が学ぶべき内容があるというのは確かです。

しかし、それにとどまらず、会社の従業員にとってもわが身を守るために必要な処世術が説かれている、と解釈する著者がいます。

ですから、韓非子のエッセンスをビジネス等に応用する書籍の中にも2種類あります。

組織サバイバルの教科書 守屋淳 著は、会社従業員目線で書かれた書籍だと思います。

主題ごとに韓非子の一節を引用していきます。ところどころで古代中国の他の思想家との問答形式が挿入されているのも新鮮です。

 

韓非子に学ぶリーダー哲学 竹内 良雄, 川崎 享 (著)は、どちらかといえばマネジメントをする層に向けたものでしょう。

主題ごとに韓非子の一節をあてて内容を補強していきます。

全部で100項目

ページ下部に英訳がついているのが特徴的です。

韓非子の思想を概略的に示した入門書

韓非子の思想は現代の視点から見ると異質なものに映ります。

また、他の思想との違いがよくわからない場合があります。

これは図解で韓非子の思想の概念を表してくれるので、整理がしやすいと思います。

「マンガ孫氏・韓非子の思想」は、最もとっつきやすい読み物ではないでしょうか?

1995年出版ながら、Amazonで度々カテゴリ1位を獲得しています。

この記事執筆時点でカテゴリ2位でした。

孫氏の思想についても理解できますね。

子どもが読む本としてもいいと思います。

まとめ:おすすめは「金谷本」

最初に選ぶ韓非子本として、或いは他の書籍を読んだ後に立ち返るものとして、やはり金谷本が優れていると思います。

世の中の韓非子理解の通説でもあるともいえ、「外れのない理解」ができるからです。

とはいえ、自分のそのときの興味によって、他の書籍にあたってみるのも、面白いのでやってみるといいとおもいます。

以上

検索結果に表示されない原因と解決方法:新タイプのGoogle Search Console機能

検索結果に表示されない原因と解決方法

この記事は以下の方が対象です。

  1. 旧タイプのGoogle Search ConsoleFetch as Googleでページのクロールリクエストをしている
  2. にもかかわらず、タイトル全文検索をしても検索結果に表示されない

この場合に行うべき行動について、私が体験した例を紹介します。

どうやら「クロール済み、インデックス未登録」というステータスがあるので、そのあたりについて調べました。

新タイプのGoogle Search Consoleで対象範囲確認

f:id:Nathannate:20181111093048j:plain

新タイプのGoogle Search Console画面で、左側に「インデックス」という項目があるので、それを開くと「対象範囲」と「サイトマップ」という項目が出現します。

そこから「対象範囲」を押したときの画面が上記画像です。

この画像の中央に「有効402」「除外387」とありますので、「除外」の項目をクリックします。

Google Search Console対象範囲除外

ここで、インデックスから除外されたページとその原因が記載されています。

この画面の中で問題となるページが見つかれば、それぞれの原因の「型」に合わせた対処方法を行えばいいでしょう。

まずは、この中に検索結果に表示されないページが無いか確認しましょう。

私の場合、はてなブログを使っているのですが、ここで「除外」に該当しているものの99.9%が「カテゴリページ」や「ampページ」、「削除済みページ」、あとは自分で作成してもいない何かよくわからない「archiveページ」でした。

ひとまずそれらは忘れて、この記事で問題にする「クロール済み、インデックス未登録」の画面を確認してみます。

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私の場合、通常の記事ページは一つしかありませんでした。

しかも、そのURL:https://www.jijitsu.net/entry/mainichi-takahashikisya-sankenbunritsuは、普通に検索結果に反映されています。

このURLは、私が解決したい「タイトル全文検索をしても検索結果に反映されないページ」ではありませんでした。

コンソールのステータス表記は、実態と乖離している場合が多々あるということがわかります。

その場合、次に示す操作を行うといいです。

新タイプのコンソールのURL検査

インデックス登録されましたが、サイトマップに送信していません

画面左側に「URL検査」という項目があるのでそれをクリックします。

画面上部の検索窓に自動的にカーソルが行くので、そこで問題となっているURLを入力します。

すると、「URLがGoogleに登録されていません」と出ました。

URLがGoogleに登録されていません

そして対象範囲の項で「クロール済み、インデックス未登録」という状態であることもわかります。
「対象範囲」の「除外」の「クロール済み、インデックス未登録」には載っていなかったのに…不思議です

とりあえず、この状態になっているのが悪いのだな、ということは分かりました。

「クロール済み、インデックス未登録」を解消する方法

ちょっとこの画面では見切れてしまっていますが、右上に「公開URLをテスト」というボタンがあるので(或いは再度URL検査をして画面遷移する)、それを押してみます。

1~2分待つと、「URLはGoogleに登録できます」と表示されました。

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この表示の中に「インデックス登録をリクエスト」というボタンがあるので、そこからリクエストします。

すると……

f:id:Nathannate:20181111100306j:plain

URLはGoogleに登録されています」に変化しました。

ただし、対象範囲の項では「インデックス登録されましたが、サイトマップに登録されていません」となっています。

このURLのタイトル全文を検索窓に入れても、やはり検索結果に表示されませんでした。

「インデックス登録されましたが、サイトマップに登録されていません」の解消には?

実は、もう一つの別のURLも同時期に検索結果に表示されておらず、コンソールの同じページで同じ表示になっていました。

インデックス登録されましたが、サイトマップに登録されていません

しかし、このURLはインデックス登録をリクエストしたら、次の瞬間には検索結果に表示されるようになりました。にもかかわらず「インデックス登録されましたが、サイトマップに登録していません」という表記は変わっていません。

謎です。

ただ、【旧コンソールでクロールリクエストしても検索結果に表示されなかったページが、新コンソール上でインデックス登録をリクエストしたら検索結果に表示された】という一例ではあります。

問題のないURLは「送信して登録されました」となる

送信して登録されました

これまたさらに別のURLでURL検査をしたものですが、こちらは「送信して登録されました」と表示されています。

検索結果も、問題なく表示されていました。

これが本来の正常な状態であるということが分かります。

それにしても、なぜインデックスリクエストをしても検索結果に表示されないものがあるのでしょうか?

考えられる原因

一般的に考えられる原因を箇条書きにすると以下です

  1. 不十分なコンテンツ
  2. コピーコンテンツ
  3. 何らかの違反のページ
  4. 何らかの違反ではないが問題となる画像や文言が含まれている
  5. 単純にインデックスされるまでに時間がかかってる

心当たりとしてあるのは、今でも検索結果に表示されないページは、随時更新していく予定だったために、最初にブログ記事をUPしたときには文字数が500字未満だったということです。

つまり、最初に「不十分なコンテンツ」と評価されてしまった可能性があり、その評価を覆すために時間がかかっているのではないか?という仮説を立てています。

現在、当該ページは2500文字程度になっていますから、「不十分なコンテンツ」と評価されることはないはずなのですが…

当然、違反の可能性のある内容でもなくコピーコンテンツでもないので、不思議です。

※ところが

この記事を書いている途中に、問題となっていたページも検索結果に反映されるようになりました。

単純にインデックスまでの時間がかかっていただけの問題なのか、時間がかかっていた事に対して最初は不十分なコンテンツだったことが影響したのかは定かではありませんが、とにかく解決しました。

その他、技術的な問題が生じていると思われる場合には以下のページを見ると良いのではないかと思います。

余談:この記事のインデックス

検出ーインデックス未登録

これまでの話は、Fetch as Googleでクロールリクエストをしてから数時間が経ったURLが対象でした。

では、この記事をUPしてFetch as Googleでクロールリクエストしてから数分のうちに新コンソールで状態を見たらどうなるのか?と思って調べたら、上記画像のようになりました。

対象範囲の項に「検出ーインデックス未登録」という状態が表示されました。

ここからわかることは、ステータスは以下の順序で変化していくのだろうということです。

  1. 検出ーインデックス未登録
  2. クロール済み、インデックス未登録
  3. インデックス登録されましたが、サイトマップに登録されていません
  4. 送信して登録されました

これも時間の問題だろうと思います。

まとめ:とりあえず新コンソールでインデックスリクエストすること

  1. 新コンソールでインデックス「除外」のステータスになっていないかチェック
  2. URL検査をしてインデックスリクエスト登録
  3. その他、サイトが不十分なコンテンツ等に当たらないように適宜修正する
  4. 時間経過にまかせる(1日くらい)
  5. コンソールのステータス表記は、実態と乖離している場合が多々ある

どんなワードでも検索結果に表示されないページがあったら、新コンソールでインデックスリクエストすることで、大体の問題が解決できるような気がします。

それでも検索結果に表示されないということであれば、他に根本的な問題があるのでしょう。

以上