事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

あいちトリエンナーレの問題点・争点をわかりやすくまとめ

あいちトリエンナーレ問題をわかりやすく

愛知県知事の大村秀章氏のリコール署名が8月から始まります。

その原因となる「あいちトリエンナーレ問題」について、論点がごちゃごちゃに論じられているので、問題点レベルで分かりやすくまとめます(説明している内容が分かりやすいという意味ではない)。

細かい事実関係は愛知県や名古屋市の検証委員会がまとめたものや、本ブログで過去に整理した内容を見てください。

あいちトリエンナーレ・表現の不自由展 カテゴリーの記事一覧 - 事実を整える

あいちトリエンナーレの問題点・争点

あいちトリエンナーレの問題点・争点まとめ

あいちトリエンナーレ2019の問題点・争点は、次元が異なるものが総花的に並べられ、外縁部分の話題に焦点が当てられることが多いですが、それは目くらましであり、大前提となる出発点は、以下の問題です。

「表現の不自由展」において、昭和天皇の御尊影を燃やして灰を踏みつける映像の展示を大村知事が容認した問題

昭和天皇の御尊影を燃やして灰を踏みつける映像の展示を大村知事が容認した問題

メディアでは「慰安婦像が展示されたことに対する抗議」が強調されていましたが、この事はリコールに決定的な影響を与えたものではありません。愛知県民のみならず日本国民が怒りを持っているのは、昭和天皇の写真を焼いた行為に対してです。

天皇コラージュ事件の大浦信行作品があいちトリエンナーレで出展:昭和天皇の御影を焼却 - 事実を整える

細かい事実関係としては、大村知事は作品展示前のタイミングではこの展示があるという事実を知らなかった可能性が高いのですが、いずれにしても展示が問題視された後に大村知事が展示を容認した事実があります。

ただ、「この点が愛知県知事として許されないのはなぜか?」という話になると、それは以下のように法的な視点を抜きに語ることができなくなります。

公的機関が主体的に運営する行事で表現内容を理由に展示拒否する事の法的許容性

そこで、本来出発点となる問題、本質的な問題は

公的機関が主体的に運営する行事で表現内容を理由に展示拒否する事の法的許容性

これが全てです。

「公金支出をすること/しないことの妥当性」などは二の次の話です。

「法律は関係ない、倫理道徳的に問題がある」などと言っても、行政は法律に基づいて運営されていますから、法律上の要請として作品展示しなければならないという規範が仮にあるのであれば、それに反して展示拒否をすれば違法になるのです。

そうすると愛知県知事が大村秀章氏だろうが誰であろうが同じことになっていたので、大村知事個人を責めてリコールをすることの正統性も無くなってしまうのです。

「公的機関が主体的に運営」が重要:表現の自由と検閲

あいちトリエンナーレは「公的機関が主体的に運営」している行事だという事実が最も重要です。ここの認識が間違っている人が多いです。

公的機関が主体的に運営している事実

この点については私が事件の当初から指摘してきましたが⇒津田大介「行政が口を出すのは検閲に当たる」は的外れ:トリエンナーレ表現の不自由展、まとめると

  • トリエンナーレにあてられる補助金である文化庁の2019年度「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」採択一覧では、補助事業者名が「愛知県」となっている
  • 主催はあいちトリエンナーレ実行委員会だが、問い合わせ先は「愛知県県民文化局部文化部文化芸術課トリエンナーレ推進室内」と、愛知県の組織になっている
  • 実行委員会の会長が愛知県知事
  • 展示場所も愛知県が管理する愛知芸術文化センター内
  • 電話で応対している方も基本的には公務員たる愛知県の職員
  • 作品展示の決定権限を持つ芸術監督の津田大輔も実行員会の委嘱を受けていた(つまり実行委員会という公的機関側の人間)

要するに、「表現の不自由展」は行政の努力によってはじめて展示可能になっているものであって、行政が自分らで運営している事業についてどの作品を展示するかを決めるのは法令に抵触しない限りは基本的に行政の裁量の範囲内なのです。

民間の活動に対して補助金が出されるというものとは次元が異なります。

公金支出の問題との関係

「公金支出の問題」は、ここに吸収される話なのです。

「公金を支出するから~」という点を第一義的にすると、公的機関が運営主体である事案と、民間が主体となって運営している行事に行政がお金を出すような事案が混同されて論じられることになります。

その上で「公金を支出する事業としてふさわしいか」を論じるのが筋として良さそうです。この中で「憲法1条で天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると規定されていることから、その存在を侮辱する政治的表現を公的機関において行って良いのか?」というような話をするのが良いのだと思います。

法的に今回のような表現が禁止されるべきだったかというとよくわかりませんが、最終的には素朴な価値判断のレベルで決着をつけるべきなんだろうと思います。

そして、最終的には議会による責任者=知事の不信任決議、住民によるリコール請求、という道筋になるのだと思います。

憲法上の表現の自由は「公的機関に邪魔されない権利」

憲法上の表現の自由は原則的に「公的機関に邪魔されない権利」です。

「表現する場を提供することを求める権利」ではありません。

本件は、民間が美術館などの公的機関を借りて表現物を展示した事案ではなく、先述のように「公的機関が主体となって運営されている場」での展示です。

あいちトリエンナーレでの展示を認めないとしても、それはそこ以外での私的な運営による展示まで妨げているわけではないのですから、表現の自由の問題にはならないのです。

「憲法21条の表現の自由を侵害する検閲」の誤り

あいちトリエンナーレの問題点・争点、法的問題

https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/259465_883963_misc.pdf

あいちトリエンナーレのあり方検討(検証)委員会 - 愛知県

愛知県のあいちトリエンナーレ検証委員会でも、憲法学の曽我部教授が「理念としての表現の自由」は関係するが、憲法上の権利の話としては「基本的に表現の自由がダイレクトに問題となる事案ではない」「自分の気に入らないことに検閲というレッテルを貼って批判するという局面も見られた」と指摘しています。

他の憲法学者からも同様の指摘があります⇒トリエンナーレ表現の不自由展に横大道聡教授『「表現の自由の侵害」は困難」 - 事実を整える

「憲法21条2項の検閲とは~」と、判例の定義を長々と述べてもいいのですが、それは憲法上の権利たる表現の自由のフィールドに入っている場合の話です。

本件は、そもそもそうではない場合なのですから、「検閲の定義が狭すぎる~」などといった議論をする以前の問題です。

では、表現の自由の領域ではないという把握の仕方をすると、本件ではどうなるのか?

作品展示の前後とで話が変わりますが、愛知県と表現の不自由展側との契約関係と不法行為の可能性の話になります。

また、このときのような作品展示・運営ルールだとどういう問題があるのか?については、説明の仕方が難しいですが、少なくとも『公的機関が展示作品のメッセージにお墨付きを与えているという外観』が存在しているのが問題ですので、そこをどうクリアしていくかが今後の課題です。

自分の事は自分が決められる、自己矛盾を強制されない

「行政の裁量の範囲内」という事をかみ砕いて言うと

自分の事は自分が決められる、自己矛盾行為を強制されない

という話であると言えます。
(明確化:行政法上の「裁量の範囲内」の意味は別の言い方になりますがそこを論じているのではない)

大村知事は「本当は展示したくないけど、表現の自由の許されざる侵害だから展示しなきゃダメなんだぁ違法なんだぁ」なんていう思考回路に陥ったわけですが、そうじゃないということです。

誰でも自分の裁量の範囲であれば、自分に決定権があり、他人がその者の意思に反する事柄を強制することはできない。

この当たり前の、普遍的な価値観の話であると言えます。

あいちトリエンナーレの法的問題・争点をわかりやすくまとめ

あいちトリエンナーレの法的問題点・争点は、上掲の曽我部教授のまとめた図が分かりやすいのですが、愛知県を中心とした法的問題・争点を、一応は上掲の図に倣いつつ箇条書きにすると以下のようになります。愛知県≒あいちトリエンナーレ実行委員会として記述します。「誰と誰との関係で問題となるか?」という視点を持ちましょう。

  1. 愛知県と表現の不自由展実行委員会(そこに参画しているアーティスト)との関係(作品展示許可前とその後の撤回時の問題がある)⇒契約関係或いは不法行為の問題であって、憲法上の表現の自由の問題ではない
  2. 愛知県と名古屋市の公金負担の関係⇒名古屋市はトリエンナーレへの公金支出を撤回、両者の訴訟に発展
  3. 愛知県と協賛企業とのスポンサード契約の関係⇒事件後、HPから協賛企業のロゴが消えた。これが収益やイベントの存続に影響すれば次の4の問題にもなる
  4. 愛知県と愛知県民=住民との関係⇒イベントに対する公金支出によって説明責任が生じる(「知る権利」はここの話か)
  5. 愛知県と津田大輔との契約関係⇒津田大輔は契約違反をしたのか?
  6. 愛知県や協賛企業が被害者となる、電話での過剰な抗議・脅迫などの不法行為・犯罪行為
  7. 愛知県と文科省との関係⇒補助金交付・交付金額の問題
  8. 表現の不自由展・アーティストらによって展示された作品が何らかの法規制に引っかかるか⇒NO
  9. その他本件における愛知県の諸々の態度にみるガバナンスの問題

わかりやすくまとめると、ざっとこんなものでしょうか。

1番は【作品展示「前」の問題】と【作品展示「」の撤回・再開形式の問題】が混在しますが、後者は実行委員会≒愛知県と不自由展側≒アーティストらとの事後処理の問題に過ぎません。本件は愛知県とその知事である大村秀章の、県民・日本国民に対する関係が最も重要ですから、本質的なのは作品展示前の段階で作品の内容に基づいて展示拒否をすることの話です。

特に作品展示許可前の問題について昨年、細かく論じたので以下を見ていただければと思います⇒あいちトリエンナーレ・表現の不自由展 カテゴリーの記事一覧

表現の不自由展の展示とは別の、関連問題のまとめ

表現の不自由展の展示そのものに直結する話とは別の、その関連において発生した事案の問題をまとめます。

  1. 東大法学部卒である愛知県の大村秀章知事が本件で展示を許可しなければ「憲法21条の表現の自由を侵害する検閲にあたる」などと記者会見で何度も発言したことによる社会的な誤謬を拡散した行為
  2. 国民・住民らからの抗議・意見の音声を「電凸」などと表現し、県のHPで音声を公開し、後に削除した行為
  3. トリエンナーレ検証委員会の委員らがSNSで「電凸は犯罪」などと発信したことなどから、適性の問題と組織の公平性の問題
  4. 名古屋市の河村市長の抗議活動が違法行為であると指摘する愛知県側の主張⇒両者が公開質問状によるやりとりを展開している
  5. 愛知県とそれを批判した他の自治体の首長や議員らの発言が自治体の自律権との関係

1番は何ら法的に咎められるべきものではありませんが、法的に誤った説明を繰り返していたので(理念としての表現の自由ではなく、憲法上の権利侵害としての検閲だと論じていた)、人物評価の考慮要素としてリコール運動にとって必要不可欠です。トリエンナーレ事件の本質的な争点とも密接に関係しています。

2番は行政としておよそあり得ない行為をしたのでその「監督責任」を大村知事に問うべき事案です。音声の主に対する権利侵害として訴訟になるかというと厳しいと思われますが、情報の扱い方としてどうなのか、公務員の非違行為ではないか、などの論じ方は可能と思われます。

3番も人選は大村知事に責任があります。

4番は愛知県側が「河村氏の行動は違法である」と言いはするものの、訴訟沙汰にする気はなさそうです。

5番はメディアが政権叩きやゴシップエンタメのために無理やり争点化したものに過ぎません。

その他、細かい問題点を指摘したらキリがないですし、表現の不自由展支持派から指摘される問題点もありますが、それらのほとんどは最初に指摘した本質的問題点で吸収される話なので論じません。

 

まとめ:リコールが成功するかは問題点の把握が必要

「あいちトリエンナーレ問題」は、マスメディアがその事案の一部を隠して報じるケースが多く、「表現の自由」「検閲」といったワードが飛び交い、その観点に終始したまとめ方が横行しました。

他方で表現の不自由展の問題作品に反対する人たちの中にも、「公金支出の問題である」という切り口から説明する人がいました。

それはそれで正しいのですが、既述のように公的機関が運営主体である本件のような事案と、民間が主体となって運営している行事に行政がお金を出すような事案とでは、憲法上の権利が作用する可能性について違いが出てくるのであって、その視点を無視することを誘発しかねません。

自分の事は自分が決められる、自己矛盾行為を強制されない

愛知県を預かるハズの者が、法的主体としての当然の自律的態度を放棄した事案。

こう捉えると、如何に大村知事が下した判断・発信された言動がおかしいか、リコールに値するか、ということが露わになると思うのです。

以上:はてなブックマークをして頂けると助かります。

過去の関連記事:あいちトリエンナーレ・表現の不自由展 カテゴリーの記事一覧