事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

師岡康子弁護士「ヘイトスピーチで日本国籍を取得するとか大きな被害をもたらしている」

師岡康子弁護士、朝鮮の子供たちがヘイトスピーチで日本国籍を取得する被害を受けているだいぶ前の会見での発言ですが、看過できないので取り上げます。

師岡康子弁護士「ヘイトスピーチで日本国籍を取得するとか大きな被害をもたらしている」

2019年10月28日にUPされた動画の5分30秒頃の発言です。

子供たちがインターネットで朝鮮などに関連することを調べると必ず属性に関する差別・ヘイトスピーチが書かれていて、やはり子供たちが自分の属性を隠したりとか、日本国籍を取るとか、そのような大きな被害をもたらしているのがインターネットです。

日本国籍を取得することが「大きな被害」!?

いったいどういう思考回路なのでしょうか?

まったく理解できません。

師岡康子弁護士の言う日本国籍取得は被害たり得るのか?

日本国籍を取得することによる「被害」というのはどういうものでしょうか?

重国籍の場合の国籍選択は期限がある

重国籍の場合ですが、運用上は厳密ではないために勘違いしている人が多いですが、本来は国籍選択は22歳までに済ませているべきとされています。

ただ、それを超過しても法務大臣から国籍選択の催告を受けることはほぼありませんし、それによる日本国籍の喪失というのもあまり聞いたことがありません。蓮舫議員がよい例です。

参考:法務省:国籍の選択について

また、国籍変更は他人に強制されて行える類のものではなく、煩雑な手続を経て行われるのであり、本人の意思に基づいて行われるものです。

よって、国籍取得それ自体が「被害」というのは、成人後に親などから強烈に取得する圧力を受けた、などの事情が無い限り、およそ観念できません。

しかも、その場合の「加害者」は、親など、と言う他は無いでしょう。

師岡康子弁護士はインターネット上のヘイトスピーチの文脈で言っているのですから、このような場合を念頭に置いていたとは到底思えないのですが。

国籍選択後の悪い出来事が被害?

おそらく日本国籍を取得したことによって、その後に生じた「悪い出来事」ということだと仮定してみましょう。法的・事実的なものではなく、比喩的な表現として「被害」を捉えてみる、ということです。

  1. 朝鮮籍あるいは韓国籍のときであれば享受できていた「特権」が無くなった
  2. 日本国籍を取得したことを、「同胞」に「裏切者」などと咎められた
  3. 国籍を取得しても属性による「差別」は変わらなかったので無駄だと思った
  4. 行政上の手続きなど、生活をしていく中での手続きがこれまでと変わり、混乱した
  5. 本当は日本国籍を取得したくなかったのに取得したことが心に重くのしかかってきている

う~ん…

いくら考えても出てきません。

2番以外は自業自得あるいは被害妄想としか言いようがないです。

「属性を攻撃されたから国籍を変えた」の非合理的思考

「属性を攻撃されたから国籍を変えた」

これが論理的におかしいというのは分かりますね?

「属性」は国籍にとどまらず出自・血統などもあるため、国籍を変えたところでそれらが変わることはあり得ません。そんなものは国籍変更前に分かりきっているはずです。

なので、もそもそんな「被害」は存在しているのか?という疑問が当然にして湧いて出てきます。

そもそも「朝鮮籍・韓国籍を日本人に咎められたから…国籍を日本国籍にする」という考え方が、日本で生まれ育った日本人である私にはまったく理解できません。彼らにとって朝鮮籍・韓国籍というのはその程度だった、ということ以外の何物でもないでしょう。

別に、「日本社会で生活するために最も快適で便利な国籍で居ることを選択する」のならそれでいいのですが、それは「被害」ではないわけです。

日本属性者に対する「ヘイト」は無視する日本属性者差別

朝日新聞官邸クラブが正体を現す「日本人に対するヘイトスピーチは日本の法律では違法ではない」

もう一つ、師岡康子弁護士の主張でおかしいのは、保護対象者の要件から「適法居住要件」を撤廃して「あらゆる差別をなくす条例の謳い文句に適う」ものにして欲しいと要望しているのに、「本邦外出身者」要件の撤廃は要求していない点です。

いわゆるヘイト規制法や東京都のヘイト規制条例は、「日本属性者(本邦内属性者)」が被害者となることを対象外にしています。また川崎市のヘイト規制条例は「日本属性者」が被害者となった場合の相手方の罰則がありません。

これではたとえば大坂なおみ選手が「日本属性」を理由に「不当な差別的言動」を受けた場合に捕捉されないことになります。
※川崎市の場合は被害者の「ケア」については日本属性者も対象になるが、相手方の罰則については日本属性者に対する言動が対象外になっているという点に注意。

別のたとえをすれば、在日朝鮮人コミュニティで「チョッ〇リが!」と言われて排斥されるようなものが、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」にあたらないということです。どう考えてもおかしいでしょう。

「日本属性者へのヘイトスピーチ規制は立法事実が無い」というフェイク論

さて、こういう指摘に対して北朝鮮関係の論者が以下主張しています。

「日本においてはマイノリティに対するヘイトスピーチが行われているという特徴がある。したがって、日本でのヘイトスピーチ規制はマイノリティに対するものを対象にするべきであり、そうでなければ立法事実が無い。だから本邦外出身者に対する言動を対象にするのが当然だ」

このような「立法事実が無い」論が展開されていますが、法的にも事実的にも明確にフェイクです。

立法事実の理解を捏造していますし、実際に日本属性者が日本属性を理由に憎悪の対象になった事件はあるし、ヘイトスピーチが日本属性者に向けられることを非難するべき理屈は、他の場合と変わらないからです。

詳しくは以下で論じています。

以上:役に立ったと思われたらシェア・はてなブックマーク・ブログ等での紹介等をして頂けると助かります。

BLM名古屋の人種差別反対デモ行進ポスターに簡体字:裏に中国共産党?

BLM名古屋が中華フォントの簡体字で告知

Black Lives Matter運動を日本で展開しようと企む「BLM名古屋」が6月21日に光の広場からデモ行進をする予定のようですが、告知ポスターに【簡体字】らしき文字が使われていました。

BLM名古屋の人種差別反対デモ行進ポスター

Black Lives Matter 名古屋の人種差別反対行進告知ポスター

https://www.instagram.com/p/CBYA98WJnV8/

https://www.instagram.com/p/CBYA98WJnV8/

BLM名古屋が人種差別反対デモ行進の告知ポスターを投稿しました。

これはインスタグラムとTwitterで見られました。

しかし、ところどころでなにやらおかしなことが。

「反対」の文字が日本語の漢字ではありえない表記になっています。

そう、これは簡体字、つまり中国語フォントによくみられるものなのです。

やはり、BLMは中国共産党が裏で煽動していたのでしょうか?

「中華フォント現象」が原因か

iOS で日本語文章に発生する中華フォント現象とは - Qiita

ここではiOS の言語設定の仕組みとして、デフォルトでの優先順位が日本語よりも中国語(簡体字)が上に来ているため、世界的に見れば多くのユーザーにおいて中華フォントが優先的に使用されているという実態が紹介されています。

そのため、中国語を日本語よりも優先指定している場合に中国語らしい文字になる=「中華フォント現象」が発生すると指摘しています。

今回のものもそのせいであり、中国共産党とは無関係である可能性があります。

あと、簡体字(ワードで言えばMicrosoft YaHei)ではなく繁体字(ワードで言えばMicrosoft JhengHei)の可能性もあるのかなと思います。この場合は中華民国=台湾でつかわれている文字ということになります。

ただ、私が実際に確認したところ、簡体字(ワードで言えばMicrosoft YaHei)系列のフォントの方が、BLM名古屋の告知ポスターの文字に近い漢字の形をしていました。

Black Lives Matter名古屋、何故かTwitterツイートは削除

Black Lives Matter 名古屋の人種差別反対行進告知ポスター

魚拓(6月13日):http://archive.is/WEHus

魚拓(6月15日):http://archive.is/QZBqA

ところで、Black Lives Matter名古屋のTwitterアカウントでは、なぜか6月13日にツイートした、告知ポスター画像を含むツイートを消しています。

一体なぜでしょうか?

やはり、中華フォントの指摘を受けてマズイと思ったのでしょうか?

ただ、Instagramの投稿が残っていることからは、Twitterの方はグーグルマップの画像も一緒に添付されていたので、著作権侵害とされることを回避した可能性もあります。

AntifaアンティファがBLMマーチに関与

魚拓:http://archive.is/k27yJ 

AntifaアンティファのアカウントがBLMマーチに対して賛意を表明しているのが分かります。大丈夫ですかね?このデモ行進は?

以上

アトランタ警察による黒人銃殺事件の真相とアメリカの銃使用基準

アトランタ警察によるテーザー銃強奪した黒人銃殺事件の真相

アトランタ警察による黒人銃殺事件がありましたが、警察官による銃の発砲は妥当だったのか、違法だったのか?日本とアメリカの制度に照らして考察しました。

アトランタ警察による黒人銃殺事件の真相

アトランタ警察による黒人銃殺事件は、いくつかの動画がUPされています。

これらを見ると、日本語メディアで報じられている記事の内容からは分からない、重要な真相が見えてきます。

テーザー銃を奪って逃走中に発砲したため射殺

動画から読み取れる事実関係を文字化すると以下です。

  1. ドライブスルー店舗で自動車に乗っている男性が飲酒して寝たとの通報を受けた
  2. 警察官が呼気アルコール検査をして逮捕を試みたが男性が殴打等で抵抗(他の報道からは基準値を上回るアルコールが検出されたとある)
  3. 男性は警察官のテーザー銃を奪って逃走(この間、警察官のテーザー銃発砲があったような音がしてるが、よくわからない)
  4. 逃走途中に警察官に向かってテーザー銃を発射(殺傷能力は無いものとして扱われている)
  5. その直後、警察官が男性に向かって正規銃を発砲

アトランタのボトムズ市長は、市警本部長の引責辞任を発表するとともに、「武器の正当な使用とは思えない」として、発砲した警官の懲戒免職を要求。結局、当該警察官は免職処分となったようです。

余談ですが、事件後、通報した店舗が暴徒によって燃やされています。

日本の警察官職務執行法で考えてみる

警察官職務執行法

第七条 警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる但し、刑法(明治四十年法律第四十五号)第三十六条(正当防衛)若しくは同法第三十七条(緊急避難)に該当する場合又は左の各号の一に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならない。

一 死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
二 逮捕状により逮捕する際又は勾引状若しくは勾留状を執行する際その本人がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。

警察官等けん銃使用及び取扱い規範

(相手に向けてけん銃を撃つことができる場合)
第八条 警察官は、法第七条ただし書に規定する場合には、相手に向けてけん銃を撃つことができる。
2 前項の規定によりけん銃を撃つときは、相手以外の者に危害を及ぼし、又は損害を与えないよう、事態の急迫の程度、周囲の状況その他の事情に応じ、必要な注意を払わなければならない。

要するに、犯人の逮捕若しくは逃走の防止のためであっても武器の使用はできるが、銃の使用にあたっては、正当防衛・緊急避難に該当する場合の外は、重犯罪の犯人か、逮捕状・勾留状等の執行の際の抵抗時でなければ、銃を相手に向かって発砲してはいけないということになっています。(+αで「他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合」だが、極めて限定的な場合だろう)

強盗傷害未遂で銃の使用は可能かもしれない

殴打等によりテーザー銃を警察官から奪って逃走中に警察官に向かって発砲する行為】がどう評価されるか。

これは男性が警察官を殴打し(暴行)、テーザー銃を奪い(強盗)、逃走中に当該警官に射殺されたものですから、強盗罪(五年以上の有期懲役)或いは強盗未遂罪が疑われます。(不法領得の意思や強盗の故意が否定されるかもしれないが捜査の違法性判断にはほぼ影響しない)

よって、「長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者」として、銃を発砲されても仕方がない可能性があります(細かい検討はしてません。「これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合」かどうかはよくわかりません。)

したがって、日本においてですら、当該黒人男性に対して警察官が銃を発砲しても違法では無かった可能性があります。

殺害にまで至ってしまったという結果部分の考察は分かりませんが。

日本ですらこれなのだから、アメリカではどうなのでしょうか?

アメリカの警察による銃使用の法的規制

警察政策学会資料 第96号 平成29(2017)年 8 月 米国の治安と警察活動

http://asss.jp/report/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E6%94%BF%E7%AD%96%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E8%B3%87%E6%96%99096(%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%B2%BB%E5%AE%89%E3%81%A8%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E6%B4%BB%E5%8B%95).pdf

アメリカの警察組織の銃使用基準についてはこのような調査結果があるようです。

  1. 警察官は身の危険を感じたら相手を射殺しても良いという慣行が定着している
  2. 警察官の実力行使の現場において、比例或いは均衡の原則が存在しない
  3. 米最高裁は、逮捕などに伴う実力行使は、憲法修正第 4 条の適用対象であり、その適否の判断基準は同条に定める「客観的に合理的」であるか否かであるとした。
  4. しかし、「合理的」か否かは、現場にいる合理的な警察官の視点から判断されなければならないとした上で、その判断は、事後的な判断ではなく、警察官が不確定且つ状況が変動する厳しい環境に於いて、瞬時(split second)の判断を求められている事実を斟酌する必要があるとしている。
  5. 実務的には危害射撃は二つの類型が認められている。一つは、生命の防護であり、自己又は第三者に対する危険を感じた場合、もう一つは、重罪被疑者の逃走防止のためであるが、後者の場合は被疑者の逃走が第三者に危険を生じさせると考える相当な理由が必要とされる。

こうしてみると、銃社会のアメリカでは日本よりも相当緩い基準で銃の使用が法的に許容されているようです。

ただ、憲法や法律とは別個に、警察組織の内部ルールもあるようです。

アメリカの警察組織の銃使用基準

警察政策学会資料 第96号 平成29(2017)年 8 月 米国の治安と警察活動

(4) 警察組織によってバラバラな武器使用規準
以上、米国では、法的には逮捕要件は低く且つ恣意的な実力行使が可能であること、また、法的には危害要件が低く警察官が執行務で民間人を射殺しても罪に問われることは稀なことを見てきた。
それでは、各自治体警察において警察官の実力行使や武器使用についての行政的な指導はどうなっているであろうか。これについては、民間団体が最近行った調査分析結果65がある。これは全米の大規模警察 100 に対して実力行使や武器使用の規準について情報公開を要求して 91 組織から有効な開示を得て、これを分析したものである。
その結果は、一般に規準は緩いが、更に警察組織によって厳緩バラバラであることが判明した。例えば、射撃する前に警告を発するよう定めているのは 91 組織中 56 で 62%。射撃する前に合理的に考えられる他の手段を尽くすよう定めている組織は 31 で 34%。他の警察官が過剰な実力行使をしている場合に介入して止めさせるよう定めている組織は 30で 33%。拳銃を構えての威嚇を含め銃器、スタンガン、催涙スプレーの使用など全ての実力行使について報告を求めている組織は 15 で 16%であった。
このように、米国の警察においては、実力行使や武器使用についての行政的指導や規準も、バラバラで且つ緩いのである。 

アメリカは、その警察組織によってルールはバラバラのようです。州が同じでも管轄が違えばルールも違うことが見て取れます。

法的な規制よりも厳しい措置をとっている警察組織があるのかはこの資料からは分かりませんが、この様子だと、アトランタ警察による黒人銃殺事件の警察官は、ルール上も何ら問題なかった可能性があります。

銃殺の際に発砲したのが何発だったのかは気になりますが、1発だとしたら免職処分というのはやりすぎな感があります。

免職処分された警察官による訴訟はあるのだろうか

こうしてみると、免職された警察官が、免職処分を不当とする行政訴訟を起こすことが十分に考えられます。

訴訟社会のアメリカですから、どうなることやら。

以上

「学生支援緊急給付金は外国人差別だ」と言う日本人差別者

学生支援緊急給付金は外国人差別だという日本人差別者

「学生支援緊急給付金は外国人差別だ」と言う者は【日本人差別者】です。

京都大学総長の山極寿一「留学生に成績要件は差別」

京大総長、学生給付金を批判 「留学生差別、おかしい」 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル魚拓

インタビューで山極氏は「(同給付金は)生活困窮者への支援だ。成績を重んじる奨学金とは目的が違う」と述べ、成績要件を批判。「日本人学生の要件は基本的に経済的な事情だけ。留学生も、経済事情が逼迫(ひっぱく)している人に支給するのが本筋だ」と指摘した。

 留学生に対する日本政府の方針について、「日本も少子高齢化でだんだん労働者人口が減っていく。外国の優秀な学生を頼らなければいけなくなる時代が目の前に来ている」「優秀な留学生を集めるには、日本の学生と留学生を差別しないという態度が一番、魅力的だ」と述べ、「差別するのはおかしい」と批判した。

京都大学総長の山極寿一(じゅいち)は「留学生に成績要件は差別」と言っていますが、日本国の法体系を無視したトンでも発言です。こんなの許していいんですか? 

日本人は住民税非課税世帯レベル対象、外国人は同要件不要

学生支援緊急給付金

「学びの継続」のための『学生支援緊急給付金』:文部科学省魚拓

支給対象要件を見ると、留学生以外は⑥要件(イ)(ロ)として住民税非課税世帯レベルの経済状況=超低所得世帯でなければ、支給対象でないとあります。

しかし、留学生はこの要件は不要なのです。

その代わりに成績要件が必要であるとされているのです。

つまり、日本人はいくら成績優秀でも、少し生活が苦しい程度では緊急給付金が貰えません。他方、留学生はそうではありません。

「学生支援緊急給付金は外国人差別だ」と言う人は、これは【日本人差別】と言わないのでしょうか?(日本人じゃない非留学生も居るが)

日本人(非留学生)でも成績が関係する場合も

⑥要件の(ハ)(ニ)を見ると、「無利子奨学金」や「民間等の支援制度を利用している者」という要件があります。

これは、要するにそういう制度を利用できる人物=成績が良い者、という意味が含まれるため、留学生とあまり変わりありません。

「留学生だけ成績要件を設けている」というのは実態とは異なる話です。

そして、そもそも留学生は「生活困窮者」であってはならないのです。

留学査証(ビザ)の取得要件に資力要件がある

一般ビザ:留学|外務省魚拓)では「経費支弁者の在職証明書」が要求されてます。

つまり、留学査証(ビザ)の取得要件には【資力要件】があるのです。

ビザの発効は出入国管理及び難民認定法に基づいており、その判断は所管省庁の外務省の広範な裁量下にあります。

したがって、最初から一定の経済レベルにあることが留学生に求められているため、学生支援緊急給付金でその前提を覆すような要件設定をすることは許されないでしょう。

留学生を受け入れる意味

留学生で住民税非課税相当レベルの生活だということなら、アルバイトを相当な時間やらなければならないが、留学生を仕事させるために入学(留学ビザでの入国)させてるのではありません。

そもそも「留学生をなぜ認めているのか」という実質論のところで、京大の総長は間違っている。

留学生に対しては、教育の機会を平等に与えることではなく、日本での教育を各国に持ちかえって発揮してもらう、或いは日本国内で還元してもらうためであって、優秀な人材を求めるのが当たり前でしょう。

日本人で生活困窮レベルの人間がイギリス・フランス・アメリカなどの大学に留学している例があるというなら教えてください。無いでしょ。

以上

砂川事件最高裁判決の調査官メモと統治行為論に関する誤解

 

砂川事件最高裁判決の調査官メモが発見されたという報道がありますが、統治行為論に関する誤解(安易な理解)が幅を利かせているようなのでここで整理します。

砂川事件最高裁判決の調査官メモが発見と朝日報道

砂川事件、判決原案を批判する「調査官メモ」見つかる:朝日新聞デジタル魚拓

 極めて政治性の高い国家行為は、裁判所が是非を論じる対象にならない――。この「統治行為論」を採用した先例と言われる砂川事件の最高裁判決で、言い渡しの直前に、裁判官たちを補佐する調査官名で判決の原案を批判するメモが書かれていたことがわかった。メモは「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない」とし、統治行為論が最高裁の「多数意見」と言えるのかと疑問を呈している。

統治行為論はその後、政治判断を丸のみするよう裁判所に求める理屈として国側が使ってきたが、その正当性が問い直されそうだ。

省略

メモが生まれた経緯などは不明だが、判決の構成という核心部分について、最高裁内部でも異論があったことがわかる。最終的な判決をみる限り、メモが受け入れられることはなかった。(編集委員・豊秀一)

朝日新聞は、砂川事件最高裁判決の調査官メモが発見され、その内容は新事実であり、いわゆる統治行為論の正当性が問われる、と書いてます。

さて、ここで疑問が生じます

  1. 砂川事件の最高裁判決(多数意見)は統治行為論を採用したのか
  2. 「多数の裁判官」が統治行為論を採用していたのか

ここでは話がごちゃごちゃにならないように、かなり簡略化して記述していきます。

憲法学界隈では、「砂川事件最高裁判決が統治行為論を採用した(のでは?)」と言われてきましたが、それは本当なのか?

それにしても、「判決にかかわった河村又介判事の親族宅で、朝日新聞記者が遺品の中から見つけた」とあることから記者が最高裁判事と懇意にしていたという事情が見て取れます。 

統治行為論とは

統治行為論】とは、司法権の限界(裁判所が判断するべきではない事項)に関する憲法理論です。

その内容は『一般に「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為」であり、法律上の争訟として裁判所による法律的な判断が理論的には可能であるのに、事柄の性質上、司法審査の対象から除外される行為』と言われるのが標準的な説明です。*1

つまり、統治行為に該当すれば、その事象は一切、裁判所が司法審をしないことになるということです。

しかし、憲法の規定上に書いてあるものでもなく、学説上も統治行為論の確立した見解はありません。日本の文脈では「いわゆる統治行為論」と言った方がいいかもしれません。アメリカの「政治問題」"Political Question"等を参考にして論じられています。(フランスの統治行為論、イギリスの国王大権など、司法権を限界づける理論があるが、現在日本の憲法学会で論じられている統治行為論に近いのはアメリカ型)

これは、司法権の優越はあっても司法権の絶対ではなく、司法がむやみに判断してはいけない事項=憲法判断を回避すべき事項があるのではないか?という問題意識から来ている理論です。

他にも司法審査になじまない場合があるとする憲法レベルの理論として「国会や各議院の自律権」「政治部門の自由裁量行為」「団体の内部事項」などが論じられ、実際に判例上認められているものがあります。

とりあえず、そういう「メニュー」があるということは後述することと関係します。

砂川事件最高裁判決は統治行為論を採用したのか

結論を先に書きますが、現在では砂川事件最高裁判決は憲法判断を回避したものではない、という見方が有力です。厳密な認識はここでは捨象します。 

昭和34年12月16日 最高裁判所大法廷判決 昭和34(あ)710  日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反

関連する部分は以下です。

ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである。

「統治行為」の語が無い多数意見=判決文

最高裁判決では、判決文の事を「多数意見」と言います。

それは、最高裁が小法廷なら5人、大法廷なら15人の裁判官の合議体によって判断を下すからです。

そして、最高裁判決に限って、判決に対して個々の裁判官が自己の主張を述べた文章を判決文に付属させることができます(必須ではない)。

それらは結論も論理も賛成だがなお言及したい「補足意見」、結論に賛成だが論理に一定の見解の相違がある「意見」、結論に反対の「反対意見」と分類されています。

個々の意見がどれに分類されるかの判断は誰がやってるのか?

これは個々の裁判官が判断しています

補足意見なのに判決文の論理と異なっている(つまり本来は「意見」に分類されるべきもの)と思われるものもあります。

さて、判決文には「統治行為」「国家統治」という語はあるでしょうか?

ないですよね。

「政治的ないし自由裁量的判断」からは、先述の「政治部門の自由裁量行為」の方を言っているようにも見えます。

砂川事件は、判例解説集などでは「統治行為」の問題としてよりは「条約の違憲審査」という項目の問題として論じられることが多いです。

そして、憲法判断を回避したわけでもないのです。

補足意見、意見で「統治行為論」を明言したのは2名だけ

判決文では「この判決は、裁判官田中耕太郎、同島保、同藤田八郎、同入江俊郎、同垂水克己、同河村大助、同石坂修一の補足意見および裁判官小谷勝重、同奥野健一、同高橋潔の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。」とあります。

この中で、多数意見が「いわゆる統治行為論」を是認していると明言しているのは藤田八郎・入江俊郎裁判官の2名の補足意見だけです。

当時の最高裁長官は田中耕太郎ですが、彼や他の補足意見を書いている裁判官は文言からは「自由裁量論」を述べているようであり、必ずしもいわゆる統治行為論を是認しているかは判然としません(むしろ採用していないという方向に傾く)

つまり、砂川事件判決当時の最高裁の裁判官において、統治行為論を是認しているのが明確だった人数は少数だったということは、判決当時に分かっていたのです。

したがって、「調査官メモ」から何か「新事実」が発覚したかというと、些末な事情が分かったと言うだけです。

統治行為論真正面の苫米地事件最高裁判例で引用されていない砂川事件判決

昭和35年6月8日 最高裁判所大法廷 昭和30(オ)96  衆議院議員資格並びに歳費請求

衆議院の解散が違憲無効だという苫米地義三一議員の主張が行われた事件で最高裁判決は以下述べています。

 しかし、わが憲法の三権分立の制度の下においても、司法権の行使についておのずからある限度の制約は免れないのであつて、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきでない。直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきものである。

省略

すなわち衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であつて、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは既に前段説示するところによつてあきらかである。そして、この理は、本件のごとく、当該衆議院の解散が訴訟の前提問題として主張されている場合においても同様であつて、ひとしく裁判所の審査権の外にありといわなければならない。

国家統治」 という言葉を使い、さらには一切の例外もなく司法審査の埒外に置く論理は、まさにこれまで憲法学会が「統治行為論」と呼んでいたものである……と言われています。

砂川事件ではなく、苫米地事件の方が「統治行為論」の先例として紹介されている解説書が多いです。この判例も議院の自立権や政治部門の自由裁量論であるとする学説もある。

さて、苫米地事件では砂川事件の最高裁判決の引用がありません。

「いわゆる統治行為論」という枠組みがあって、それにあたれば一律に憲法判断を回避するのだというような理論を砂川事件において最高裁が採用していたというのならば、 苫米地事件で引用されていなければおかしいのです。

そのため、少なくとも両事件は別の論拠に立っているということは主張可能です。

「いわゆる統治行為論」はあったのか?

最初に「統治行為」の意味内容は不確定だということを書きました。

結局、砂川・苫米地事件の最高裁の論理に「統治行為論」という名称を冠するどうかは、統治行為論の概念定義によるのであって、少なくとも最高裁はそのような概念を確定的なものとして存在することを認めておらず、より柔軟に判断できる思考方法を採っていると言えるのではないでしょうか。

その論理は実質的には「いわゆる統治行為論」と同じような機能(憲法判断回避の可能性を認める)を有しているので、それを統治行為論と呼ぶかどうかは、どうでもいい。

「何が政治問題であり、国家統治に関する高度な問題であるか」という色分けが重要なのではなく、「何が司法判断に服するべきか」が重要。そのために何らかの法理を設けた方がいいのか、統治行為論を法理化すると一貫した判断が難しく弊害が大きいのか、という考慮。

「高度な政治性」は、法理ではなく、理由付けのレベルで機能している、という見方をするのが良いのではないかと思うのです。「高度な政治性」があっても憲法判断をする場合もしない場合もあり得ると。

一つの最高裁判決での個々の裁判官の思惑が、何か規範性を持つことはなく、朝日新聞の記事はゴシップ或いは政治論議的には価値があるのかもしれませんが、憲法論議には何ら影響は与えないことは確かです。

以上

*1:憲法第七版 芦部信喜 高橋和之補訂

日本クルド文化協会、渋谷デモを不支持表明「メディアの取材無かった」

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日本クルド文化協会が、クルド人男性に対する警察の行為を非難する5月30日の渋谷デモを不支持することを表明しました。

日本クルド文化協会、渋谷デモを不支持表明し、非難

日本政府、国会、警察庁、及び関係各所各位... - 一般社団法人日本クルド文化協会 Japan Kurdish Cultural Association | Facebook魚拓

要点を整理すると以下になります。

  1. 当協会はデモを支持する立場ではなく、いかなる関与もしていない
  2. 今回の騒動の発端になったクルド人の行為は、日本の法律・慣習に照らし合わせて、擁護する余地はない
  3. 今回の渋谷警察署前でのデモは日本人参加者が大多数を占めていたが、普段クルド人の支援活動には参加されていない方々ばかりであったと確認
  4. 一部の方々が今回の件に際してクルド人に関する誤った情報を拡散しているが、こちらについても控えていただくようお願い
  5. 今回の件に関して、日本のメディアや学術機関、その他組織から、クルド人コミュニティとしての見解について取材が無かった

毎日新聞と神奈川新聞は取材していなかった

この件を報道していたのは毎日新聞と神奈川新聞です。

しかもネット版では「首を絞められ」などとアメリカのジョージフロイド事件を思わせるような書きぶりをしておいて、数時間後には本文もろともタイトルを修正。

そんな報道をしている所は、クルド文化協会に取材も何もしていなかったというのですから、驚きです。

デモ参加者の日本人は普段クルド人の支援活動には参加されていない者ばかり

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渋谷デモを支持していた者として立憲民主党の石川大我議員や蓮舫議員がいましたね。

そしてアメリカ大統領がテロ組織認定を目論み、FBIも犯罪行為の実態を把握しているANTIFAの旗を持ってデモを行っていた者も居ました。

有田芳生議員はこのデモを支持していましたが、後に警察に対して事実関係を確認した結果をツイートして以降、この話題には一切触れていません。

いったい、このクルド人とその支持者らは、どういう背景を持っているのでしょうか?

以上