事実を整える

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関東大震災朝鮮人殺害を「政府のせい」にして新聞の責任を隠蔽したいメディアスクラム

不審な記事

神奈川新聞「9月1日の大震災直後に内務省が流言の電報」

関東大震災での朝鮮人虐殺 社民福島氏「政府流言検証を」 神奈川新聞 | 2023年6月16日(金) 05:00

福島氏の指摘や政府答弁などによると、1923年9月1日の大震災直後に内務省が「朝鮮人による放火や爆弾投てきなどが相次ぎ首都に戒厳令を出さざるを得なくなった」との趣旨の電報を全国に発信した。

6月15日の参議院法務委員会で、社民党福島みずほ議員が関東大震災時の流言に関し、「政府発の流言を防ぐための検証の実施を」と迫る質疑をしていました。

それについて神奈川新聞が「福島氏の指摘や政府答弁などによると」とし、「9月1日の大震災直後に内務省が流言の電報*1を発信した」という意味の記述をしています。

この部分ですが…

  1. 「9月1日の大震災直後*2*3」というのは、歴史的事実はともかくとして、政府の認識として認められたことはない
  2. このような書きぶりは神奈川新聞の意思として為されたと言える

なぜこう言えるのか、そしてこの事の意味は何なのかについて書いていきます。

「9月1日」は、帝国議会議事録の永井柳太郎議員の認識

6月15日の参議院法務委員会の議事録を読めばわかりますが、福島議員も「9月1日」とは言ってないし、政府も言っていません。

当該電報に関する福島議員の質疑に対する政府答弁は以下の通りです。

○政府参考人(楠芳伸君) お答えいたします。
 御指摘の一九二三年、大正十二年十二月当時の帝国議会における御議論につきましては、帝国議会会議録に記録がされているものと承知しております。

この記録は大正12年12月15日帝国議会衆議院本会議のもので、その中で永井柳太郎議員の質疑において、「当該電報は9月3日付けだが、1日か2日に東京から船橋電信所に送致せられた」という旨の議員の事実認識が語られています。

しかし、それに対する山本権兵衛大臣の答弁では「必ずしも御読上げの通りであるということは断言しませぬが」という前置きをしており、電報の発送時期(紙に書かれたものを通信所に送る行為)や、通信所からの発信時期については、語られていません。

したがって、神奈川新聞記事が「福島氏の指摘や政府答弁などによると」「9月1日の大震災直後」と書いているのは、神奈川新聞独自の見解であるということに。

もっとも、「9月1日」という表記は、単に歴史的事実として当日に関東大震災が発生したことを意味し、「直後」とは幅広い時間軸で見た場合の表現であり、必ずしも「当日中乃至は遅くとも翌日に行われた」と理解させるものではない、という逃げ道は確保してあることになります。

が、「この話題に関心のある読者」は、そう思うでしょうか?

特に神奈川新聞は「関東大震災100年」として記事を多く書いており、「政府の責任」を追及する内容ばかりなので、近接した時間軸を意識せざるを得ない。

細かい時間軸が重要なのは、新聞が流言を報じていたタイミングが関係します。

9月3日の東京日日新聞の「朝鮮人暴動」流言記事

東京日日新聞大正12年9月3日上半分

東京日日新聞が大正12年9月3日に上掲の記事を首都圏に配布していました。

この記事の存在そのものがネット上ですら「隠蔽状態」でした。

最近でも浜田聡参議院議員が東京日日新聞(現毎日新聞)大正十二年九月三日の報道内容と関東大震災時に発生した殺傷事件との関連に関する質問主意書令和5年6月20日で取り上げていますが、ほとんど無視されている状態です。

で、この新聞記事の影響力については、論文で以下指摘されてもいます。

大畑裕司/三上俊治「関東大震災下の『朝鮮人』報道と論調」(下)『東京大学新聞研究所紀要』第36号,1987年

この論文でも「3日朝内務省警保局長名で公式に伝えられた」とあるように、当該電報が発信されたのは3日です。

「各地方長官宛電文」とあるように公式に伝えられたものですが、政府間の情報共有のための電信であり「新聞社等に公表された・掲示された」ものではありません。

9月3日に「傍受」されていた内務省警保局長の電報

当該電報について大阪朝日新聞の4日の朝刊に「三日傍受したところによると」として報じられています。

さらに、当該電報が発信されたのは東京海軍無線電信所船橋送信所ですが、2009年の政府検証報告書でも「3日朝に送信された」とあります。

仮に1~2日に紙媒体で電報の情報が電報発信保留の状態で存在していただけなら流言が広まった原因ではないし、それを新聞が知っていたなら2日までに報道が為されていなければおかしい。

報告書(1923 関東大震災第2編) : 防災情報のページ - 内閣府

第2章 国の対応

「9月1,2日に政府が流言電報を行った」という認識は、9月3日の東京日日新聞の記事を「政府の電報の影響を受けたもの」として責任を一定程度免除する効果があります。

そういう方向性を許してはならないでしょう。

関東大震災朝鮮人殺害を「政府のせい」にして新聞の責任を隠蔽したいメディアスクラム

2日の夜には中央の官憲も「朝鮮人暴動」が流言であるということに気付いており、新聞社に伝えています(もっとも、各地の警察官らの認識が改まるためにはタイムラグがあっただろう)。東京日日新聞3日の号外では「鮮人をむやみに迫害するな」という警視庁の告示が掲載されています。

にもかかわらず、9月4日の朝刊や号外では再度「朝鮮人の暴動」を肯定する記述が登場しています

河北新報や小樽新聞など地方紙は、震災から数か月経っても継続して朝鮮人の危険性を煽る言説を振り撒きました。そのため「地方紙の責任」が論じられ(それ自体は当然)「中央紙の責任」が隠蔽されてきたという別の側面もあります。

朝鮮人の不法殺害について、当時の政府にも責任がある。

それは当時の政府も戦後の政府も一貫して認識していました。

流言の情報を政府間で共有したことが漏れ伝わってしまったことや(傍受されていることも知っていただろう)、朝鮮人数千人を警察と軍が保護したとは言え、その移送の最中でも不幸があり、保護できなかった者が自警団により殺害されたケースが多く存在します。さらに、戒厳令解除後に信憑性に疑義があるものが含まれる司法省の朝鮮人犯罪統計の情報を報道させたことも、現在までに至る根強い「正当化論」を生み出したと言えます。

ただ、被害規模についての余りにも過大な話と新聞メディアの責任転嫁が酷すぎる。

関東大震災時のマスメディアの責任の隠蔽、責任転嫁の事例は、枚挙にいとまがない

このことにかけて、メディアスクラムが組まれていると言えます。

新聞などマスメディアによる流言拡散、風評加害行為を語らずに「SNSの危険性」とだけ論じたところで、何の意味も無い。それが福島第一原発のALPS処理水に関する風評加害が広く行われてきてしてしまった遠因ではないか?

現在、週刊文春の報道が深刻な人権侵害を発生させていますが、その記事内容がSNS拡散されることで人権侵害が発生するとして、その根本的な責任から週刊誌が逃れられるわけではないのと同じです。

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*1:警保局から各地方長官に対する電報

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加え、朝鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」

*2:※「9月1日の大震災直後」の意味は、100年前の歴史を振り返る視点だと幅広い時間軸=一週間程度でもこの表現が妥当することになると考えられる。しかし、「政府発の流言」という文脈なのだから、細かい時間経過が重要な話題として理解せざるを得ない。この場合、「当日中乃至は遅くとも翌日に行われた」と理解することになる。

*3:※他、朝鮮人に対する不法殺害が集中的に行われた時期や、流言を政府が否定したタイミング、新聞が流言を報道した時期についての歴史的事実も、この話題における「直後」の意味が限定される方向に作用する。