事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

FBI長官演説「中国は悪意に満ちたわいろ、恐喝、裏取引を使った外交をする」

FBI長官演説「中国は悪意に満ちたわいろ、恐喝、裏取引を使っている」

FBI長官が演説で「中国は悪意に満ちたわいろ、恐喝、裏取引を使った外交をする」「中国はアメリカの医療機関、製薬会社、そしてCOVID-19研究を行っている学術機関に危害を加えようと取り組んでいる」などと主張しました。

かなり長文で具体的に「中国の脅威」を論じており、在日アメリカ大使館のアカウントもこれを紹介しています。

FBI長官「中国は悪意に満ちたわいろ、恐喝、裏取引外交をする」

FBIのレイ長官が「中国は悪意に満ちた高度の外交運動を展開し、わいろ、恐喝、裏取引といった手法を使う」と述べました。

全文からの抜粋をまとめます。

米国の経済および国家安全保障に対する中国政府および中国共産党による脅威

Director Wray Discusses Threat Posed By China to U.S. Economic and National Security — FBI

FBIのレイ長官が演説した内容 ー 米国の経済および国家安全保障に対する中国政府および中国共産党による脅威 ー について、いくつか抜粋します。

  • アメリカ人の成人であれば、中国があなたの個人データを盗んだ可能性が高い
  • 中国はアメリカの医療機関、製薬会社、そしてCOVID-19研究を行っている学術機関に危害を加えようと取り組んでいる
  • 彼らは中国の諜報機関だけでなく、国営企業、表向きの民間企業、特定の種類の大学院生や研究者、その他さまざまな幅広い行為者を通じてイノベーション技術を盗むための広範なアプローチを開拓してきた
  • 学界においては「千人タレントプログラム」のような人材採用プログラムを通じて、中国はアメリカの大学の科学者に資金提供をして、知識のイノベーション技術を中国に持ち帰るよう要求している
  • 新型コロナパンデミックへの中国の対応を支持する決議を導入するように要請された上院議員が居る
  • フォックスハント」と呼ばれる習近平が脅威とみなした世界中の国に在住している中国国民を「掃除」するプログラムがあり、その犠牲者となった数百人の多くはアメリカ市民またはグリーンカードホルダー

「千人タレントプログラム」というのはこれまでもたびたび聞いたことのある話で、要するに各界の主要人物を買収して機密情報を盗む動きのことです。

演説中には、アメリカ国内で中国人がスパイ行為に関する犯罪を犯して逮捕起訴された具体的な例も取り上げています。

オブライエン国家安全保障顧問の発言も

The Chinese Communist Party’s Ideology and Global Ambitions | The White House

レイ長官の演説中には、2020年6月24日、アリゾナ州フェニックスでの国家安全保障局顧問ロバートC.オブライエンによる発言が紹介されています。

「中国共産党のイデオロギーとグローバルな野心」と題する演説の文章が、ホワイトハウスHPにUPされています。

具体的な事件が取り上げられているのでポイントを抜粋します。

  • TikTokにおいて、チャイナ共産党のポリシーを批判するアメリカ人アカウントを定期的に排除または削除している
  • ツイッターは香港とCOVID-19に関してプロパガンダをを広めるために作られた、23,000以上のチャイナ共産党にリンクされたアカウントの停止を発表した
  • 3月、中国共産党は、ニューヨークタイムズ、ウォールストリートジャーナル、ワシントンポストで働いていたアメリカ人ジャーナリストを追放し、武漢ウイルスに関する中国国内の独立した報道をほぼ完全に排除した
  • カリフォルニア大学サンディエゴ校が2017年にダライラマを開会講演者として主催したとき、北京政府は中国の学生が政府資金でUCSDを訪問することを禁止しました
  • ヒューストンロケッツ(NBAのチーム)のゼネラルマネージャーが平和的な香港の抗議者に対して彼の支持表明をツイートしたとき、チャイナ共産党はそのチームのゲームが中国のテレビで放映されないことを発表し、スター選手を含むバスケットボール界の人々に圧力をかけた

まだ半分しか読んでませんが、こんな感じで、アメリカはもはや中国の悪意の事例を公にすることをためらっていないのが分かります。

日本はこのままでいいのか?

レイ長官は、「これら脅威に直面しても、中国との取引を禁止すべきではありません。中国の訪問者を受け入れるべきではないという意味ではありません。中国の学生を歓迎したり、世界の舞台で中国と共存したりすべきではないという意味ではありません。しかし、中国が私たちの刑法や国際規範に違反するとき、それを容認するつもりはありません。」と述べています。

これが「毅然とした態度」というものなのでしょう。日本であれば差別だの何だのと騒ぐ連中がメディアを使って声を大きくしそうですね。

日本はというと、習近平の国賓来日を断ろうとする動きをするだけで精一杯のようです。チャイナに関係する国内事案を話すことは、今の状況では考えられません(軍事力や国内法整備の状況からは仕方ないのかもしれないが)。

共同通信周りで、きな臭い報道がなされてますよね…

以上

あいちトリエンナーレの問題点・争点をわかりやすくまとめ

あいちトリエンナーレ問題をわかりやすく

愛知県知事の大村秀章氏のリコール署名が8月から始まります。

その原因となる「あいちトリエンナーレ問題」について、論点がごちゃごちゃに論じられているので、問題点レベルで分かりやすくまとめます(説明している内容が分かりやすいという意味ではない)。

細かい事実関係は愛知県や名古屋市の検証委員会がまとめたものや、本ブログで過去に整理した内容を見てください。

あいちトリエンナーレ・表現の不自由展 カテゴリーの記事一覧 - 事実を整える

あいちトリエンナーレの問題点・争点

あいちトリエンナーレの問題点・争点まとめ

あいちトリエンナーレ2019の問題点・争点は、次元が異なるものが総花的に並べられ、外縁部分の話題に焦点が当てられることが多いですが、それは目くらましであり、大前提となる出発点は、以下の問題です。

「表現の不自由展」において、昭和天皇の御尊影を燃やして灰を踏みつける映像の展示を大村知事が容認した問題

昭和天皇の御尊影を燃やして灰を踏みつける映像の展示を大村知事が容認した問題

メディアでは「慰安婦像が展示されたことに対する抗議」が強調されていましたが、この事はリコールに決定的な影響を与えたものではありません。愛知県民のみならず日本国民が怒りを持っているのは、昭和天皇の写真を焼いた行為に対してです。

天皇コラージュ事件の大浦信行作品があいちトリエンナーレで出展:昭和天皇の御影を焼却 - 事実を整える

細かい事実関係としては、大村知事は作品展示前のタイミングではこの展示があるという事実を知らなかった可能性が高いのですが、いずれにしても展示が問題視された後に大村知事が展示を容認した事実があります。

ただ、「この点が愛知県知事として許されないのはなぜか?」という話になると、それは以下のように法的な視点を抜きに語ることができなくなります。

公的機関が主体的に運営する行事で表現内容を理由に展示拒否する事の法的許容性

そこで、本来出発点となる問題、本質的な問題は

公的機関が主体的に運営する行事で表現内容を理由に展示拒否する事の法的許容性

これが全てです。

「公金支出をすること/しないことの妥当性」などは二の次の話です。

「法律は関係ない、倫理道徳的に問題がある」などと言っても、行政は法律に基づいて運営されていますから、法律上の要請として作品展示しなければならないという規範が仮にあるのであれば、それに反して展示拒否をすれば違法になるのです。

そうすると愛知県知事が大村秀章氏だろうが誰であろうが同じことになっていたので、大村知事個人を責めてリコールをすることの正統性も無くなってしまうのです。

「公的機関が主体的に運営」が重要:表現の自由と検閲

あいちトリエンナーレは「公的機関が主体的に運営」している行事だという事実が最も重要です。ここの認識が間違っている人が多いです。

公的機関が主体的に運営している事実

この点については私が事件の当初から指摘してきましたが⇒津田大介「行政が口を出すのは検閲に当たる」は的外れ:トリエンナーレ表現の不自由展、まとめると

  • トリエンナーレにあてられる補助金である文化庁の2019年度「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」採択一覧では、補助事業者名が「愛知県」となっている
  • 主催はあいちトリエンナーレ実行委員会だが、問い合わせ先は「愛知県県民文化局部文化部文化芸術課トリエンナーレ推進室内」と、愛知県の組織になっている
  • 実行委員会の会長が愛知県知事
  • 展示場所も愛知県が管理する愛知芸術文化センター内
  • 電話で応対している方も基本的には公務員たる愛知県の職員
  • 作品展示の決定権限を持つ芸術監督の津田大輔も実行員会の委嘱を受けていた(つまり実行委員会という公的機関側の人間)

要するに、「表現の不自由展」は行政の努力によってはじめて展示可能になっているものであって、行政が自分らで運営している事業についてどの作品を展示するかを決めるのは法令に抵触しない限りは基本的に行政の裁量の範囲内なのです。

民間の活動に対して補助金が出されるというものとは次元が異なります。

公金支出の問題との関係

「公金支出の問題」は、ここに吸収される話なのです。

「公金を支出するから~」という点を第一義的にすると、公的機関が運営主体である事案と、民間が主体となって運営している行事に行政がお金を出すような事案が混同されて論じられることになります。

その上で「公金を支出する事業としてふさわしいか」を論じるのが筋として良さそうです。この中で「憲法1条で天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると規定されていることから、その存在を侮辱する政治的表現を公的機関において行って良いのか?」というような話をするのが良いのだと思います。

法的に今回のような表現が禁止されるべきだったかというとよくわかりませんが、最終的には素朴な価値判断のレベルで決着をつけるべきなんだろうと思います。

そして、最終的には議会による責任者=知事の不信任決議、住民によるリコール請求、という道筋になるのだと思います。

憲法上の表現の自由は「公的機関に邪魔されない権利」

憲法上の表現の自由は原則的に「公的機関に邪魔されない権利」です。

「表現する場を提供することを求める権利」ではありません。

本件は、民間が美術館などの公的機関を借りて表現物を展示した事案ではなく、先述のように「公的機関が主体となって運営されている場」での展示です。

あいちトリエンナーレでの展示を認めないとしても、それはそこ以外での私的な運営による展示まで妨げているわけではないのですから、表現の自由の問題にはならないのです。

「憲法21条の表現の自由を侵害する検閲」の誤り

あいちトリエンナーレの問題点・争点、法的問題

https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/259465_883963_misc.pdf

あいちトリエンナーレのあり方検討(検証)委員会 - 愛知県

愛知県のあいちトリエンナーレ検証委員会でも、憲法学の曽我部教授が「理念としての表現の自由」は関係するが、憲法上の権利の話としては「基本的に表現の自由がダイレクトに問題となる事案ではない」「自分の気に入らないことに検閲というレッテルを貼って批判するという局面も見られた」と指摘しています。

他の憲法学者からも同様の指摘があります⇒トリエンナーレ表現の不自由展に横大道聡教授『「表現の自由の侵害」は困難」 - 事実を整える

「憲法21条2項の検閲とは~」と、判例の定義を長々と述べてもいいのですが、それは憲法上の権利たる表現の自由のフィールドに入っている場合の話です。

本件は、そもそもそうではない場合なのですから、「検閲の定義が狭すぎる~」などといった議論をする以前の問題です。

では、表現の自由の領域ではないという把握の仕方をすると、本件ではどうなるのか?

作品展示の前後とで話が変わりますが、愛知県と表現の不自由展側との契約関係と不法行為の可能性の話になります。

また、このときのような作品展示・運営ルールだとどういう問題があるのか?については、説明の仕方が難しいですが、少なくとも『公的機関が展示作品のメッセージにお墨付きを与えているという外観』が存在しているのが問題ですので、そこをどうクリアしていくかが今後の課題です。

自分の事は自分が決められる、自己矛盾を強制されない

「行政の裁量の範囲内」という事をかみ砕いて言うと

自分の事は自分が決められる、自己矛盾行為を強制されない

という話であると言えます。
(明確化:行政法上の「裁量の範囲内」の意味は別の言い方になりますがそこを論じているのではない)

大村知事は「本当は展示したくないけど、表現の自由の許されざる侵害だから展示しなきゃダメなんだぁ違法なんだぁ」なんていう思考回路に陥ったわけですが、そうじゃないということです。

誰でも自分の裁量の範囲であれば、自分に決定権があり、他人がその者の意思に反する事柄を強制することはできない。

この当たり前の、普遍的な価値観の話であると言えます。

あいちトリエンナーレの法的問題・争点をわかりやすくまとめ

あいちトリエンナーレの法的問題点・争点は、上掲の曽我部教授のまとめた図が分かりやすいのですが、愛知県を中心とした法的問題・争点を、一応は上掲の図に倣いつつ箇条書きにすると以下のようになります。愛知県≒あいちトリエンナーレ実行委員会として記述します。「誰と誰との関係で問題となるか?」という視点を持ちましょう。

  1. 愛知県と表現の不自由展実行委員会(そこに参画しているアーティスト)との関係(作品展示許可前とその後の撤回時の問題がある)⇒契約関係或いは不法行為の問題であって、憲法上の表現の自由の問題ではない
  2. 愛知県と名古屋市の公金負担の関係⇒名古屋市はトリエンナーレへの公金支出を撤回、両者の訴訟に発展
  3. 愛知県と協賛企業とのスポンサード契約の関係⇒事件後、HPから協賛企業のロゴが消えた。これが収益やイベントの存続に影響すれば次の4の問題にもなる
  4. 愛知県と愛知県民=住民との関係⇒イベントに対する公金支出によって説明責任が生じる(「知る権利」はここの話か)
  5. 愛知県と津田大輔との契約関係⇒津田大輔は契約違反をしたのか?
  6. 愛知県や協賛企業が被害者となる、電話での過剰な抗議・脅迫などの不法行為・犯罪行為
  7. 愛知県と文科省との関係⇒補助金交付・交付金額の問題
  8. 表現の不自由展・アーティストらによって展示された作品が何らかの法規制に引っかかるか⇒NO
  9. その他本件における愛知県の諸々の態度にみるガバナンスの問題

わかりやすくまとめると、ざっとこんなものでしょうか。

1番は【作品展示「前」の問題】と【作品展示「」の撤回・再開形式の問題】が混在しますが、後者は実行委員会≒愛知県と不自由展側≒アーティストらとの事後処理の問題に過ぎません。本件は愛知県とその知事である大村秀章の、県民・日本国民に対する関係が最も重要ですから、本質的なのは作品展示前の段階で作品の内容に基づいて展示拒否をすることの話です。

特に作品展示許可前の問題について昨年、細かく論じたので以下を見ていただければと思います⇒あいちトリエンナーレ・表現の不自由展 カテゴリーの記事一覧

表現の不自由展の展示とは別の、関連問題のまとめ

表現の不自由展の展示そのものに直結する話とは別の、その関連において発生した事案の問題をまとめます。

  1. 東大法学部卒である愛知県の大村秀章知事が本件で展示を許可しなければ「憲法21条の表現の自由を侵害する検閲にあたる」などと記者会見で何度も発言したことによる社会的な誤謬を拡散した行為
  2. 国民・住民らからの抗議・意見の音声を「電凸」などと表現し、県のHPで音声を公開し、後に削除した行為
  3. トリエンナーレ検証委員会の委員らがSNSで「電凸は犯罪」などと発信したことなどから、適性の問題と組織の公平性の問題
  4. 名古屋市の河村市長の抗議活動が違法行為であると指摘する愛知県側の主張⇒両者が公開質問状によるやりとりを展開している
  5. 愛知県とそれを批判した他の自治体の首長や議員らの発言が自治体の自律権との関係

1番は何ら法的に咎められるべきものではありませんが、法的に誤った説明を繰り返していたので(理念としての表現の自由ではなく、憲法上の権利侵害としての検閲だと論じていた)、人物評価の考慮要素としてリコール運動にとって必要不可欠です。トリエンナーレ事件の本質的な争点とも密接に関係しています。

2番は行政としておよそあり得ない行為をしたのでその「監督責任」を大村知事に問うべき事案です。音声の主に対する権利侵害として訴訟になるかというと厳しいと思われますが、情報の扱い方としてどうなのか、公務員の非違行為ではないか、などの論じ方は可能と思われます。

3番も人選は大村知事に責任があります。

4番は愛知県側が「河村氏の行動は違法である」と言いはするものの、訴訟沙汰にする気はなさそうです。

5番はメディアが政権叩きやゴシップエンタメのために無理やり争点化したものに過ぎません。

その他、細かい問題点を指摘したらキリがないですし、表現の不自由展支持派から指摘される問題点もありますが、それらのほとんどは最初に指摘した本質的問題点で吸収される話なので論じません。

 

まとめ:リコールが成功するかは問題点の把握が必要

「あいちトリエンナーレ問題」は、マスメディアがその事案の一部を隠して報じるケースが多く、「表現の自由」「検閲」といったワードが飛び交い、その観点に終始したまとめ方が横行しました。

他方で表現の不自由展の問題作品に反対する人たちの中にも、「公金支出の問題である」という切り口から説明する人がいました。

それはそれで正しいのですが、既述のように公的機関が運営主体である本件のような事案と、民間が主体となって運営している行事に行政がお金を出すような事案とでは、憲法上の権利が作用する可能性について違いが出てくるのであって、その視点を無視することを誘発しかねません。

自分の事は自分が決められる、自己矛盾行為を強制されない

愛知県を預かるハズの者が、法的主体としての当然の自律的態度を放棄した事案。

こう捉えると、如何に大村知事が下した判断・発信された言動がおかしいか、リコールに値するか、ということが露わになると思うのです。

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過去の関連記事:あいちトリエンナーレ・表現の不自由展 カテゴリーの記事一覧

9歳以下の行方不明者が増加している:行方不明者の統計

10歳代の子供を中国人女が誘拐しようとして逮捕

行方不明者の統計を見ると、9歳以下の行方不明者が増加しているのが分かりました。

それ以外の年代の状況についても概観していきます。

9歳以下の行方不明者が増加している統計

9歳以下の行方不明者が増加している

令和元年における行方不明者の状況 警察庁生活安全局生活安全企画課

行方不明者|警察庁Webサイト

令 和 元 年 に お け る 行 方 不 明 者 の 状 況 警察庁生活安全局生活安全企画課

9歳以下の行方不明者数は900⇒1132⇒1198⇒1216⇒1253と増えているのが分かります。

「人口10万人当たり」というのは、その年代における割合なので、人口動態を無視して考えることができます。すると、割合としても行方不明者が増えているのが分かります。

それ以前の数字を見ると、平成18年からの統計が見つかります。

平成2 2年中における行方不明者の状況 警察庁生活安全局生活安全企画課

平成2 2年中における行方不明者の状況 警察庁生活安全局生活安全企画課

平成18年からは9歳以下の行方不明者は794⇒736⇒764⇒765⇒705という推移であり、現在よりも少ない人数だということが分かります。

子供の数はどんどん減少しているので、今よりも子供の数が多かった時代に、現在よりも少ない行方不明者数だったということが言えます。

なお、年代別の数字は分かりませんが、行方不明の届出が出た者は、その多くはその日か次の日には所在が確認されています。

10歳代の行方不明者数が多いが減少している

他の年代に目を向けると、平成18年からの統計では10歳代と20歳代が多く行方不明になっているのが分かります。

ただ、10歳代はこのスパンで見れば行方不明者数が減少しているのが分かります。20歳代は一度1万3000人台まで下がったあとに再度上昇してはいますが、このスパンで見れば減少傾向です。

なお、70歳代以上は昔は統計が無かったので、ここでは無視します。

行方不明の原因と誘拐などの犯罪との関係:高齢者の認知症が多い

行方不明者の原因・動機、犯罪、誘拐

令和元年における行方不明者の状況 警察庁生活安全局生活安全企画課

行方不明者の原因・動機、犯罪、誘拐

平成2 2年中における行方不明者の状況 警察庁生活安全局生活安全企画課

行方不明者の原因・動機や誘拐などの犯罪との関係です。

この統計では、「犯罪関係」は、「会社の金銭使い込みや売上金の持ち逃げ等をいう」とあるように、『居なくなった側の犯罪』を意味しています。

疾病関係、家庭関係の要因が多く、近年の統計からは、特に高齢者の認知症が原因であることが多いのがわかります。

失踪者の内、親の子供の連れ去りは増えたのか?

よく、片方の親による子供の連れ去り事案が指摘されますが、この統計を見ると「家庭関係」の構成比や人数も減っているのが分かります。

これは子供を持つ親世帯、子どもの数の全国的な減少も加味して考える必要があるとは思えますが、少なくとも失踪者の内、そのような事案が顕著に増えているというわけではない、ということは言えそうです。

原因不明の行方不明が増えている

とても気になるのが、「不詳」の比率が増加しているということです。

平成18年には14%だったのが、令和元年が19.2%になっています。

この中には所在が確認できても原因・動機が不明なものと、所在が確認できていないものが含まれています。

令和元年の行方不明者数は86,933人ですが、令和元年中に所在が確認等された行方不明者(確認をした年次以前に受理した届出分を含む。)は84,362人でした。

5年単位で見ると97%は見つかっていますが、約1万2000人が見つかっていないということになります。

年代ごとの所在確認比率、不詳の率は統計では書かれていませんが、9歳以下の年代にこの比率を当てはめると、毎年1桁台の子が見つからないまま、という推計になります。

行方不明者の所在確認状況

令和元年における行方不明者の状況 警察庁生活安全局生活安全企画課

北朝鮮の拉致や中国の人身売買の可能性?

中国国籍の女を逮捕 小学生を誘拐しようとしたか(静岡放送)魚拓 

県西部に住む10代の小学生の女の子を車で連れ去ろうとしたとして、警察は44歳の中国国籍の女を逮捕しました。

 未成年者略取誘拐未遂の疑いで逮捕されたのは、愛知県名古屋市に住む自称、介護士の女(44)です。警察によりますと、容疑者の女は、7月8日の夕方、県西部の道路上で、10代の小学生の女の子を車に乗せて誘拐しようとした疑いがもたれています。女の子は下校途中に容疑者に話しかけられて、手を引っ張られたため走って逃げ、ケガはありませんでした。警察は容疑者の認否を明らかにしていません。防犯カメラの映像や女の子への事情聴取などから逮捕に至ったということで、警察は詳しい動機などを調べています。

北朝鮮による拉致や中国の人身売買の可能性は無いのでしょうか?

つい最近も中国人女による10歳代の女の子の誘拐未遂事件がありました。

拉致事件があったものですからこういう動きには敏感にならざるを得ませんし、何よりチャイナ本土では日常的に幼児の誘拐が頻発し、人身売買に利用されているという事実があります。

拉致被害者と特定失踪者

「拉致被害者」というのは北朝鮮によって拉致されたと日本政府が認定した17人を指すのが通例です。ただ、それ以外にも北朝鮮によって拉致されたとみられる者がおり、そうした人たちを「特定失踪者」と呼んでいます。

特定失踪者問題調査会の定義する「特定失踪者」とは、原則として家族・関係者等から調査依頼があり、「夜逃げをするような理由が全く見あたらないのに突然姿を消した人」で「北朝鮮による拉致の疑いが完全には排除できない人」を指します。

失踪者リスト | 特定失踪者問題調査会

このリストでは平成15年に失踪した方が最も最近のものになっています。

ここまでの話から分かるように、この中には「中国人による拉致」というものは含まれていません。

外国人による誘拐が増加していたのかはすぐに分かる

ここまで主に北朝鮮やチャイナによる誘拐の可能性を論じてきましたが、この見立てが間違っているのかどうかは、すぐに分かると思います。

なぜなら、現在は新型コロナウイルス禍によって、外国人の入国を著しく制限しているからです。

国籍で入国拒否をしているわけではありませんが、基本的にチャイナ全土からの外国人の入国は拒否していますから、現在は国内に居る・訪れる外国人は少なくなっているのです。

つまり、これまでは外国人による誘拐があり、それが増加していたということであれば、今年度の行方不明者の数が著しく減少しているはずで、そうであるなら外国人による誘拐が恒常的に発生していたことを示唆する有力な情報になると言えるでしょう。
(もちろんそれだけで即断はできないが。そもそも子供が外を出歩く頻度も減少しているため)

※令和3年8月追記:令和2年の行方不明者は約1万人も減少、新型コロナ自粛が影響か

令和2年の行方不明者は前年に比べ9,911が減少。

約1万人も減少しているのは、新型コロナウイルスによる自粛によって各世代同士が目の届きやすい所にいることが要因の一つなのかと推測しますが、如何に。

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偕行社の「南京戦史」が南京大虐殺を認めているという論について

偕行社の南京戦史

南京戦史:偕行社http://www.history.gr.jp/nanking/books_nanking_sennshi.html

「偕行社の南京戦史では南京大虐殺を認めている」というのはデマです。

「偕行社が南京大虐殺があったと言ってる」という論

「偕行社が南京大虐殺があったと言ってる」という論として、上記のような主張が目立ちます。常に「日本軍OBですらこう言っているのに」という仄めかしを伴います。

しかし、こういう主張は、大抵はきちんと偕行社の発行物を読んでいないか、読んだ上で歪めた理解を拡散・煽動していることが多いです。

「証言による南京戦史」は偕行社としての結論ではない

上記ツイート中「1985年の」とありますが、最終的に発行された偕行社の書籍はこの年の発行ではありません。

その時点で南京戦の状況について書かれたものは【証言による南京戦史】であり、南京戦当時独立軽装甲車隊小隊長だった畝本正巳(うねもとまさき)元防衛大学教授が、機関紙「偕行」誌上に連載したもの(1985年2月号まで)です。

そして、偕行1985年3月号の「証言による南京戦史 (最終回) その総括的考察」において、「一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。日本軍がシロではないだろうと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量処理には弁明の言葉がない、旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない」という記述があります。

しかし、これは加登川幸太郎の個人的な見解に過ぎません。

偕行社のHPではこの部分が省かれていることから、偕行社としての総意で書かれたものではないということが明白です。

偕行社HP:証言による南京戦史(1)〜(11)魚拓

1985年5月号では、加登川氏の論考が出た経緯について、編集部で議論した上でOKを出した旨が書かれていますが、これをもって偕行社としての総意が加登川氏の論考に表れているとするのは無理があるでしょう。

偕行社の「南京戦史」は合法・非合法の判定をしていない

偕行社として南京事件に関する資料をまとめたものは「南京戦史」であり、こちらは3年後の1988年に発行後、1993年に増補改訂版として「南京戦史」「南京戦史資料集I」「南京戦史資料集II」が発行されています。

偕行社の「結論」と言えるのは、こちらの方です。

資料の性格として「証言による南京戦史」を発展させたものであると偕行社自身が説明していますが、後述するように、記述方針に明確に違いがあります。

そこでは中国人殺害数として6670人と結論づけていますが、すべて兵士の殺害を意味しています。

なお、「証言による南京戦史」では、南京戦参加将兵の証言において「便衣兵だらけだった」「強姦が多発していたというのは虚報である」という記述も多く見られます。

「中国兵を殺害したと言ってる証言がたくさんあった」と言う者は、このような証言もたくさんあったという事実を斟酌するべきなのに、それをしていない者が多すぎます。
(当たり前だが、殺害だけでは違法ではない)

殺害人数は何人かという事実と、国際法上、不法殺害かの法的評価

  1. 一定の時期に南京で何人の中国人が殺害されたか
  2. そのうち、国際法上、違法=不法殺害と評価されるべきものはどれくらいか

この2つを混同して論じている者が多いです。

偕行社の「南京戦史」は、2番目の点は捨象して記述されており、そのあとがきには「本書では合法か非合法かの問題には踏み込まないこととした」旨が書かれています。

当時の国際法の解釈を行うには力不足を自認していたのでしょう。

実際、畝本正巳の「証言による南京戦史」は、証言にフォーカスするという編纂の性格上、国際法の観点からの包括的な評価は行っていませんし、加登川幸太郎氏の「証言による南京戦史 (最終回) その総括的考察」も、なぜ「不法殺害」と言えるのかが不鮮明で、この観点から論ずる力のある人物ではないと分かります。

「日本軍OBの偕行社が南京大虐殺を認めている」はデマ

以上より、「日本軍OBの偕行社が南京大虐殺を認めている」は、ほとんどデマです。

偕行社に属する個人がそのような認識を偕行社の名で刊行された紙面上で述べたことがあるのは事実ですが、偕行社自身はその記述の掲載を許したものの、社としてその認識であると判断したわけではありません(否定したわけでもないが)。

偕行社の「南京戦史」は被殺者数やその他犯罪の件数の確定に必要な事実関係をまとめたのであり、国際法上違法か適法かという点については判断をしていません。

南京事件とは何か?正しい議論の仕方と論点設定

「南京事件とは何を指しているのか?」

この認識自体がそもそも食い違っているので、「南京事件はあった・無かった」という問題設定は、議論にならないことが多いです。

東京裁判の戦勝国側が主張する南京事件とは、概ね【南京陥落の1937年12月13日以降、南京において、日本軍の陸海軍の最高司令官らの命によって、30万人に至る一般人あるいは捕虜が裁判なしに殺戮された、2万人を下らない婦女子が日本兵によって強姦された、その他略奪行為等が行われた、それは犯罪と評価されるべきものを指す】というものです。

現在のチャイナ側のプロパガンダは、ここから「日本軍の司令官らの命によって」という点を省き、殺害はすべて国際法上違法と評価されるべきものである、という前提で論じています(「南京において」という地理的範囲についても、安全区内に限らず城内全域や城の周辺部も含めるなど拡張して論じられるケースがある)。

日本側の論者は、南京で殺害・強姦・略奪等されなかったなどと論じているのは極々一部であり(または「チャイナ側の言うような大規模な不法殺害はなかった」という趣旨であるための言葉のあや)、概ね「南京陥落の1937年12月13日以降、南京において、少なくとも数千人以上の中国人(一般人・兵士かは不鮮明)が日本軍によって殺害され、その他の犯罪行為が起こったこと」という理解です。

「被害」の大きさで言えば、日本側の理解はチャイナ側の主張する数に包摂されるのですから、日本側の理解を南京事件の公約数的見解として、そこを「少なくとも」のスタート地点とするべきです。

ただ、「南京虐殺肯定派」に対しては、逆に問うてみるといいと思います。

以下で紹介しているツイートのような展開になることが多いですが、相手が誠実に議論をしようとしているかのリトマス紙になります。

中国の南京大虐殺記念館で関東大震災の写真という捏造

中国の南京大虐殺記念館では、関東大震災の写真が「日本軍による蛮行の証拠」として展示されているというリアルタイムの捏造が行われています。

南京事件の証拠として国民党の宣伝工作にかかわっていたベイツ博士とティンパーリ記者の証言(チャイニーズからの伝聞)しか存在せず、埋葬遺体も発掘されない上に、こういう証拠捏造をしていること等からは、「不法殺害」の証拠がほとんど存在しないために無理やり宣伝している証左でしょう。

まとめ:捕虜(俘虜)の資格、便衣兵と民間人の区別と挙証責任の分配

IIPSの星山隆主任研究員が2007年にまとめた南京事件70年ー収束しない論争ー日中歴史共同研究に向けての視点ーは、論点整理には使えると思います。

これを見ると、日本側の論者の観点からは、今後は捕虜(俘虜)の資格はあったのか、便衣兵と民間人の区別はどうするべきなのかという国際法上の視点を持った上で史料検討可能な人材の出現を待つ必要があるのだと思います。

また、私は、【挙証責任の分配論】というスタート地点が整備されていないというのも大きな問題であると考えています。

歴史学として捉えるならば関係の無い話ですが、実際には南京大虐殺肯定派の主張の仕方が「日本側が証明しないといけない」という体で論じることが多いため、議論を見ている第三者の印象がおかしな方向になっていると感じます。

偕行社の高橋登志郎氏の記述も基本的に日本側に立証責任があるという体で書かれているとみられるものが多いです。

しかし、法的に言えば、たとえば日本軍による殺害の事実の有無の立証責任はその存在を主張する側にあることは確かであるし、日本軍による殺害の事実があった上でそれが違法であることを立証する責任も基本的には違法を主張する側にあるのが筋です(合法を主張する側が何も立証活動をしなくてもいいわけでは無い)。

これが何故か日本側に課せられているような状況なのは、日本国が東京裁判の諸判決を受け入れた結果なのでしょうが、そのような態度は国際政治的にはともかく、本来的にはおかしい(東京裁判の性質から)という点は、筋論として認識させる必要があると思います。

以上 :はてなブックマークをして頂けると助かります。

南京事件で日本軍による大虐殺があったと言う者への対処法

SNSなどで「南京事件で日本軍による大虐殺があった」と言う者への対処法。

南京事件で日本軍の命令による大量の殺害があったと言う者への対処法

南京事件(或いは南京大虐殺)で日本軍の命令による(大量の)殺害があったと言う者に関して、面白い事例があったので、以下のスレッドを読んで欲しい。

魚拓 

魚拓 

 魚拓

魚拓 

魚拓 

「南京事件」 とは何か?を問うべき

  1. 30万人の一般人・捕虜が殺害された事件
  2. 30万人はありえないが、少なくとも数千人の一般人・捕虜が殺害された事件
  3. 殺害のうち、国際法上違法と評価されるべきものが発生した事件

「南京事件」について語っている者は、これらのうち一体どれを指して言及しているのでしょうか? 

これを最初に問うべきです。

相手が卑怯者や不誠実な者でなければ、ここの認識を合わせる(或いは認識の違いを理解した上で議論する)ようにするはずです。

「南京事件」の意味内容

南京事件」という言葉は、パル判事(パール判事)が書いた「パル判決書」の時点でも使われているものですが、これは当時の東京裁判の検察側(戦勝国側)の主張として大要【南京陥落の1937年12月13日以降、南京において、日本軍の陸海軍の最高司令官らの命によって、30万人に至る一般人あるいは捕虜が裁判なしに殺戮された、2万人を下らない婦女子が日本兵によって強姦された、その他略奪行為が行われた、それは犯罪と評価されるべきものである】といった内容でした(東京裁判全体では、その他の占領地域全土における種々の行為も訴因となり訴追対象になっている)。

参考:共同研究 パル判決書(下) (講談社学術文庫)

パル判事は「この物語を全て受け入れることは困難」「そこにはある程度の誇張とたぶんある程度の歪曲があった」と評しているように、「人数」や内容については数千人説から様々あります。

そして、強姦や略奪は別にして「殺害」については、それは国際法上違法と評価されるべきものだったのか?という点の評価も行う必要があります。

上記1番はあり得ないと考え、2番の点を論じる者も、3番の視点が無い者が多いです。

パル判決文上の「残虐行為」の用語法の注意

なおパール判事の判決文上では「南京における日本軍の一般民衆或いは戦時捕虜に対する残虐行為があった証拠は圧倒的」「南京における日本兵の行動はベイツ博士が証言したように残虐は3週間にわたって惨烈なものであり合計6週間にわたって深刻」という記述があります。

確かに一部の日本軍の将校が犯罪行為を犯して軍法会議にかけられる例があるのも確かです。

しかし、ここで使われている「残虐行為」(と訳されているもの)の語は、元々は検察側の使用していた文言であり、パール判事の用語法としては、法的な意味を帯びない評価文言であり、一人の人間にとっての(痛ましい)法益侵害行為というニュアンスで使われています。

つまり、パール判事の用語法では、「組織的・大規模な違法行為」という予断は行われていないのです。むしろ、それを避ける表現だということです。

なぜなら、「判決文」なのに最初からとある行為に対して違法・犯罪行為であるという評価文言を使うのは、予断を持って論じていることになってしまうからです。ここでの「残虐行為」は、法的な評価を加えない、生の事実を叙述するための文言です。

その根拠として、共同研究 パル判決書(下) (講談社学術文庫)のp574以降では、検察側の説明する「残虐行為」としてアジアの20の地域ごとに事件が記述されているのですが、その中で『アンボン諸島で妊婦がげんこつで頭を殴られて腹を蹴られた』事案の1件、『クエゼリン島および父島で倉庫破り未遂のかどでアメリカ人が激しく殴打された後斬首された』事案の1件なども「残虐行為」とされています。

その前提に立ってパール判事の記述を理解する必要があるのですが、中には前後の文脈から切り離してパール判事の当該部分だけを出して「ほら、あのパール判事ですら南京事件があったと認めている!」と主張する者がいます。

しかも、この手の者は「南京事件」の中身を明確にせず、暗に「日本軍が組織的に数十万人を不法殺害+強姦略奪した事件」であるような仄めかしをしながら論じる傾向にあります。

南京大「虐殺」 という不毛な用語

南京事件については南京大虐殺などと言われ、英語ではNanking Massacre (Atrocity, Genocide)と呼ばれることがあります。

しかし、虐殺とその対応する訳語である英語表現のどれも、その定義はあいまいですし、用語法も一定ではありません。

人数が数人レベルなら虐殺ではないのか、数千人が殺されていても殺害方法が惨たらしいものでなければ虐殺ではないのか、など、「虐殺か否か」の問題設定では、人数・殺害方法によって虐殺かどうかが決まるといった不毛な議論になるだけです。

それを回避するためにも「不法殺害」が何人あったのかを端的に論じるのが正統です。

こうした前提に立って、これまで南京事件について検証された書物を読めば、その意味する所が曲解されて引用されている場合(そういうケースが多い)それを見抜けるようになります。

IIPSの星山隆主任研究員が2007年にまとめた南京事件70年ー収束しない論争ー日中歴史共同研究に向けての視点ーは、論点整理には使えると思います。

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