事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

NHKがアレフ(元オウム真理教)に住民の取材音声URLを誤送信:思い出されるTBSビデオ問題

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NHK:取材音声ファイル、アレフに誤送信 - 毎日新聞

信じがたい事件が起きました。

NHK札幌放送局のディレクターがアレフに対して、周辺住民のアレフに関するインタビュー音声ファイルが格納されたページのURLを誤送信していたというのです。

NHKがアレフに音声データURLを誤送信した経緯

  1. アレフ施設の周辺住民らに取材、音声データ録音
  2. ディレクターは1日午後5時ごろ、音声データの文字起こしを委託業者にメールで依頼
  3. その際、データをダウンロードできるサイトのURLを、同僚の職員にも同時にメール送信しようとした。
  4. しかし、この職員のメールアドレスと頭文字が一致していたアレフのアドレスが自動的に予測変換で出て、気づかず誤送信した
  5. これまでもディレクターはアレフ側とメールのやり取りをしたことがあった
  6. 本来はセキュリティーが高いNHK独自のファイル転送システムを使うことになっていたが、ディレクターは一般向けのシステムを使用していた
  7. メールの誤送信後、すぐに気づいて上司に報告したが、データのファイルを開けないように処理ができることを後で知ったため、2日午前10時ごろに処理をした

NHK側の行動には不可解なことばかりです。

NHKの不可解な行動

まず、委託業者にメールで依頼する際に、同僚の職員にも同時にメール送信する、という行為自体が、あまり考えられない行動です。Cc等の機能を使っていたということであれば分かりますが。

次に、アレフのアドレスが予測変換で出た、ということですが、こういうことが無いように業務用システムでは予測変換機能を切っているのが通常です。無料メールサービスですら、機能のON/OFFができるのですから、できないハズがありません。

また、本来使うはずのファイル転送システムではなく、一般向けのシステムをなぜこの場合に使用していたのか、理解に苦しみます。ましてや住民の取材音声データというセンシティブな情報なのですから、扱いは慎重になるのが通常のはずなのに。

そして、ファイルを開けないように処理できることを後に知って、日を跨いだ17時間後に処理をしたというのも変です。情報漏洩は緊急対応案件であるのが社会常識のはずですが、のんきに放置していました、ということでしょうか?俄かには信じがたい対応です。

音声データファイルのURLを送るとは?

たとえば、こちらのファイルを開いてみてください。URLはhttps://drive.google.com/open?id=1OR3e7fcDwI2apw9v82bJ4Y0Z877GaDv4

「在外邦人保護義務と憲法」という表題のPDFファイルが開けたはずです。

では、こちらのファイルを開いてみてください。URLはhttps://drive.google.com/open?id=1R_HAfUKNMqKjXlenAxFkV5ECi4ZTkPtV"

……

すみません、元のファイルからデータを削除しているので、見れないはずです。
なぜか、私は見れます。フォルダからデータ削除してるのに…
追記:ファイルをゴミ箱から完全に削除したら消えました。

このように、URLを誤送信したところで、いくらでも対処方法はあったはずです。

にもかかわらず、17時間経ってからアクセスできないようにする処理を行ったというのは、「杜撰」や「お粗末」などということ以上に、NHK札幌放送局とアレフ側の結託を疑ってしまいます。

TBSビデオ問題:オウム真理教の坂本弁護士一家殺害事件

TBSビデオ問題とは、1989年(平成元年)10月26日に、東京放送(TBS。現在のTBSテレビ)のワイドショー番組『3時にあいましょう』のスタッフが、弁護士の坂本堤がオウム真理教を批判するインタビュー映像を放送前にオウム真理教幹部に見せた事件です。

その9日後の11月4日に起きた坂本堤弁護士一家殺害事件の発端となったとされており、現参議院議員の杉尾ひでやらによる社内検証番組が作られ放送、関係者の懲戒解雇、新社長による謝罪放送が行われるなど、社会問題にもなりました。

あれから30年、TBS問題と同様の事件が起きてしまうとは恐ろしいことです。

まとめ:NHK誤送信自作自演疑惑

アレフはもちろん、公安調査庁の調査対象団体です。

この「誤送信」の経緯はあまりにも不可解なので、NHK札幌放送局全体とアレフとの繋がりを調査(捜査もできるのでは?)しなければいけないのではないでしょうか?

今回、アレフ側はまったく関与していないとすればとばっちりですが、それにしても不可解です。

以上

政府の海外邦人保護義務は人権問題?:安田純平の自己責任論と国家の統治権

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「日本政府には海外邦人を保護する義務がある」

安田純平氏の例などにみられる不用意な行動が原因となったテロリストによる拉致拘束の事案において、ここでいうところの「義務」について、誤解が生じています。

結論から言えば、この場面では国家の統治権の話です。
人権を守るために邦人保護義務があるというわけではないということです。

おそらく、ほとんどの人が理解せずに無自覚に使っている言葉だと思います。

富井幸雄教授の【在外邦人保護義務と憲法―外交的保護と邦人救出―】をものさしにしながら私見を述べていきます。

ここでいう「義務」の意味は何か?

私の結論は、ここでいう「義務」は、【国家が国家自身の存在を維持するために不可避的な行為・態度】という意味の「義務」だということ。

国家の三要素は、土地・人・主権です(この順番でなければならない)。

そのうちの「国家としての人」が侵害されたことが、ここでの問題です。

ですから安田事案で言えば、日本国と安田純平は親子関係ではなく、安田純平は国そのものと理解することになります。

たとえばアメリカの在外邦人救出のための軍隊の派遣のケースでの判例*1では「政府の偉大な目的と義務は、国外だろうと国内だろうと、政府を構成する人民の生命と自由と財産を保護することにあり」と指摘しているように、国民を国家の一部とみなすことはおかしな話ではありません。

「義務が無い」と「義務を果たさずとも問題無い」の差

「国そのものの人」なので、日本政府が安田氏を助けないという判断をしたとしても、裁判で敗訴するという意味での非難がされることはありません。国家の裁量・政治的判断にかかる話ということになります。

ここでの意味における「義務が無い」と「義務を果たさなくても問題ない」は異なります。

通常の「法的な義務」の場合、それは裁判上の救済を求める余地がある具体的権利義務の話です。この話で言えば、義務を果たさないということは、ただちに問題である、ということになります。

そうでなければ、単にその判断が道義的に非難されるか否か、という意味において問題視され得るという話に過ぎません。

安田純平事案における国家の保護義務と言うときには、具体的権利義務という意味での義務の話ではありません。

「国の保護義務」が、通常の意味(=具体的権利義務)での「義務」ではない以上、安田純平側が「国家に保護される権利」を主張することもできません。少なくともそのような具体的権利は無いということは多くの人は理解できることでしょう。
※ただし、法的に抽象的な義務である場合が在り得る。その場合には「法的根拠のある非難」が可能だとする見解があります。後述。

自衛権の話か?

これは違うのではないでしょうか?

個別的自衛権は外国勢力からの武力攻撃に対し、実力をもってこれを阻止・排除する権利です。そして、その行使要件は現在は以下のように閣議決定されています。

  1. 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
  2. これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
  3. 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

安田氏は拉致拘束されていましたが、「武力攻撃」があったと言えるか不明です。

自衛権の話にしてしまっては、海外で邦人が拉致拘束された全事案について「邦人保護義務は発生しない」ということになってしまい、不都合でしょう。

なお、国連憲章51条に言う自衛権も武力行使要件があるため、この意味における自衛権であるという理解もかなり疑問です。

もっとも、そのような限定の無い自衛権を観念することは可能だと思います。

外交的保護権について

ここで、安田純平事案は外交保護権(外交的保護権)の話では?と疑問が生じます。

外交保護権の定義は必ずしも明確なものではないです。

ただ、現代の国際社会で通用している公約数的な理解は【自国民が外国の領域において外国の国際法違反により受けた損害について、国が相手国の責任を追及する国際法上の権利】とされています。

「国際法上の権利」ということから、通常は裁判による救済が受けられるという前提があります。
外交保護権行使の要件などの細かい点には立ち入りません

注意すべきは、外交保護権は国民の権利ではなく「国が相手国に対して有する権利」だということです。当該個人は法的主体性がありません。

つまり、外交的保護権は国際法上は人権ではないと解されています。

このあたりは富井幸雄教授の【在外邦人保護義務と憲法―外交的保護と邦人救出―】に詳しく、しかし明快に書かれています。

安田純平の自己責任論は外交保護権の問題か?

さて、シリア国内の、政府と無関係な武装テロリストに拘束されている邦人を保護しようとするときに、「外交」が観念できるでしょうか?そういう相手に対して何か言ったところで、裁判上の救済が受けられるでしょうか?

テロリストとの交渉を「外交」と評する慣習があるとは思えません。

テロリストに対して裁判上の救済を求めることは不可能です。

こう考えると、安田純平事案は少なくとも上記のような意味での外交保護権とは異なる話であると言えます。外交保護権は韓国の「徴用工訴訟」(本当は募集した出稼ぎ人に過ぎないが)でもあらわれたように、請求権に関する救済も含みます。

ただ、広い意味での外交保護の話としての邦人救出であると言うことができます。これは富井教授も指摘しているところであり、原始的・伝統的な外交的保護権は以下のような観念です。

そもそも外交的保護という言葉は必ずしも厳密ではなく、外交官などに限定されず、軍その他政府機関による保護も含み、また外交の行為との境界は明確ではなく、したがって本国による邦人保護機能の全体とも観念し得る

以下ではそのような広い意味での外交保護=邦人救出の話として論じていきます。

邦人保護義務の根拠・作用は何か?

国家の対外国に対する関係での話と、日本国内における国家対国民との関係の話に分けていきます。

日本国の外国勢力に対する関係での邦人保護義務の性質:統治権の発露

結局のところ、安田純平事案にみられる海外法人保護義務は、それが広い意味での外交的保護権であるか否かはともかく、国家の統治権に基づくものと言わざるを得ません。

「国家の邦人保護義務」と言う際、その「義務」は「人は自分の身体を大切にしなければならない」等の姿勢・態度と同じ意味に過ぎません。つまり国家自身の問題です。

以上に述べたことからは、邦人保護「義務」は不可避的なものですから、どんな場合にも発生していると理解することになります。

国vs国民という図式で表されるような他者に対する関係での「義務」ではない以上、「義務」違反でも問題ない場合があるということになります。それは国家の政治判断・裁量の領域の話だからです。

安田純平事案の場合には、ただ単に「その者が非難を受けるかどうか」の話と、国家の保護義務が(自己責任等により)なくなるか否かの話は分けた上で、国家の保護義務は無くなりはしない、ということになります。

国民が国家に保護を求める権利があるのか?

富井教授は「国民は国家に庇護や保護を求める権利があるかが明確にされなければならない」という問題意識(つまり、日本国内における国家vs国民との関係の話)から、以下のように主張します。

在外邦人保護義務と憲法―外交的保護と邦人救出―

小括

外交的保護権は国際法上国籍国の自国民保護義務に対応するものであって、憲法上は政府の一般的な義務といえる。しかし、憲法に国民の具体的な請求権を読むことはできず、また、具体的な行政法の規定もないから、法義務としてその行使を請求できる権利と認められるまで構成することはできない。不作為の違憲、あるいは違法確認の訴訟も認められない。ただ、抽象的な義務は認められ、憲法13条を根拠に、政府の不合理な不作為は処断することはできる。邦人救出も同様に考えられる。しかし、どちらとも日本の政策や措置は外交にかかわる高度に政治的な判断を要するものなので、不作為も含めて司法的に糾弾する事は難しい

「政府の不合理な不作為は処断することはできる」という言い回しに込められた意味は、定かではありません。ただ、何か裁判で訴えることはできないし、個人に請求権があるわけではないけれども、法的な背景を持つ非難が可能であるという意味、先に述べた「法的根拠のある非難」と同じ意味だろうと思われます。 

私は、このような憲法13条を根拠にした抽象的な義務を観念することに意義があるのか疑問ですが、一応は在り得る見解でしょう。

安田純平と一緒に人質になった渡辺修孝の訴訟

イラク人質事件で安田純平氏と一緒に人質になった渡辺修孝氏は、国を相手取って「自衛隊を撤退しなかったこと」を理由に人格権侵害で国を訴えていました。

渡辺氏は大要、「憲法前文、9条、13条に基づく平和的生存権が自衛隊をイラクから撤退しなかったことで脅かされた」と主張していました。

しかし、裁判所は否定しました。

東京地方裁判所 平成16年(ワ)第12130号、平成17年(ワ)第7343号

しかしながら,憲法前文は,憲法の基本的精神及び理念を表明したものであって,憲法前文第2段のいわゆる平和的生存権は,理念ないし目的としての抽象的概念であって,それ自体具体的な意味内容を有するものではなく,しかも,それを確保する手段及び方法も転変する複雑な国際情勢に応じて多岐多様にわたって明確にすることができないように,その内包は不明瞭で,その外延はあいまいであって,個々の国民の権利ないし法的利益としての具体的内容を有するものではない(最高裁平成元年6月20日第三小法廷判決・民集43巻6号385頁参照)。
また,憲法9条も,国家の統治機構ないし統治活動についての規範を定めたものであって,国民の私法上の権利を直接保障したものということはできず,同条を根拠として個々人の具体的な権利が保障されているということはできない
さらに,憲法は,13条において,憲法上明示的に列挙されていない利益を新しい人権として保障する根拠となる一般的包括的権利を規定するが,その利益が具体的人権として保障されるには,少なくとも,個人の人格的生存に不可欠な具体的利益を内容とするものでなければならない。そして,原告が「権利」ないし法的利益として主張するところは,前記の点を除けば,結局のところ上記のことをいうにすぎず,個人の人格的生存に不可欠な特定の具体的利益をいうものではない。

このように、邦人救出の場面で、国民から日本国に対して何か具体的権利利益を有するものではないということは確定しています。

※この時期は全国で市民らが同様の裁判を起こしていましたが、すべて敗訴しています。

まとめ:自己責任論では邦人保護「義務」は消えない

  1. 国家の邦人保護義務は通常の法的義務ではない
  2. 自衛権と解すことは日本国憲法上も国連憲章上も難しい
  3. 狭義の外交的保護権ではない
  4. 広義の外交的保護権であると言うことは可能
  5. 広義の外交的保護権であっても、それは国家の権利であって、その国民の権利ではない
  6. 人権問題ではなく、国家の統治権の問題である
  7. 国家の邦人保護義務は常に存在する
  8. 義務を果たさなくてもそれは国家の政治的判断・裁量の領域であり、法的な非難はできない

安田純平事案で「自己責任論」がまるで国家の邦人保護義務を免除する機能があるかのように論じられてしまうのは、この辺りの議論がまったくメディアや法律界隈でなされないからではないでしょうか?

だから「義務があれば助けなければならない」「義務が無いから助けなくて良い」という論調が多くなされ、無駄な議論が展開されていると思います。

そういう発想になるのは、国家による海外邦人保護の問題を「人権問題」であるという理解が大勢を占めているからだと思います。

私は、それは違うと思います。

国家自身である邦人を助けるのかどうなのかという、国家の統治権に基づく裁量的判断の領域なのです。

以上

*1:Durand v. Hollins, 8 F. Cas 111(Y.N.D.S. Cir. 1860

立法府の長は誰か?安倍内閣総理大臣のミスを嗤うな

立法府の長

参照:衆議院HP:http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kokkai/kokkai_sankenbunritsu.htm

平成30年11月2日、衆議院予算委員会で安倍内閣総理大臣が「私は立法府の長として」と発言し、直後に「行政府の長」と修正しました。

あいかわらずメディアや野党が狂喜乱舞しています。

過去の安倍総理の「立法府の長」発言

ちなみに安倍総理が立法府の長と言ったのは平成19年5月11日日本国憲法に関する調査特別委員会が最初です。二回目は平成28年4月18日TPP特別委員会(環太平洋パートナーシップ特別委員会)です(議事録は「行政府の長」に修正されています。衆議院インターネット中継を見れば立法府と発言した後に訂正しています)。

また、平成二十八年五月十六日の衆議院予算委員会における安倍内閣総理大臣の答弁でも同様の発言をして修正しています。

平成二十八年五月十九日提出質問第二八〇号 安倍総理の「議会については、私は立法府の長」との発言に関する質問主意書

平成二十八年五月二十七日受領答弁第二八〇

衆議院議員逢坂誠二君提出安倍総理の「議会については、私は立法府の長」との発言に関する質問に対する答弁書

一について
 お尋ねについては、いずれも法律上の用語ではなく、明確な定義があるものではないが、一般に、「立法府の長」は立法機関である国会を構成する衆議院及び参議院の議長を指すものとして、「行政府の長」は行政権の帰属する内閣の首長たる内閣総理大臣を指すものとして、それぞれ用いられていると承知している。
二、三及び五について
 御指摘の平成二十八年五月十六日の衆議院予算委員会における安倍内閣総理大臣の答弁は、「行政府の長」の単なる言い間違いであることは明白であり、「国会は自分のコントロール下にあると思っている」等の御指摘は当たらない。
 また、御指摘の同月十七日の参議院予算委員会における安倍内閣総理大臣の答弁は、立法府のことについて、政府としてお答えする立場にはない旨を述べたものであり、「立法府の長である」と発言したものではない。
四について
 一般に、議会と政府とを分立させつつ、政府の存立を議会の信任に依存させる統治制度である議院内閣制の下においても、議会の運営に関することは議会で決められるべきことであると承知している。

単なる言い間違いですね。

これをわざわざ質問する方がおかしいですね。

人のミスをあげつらって非難するだけで何ら生産性の無い記事を書くだけのマスメディア、いいかげんにしてほしいですね。

根本的な理解不足については無視するメディア

先日あった毎日新聞の記者の事案も、訂正・謝罪しているのでそこまで記者個人を叩くのはおかしいと指摘しました。

ただ、これは三権分立についての根本的な理解不足に基づくツイートでした。

それよりも単なる言い間違いに狂喜乱舞している人やマスメディアって何なんでしょうか?

以上

三権分立の意味と適用場面:毎日新聞高橋記者のミスを嗤うな

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毎日新聞の高橋昌紀記者が河野外相の韓国の徴用工判決に関する抗議に対して、『韓国政府に「お前の所の最高裁を何とかしろ」との要求か。三権分立の無視も甚(はなは)だしい。日本国内で同様のことをしているから、おかしいとは思わないのだろう』というツイートをしました。

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安田純平は自作自演?「自作自演説」の名誉毀損訴訟リスク

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「安田純平氏がテロ組織に拘束されたというのは自作自演ではないか?」

このような論が一部で展開されています。

ツイッターでは予測変換で出てくるレベルです。

しかし、現時点ではそういう主張に待ったをかけたい、というのがこの記事の趣旨です。

「自作自演説」の危険

マスメディアにみられるような「英雄視」「賞賛」というのは論外です。

安田氏の発言やこれまでの経緯については非常に不可解なものがあるにもかかわらず、その点についてはまったく報道されないのも奇妙です。

ただ、現時点の断片的情報のみで自作自演説を唱えるのは無理筋であり、名誉棄損訴訟のリスクがあります。

  1. ロス疑惑の三浦和義氏や余命大量懲戒請求事件を思い出せ
  2. 安田純平氏の周囲に居る弁護士が…
  3. 現時点で指摘されている疑問点のみでは断定は危険

以下、上記の点について指摘します。

ロス疑惑の三浦和義氏による名誉棄損訴訟

三浦和義とは、いわゆる「ロス疑惑」事件において真犯人ではないか?とマスメディアによって報道された方で、報道が名誉毀損であるとして本人訴訟(弁護士を代理人に付けない) で多数のメディアから勝訴判決を勝ち取った者です。

三浦氏が獲得した損害賠償額の合計は1億数千万円以上とも言われています。

1件で100万円の賠償金を勝ち取っています。

今般の安田純平氏に対するマスメディアの過剰なまでの擁護・賞賛や疑問すら報道しないことの原因の一端は、三浦氏の事案でマスメディアが敗訴を重ねた結果、公人ではない個人の疑惑の報道について慎重になっていることもあると思われます。
(だからこそ安倍昭恵夫人や加計孝太郎氏について、大した証拠も無く「疑惑」であるとして報道するのが異常なのです)

どうも、三浦氏に対するものと同じようなテンションで安田氏に疑惑を向けているの者がネット上では散見されますが、現時点の断片的な情報に基づく「自作自演説」は、名誉棄損訴訟のリスクが高いと思われます。

なぜなら、安田氏の周囲には特徴的な弁護士が居るからです。

ヒューマンライツナウ伊藤和子氏らの影響

魚拓:http://archive.is/XXRym http://archive.is/MbRmn

ヒューマンライツナウについては杉田水脈議員がその活動について言及しています。 
(2018年3月9日のこの議事録は未だに公開されていません)

魚拓:http://archive.is/ktcVD

辛淑玉氏とも行動することがある方のようですね。

なお、辛淑玉氏は石井孝明氏を提訴していますが、代理人は神原元弁護士です。

神原弁護士は、余命大量懲戒請求の懲戒請求者に対して訴訟提起している弁護士のうちの一人です。

安田純平氏の「自作自演という疑惑」について 

【問題視】安田純平のシリア拘束に自作自演疑惑浮上 / テロリスト集団「安田純平の拘束なんて関わってないしテレビで初めて知った」 | バズプラスニュース Buzz+
魚拓:http://archive.is/NTAhA

安田氏を拘束していたヌスラ戦線が「拘束に関わっていないと言っていた」という報道がありますが、このテロ組織自体が最近、穏健派と過激派に分裂したという事実を知っていれば、安田氏のことを知らないと言う者が居たとしてもおかしなことではないということは想像できるハズです。

自作自演説」の中でも、安田氏が拘束された事実そのものを疑う者が居ますが、私が知る限り、そのような主張をする者は説得力のある事実を押さえていません。

たとえば、『安田氏が「ウマルです」と発言した際の映像の背後にある植物が「ススキ」であり、中東に生息していないものである、よって…』などという短絡的なものがありますが、簡単に否定されています。

「人質ビジネス」という想像

拘束された事実を否定まではしないものの、「人質ビジネスである!」と断定している論調も、まとめサイトや個人ブログでも見られます。

しかし、三浦和義氏の事案でマスメディアが名誉棄損訴訟で敗訴したことを考えるならば、このような断定はあまりにも危険です。

現代ではSNSによって誰もが発信者(或いはメディア)になっているのですから、自重すべきでしょう。

1件100万円の損害賠償請求で(現在は名誉毀損の損害賠償額が上昇傾向にあるのでこれ以上かも)、発信者情報開示請求をかけてまで訴訟提起するかは微妙なラインでしょうが、少なくとも実名で発信している者は言動に気を付けた方がいいと思います。

安田純平氏の発言の不可解なところ

それでも、安田氏の発言について疑問を指摘することすら許されないということではダメだと思います。

現時点で安田氏の言動で不可解な点は以下の点です。

  1. 8か月も1m×1.5mの部屋に閉じ込められていたのなら、なぜあのように「元気」で「清潔」なのか?
  2. カメラなどの機材はすべて奪われたにもかかわらず、なぜテロリストが読めない日本語で書かれたノートは持ち帰ることができたのか?

整合的に理解するとすれば、1番は「8か月」というのは思い違いか、本当であったとしても拘束の最初の方の話であり、現在はその影響は残っていないという理解が可能です。その8か月中でも、ずっとそのような環境に居たわけではなかったのではないでしょうか?(話が断片的であるせいか、話が盛られているせいかもしれません)

また、拘束の途中からテロリストと寝食を共にするような生活に移行した可能性が指摘されていますが、「ウマル」と名乗ったことから分かるように、彼らに「協力」せざるを得ない立場にあり、ある程度の自由が与えられていたのではないか?という可能性を考えることができます。

しかし、2番目の疑問については、それでも納得がいきません。

ノートにはテロリスト集団の情報が書かれている可能性がある(とテロリストは思うのが通常)はずです。それが外部に漏れてしまったら、自分たちの居場所がバレ、襲撃されてしまうおそれもあります。

そのようなノートの執筆と携帯を可能にしていた理由は何なのか?

通常は考えられない待遇のため、ぜひとも安田氏の口から説明していただきたいと思います。

※追記:安田純平氏記者会見についてのNHKまとめ

安田さんは、拘束中の生活について「荷物は奪われたが、衣類と本とノートをわたされた。日記を書いてもよい、日本語でもよいと言われた。そのノートが書き終わったら、新しいノートも持ってきてくれる。紳士的な組織であったと伝えてほしいということだった。時計などは持っていなかったが、毎日日記を書いて、日付を追っていくことができた」と述べました。

食事に一時的ではあるがスイーツを持って来たり拘束部屋にTVが常備されていた時期があるということからすると、武装組織らの目的には身代金もあるが存在の正当性を外に発信したいという目的もあった、ということなのでしょうか?

「紳士的な組織であったと伝えてほしい」ということなら、拉致監禁身代金ビジネスを止めればよく、同じじゃないか、と思ってしまいますが、そういうものなのでしょうか?

まとめ:記者会見ですべてが分かるのか?

シリアから解放の安田氏に問われる、ジャーナリストとしての“2つの姿勢” (1/5) - ITmedia ビジネスオンライン

安田氏は11月2日に記者会見を開くようです。

私は安田氏は非難こそされども賞賛されるべきではないと、このブログでも書きましたが、彼がわざわざ謝罪するべきということまでは思いません。

経験した事実を後続のジャーナリストのためにも整理してまとめて情報発信すればいいのではないでしょうか?

そうして得た利益の中から社会のためになる寄附などをしようものなら、万々歳だと思うのです。

以上

韓国徴用工大法院判決:外交保護権・訴権の消滅と個人請求権残存という解釈論

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第五次日韓会談予備会談 一般請求権小委員会会議録 第13次会談

韓国大法院(最高裁)における徴用工判決によって、新日鉄住金に賠償命令がなされました。

今後は国際裁判も視野に入れた立論を日本政府がしていくことになりますが、その際に注意すべき点として橋下徹氏らが以下のような指摘をしています。

「まずは日本の弱点をしっかり把握するところから」

とありますが、韓国側がどう主張してくるのか、それに対して日本側は何を推していくべきなのかという話として捉えるべきでしょう。

我々一般国民は、このような議論に巻き込まれて混乱してはいけません。

日韓請求権協定についての両政府の認識という「事実」

上記記事でも指摘しましたが、韓国政府自体が、個人の請求に対しては韓国政府が補償をすると言っていました。たとえば以下のような報道があります。

徴用工訴訟 歴代韓国政府見解は「解決済み」、現政権と与党困惑 2018.10.30 17:25 産経デジタル

盧政権は2005年1月と8月に請求権放棄を明記した日韓協定締結当時の外交文書を公開。請求権を持つ個人に対する補償義務は「韓国政府が負う」と韓国外務省が明言していたことも明らかになった。

 文書公開に併せて発表した政府見解では、「慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者」は請求権交渉の対象に含まれなかった、と主張。元慰安婦らについては日本側に対応を求める方針を示す一方、元徴用工の賠償請求権については日本が韓国に供与した無償3億ドルに「包括的に勘案された」と明言した。

この「事実」がすべてであり、本質です。

日本政府も、国際社会に対してはこの事実を推していくことになるでしょう。

次項以降で触れますが、ちょっとこの事案について調べた人や、北朝鮮・韓国側と同調していると思われる弁護士(橋下さんではない)などがわざわざ小難しい日韓請求権協定の「解釈論」を展開していますが、そういう解釈論の土俵に乗ってはいけません。

日韓請求権協定の「解釈論」と言う枠組みで捉えたとしても、『日韓両政府が協定にどのような効果をもたせるかについてどういう合意がなされていたのか?』という厳然たる「事実」から推し量るべき事柄です。

韓国大法院徴用工判決の理論

韓国大法院の理屈は、『「日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」は、請求権協定の適用対象に含まれていない』というものです。

日韓請求権協定の交渉経緯の研究を見ても、たしかにこの点について「明示的に」合意があったかどうかはよく分かりません(それは当たり前で、日本の朝鮮統治が不法な・反人道的な、とは解されていないから、議論の俎上に上がるハズが無い)

韓国側としては、国際社会に対してはそのように主張していくことになるでしょう。

しかし、日韓両国において、請求権協定によって請求権に関するあらゆる問題を解決しようとする意思があったということも明らかであり、それによって韓国大法院が主張するような慰謝料請求権も協定に含まれている、と理解するということになります。

反人道的不法行為論は国際社会で認められるのだろうか?

そもそも「不法な植民地支配~~反人道的な不法行為を前提とする~~慰謝料請求権」などという請求権があり得るのかという指摘も可能です。

  1. そもそも反人道的不法行為などという類型は認められるのか?
  2. 反人道的不法行為とは如何なるものを指すのか?
  3. そのような反人道的不法行為の歴史的事実はあったのか?
  4. 反人道的不法行為に基づく慰謝料請求権は一般的に請求権放棄の対象か?
  5. 日韓においてそのような請求権は放棄されたか?

思いつくだけでもこのような論点設定は可能。

国際裁判でどう主張構成するかはプロの仕事ですが、まぁ3番で韓国は詰まるんじゃないでしょうか?

韓国側が主張する「解釈論」の内容

今後、韓国が国際社会で主張する「解釈論」の内容は、山本晴太弁護士が書いた「日韓両国の日韓請求権協定解釈の変遷」という論述で網羅されているんじゃないでしょうか。橋下氏もこの論述を見ているものと思われます。

この論述には以下のような誘導・誤魔化しが含まれているので注意です

  1. 日本政府の公式見解と政府の裁判上の主張を混同して「解釈の変遷」と評している
  2. 日韓請求権協定と無関係な他国との協定(たとえば日ソ共同宣言)の文言とパラレルに論じている。
  3. 細かい法律論レベルの解釈の変遷があったことから個人請求権がすべて放棄されたという合意がなされたとはいえないと結論付けたい

結局は日韓請求権協定の事案において、日韓両国が協定にどういう効果を持たせようと合意していたのか?という「事実」が大切なのであって、解釈の変遷がどうたらこうたらを言うことは韓国側の苦しい主張に過ぎません。

日ソ共同宣言第六項の文言とその理解については外交保護権の放棄に過ぎないという政府答弁があるからと言って、「日韓協定も同様に理解できてしまうな」などと衒学者に陥ってはいけません。事案が違います。

外交保護権消滅と訴権の消滅と個人請求権残存

一般国民の理解にとってはまったく本質的ではありませんが、一応説明しておきます。

外交保護権(外交的保護権)とは、自国民が外国の領域において外国の国際法違反により受けた損害について、国が相手国の責任を追及する国際法上の権利です。注意すべきは、国民の権利ではなく国が相手国に対して有する権利だということです。

日本政府は、この外交保護権は日韓請求権協定によって放棄されたという理解は一貫しています。

さらに、訴権の消滅という態度も日本政府は一貫しています

訴権の消滅とは、簡単に言えば裁判所に訴えても救済を受けられないという効果があるという意味です。これは実体的権利はあるが、訴訟上の救済が受けられないとも言います。

実体的権利があるとは、この件で言えば個人が相手国や相手国に属する企業・人に対して請求権を有するという意味です。日韓請求権協定によっても実体的権利が個人には残っているという立場は、日本政府の一貫した立場です。※日本国内法においては【財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律】によって韓国人個人の実体的権利は消滅しています。
「実体的権利はあるが、訴訟上の救済が受けられない」とは、たとえば、当時朝鮮半島に拠点を持ち朝鮮人を雇用していた日本の上場企業が、徴用工からの損害賠償を求められた際に(裁判であろうがなかろうが)、手続を踏んだ経営判断として自発的に賠償名目で支払いをしたとしても、実体的権利が存在する以上、取締役は株主から糾弾されたり会社法上違法になることは無いという効果があるということになります。

個人の請求権を国が勝手に消滅させることができるのか?という論点があると言う者も居ますが、韓国大法院もこの論点をとっておらず、日本政府は個人の請求権は残っているという理解ですから、争点にする意味があるのか疑問です。

やはり最終的には、日本と韓国は、個人の請求権の話はお互いの国内問題として処理しましょう、個人間の請求権の問題は韓国政府が補償しましょうという合意がなされていたという事実の問題に収斂します。

まとめ:解釈論よりも事実論 

安倍首相「原告は『徴用』でない『募集』に応じた」…韓国の判決を全面否定 | Joongang Ilbo | 中央日報

「解釈上の難問がある」とか、「解釈の変遷がある」などという議論に惑わされてはいけません。

細かい解釈がどうであれ、日韓両政府が請求権に関するあらゆる問題は解決したということ、個人間の請求の問題もすべてにおいて韓国政府が補償するという態度を取ってきたという事実が結局は大切であるというのは間違いありません。

まずはそのような事実の存在を日本側は国際社会に対して主張し、補助的に解釈論を展開することになるでしょう。たとえば安倍総理のように、そもそも「徴用工」ではなく「募集に応じた者である」と言う事実の主張は解釈論よりも遥かに有効です。

事実が実は解釈論にも影響するということを無視している論考は、衒学的であり、法匪に過ぎません。

以上